昇格を祝う
やがて六時になり、普段は静かな喫茶店に人が集まってきた。私とクロさんは五分前に到着したけれど、すでにカイナンさんが二人を連れてやって来ていた。いつの間にかカウンターには酒のつまみになりそうなお洒落な料理の数々が並び、喫茶店が夜のバーの雰囲気に様変わりしていた。
「いらっしゃい」
バーテンダーの格好が様になるシロガネさんの隣でヤミカさんも同じ格好をしていた。長い髪を一本に結んでいる。シロガネさんはニコニコしながら、お揃いにしてみたよ、と言って笑った。私はヤミカさんがいつもの調子に戻っていることにホッと胸をなで下ろした。
「ヤミカさん、格好いいですね!」
フブキさんに言われてヤミカさんは少し困ったような顔をした。
「ヤミカをあんまり口説かないでね。俺が少しずつ距離を詰めてる最中だから」
シロガネさんがふざけて言うので、カイナンさんは肩をすくめてクロさんの方を見た。
「第一階級はやっぱり指導官と研修生との距離も密接になりますよね。ましてや二人はレアケースですから…」
私は慌ててクロさんと繋いだままだった手を離した。今気付いたけれど、せっかくのお祝いなのにこの姿ではお酒が飲めない。クロさんが私を見下ろして微笑む。そうして傍らのカイナンさんを労った。
「カイナンさんは、担当の研修生の一人が無事に独り立ちしたばかりでしたよね。お疲れさまでした」
「いえいえ、私は大したことはしていませんから。たまたま今回は優秀な子が当たっただけです。それでいくと、マソホさんもヤミカさんも上からの期待も大きいと思いますが。だからこそお二人が担当しているのだと思っていましたが」
カイナンさんの言う意味が分からなくて私はクロさんの袖を引いて見上げてしまった。クロさんは困ったような顔をした。
「…被呪殺者は異形化の可能性も高いですが、それを乗り越えて死神として成功すれば高い地位に上ることも可能だからなんです。カイナンさんが言っているのはそういうことです」
「そう…なんですか。どうして、教えてくれなかったんですか?」
「…それは…マソホさんのプレッシャーにならないかと思って…あなたは期待に応えようと努力してしまいますから。余計な重圧を与えたくなかったのですが、説明不足でしたね。すみません」
ふわりと微笑んで困った顔をされると私は何も言えなくなってしまう。この顔はずるいと思う。
「みんな、何飲む?マソホちゃんはアルコール禁止だからね」
「…分かってます。ノンアルコールで美味しいジュース作ってほしいです」
「りょーかい」
他の人の注文も聞きながらシロガネさんは笑う。シロガネさんを見つめるヤミカさんの表情もどこか柔らかい。ふとヤミカさんと目が合う。ヤミカさんが手にしているカクテルは何だろうと思ったら、ヤミカさんがこちらに歩いてきた。
「もう大丈夫?」
私が小声で聞くと、ヤミカさんは頷いた。
「何か…あった?シロガネさんと…」
私の言葉にヤミカさんは、わずかに目を見開く。ヤミカさんはしゃがんで私の目線に合わせると小声で耳打ちしてきた。
「ね、マソホ…クロさんと一緒に寝てるって…ホント?」
突然の言葉に私はヤミカさんの綺麗な顔を見て思わず周りを見回してしまった。男性陣は何かシロガネさんの別の話に気を取られていて、私たちの様子には気付いていない。私は小さく頷いた。
「…今は…幼少期を…やり直してるというか…そんな感じ…」
「私も今日…試す予定なの」
「え?シロガネさんと?それって…」
ヤミカさんは慌てたように首を横に振った。
「ほんとに、一緒の布団に入ってみるだけ」
「そうなんだ。でも…やっぱり…緊張するね」
私が言うとヤミカさんはどこかホッとしたような一瞬どこか子どものような幼い表情になった。
「そうなの。すごい緊張してる。シロガネさんはいつも通りだけど。私一人で…無駄に緊張してる…」
