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死神は残業をしない  作者: 樹弦


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午後の講座

 午後から再びカイナンさんによる講座が始まった。やはり同席しているシロガネさんとクロさんを見てカイナンさんは諦めたのか、どこか開き直ったような口調で説明を始めた。少し遅れてミアさんが現れる。ミアさんの隣には見たことのない銀縁の眼鏡をかけた仏頂面の女性が付き添っていた。指導官だろうか。けれども私の目にはミアさんの身体に巻かれた赤い紐の方が気になっていた。ヤミカさんも気付いたのかわずかに眉をひそめる気配がした。私は慌てて講座の方に集中する。あまりじろじろ見ては失礼だと思った。


「死神が鎌を使うのは、私たちが導くべき魂を掠め取ろうとする者に遭遇した場合です。みなさんの分かりやすい言葉で言うなら、まずは悪魔と呼ばれる存在がそれに該当します。彼らは魂を気紛れに所有し己の物とします。悪魔に取り込まれた魂はほぼ回収が不可能になります。唯一の方法は鎌で悪魔を葬り去った場合です。その場合、魂は解放されますが、葬り去れなかった場合は死神も悪魔に取り込まれる危険性があります。現在死神統括本部では、第三階級以下の死神に関しては悪魔に遭遇して魂を掠め取られた場合でも戦いを挑むことは禁じています」


 悪魔という存在について全く信じてもいなかった私は、それはどんな見た目をしているのだろうかと首を傾げてしまった。テキストにも具体的に明記されてはいない。分からないと戦いようもないと思った。


「魂を掠め取るのは悪魔のみではありません。異形化を遂げた魂もまた、死んだばかりの魂を狙います。その場合は死神の鎌でその魂を葬ります。しかし紛らわしい事案も存続します。異形化した魂が生者のものだった場合、それは我々が直接手を下して良いものではありません。区別の方法としては臭いがあります。生きた魂が異形化している場合は腐臭や血生臭い臭いなど…不快な臭いを発することが多いです。本日は一級以上の死神の方々も同席しているので、話を伺いましょう。この中で悪魔に遭遇した方はいらっしゃいますか?」


 ミアさんの隣の女性が挙手した。その後からシロガネさんが面倒そうに手を挙げて、私を膝に乗せたクロさんも手を挙げる気配がした。怠そうに座っていたミアさんはギョッとしたように隣の女性を見た。


「では…ランクAの死神のハランさん、悪魔と遭遇した際の出来事を話せる範囲内でご説明いただけますでしょうか?」


 ランクAの死神と聞いて私は思わずクチナワさんを思い出してしまったが、ハランさんはクチナワさんとは異なるタイプの死神のようだった。少なくとも人の形を維持している。クチナワさんを見てランクAにもなると姿が変わるのかと思い込んでいたけれど、そうではないようだった。ハランさんは静かに立ち上がった。


「本日午後よりミアの指導官を命じられましたランクAの死神のハランです。本来ならば二級以下の死神で対応が可能かと思われる案件を押し付けられて正直なところ迷惑しております」


 ハランさんもクチナワさんとは違った意味で毒舌だった。ハランさんは出会った悪魔と鎌で戦ったときの様子を教えてくれた。その悪魔の見た目がとても美しく惑わされそうになったことも含めてハランさんは語ってくれた。また別の悪魔は動物と昆虫が混ざり合ったような姿をしていたとも言っていた。要するにこれといった形はないのだと思うしかなかった。


「私は魂を取り返すことは出来ませんでした。相手に逃げられてしまったのです」


 ハランさんの話が終わってシロガネさんの話を聞くのかと思ったが、カイナンさんはシロガネさんではなくクロさんの方に向き直った。


「第一階級の死神のクロさんが異形化した生霊と遭遇したとの報告を受けたのですが、どのような状況だったかを研修生に説明してもらえると助かります。あくまで一例ですが…」


