指切り
残酷な描写を含みます。苦手な方はご注意下さい。
(うるさいうるさいうるさい!)
ミアの不満は頂点に達していた。ハランの家に連れて来られてから一つも心が休まる時間がない。もう寝るように言われたミアは時計を見上げてまだ九時になったばかりだと気付いた。
(子どもだってまだ起きてる時間だっつーの!)
ハランの家にはテレビもない。これなら前の指導官の方がマシだった。ちょっと上目遣いに見上げただけで簡単に落とせた。口うるさいオバサンはもう寝ただろうかとミアは部屋のドアをそっと開けて辺りを窺う。こんなこともあろうかと鞄の中にもう一足予備の靴を用意していた。靴を履いて窓を開けると、最近遊んでいる二人組の男性が下で手を振っていた。鎌の具現化の際に終了間際になって、なぜか長い物干し竿のような物を作り出したカサイを見たときには使えない奴と思ったけれど、こうして二階から脱出するには役に立つ。カサイの伸ばした物干し竿を伝ってミアはそろそろと降りた。カサイが頷く。キリとカサイと腕を組み、ミアは走り始めた。夜中こっそりと抜け出すのはミアにとっては生前から続く遊びの一環で、特にそれが悪いとも思ったことはなかった。ただ一つ彼女は失念していた。ここがランクA以上の死神たちが住まう場所だと言うことを。彼らはとっくに愚かな侵入者に気付いていたが、鎌で刈るべき対象ではないので泳がせていたに過ぎなかった。
「ランクAっていうから、どんなにヤバいところかと思ったけど全然じゃん」
キリが辺りを見回しながら言う。
「それより、あのオバサンどうなの?」
「どうもこうも、口うるさくてほんとイライラする。相性最悪!」
ミアはキリの手にあった缶ビールを奪い取るとゴクゴクと飲み干した。安物の味がする。前の指導官はもっと美味しいものをくれた。
「ミアちゃんってほんとは何歳なの?」
カサイが笑う。こうして見ると全然格好良くないなとミアはカサイの少し離れ過ぎな目を見て思った。眉も太いし唇も分厚くて全体的に垢抜けない。どこか魚類っぽい。
「えー秘密」
ミアは言ってキリにキスをする。顔で言うならキリの濃い顔の方が好みだ。でも残念ながら身長が低い。カサイの身長でキリの顔だったら良かったのにと思う。
「こんばんは、お嬢さん」
不意に背後から声が聞こえて三人は慌てて振り返った。そうしてそこにおかしな生き物がいることに気付いて絶句する。最初は白い長い髪の少女かと思った。けれどもよく見ると下半身がおかしい。足ではなく蛇のようになっていてうねうねと動いていた。
「なにそれウケる!」
ミアは少女の下半身を指差して笑う。少女はムッとしたような顔をした。少女の隣には背の高い男性が立っていたがこちらは無表情のままミアを見た。黒い長めの前髪の下は片目が眼帯で覆われている。鋭い目付きで見られてミアはゾクリとした。
「お兄さんは格好いいね」
ミアの甘い声に相手は少し微笑んだようだった。
「死体も見つかっていない研修生が男を二人連れてこんな夜にどこへ行くのかな?じゃじゃ馬だと思っていたけど、とんだ阿婆擦れだね」
長身の男性の言った言葉の意味がミアにはよく理解できなかった。けれども何となくバカにされたような気はした。一方でカサイは二人を見てじりじりと後退りをしていた。男のくせにみっともないと思う。キリはどこか不安そうな顔をしていた。これでは連れて歩いても格好悪いだけだとミアは思った。
「意地悪なこと言わないで。ミア、なんでもするから、あのオバサンのとこから連れ出して欲しいの」
ミアはなりふり構わずに上目遣いで相手を見上げた。途端に下半身が蛇の少女がケケケと変な声で笑い出した。
「この女、ハイアオに色目使ってるの?なんでもするって?ハランはそんなに嫌か?あの優しいシロガネが放り出したって聞いたからどんなのかいっぺん直接会って見てみようと思ってたけど…いやはや、現世の欲まみれでゴッテゴテ。これは調教するにも難儀だねぇ…僕なら遠慮する」
「なんでも…ね。簡単に言うね。君…だったら私の鎌の一部になるかい?私の鎌にはね、死神にはなれなかったけれど、それでも私と共にいることを望んだ少女たちの魂が宿っているんだよ」