「私も…すごく緊張して…それで…気付いたら縮んじゃったの。無駄な防衛本能なのかな?クロさんが何かする訳ないのに…」
「そう…だったんだ…私も…縮みそう…」
「じゃ、飲み物も行き渡ったし乾杯するぞ!そこの二人もいい?じゃあ、第七階級に昇格おめでとう!かんぱーい!」
シロガネさんが言って皆で乾杯をする。私のジュースはどこか南国の味がした。パッションフルーツが入っているのだろうか。華やかな香りがして美味しい。
「お二人もおめでとうございます」
クロさんが微笑む。
「ありがとうございます」
私の頭をクロさんが撫でる。子どもになったせいなのかよく撫でられると思っていたら、ヤミカさんの隣に来たシロガネさんもヤミカさんの頭を撫でて目を細めていた。こうして見るとシロガネさんは大きい。私は思わずクロさんのズボンを握ってしまって慌てた。
「なにこれ、うまっ!」
アシシさんが料理を食べて目を見張る。
「今のマソホが食べられそうなもの、あるかな?」
遠目からだと見えるのにカウンターが高すぎて近付くと料理の皿の裏側が見える。クロさんが私を抱き上げてくれた。ポテトサラダがある。
「そうやっていると…何だか親子みたいですね」
カイナンさんはニコニコした。けれどもクロさんは微笑んで意外なことを口にした。
「そうですね…今はお父さんなのかもしれませんしその役目を果たそうと思ってはいますが…私としては…ずっとこのままですと、少し困ってしまうかもしれません。私にとってのマソホさんはやはり娘ではありませんから」
私は間近にあるクロさんの顔を思わず見て、娘ではないという言葉にドキリとしてしまった。クロさんは優しい目をして私の顔を見た。
「マソホさんは、私の大切な来世の伴侶です。その事実は何があっても変わりません。ですから、みなさんもマソホさんにはちょっかいを出さないで下さいね」
おっとりとにこやかに言ったクロさんを、フブキさんとアシシさんがかなり驚いた表情で見つめたのが分かった。フブキさんと目が合って私は困ってしまった。とりあえず肯定の意味で頷く。
「伴侶って…夫婦…なんですか?来世の?」
フブキさんは言葉の意味を確認するかのようにつぶやいた。
「前前世もそうでしたし…何度も…繰り返し私たちは出会って共に家庭を築いてきました…私が呪詛によって死んでから…生きる時間にズレが生じて会えなくなっていましたが…ようやく…再会しました。だから、誰にも渡しませんよ?」
まさかこんな場所でクロさんが宣言するとは思わず私はクロさんに抱きかかえられたまま、少し困ってしまった。次第に恥ずかしくなり顔が熱くなる。
「クロさん、酔ってるの?まったく…堂々とそんなこと言っちゃって。マソホちゃん、真っ赤だよ?ま、そうは言っても俺もヤミカを誰かに渡すつもりはないけどね。いい女だから俺の手で死神にしたい」
「第一階級の死神が一級である所以ですね。シロガネさんとクロさんが担当した研修生は皆、優秀な死神として今も活躍していますから」
カイナンさんがビールを飲みながら頷いた。クロさんはスプーンですくったポテトサラダを私の口の前に持ってくる。思わず反射的に食べてしまってから、本当にクロさんは酔っているのかもしれないと思い始めた。いつの間にか餌付けされている。
「クロさん、あの…」
「どうしましたか?」
ふわりと笑う表情はいつも通りだ。アシシさんがシロガネさんに言っているのは、指導官の愚痴だった。
「もーほんとに冷たいんですよ。そりゃ、事故組だから何人も寮に入っていていちいち相手なんかしきれないのかもしれませんけど…俺、嫌われてんのかなって少し自信なくすくらい、冷たいんです」