 私は不意にお腹を食い千切られたときの感覚が過ってゾッとした。それを感じ取ったのか、クロさんは私のお腹に手を当ててそっと撫でてくれた。


「すみません、その話ですが…現在担当中の研修生も共に遭遇し負傷した経緯があるので詳しくは触れられません。ですが見た目のみの話でしたら巨大な芋虫のような姿で細かい脚がたくさん生えていました。顔のみが人らしい形を辛うじて保っている状態で血生臭い臭いがしました。生きていると鎌で手出し出来ない分…魂を奪われる危険性は上がる存在ともいえます」


 ちらちらとこちらを振り返る研修生たちを見て私は落ち着かなかった。クロさんが私の頭を撫でて、大丈夫ですよ、と囁いた。中には私が小さくなっているのはその影響だとでも勘違いしたのか、気の毒そうな顔をする研修生もいた。


「すみません。軽率にも直近の出来事を尋ねてしまいました。ですが異形化した生霊と遭遇するレアケースとして記録に残る出来事でしたので、話題に出してしまいました。申し訳ありません」


 私はどうやらレアなものに遭遇したのだと、今回の講座でようやく理解できた。確かにあんなものが日常的にウロウロしていたら、今日のようにのんきに中華など食べてもいられない。それに、そもそも食われたのは自分の方だった。あまりに現実離れしていてそうとは実感してはいなかったのだけれど。


「鎌の使うべきタイミングは、実習に入ってから指導官から直接習うことになります。それまでに自身の鎌の形をある程度は具現化させておくことが重要となります。自主的に練習したい方にはトレーニング用の個室を貸し出しますからいつでも申し出て下さい。トレーニング室以外での具現化は、指導官がいる場所で必ず行って下さい。事故を防ぐためです」


 そこでカイナンさんは一度口を閉じた。テキストをめくり顔を上げる。


「それではこの機会に死神の階級について少々話しておきましょう。死神の第八階級に当たるのはあなた達研修生になることはご存知でしょうか。鎌のブローチに石が現れた段階で第八階級となります。鎌の具現化が終わった者が第七階級、具現化できる鎌の中から己の鎌を定めて登録した者が第六階級となります。この登録が終わると人としての感情とは切離されます。が、これに耐えられなくて挫折する者が多いのもこの時期です。第五階級になるには第六階級の段階で指導官と実際に魂の回収を行った回数及び、その魂がどのような状態で亡くなったのか…要するに死因が関わってきます。死の状況により加算される実績は変動します。こういう言い方はしたくありませんが、より凄惨な状況で他殺された魂の回収を行うと実績は上がります。ただし、自身の死の状況を越える現場には通常、その死神も研修生も配置されることはありません。感情といくら切離したと言っても自身が経験し得ない死の状況には耐えられないケースが多いからです。もちろんいかなる場合にも例外は存在します。元々人としての感情に何かしらの欠落があった場合などは…平気で回収できてしまうこともあります」


 隣でヤミカさんの肩がピクリと震えたのが分かった。シロガネさんがぽんぽんとその頭を撫でる。銀縁眼鏡のハランさんが、それを見て腹立たしいと言わんばかりの表情をしたのが見えてしまい私はドキリとした。確かにこの二人が性格的に合いそうだとは私も思わなかった。


「…それでは、残り時間も少なくなりましたので本日の講座はこの辺で終わりにしたいと思います。この後で名前を呼ばれた方たちは残って下さい。統括の前で鎌の具現化を行ってもらいます。合格した場合は第七階級に昇格します。アシシさん、フブキさん、マソホさん、ヤミカさん、以上の四名は残って下さい。本日はこれで終了します。お疲れ様でした」


 私は思わずクロさんを見上げてしまった。クロさんは微笑んで頷いた。視線を感じてそちらを見ると、ミアさんがこちらを睨むような目付きでじっと見ていた。それぞれが話しながら席を立つ。


