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死神は残業をしない  作者: 樹弦


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口縫い

 二階から降りる間もアシシさんとフブキさんは無言だった。冷たいとは言っても自分の指導官が資格を剥奪されたことでショックを受けたのかもしれないと思った。けれどもそんな予想とは少し違って、アシシさんが口を開いて言った言葉に私は驚かされた。


「不倫って何だよ…俺…セキリュウさんのこと…冷たいところはあるけど、きちんとしてる死神だって思ってたのに…」


「…セキリュウさんにとっては不倫ではなかったんですよ。相手に夫と娘がいることすら彼は知らなかったんですから…」


「でもっ…しがらみのある相手が死神になってるって知ってたら普通は…自分も死神になろうなんて思わないでしょう」


 アシシさんは納得できないという声を上げた。


「セキリュウさんは知りません。カリンさんとリンカさんの存在を。だから認識しようがないんです。彼が付き合っていたのは一人の独身の女性だった…残酷ですが…前世のしがらみをすでに超えた死神とはそういうものです…そうして、彼にその事実を伝えたところで、彼はその話を自分に関わる話としては理解しません。そういう不幸な親子がいた…それで終わりです。ですから、アシシさんがアシシさんの正義感で彼を裁くことはできません。そしてカリンさんとリンカさんは前世のしがらみを超えられずにいる。母親に対する恨みが、死神になった今でもあの場に二人を足留めしているのです…」


 クロさんはいつになく厳しい表情でアシシさんの顔を見つめた。アシシさんは圧倒されたように目を見開いて口を閉じる。やがてクロさんは再びいつもの調子に戻ると、シロガネさんに言った。


「統括に呼ばれましたね…やはり配置換えだそうです。マソホさんとヤミカさんも嫌だとは思いますが一緒に来て下さい」


 クロさんに言われて私たちは仕方なく死神統括本部長の部屋へと向かう。そうして折しも向かいから歩いてくるのがハイアオさんだと気付いて私はゾッとして思わず足を止めた。クロさんが私とアシシさんの手を握って壁の方にさりげなく庇うと、シロガネさんもヤミカさんを片手で抱き寄せてフブキさんを制するかのようにその身体の前に反対側の腕を出していた。最初はハイアオさんの姿しか見えなかった。けれども近付くハイアオさんの後ろに黒い首輪をつけられた女性の姿が見えた。そうしてその女性の六本の腕に抱かれるようにして、虚ろな表情をした元ミアさんだったツブシさんがいた。ツブシさんの首には赤い首輪がつけられている。ツブシさんの口は血塗れだった。そう思って通り過ぎるときに私はそれが血などではなく不揃いな太さの赤い糸で唇を縫い合わされていることに気付いて背筋が凍りついた。ツブシさんの首がどこか不自然に動いてこちらを見る。喉の奥でくぐもった声が上がったが、ハイアオさんがツブシさんの首輪の鎖を引くとツブシさんは途端に大人しくなった。


「おや、みなさんおそろいで。成功組と堕落組…そういったところかな…」


 ハイアオさんが微笑む。彼はアシシさんの顔を見て面白そうに笑った。


「なんだ…君、この子のファンだったの?幻滅したでしょ?それで正解だよ。君がもしこの子に手を出していたら、君も異形化するか頭がおかしくなって行方不明になるかしていたかもしれなかったからね。今のようにすでに誰かのモノになっている女の方が側にいても安全だ。鑑賞するには十分過ぎるだろう。それにたとえ彼女たちが異形化しても君は巻き込まれない。巻き込まれるのは魂に手を付けたそこの死神の二人だけだ…」


「今日はまた随分ペラペラとよく喋りますね…」


 ハイアオさんに向かってシロガネさんが心底嫌そうな顔をして言うと、彼は笑って口を開けて見せた。どういう訳か舌が二枚ある。


「ツブシがあまりに騒ぐから舌も喰ってやったんだよ。私の口付けを受け入れて…不遜にも先に舌を入れてきたから噛み切ってやった。死にそうに大騒ぎしているからシシュウに縫ってもらったのさ。それでようやく統括に会える程度には大人しくなったよ…」