ハイアオと呼ばれた男性はスラリと刃の長い鎌を取り出した。柄の部分のあちこちに研修生のブローチについている石が煌めいている。ハイアオはその石を指先で慈しむように撫でた。カサイは地面に尻餅をついてガタガタと震え出した。
「申し訳ありませんでした…許して下さい…」
カサイの怯え方は尋常ではなかった。キリはハイアオと目が合うとあっという間に脱兎の如く姿を消した。
「可哀想に。怖がってるじゃない。ハイアオ、止めなよ」
「ミアと言ったかい?本当に私のところに来たいのなら、ハランと話をつけてあげてもいいよ?」
「ホント!?お願い!」
ミアは無邪気に笑う。目の前の死神の強さも知らずに身の程知らずな願いを口にするミアが哀れだとクチナワは淡々とそう思った。ハイアオと約束をしてしまったら、ほぼ死神にはなれない。それでもハイアオに魅せられて、火に飛び込む羽虫のように少女たちはどこからともなくこうして現れ哀れな魂を次々に散らしてゆく。ハイアオが滅多に指導官にならないのは、その魂が強過ぎて研修生程度では早々に使い物にならないほどボロボロにしてしまうのが分かりきっているからだった。けれども。クチナワは自分に鎌を向けたヤミカの昏く美しい瞳を思い出す。あの女なら、もしかすると。クチナワが考えている間にハイアオはあっさりと目の前の薄っぺらい魂に爪をかけてしまっていた。
「約束しようか、ミア」
ハイアオはミアの左手を手に取ると、その手をしげしげと眺めた。そうしてミアの手の甲に口付けをする。うっとりとその美しい顔をミアは眺めていた。やはり自分が勝ち組だ。あのヤミカとかマソホとかいう女とは違う、そう思った。自分はこんな美しい死神だって魅了できる。ハイアオの唇はやがてミアの小指に辿り着く。わずかに微笑んだ形の唇に小指の先が吸い込まれて舌の先で舐められる感触がした。ゾクゾクする。ミアは目を閉じる。そして。激痛が走ってミアは何が起こったのか分からずに、けたたましい悲鳴を上げた。
「あーあ、やっちゃった。かわいそ」
クチナワはさして感情のこもらない口調で言ってニヤニヤ笑った。ミアは左手の小指の第一関節から先を失っていることに気付く。血が溢れ出し、痛みが一層酷くなった。小指の先に心臓があるかのようにドクドクと痛みが押し寄せる。ミアは左手を抱えて思わず蹲った。
ミアの小指の先を口に含んだハイアオは血のついた唇で微笑んだ。
「約束の指切りだよ、ミア」
ハイアオはそう言うとミアの小指を舌の上に乗せて弄ぶようにたっぷりと転がしてから飲み込んだ。
「これからたくさん可愛がってあげるよ。本当は別の子の指が欲しかったけど…まぁ、暇潰し程度にはなってくれるよね?たまには考える頭のない子も…あれの相手をさせるなら、むしろ向いているのかもしれないし」
ハイアオの言葉にクチナワは長身の相手を見上げてため息をつく。
「まだあれを…飼ってんの?悪趣味だねぇ…」
「その元AAの死神をあんな風にしたのは誰かな?」
「はいはい、僕ですよ。でもあれは事故だ。ケンカを吹っかけてきた方が悪い」
「あれはあんな風になっても指導官の頃のクセが抜けなくて、欲しがるのさ。手のかかる研修生を」
ハイアオは泣いているミアを冷たい目で見下ろした。カサイは動けずに腰を抜かしている。
「さっさと行けば?それとも餌になりたいの?」
クチナワが顔を近づけて目の前で蛇の舌を出して見せると、カサイは情けない悲鳴を上げて手で這いながらその場から遠ざかろうとし始めた。けれどもうまく動けず無様に這い回る。
「みっともないね…ホラ、ミアも立つんだ。明日からは面倒な講座にも出なくていいからね」
ハイアオはミアの左手を取ると血の流れる指を再び口に含んだ。ミアはビクリとする。
「ほらもう痛くない」
小指の先はなくなって、つるりとした短い爪のない不格好な短い指がそこに現れた。痛みも血も止まっている。
「おいで、行くよ、暇潰し…ミアなんて名前はもったいない、君は今からツブシだ。ほら、言って。君の名前は?」
「…つ…ツブシ…」
「そう、それでいい」
ツブシにされた少女はハイアオに手を引かれると、やがて意思のない人形のようにゆっくりと歩き出した。




