痛みの訓練
いつもの養成講座が行われている建物の前にはアシシさんとフブキさんが待っていた。最初に来たときには気付かなかったのにその入り口にはデジタルの掲示板があり本日開催されている講座と場所が書かれている。そしてその横には今日から新しく加わる研修生の名前も書かれていた。更にその下にミアという名前が見えた気がして私は慌てて掲示板を見上げた。ミア改めツブシ。名前の変更がなされていた。指導官もハランさんからハイアオさんの名前に変わっている。
「おはようございます。昨日は騒いですみませんでした。本日も引き続きよろしくお願いします」
フブキさんが頭を下げる。アシシさんも慌ててぺこりと頭を下げた。フブキさんは私が見上げる掲示板をちら見してため息をついた。
「また…指導官が変更になりましたね。しかも名前まで…何が起こってるんですか?」
フブキさんは私の方を見てなぜか気まずそうな顔をして突然目を逸らしながら言った。
「マソホさんも…また姿が変わりましたね。俺…年の離れた妹がいるんですけど…あのクソ生意気な妹と同じ生き物には全然見えないっていうか…クロさん、なんでこんな格好させてるんですか!?心臓に悪いですよ…よく平気ですね?」
「でも似合っているでしょう?ヤミカさんのデザインなんですよ。何しろ私の頭には古いデザインしかないもので…」
クロさんは余裕で微笑む。今日の私はヤミカさんと姉妹コーデのようになっていた。ゴシック風の衣装に身を包み近くに立ったヤミカさんは平然としている。シロガネさんは喫茶店のマスターの格好で出てきていた。クロさんもいつも通り黒尽くめだ。フブキさんも含めて皆揃ってモノトーンの中にアシシさんの赤い髪と赤いパーカーが確かに目立つのか、通り過ぎる研修生がこちらをチラチラと見ていた。
「おはようございます!」
現れたのはホムラさんだった。ホムラさんは研修生を連れていた。会社員風の中年のその男性は私たちを見ると明らかに驚いたような顔をした。
「こちらのお二人は第一階級特別区にお住まいの死神の方々です。今日から新たに研修生として加わるホウカさんです」
「どうも、ホウカです。やけ酒して寝ていたら丸焼けになってました。いやーそれにしても皆さん、生きていたらスカウトしたいくらいに際立ってますねぇ…」
生前のクセなのか胸元から何かを取り出そうとしてホウカさんはしまった、と言わんばかりに笑った。
「あぁ、名刺もなにも…全部燃えてしまってここにはないんでした。うっかりしてました」
ホウカさんは苦笑しながらホムラさんと共に建物内に入ってゆく。随分と明るい人だ。
「さて、そろそろ俺たちも行こうか。今日は二階だ。ちなみに先に言っておくと…今日の講座で挫折して輪廻の輪に飛び込む研修生が多くなる。飛び込まなくても死神じゃなくて、別の仕事に就くために受講講座を変更する者も多い…ま、行ってみたら分かるよ」
シロガネさんの言葉にアシシさんとフブキさんが顔を見合わせるのが分かった。私も心なしか緊張する。二階に上がると入り口に少女の死神が座っていた。少女はクロさんとシロガネさんの姿に慌てて立ち上がって敬礼をした。
「お疲れさまであります!第一階級特別区の高名な死神の方々にお会いできるとは思ってもいませんでした。あのっ…仕事中に大変申し上げにくいのですが…サインを下さいっ!!」
少女はマジックと色紙をシロガネさんの前に突き出して礼をする。少し困ったような顔をして受け取ったシロガネさんはサラサラと本当にサインをした。随分手慣れているなと思いながら私は見ていて呆気に取られる。次に色紙を受け取ったクロさんは手の中のマジックを筆に変えると、これまた達筆な字で迷いなくサインを書いて少女の死神に渡した。アシシさんとフブキさんもポカンとしてその様子を見守っていた。二人にとっては日常茶飯事なのだろうか。何だか不思議な光景だった。
「ほら、自分の名前のところに丸つけて」
シロガネさんに言われるがままに名前に丸をつけると少女がニコリと笑った。
「ふぅん、あなたがマソホさんなんだ。でこちらがヤミカさん…赤い髪がアシシさん、そしてフブキさん…鎌の具現化の早い子は期待値も高いからプレッシャーを感じることもあるけど、ま、折れずに気長に頑張って。長い人だともう五十年くらいここに通ってる研修生もいるから…」
「五十年!?」
途方もない数字にアシシさんが思わず声を上げてしまった。