「クロガネ、お久しぶりね。私は楽しくやってるわよ?」


 六本腕の女性がクロさんの方を見てニコリと笑う。顔立ちは綺麗な人だと思った。けれどもどこまでも真っ黒で白い部分が一つもない瞳は異様だった。六本の腕はツブシさんを抱きしめて離そうとしない。


「私、ハイアオを通じてこの子の指導官にしてもらったの。嬉しいわ。教育しがいのありそうな子が来てくれて」


「……」


 クロさんは無言のままどこか寂しそうな視線をシシュウさんに送る。私は不意にツブシさんの手が目に入った。ツブシさんの左手には指が三本しか残っていなかった。小指の他にも第一関節どころか第二関節まで欠けている指もある。私は叫びそうになって、けれどもシロガネさんの言葉を思い出して必死に唇を噛んだ。


「…なぜ君がそんな苦しそうな顔をするんだい?変わった子だね…自分のことでもないのに」


「どうして…平気でミアさんの魂を…食べるんですか?」


 私は我慢出来ずにとうとう口を開いてしまった。一瞬にして私の腹に鎌が刺さる。あまりに動きが早すぎて見えなかった。気付いたときにはすでに深く刺さっていてそれを認識したときにはもう引き抜かれていた。私は急いで溢れ出した血を彼岸花に変えた。


「おや、もうその段階に入っていたのか。なんだ、つまらないな。ツブシみたいに血塗れになって無様に悲鳴を上げながら転がってくれるかと思ったのに…成長が早すぎて憎らしいよ…」


 クロさんはハイアオさんの鎌についた私の血を素早く集めていた。一滴残らず回収して私の彼岸花に触れる。血は花と同化して私のお腹に吸い込まれて消えた。


「あなたにはマソホさんの血の一滴だって渡しはしません…今度また同じことをやったら、私はあなたに鎌を向けます」


 クロさんの身体からゆらゆらと揺らめく相手を圧倒させる何かが見えたような気がした。私は怖くなり慌ててクロさんの袖を掴んだ。


「ごめんなさい。言いつけを守らなかった私のせいです」


 クロさんは私を見下ろすと身にまとった剣呑な気配を引っ込めた。そうして困ったような顔をして私の頭を撫でた。


「ちょっとハイアオ、いたずらが過ぎるよ。謹慎処分にされたくなかったら、早く帰りなさい。後がつかえてちっとも進まない。こっちだって暇じゃないんだ!」


 統括が部屋から顔を出して廊下で対峙(たいじ)している私たちに向かって言った。ハイアオさんは統括を一瞥(いちべつ)すると、シシュウさんとツブシさんを連れて去って行った。私はホッとしたのと同時にお腹に鈍い痛みを感じて、思わず座り込んでしまった。


「マソホさん!」


 クロさんが私のお腹に手を当てる。私は情けないのと悔しいのと痛いのとでうまく笑えなかった。


「ごめんなさい…クロさん…」


「謝らなくていいです。研修生相手にこんなことをする方が間違っている」


 私のお腹の傷はまた開いて彼岸花が咲いていた。クロさんに抱きかかえられて私は統括の部屋に入る羽目になる。みっともなく縋るといいと言った人の目の前で私はクロさんに抱きかかえられていた。統括と目が合う。嫌味を言われるだろうと覚悟した私のところに統括が歩み寄ってきた。私のお腹の彼岸花を覗き込む。