「セキリュウは昔からあぁだから気にするなって言ってるんですけどね。それにむしろ、シロガネさんとクロさんが第一階級の中では甘やかし放題のプランを選びがちですから、他の第一階級の死神も同じだと思わない方がいいですよ?」
カイナンさんはビールをお代わりして苦笑した。
「甘やかし放題…?」
まるでスマホの料金プランか何かにありそうな名前だと思った私は二口目のポテトサラダを口に入れられるところを、フブキさんに見られていた。フブキさんは妙に納得したように頷いて赤い飲み物を飲む。何だろう。私はカクテルが飲めないのがこんなにも悔しいとは思わなかった。
「だって、ただでさえ現世で辛かったのに、ここに来て冷酷モードに当たったら、死神になる前に輪廻の輪に飛び込んじゃうよ?フブキやアシシは事故組かもしれないけど、それまでの人生は割と楽しかったんじゃないの?」
シロガネさんは何か強そうなお酒をロックで飲みながら言った。アシシさんは確かに、と言って頷く。フブキさんも少し考えてから頷いた。
「マソホさんは幼少期に与えられなかったものを私が今こうして代わりに補っているところです。私がマソホさんに手を出すなと言ったのは何も独占欲を出して言っただけではありませんよ?今のマソホさんは一時的な父親役である私以外の男性が基本的に怖い…だから気軽に触れてみようとしないでほしい、そういう意味も含めて言いました」
私は自分でもよく分かっていなかった、シロガネさんを見たときに思わずクロさんのズボンを握ってしまった理由をようやく理解した。そうしてクロさんに抱き上げられてどこかホッとしたことにも今更ながら思い至る。怖かったのかと、納得した。
「ヤミカもこう見えて男慣れしてないからな。ミアを相手するみたいに気軽に触ったらダメだよ」
シロガネさんの言葉にヤミカさんが、少しその顔を睨んだような気がした。ミアと聞いてアシシさんが微妙な表情をした。
「指導官…とうとう女性になっちゃいましたよね。男の指導官はチョロいって言ってたから、止めるように言ったんですけど、うるさいって言われちゃいました」
「アシシ、ちょっと踏み込むけど、ミアと寝た?」
シロガネさんの言葉に皆がギョッとした表情になる。ちょっとどころの踏み込みではない。クロさんが眉を寄せて私の頭を撫でた。アシシさんは慌てて首を横に振った。
「そんな訳ないじゃないですか。生前は一応ファンだったんですよ。でも…正直なところ幻滅したというか…それで…誘われたけど…断りました。そうしたらあることないこと言われて…友だちだと思ってた奴らもいなくなって…そいつらがミアとどうしてるかまでは知りませんけど…」
「そう…別に研修生どうし、何をしても口を挟む義理はないけどな、まだ死体の見つかってない女と深い仲になるのは止した方がいい。フブキにも言っとく。それで鎌を作り出せなくなったどころか異形化した研修生が過去にいたからな。先に釘は刺しておく」
カイナンさんは覚えがあるらしく、あぁとつぶやいてビールを飲み干した。
「正直なところ…あの子は危ないですね…ハランさんですから、どうにかしてくれると信じたいですが…死体があれだと…」
言いかけて慌てたようにカイナンさんは口をつぐむ。何か知っているのだと思った。
「事故組のキリとカサイっているんですけど…最近ミアと一緒にいるのをよく見ます…」
フブキさんが野菜スティックを食べながらカイナンさんの顔を見た。
「セキリュウさんは知らん顔ですから…カイナンさん、どうにかできませんか?これで二人が異形化したら、ちょっと寝覚めが悪いというか…」
カイナンさんは大きなため息をついた。同期の頃からセキリュウさんの尻拭いをするのがカイナンさんの役割のようだった。またかと頭を抱えて、けれどもこの件に関してはあまり放置するのもまずいと思ったのか、カイナンさんは諦めたように頷いた。