「うん、まず先にこれは決まりだから言っておくと、ここでの講座は身体で覚えるのが一番早い。簡単に言うと刺されたり殴られたりしても魂と精神力を保つための訓練をする場所。悪魔や異形化した魂との戦闘力を上げるための場所。最初は慣れないからみんな血が出るし、青痣を作ったり骨折したりもする。多分、マソホさんやヤミカさんの方が…慣れるのは比較的早いと思う。事故死や凍死のアシシさんやフブキさんは慣れるまでに少し時間がかかるかもしれない。これは今までの研修生の統計の結果から推測しているに過ぎないけれど、自分の死因を超越する現象が起こると肉体があったときに恐らくこうなるだろうと想像しうる限りの反応をしてしまうのが人間なんだ。想像力を更に働かせて予想外の結末に持っていくのはなかなか難しい。逆に言うとこの段階の次にある炎や氷の攻撃に関しては…フブキさんは氷に関しては強いのだと思う。だが残念ながら、まずは先に刺されたりボコられたりするのがこの場所だ。嫌な者はここで帰るといい。わざわざ嫌な経験を増やす必要はない。輪廻の輪に入って生まれ直す選択をする場合は左横の扉から出るといい。ただし前に進めば合格点が出るか、無様に棄権するまではしばらく出ることが出来ない」
「あの…質問なんですが…」
「一つ聞きたいんですが」
私とヤミカさんはほぼ同時に手を上げていた。
「うん?」
「あ、どうぞ先にヤミカさん」
私が譲るとヤミカさんは頷いた。
「一方的に殴られたり刺されたりするんでしょうか。反撃はしていいんですか?」
「あ、私も同じことを聞こうとしていました」
私たちの言葉に少女の死神はハハッと声高に笑った。
「反撃してもいいよ。最後までできるものならね。前向きでよろしい。ではみんな前に進む…そういうことかな?いってらっしゃい。健闘を祈るよ!」
少女の死神は手を振る。
私たちはやけに重い防火扉のようなドアを開けた。そうして目の前に広がる光景に絶句した。
***
目の前の広い空間には、あちこちに研修生がいて姿のよく見えない影のような者たちに殴られたり鎌のような物や剣などで刺されたりしていた。悲鳴を上げて逃げ回る研修生もいる。あちこち血塗れの研修生は私たちが入ってきたことに気付いてこちらに向かって駆け寄ってきた。振り返るとシロガネさんとクロさんは一つ膜を隔てたような向こう側にいた。姿は見える。でも声は聞こえなかった。私が頷くとクロさんも頷いた。研修生を追いかけてきた影の他にも私たちに向かって寄ってくる影が見えた。
「助けてっ!もう嫌!無理!」
血塗れの研修生が一番長身のフブキさんにすがりつく。フブキさんは一瞬困ったような顔をして、その研修生を背後に庇うと、自分の鎌を出した。私も鎌を呼び出す。
「一方的に殴られるなんて嫌!反撃したい」
ヤミカさんが声を上げる。
「私も!それに武器もないのに刺されまくったときと比べたらまだこの状況はマシ!」
私は向かってきた影に両手を伸ばして攻撃した。近寄らせる前に攻撃する。私の鎌で影は呆気なく消えた。けれどもすぐに別の影が近付いてきた。フブキさんの後ろで悲鳴が上がり、背後から突き出た剣が研修生とフブキさんを貫いていた。
「あ…」
フブキさんが自分のお腹を見下ろして嘘だろという顔付きになる。
「フブキさん!死なない、大丈夫!何でもない。それはフブキさんのイメージ!!」
私は思わず叫んでいた。フブキさんの後ろから現れた影を私は切り裂く。マソホさんもアシシさんもすでに別の影と戦っていた。けれども次第に影は距離を詰めてきて私はとうとう殴り飛ばされた。
(痛くない!これは幻!)
そう心の中で唱えたけれどやっぱり痛いと思ってしまった。
「マソホ!痛くないよ!痛くない!」
私の耳にヤミカさんの声が響く。私は起き上がって私を殴ったであろう影のお腹に鎌を突き刺した。
「…大丈夫。このくらい、どってことない」
フブキさんはお腹を押さえていた。血の染みがどんどん広がってゆく。私はフブキさんのお腹に手を当てた。
「血じゃないの。たぶん流れるのは魂の一部…だから元に戻せる…そういうイメージが必要なんだと思う…たとえば巻き戻すような…」
「女子の方が強いな…俺なんか血を見ただけで…こんなに動揺してるのに…イメージ、想像力ないんだよ俺…くそっ!」
フブキさんは苦笑しようとして悪態をつく。その間にも影は襲ってきて私は次第に腕が疲れてきた。これも気にせいだと思った。疲れることはない。死んでるのだから。それでも相手の鎌を阻止出来ずに何度目かの攻撃で私はとうとう刺されてしまった。悔しい。その瞬間に思ったのはその気持ちだった。刺さった鎌を自分の鎌で切り落とす。切った瞬間にその鎌は消え失せた。私はお腹に出来た大きな傷を見る。赤い口が開く。どうせならもっと綺麗に赤く染まりたかった。あんな滅多刺しにされたぐちゃぐちゃな死体ではなくて美しく死にたかった。溢れた血を私は両手で受け止める。美しく…そう、この赤は彼岸花の赤だ。そう思った瞬間に流れ落ちそうだった私の血は彼岸花になってお腹の傷に咲き乱れた。