「ふぅん。ハイアオの鎌でこの程度の怪我で済んだのか。下手したら弱い魂は丸々消え失せることだってあるのに…」


 統括は私のお腹に手を当てた。クロさんが驚くのが伝わってきた。私も何をされるのかと身構える。


「そんなに怖がらなくても。ハイアオみたいなことはしないよ。そう力むな…探れない」


 私のお腹の中に統括の手が入り込む。どういう訳か内臓を探られるような奇妙な感覚がした。統括はやがて手を引き抜くとその指先に小さな何かを摘んでいた。


「ハイアオの鎌の石だ。取っておかないと後で厄介なことになる…未練が多いと成り変わろうとするからな。これはこちらで厳重に保管しとくわ。まったく…せっかくここまで順調に育ったのに油断も隙もない…」


「女の死神は好かないが、マソホはまだ伸びしろがありそうだな。今日呼んだのは、セキリュウがしばらく研修生を持つことが不可能になったから、アシシとフブキの面倒を一人ずつ見てもらいたい、そういうことだよ。担当はどちらでも構わないし、交代でも良いしそれはそっちに任せる。それと…その腹の傷は後で入念にもう一度塞いでおいた方がいいよ。ハイアオの鎌は女の未練で溢れているからね。マソホを縛ってでも監禁してでも足を切り落としてでもいいから今夜は外には絶対に出しちゃダメだ。じゃないと意思とは関係なく向こう側に引かれる…ハイアオは本来なら自分の頭で考える子の方が好きだからね…だからミアには手を出さないと思っていたんだけど…意外だったよ」


 足を切り落とすという言葉に私は絶句する。けれどもそこまでの必要があるほど、自分がまずい状況に追い込まれてしまったことは理解できた。口は災いの元だ。私こそ口を縫うか舌を切り落とすかしておくべきだったかもしれないと後悔したけれど、すでに遅い。


「統括…足を切り落とすなんて物騒なこと言わないで下さいよ。俺がクロさんとマソホちゃんを閉じ込めておく…何のために喫茶店の三階に俺の趣味まで疑われそうなあの部屋があると思ってるんですか」


 シロガネさんが笑って言ってくれたので、私は少しだけ気持ちが落ち着いた。そうして三階などあっただろうかと喫茶店の外観を思い出そうとしてみたけれど、私の記憶にある喫茶店はどう見ても二階建ての建物にしか見えなかった。ヤミカさんですら不審そうな顔をしているところを見ると同じことを考えているのかもしれなかった。


「シロガネ、それと鎌の没収期間がようやく終了になった。上に掛け合ってきたんだ。行方不明になった研修生は異形化した魂に喰われた可能性も否定できない。今後は警戒態勢を上げる。鎌の使用許可証だ。保管庫に寄ってから、研修生の捜索に加わってほしい。鎌の具現化が可能な研修生は指導官と共に捜索の許可を出したから、実地訓練も兼ねて出掛けてみるといいよ。もちろん…行く行かないは研修生と指導官の判断に任せるけど、君たちなら行くでしょ?男性陣は顔見知りだったみたいだし」


 統括はなぜかこの状況を楽しむような表情をした。


「この機会に、ここでの夜遊びがどれだけ危険かを周知徹底する意味でも、異形化した魂がどんなものだか見ておくだけでも価値はあるよ。今後死神としてやっていけるかどうかの覚悟にも繋がるから、君たちも勉強してくるといい…あぁ…マソホはすでに会ってるし喰われたから、今更だけど復習だな。話は以上だよ」


 私たちは半ば追い出されるように部屋の外に出る。廊下で待っていたのは、初日にフブキさんと共に話しかけてきた男性陣の中にいた一人と、知らない派手な金髪の死神だった。


「カサイ…!」


 フブキさんが声を上げる。どこか焦点の合わない虚ろな目をしたカサイさんは驚くほどやつれていた。車椅子に座っていて両手両足全てが以前私が腕を戻す際に使ったサンドイッチメーカーのような物で固定されている。車椅子の点滴スタンドには数種類の輸液バッグがぶら下がり、見るからにカサイさんは大変な状態になっていた。そうして一番異様なのは大げさにも見える口枷(くちかせ)をつけられていることだった。