「ミアさん、行きますよ。あなたは一週間鎌の具現化を禁じられた。自分の軽率な行いのせいです。誰のせいでもありません。それに私は女性ですから、あなたが男性の指導官に行ったような方法で誤魔化すのも無理です。実力不足を他人のせいにして羨むのも止めなさい。いつまでヒロイン気取りでいるんですか?少しは現実に目を向けなさい」


「…どい…ひどい!そんな言い方しなくたっていいじゃない!ミアだって…あんたみたいな意地悪な指導官なんか嫌い!!」


 ミアさんは走り去る。ハランさんはため息をついて私の方を見た。


「クロさんの生徒は…優秀ですね。シロガネがあの子の面倒を見ていてくれたら良かったのに」


 ハランさんは隣のシロガネさんを見上げて恨みがましい口調で言った。


「俺だって嫌だよ。それに初日に俺をぶん殴ってクビにしたのは向こうだ。ハランで四人目だぞ?いっそのことクチナワが担当になれば少しは大人しくなるんじゃないか?」


 私はおや?と思った。この二人は意外と仲が悪い訳ではないのかもしれない。むしろ昔からお互いをよく知っている雰囲気があった。ハランさんはヤミカさんの方を見て言った。


「ヤミカさん、シロガネには気をつけるんだよ?研修生であろうが何だろうが、こいつは気に入った相手は絶対に手放さない。どんな手を使ってでも死神に仕立て上げる…と言ってももう遅かったか。シロガネ、相変わらず手を出すのが早いな…」


「あん?出してないよ。失礼だな」


 シロガネさんは前髪をかき上げる。


「だったら、いつも通りジジイの格好をすればいいじゃないか」


「ヤミカは俺がジジイでも若くても、あんまり意味ないんだよ。根本的に男がそこまで好きな訳でもないからな。むしろどっちかっていうと嫌悪感の方が強い。だからこの格好はむしろ荒療治だな」


 傍らのヤミカさんが一瞬何か言いたげな表情をしたが、何故か私の顔を見ると肩を落とした。私はなぜヤミカさんが落ち込むのかよく分からなかったけれど、カイナンさんが二人の研修生と近付いてきて頭を下げた。


「さて、私も行くとするか」


 ハランさんはそう言って部屋を出てゆく。カイナンさんの隣にはアシシさんと、先ほど名前を呼ばれたらしいフブキさんがいた。フブキさんは初日に私たちに話しかけてきた男性のうちの一人だった。ペコくんにおじさんと呼ばれた人だ。アシシさんよりも背の高い彼はシロガネさんと同じ目線だった。縮んでいるせいか、とても大きく見える。会社にいた上司に少しだけ雰囲気が似ていた。


「フブキです。あのときは興味本位に話しかけて…後から反省しました。ごめんなさい」


「…別に気にしてないです」


 ヤミカさんが気まずそうに言って、私を見たので私も慌てて頷いた。


「それでは…統括のところに…行きましょうか」


 どことなくカイナンさんの口調が重いのは気のせいかもしれないけれど、私も統括に会うのはあまり気乗りしなかった。アシシさんが歩きながら言った。


「統括は…苦手です」


「私も…マソホは?」


「苦手…」


「あぁ…みなさん、一緒でホッとしました」


 最後にフブキさんが言うので、みんな同じ気持ちだったのだと分かって私は少しおかしくなる。


「統括は女性に対する風当たりが強いですからね。右から左に聞き流して結構ですよ」


 クロさんがおっとりと言った言葉にシロガネさんも頷いた。


「こちらの神経を逆撫でするプロとでも思っておけばいい。とりあえず今日の目的は午前中の講座で出した鎌を何種類か見せること。後は余計なことは考えなくていいよ」


 気付けば死神統括本部長の部屋の前に着いていた。私は気を引き締める。右から左に聞き流して相手の挑発に乗らない。カイナンさんがノックするのを見ながら、そう意識した。

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