「マソホ…!?」
ヤミカさんが驚いたようにこちらを見て、その隙に殴られた。ヤミカさんはよろめいたけれども、フッと笑って殴られた頬に手を当てた。青い薔薇の模様がそこに広がる。
「マソホのイメージいいね。ちょっと借りる。それにね、この程度の痛みじゃない。次は刺してみなさいよ。私も花を咲かせるから」
その間に私は再び殴られた。倒れた視界に殴られているアシシさんが見えた。大丈夫。私も青痣を花に変える。そう思ってヤミカさんの顔を思い浮かべたら少し痛みが和らいだ。私が起き上がるとアシシさんも起き上がった。鼻血が出ている。アシシさんは鼻血をぬぐってすぐに止めた。ヤミカさんが刺された傷口に薔薇の花を咲かせる。赤い薔薇を咲かせたヤミカさんは勝ち誇ったように微笑んだ。
「マソホの頬の花も綺麗に咲いてる。ネモフィラ?生きてる間に見に行けば良かったなぁ…」
マソホさんが苦笑する。フブキさんの後ろで正気を失ったように悲鳴を上げていた研修生はいつの間にか私たちを見上げてポカンとしていた。再び襲いに来た影に私とヤミカさん、フブキさん、アシシさんが同時に鎌を向けた。フブキさんのお腹はいつの間にか傷口が凍っていた。凍ったイメージで血を止めたのだと思った。
「君たち…何その連携プレー。普通は自分のことで精一杯でよそ見なんかしてられないのに…イメージの転用か…面白いパターンだね」
影は消えてそこには死神と思われるかなり歳上の男性が立っていた。
「後ろの君は、まだダメだよ。今のこの子たちのやり方を参考にして戦うなり刺されるなりしておいで。逃げているだけじゃ始まらない」
研修生は再び影が飛び交う空間に追いやられる。いつの間にか私たちの場所にはその死神とクロさん、シロガネさんが立っていた。
「ま、少々ズルい戦い方かなとは思うけれど久々にこんな連携プレーを見せて貰ったから四人はこの初期段階はクリアにしておくよ。女性二人は今すぐ次の段階に進んでもいいけど、指導官もそこまで鬼じゃないですよね?それに男性陣の方が消耗してるから、少し心の休養を与えた方が良さそうですし…」
後半はクロさんとシロガネさんに向かって言う。
「この方はカリンさんと言って、私たちと同じ第一階級の死神ですよ」
クロさんの言葉にカリンさんと呼ばれた死神は困ったように笑った。
「特別区の死神のお二人と同じと言われてしまうと、気が引けますねぇ…お二人とも気さくですからつい忘れがちですけど、特別区はランクAAに上がれる実力があるにも関わらず後継者がいないから、留まっているに過ぎない…そうお聞きしましたよ?ということは、この研修生が後継者候補なんですね?」
私とヤミカさんは思わず互いの顔を見合わせてしまった。そんな話はひと言も聞いていない。シロガネさんが笑った。
「もう…カリンってば、負担に思ったら困るから言わなかったことをペラペラ喋られても困るよ。それに俺は第一階級くらいでフラフラしてるのがちょうどいいんだ。なんだって魑魅魍魎の巣窟みたいな所に住まなきゃなんないんだよ。特別区くらいが住むには気楽だ」
「まったく、シロガネさんはいつもそんなことを言って…とりあえず今日は四人ともお疲れさまだったね。この調子だとアシシくんとフブキくんの担当もお二人になりそうですね…たった今セキリュウが、監督不行届で指導官の資格を剥奪されましたから」
どこか嬉しそうに言ったカリンさんの声と同時に閉ざされていた空間が開いて私たちは少女の死神の前に戻っていた。
「あら、思ったより早かったわね。ところでセキリュウが資格剥奪されたって聞きましたか?」
「あぁ、リンカのパパが教えてくれたよ」
シロガネさんの言葉にリンカと呼ばれた少女の死神はクスリと笑った。
「もう、パパったら。私はセキリュウには別に何の恨みもないけれど、パパはいつまで経っても昔のことが忘れられないんです。嘘をついて浮気したのはママなんだから彼を恨んだって仕方ないのに」
少女の死神の言葉に私もアシシさんもギョッとしてしまった。少女の死神は少し寂しそうに笑った。
「ママは…私とパパを殺したの。セキリュウと一緒になりたかったのね。でも彼は災害に巻き込まれて死んでしまった。ママは殺人がバレて今も生きていて刑務所にいるわ。ママには簡単に死んでほしくない。死神になるなんて言い出して会いたくないもの。パパは一万回切り刻んだって足りないって言ってるわ。パパは自分の死よりも私まで殺されたことを恨んでるのよ」
リンカさんは私たちの名前に済印を押しながら、まるで世間話をするかのように何の感情も込めずにそう言った。私は何も言えずに今の私と同じくらいの年齢のリンカさんの顔を見つめることしかできなかった。