「お疲れ様…タケナワ。この子の担当になったの?」


「はぁ…そうなんすよ。可哀想ですけど、こうしておかないと舌を噛み切ろうとしてしまうんです。もはや呪詛レベルですよ。だから研修生どうしの遊びはもっと厳重に取り締まるべきだって前々から言ってたんですけどね…」


 おおよそそんな発言をしそうにもない見た目のかなり派手なタケナワと呼ばれた死神は、シロガネさんに向かってそう言いながらため息をついた。私の中では完全にホストのイメージしか浮かばない。金色に染めたウェーブヘアーは肩の辺りまで伸びているし派手なスーツを着ていた。それに整った顔立ちだ。


「お前さ、現世で遊び方ってもんを知らなかったのかもしれないけどさ、少しはこれに懲りて大人しくしてろよ?にしたって、ハイアオさんもエグいっすよねー。あの子の舌を噛み切ったら、こっちにまでリンクしてくるとか…。あの子、そのうち手も足もなくなってダルマにされるんじゃないっすか?」


 不意に彼は私の顔を見て口をつぐんだ。クロさんは私を抱きかかえたまま何も言わなかった。けれども無言の圧力を感じたタケナワさんは肩をすくめて少し困ったように言った。


「クロさん…すみません。喋りすぎました。その子…ハイアオさんが…斬ったんですか?」


「えぇ…鎌の石まで残されましたが、統括が取り除いてくれました。私もマソホさんと共に今日の夜は監禁部屋に入るつもりです」


「…そうでしたか。その節は…お世話になりました…では」


 彼は礼儀正しく頭を下げると統括の部屋の方へと去って行った。見送ったフブキさんよりもアシシさんの方がずっと顔色が悪くなっていた。


「アシシ、しっかりしろ。大丈夫だから」


 シロガネさんの言葉にアシシさんは頷こうとした。けれども、その唇の端から不意に血が流れ出した。シロガネさんの表情が固くなる。


「アシシ、お前…もしかして…?」


 アシシさんは青い顔のまま頷いた。


「ミアに…一回だけ…勝手に…キスされたことが…」


「クソっ、それでも障りが出るのかよ。なんて厄介な…」


 シロガネさんはポケットからハンカチを取り出すと丸めてアシシさんの口に突っ込んだ。


「さっさと帰ろう。フブキはともかく、アシシに同行は無理だ。ちょっとその状態で我慢してくれ。帰ったらどうにかする」


「シロガネさん、保管庫!」


 クロさんの声にシロガネさんは珍しく苛ついたように髪をかき乱した。


「あぁ…ったく!」


 シロガネさんは何を思ったのか使用許可証を突然折り始めた。紙飛行機の形にして息を吹きかけて横の廊下の方に飛ばしてしまう。しばらくは何の変化も感じられなかったのに、奥から小さな羽根の生えた箱が飛んできた。箱は開くと開口一番文句を言った。


「歴代でも使用許可証で紙飛行機を作ったのはあんたが初めてよっ!まったく。急いでるのは分かるけど私の顔も見ないで鎌だけ寄越せなんて、横暴過ぎるわ!サイテー!!」


 罵り終わると、箱の中からミニチュアサイズの銀色の鎌が姿を現した。可愛らしいと思って見ている私の目の前でどんどん鎌は巨大化し、以前クロさんが使っていた背丈よりも高い大鎌になった。鎌を手にしたシロガネさんはニヤリと笑う。そうして不意にヤミカさんの方を見た。


「な…なんですか?」


「いや、鎌を手に持ってヤミカを見たら印象が変わるかと思ったけど、そんなに変わらなかったな。これはいいのか悪いのか…」


「しっ…知りませんよ。そんなこと私に聞かれたって」


 ヤミカさんは落ち着かない様子で目を逸らす。シロガネさんはそんなヤミカさんを見てから、いつもの調子に戻ると鎌を消し去って言った。


「とりあえず帰るよ。それから作戦会議だ」

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