記憶の克服
ひとしきり飲んで楽しく騒いだアシシさんとフブキさんを回収してカイナンさんは帰って行った。ぼんやりしていたらシロガネさんの声が聞こえた。
「もう、今日は遅いしこの上で寝なよ」
私はまぶたがくっつきそうになってコクリと首が下に落ちるのを感じて慌てて顔を上げる。クロさんの顔が近付いてきて私を抱き上げて階段を上るのが分かった。揺られると心地良かった。私はクロさんの首に手を回して抱きついた。
「マソホさん、よしよし、もう少しで布団ですからね」
クロさんが指を鳴らすとクロさんも私も風呂上がりのようにホカホカとしていて、いつものパジャマを着ていた。この力は便利だと思う。私はクロさんの方に手を伸ばした。私を抱き抱えてクロさんは布団に横になると電気を消した。
「おやすみなさい…」
「おやすみなさい、マソホさん」
クロさんが額にキスをしてくれたのが分かった。私はクロさんの腕の中で安心して眠りについた。
***
「マソホちゃん、もう寝たのか…身体が子どもだとそりゃ眠いよね」
シロガネののんきな言葉を聞きながら、ヤミカは心臓が口から飛び出そうなほどドキドキしていた。自分の心臓の音がうるさすぎてどうにかなってしまいそうだった。
「ヤミカ?」
そこでようやくシロガネは自分の腕の中で真っ赤になって硬直しているヤミカに気付く。
「そんなに緊張してたら眠れないよ?向かい合わせじゃない方がいい?後ろから抱きしめてみる?」
少し想像してヤミカはブンブンと首を横に振った。それはそれでもっと緊張しそうだ。
「キスする?」
「…何もしないって…言ったじゃないですか…」
「おやすみのキスだよ。クロさんもしてたし」
「なんで分かるんですか」
「秘密」
シロガネは笑ってヤミカの額に口付けをした。それで止めようと思ったのに赤い顔を見ていたらもう少し触れていたくなった。顎を持ち上げるとビクッとしてヤミカが顔を上げた。
「やっぱり…おやすみ以外のキスもしよっか?」
「ホントに……キスだけ…ですよ?」
ヤミカはそう言って固く目を閉じる。睫毛が長い。シロガネは美しい顔にそっと唇を重ねた。
「やっぱり…触りたい」
「増えてるじゃないですか…」
ヤミカは少し呆れたように言ったが、シロガネは抱きしめてもう一度キスをする。やがて強張っていた身体から少しずつ力が抜けてゆくのが分かった。何度も口付けを重ねて徐々に慣らしてゆく。少なくとも嫌がってはいない。けれどもその先をまだ恐れているのは分かる。頬の後に背中をゆっくりと撫でてみた。ヤミカの身体が強張らない場所に優しく触れる。結局頭を撫でるのが一番だと思い、シロガネは最後は頭を撫でながら唇を重ねて時折時計を見ていた。そうして静かに告げた。
「ヤミカ、おめでとう。死亡時刻はもう過ぎたよ」
「え…?」
ヤミカが驚いて顔を上げる。いつも苦しくて辛かった拷問のようなあの時間が、あっさりと終わっていたことに本人が一番驚いていた。
「どうして…?」
「うん?キスしてハグしてる間に終わってた。別に苦しくなかったでしょ?」
「…うん…」
納得していない返事だ。シロガネはヤミカの頭を撫でながら言った。
「…少し真面目な話をすると…ヤミカにとって、異性を感じさせる生々しい触れ合い方はその先に痛くて辛い我慢を強いられる時間が存在するっていう意識に結びつく…生きてる間、ヤミカ自身は全然気持ち良くなれなかったんだろ?」
「……!!」
ヤミカはシロガネに口に出してそれを告げたことは一度もない。また身体が強張った。シロガネは頭を撫でる。
「責めてないよ。ただヤミカにとっては彼氏もストーカーもその点ではあまり大差ないんだよ。何をされても痛くて辛いんだから。気持ち良くなってるのは男だけだ…本当は…そういうものじゃないんだけどな…それは相手がヤミカに優しく触れなかったからで…だからそれを逆手に取って痛くない触れ合いから徐々に慣れてもらった」
「それで…キスするって…何回も?」
なぜこんなに事あるごとにキスしようと言うのかヤミカは理解できていなかった。
「意識の切り替えだよ。俺とのキスとハグだけなら痛くない。その痛くない触れ合いも異性との触れ合いのうちなんだ。だから死亡時刻に起こったことをすり替えた…もう痛いことは起こらないよ。起こさせない。少しの間俺に任せて二人でキスしてたら終わる…」
シロガネはヤミカの頭を再び撫でる。
「シロガネさんって…やっぱり…すごい死神なんですね」
ヤミカの言葉にシロガネは思わず苦笑した。
「なんだよ、その感想。単なるチャラいその辺の男だと思ってたの?」
「…そうじゃないですけど…」
「言っただろ?俺はヤミカを一人前の死神にするって。それまでに、もっとたくさん気持ちいいことを知ってもらえたらいいなとは思ってるけどさ」
「また…そうやってすぐふざけるんですから…」
ヤミカはため息をつく。
「じゃあ俺とのキスは嫌いか?」
ヤミカは小さくシロガネの顔を睨んだ。
「嫌いだったら…してないです」
「だったら好きになってほしい…もっと」
ヤミカの頬を包んでシロガネはもう一度唇を重ねる。ヤミカはただシロガネの唇を受け入れていたが、やがて勇気を出して両手を伸ばすとシロガネの髪に触れた。シロガネはヤミカの伸ばした手を見て嬉しそうに微笑んだ。ヤミカは遠慮がちにシロガネの肩に両腕を回す。自分の意思でこうしたのは初めてだった。ヤミカはシロガネの与える感覚に意識を集中する。早く終わることのみを考えて耐えていた時間とそれは確かに全く違った。
「好き…です…」
合間にヤミカがつぶやくとシロガネはまるで恋人を見つめるような眼差しでヤミカを見下ろした。
「やっと…言ってくれたな…」
シロガネはヤミカを胸に抱くと横になった。ヤミカはシロガネの胸に両手を当てて丸くなる。
「安心して眠っていいよ…怖い夢の中からでも必ず助け出してやるから」
シロガネの言葉にヤミカは頷いた。程なくしてヤミカの穏やかな寝息が聞こえてきた。シロガネは頭を撫でてその肩に腕を回し、自分も目を閉じた。




