指先の闇
(あったかいなぁ…)
翌朝私はそんなことを思いながら目が覚めた。そうして目の前にクロさんの寝顔があって、慌てて飛び起きる。クロさんは目を開けると微笑んだ。
「おはようございます、マソホさん」
そうして少し困ったような顔で私の頭を撫でた。起き上がった私は何だか違和感を覚えた。隣のクロさんが大きく感じられた。
「あの…」
私は掌を見る。やっぱり小さい。
「私…小さいまま…ですか?」
クロさんは少し困ったように頷いて再び私の頭を撫でた。
「大丈夫ですよ。マソホさんが満たされたら元に戻るはずですから…」
クロさんはそう言うと立ち上がる。布団を片付けるクロさんを手伝おうとして、布団の重さに驚いた。私は力までが子どもになってしまっていた。
***
椅子に上って洗面台の鏡を恐る恐る覗き込む。私は幼い頃こんな顔をしていただろうか。あまり覚えていないけれど、そうなのだろうと思った。思ったよりも髪が長い。腰のあたりまである。五歳くらいだろうか。よく分からない。そのときクロさんの携帯が鳴ったようだった。開いてちらりと見たクロさんはパチリと指を鳴らした。私はすでに着替えていたが、喪服のような黒いワンピースだった。
「すみません、子ども服の記憶が古くて…シロガネさんのところで、朝食を食べましょう。心地良くて少し寝過ごしてしまいました」
クロさんは私の手を引いて外に出る。喫茶店に着くと案の定、シロガネさんがあんぐりと口を開けて私を見た。ヤミカさんもわずかに目を見開く。
「特に何があった訳ではないのですが…子どもになってしまいました」
クロさんが言うと、ぼんやりしていたシロガネさんが、あぁと言って笑った。
「いやーマソホちゃんは小さくなっても、めちゃくちゃ可愛らしいよね。でもその服装はねぇ…昭和レトロというか何というか…ヤミカ、ちょっとデザインしてあげなよ。インスピレーション湧くでしょ?」
ヤミカさんは無言だったが妙に目がキラキラと輝いていた。私の方に近付いてきたヤミカさんは私を抱きしめた。
「可愛い…こんな妹欲しかった…」
何だかよく分からないがヤミカさんは喜んでいるらしく、あっという間に喪服をフリルで覆うと、厚底のブーツを履かせた。
「こんな感じかしら」
ヤミカさんに手を引かれてスタッフルームの姿見を覗くと、自分とは思えない生き物が鏡に映っていた。
「マソホ、似合ってる。小さい頃のマソホに会ってなくて良かった。もしもリアルで会ってたら執着し過ぎてとっくに嫌われてると思う…」
ヤミカさんは喫茶店の方に戻ると、どこか満足気な表情で言った。
「クロさん、ありがとうございます。こんな可愛いマソホに会わせてくれて」
「いやぁ…それは僕の力じゃないですから…」
クロさんは苦笑する。私とクロさんはモーニングセットを頼んだ。私は慌てて言う。
「シロガネさんっ!量は少なめで!」
シロガネさんは苦笑しながらも、お子さま用のモーニングセットを用意してくれた。
「マソホちゃん、珈琲じゃない方がいいんじゃない?」
シロガネさんが言ってリンゴジュースを出してくる。私が恨めしげにクロさんの珈琲を見ていたのがバレたのか、クロさんが言った。
「一口飲んでみますか?」
私は頷いてクロさんの珈琲カップを恐る恐る両手で受け取る。重い。香りは好きだと思った。一口飲んで私は熱さと猛烈な苦さを感じた。美味しいとは思えなかった。
「…リンゴジュースにします」
脱力した私を見てシロガネさんが笑って頭を撫でてくれた。
「こうなったときは大概みんな味覚も子どもになるんだよ。マソホちゃんだけじゃない」
「他にも…小さくなる人はいるんですか?」
「うん、珍しい訳じゃないから安心して」
そう言われて私はホッとする。いつもは美味しいと思うサラダのドレッシングの味も酸っぱく感じて私は困ってしまった。トーストは美味しい。シロガネさんがバターだけではなく、いちごジャムを追加してくれたからだ。
「食べ終わったら、俺が講座にマソホちゃんとヤミカを連れて行くよ。クロさん、さっき仕事入ったよね」
「えっ…そうなんですか?」
私は急に不安になる。クロさんに仕事が入るのはいつものことだ。シロガネさんは鎌を剥奪されているので昨日のように突然大勢が亡くならない限りは任務も入らない。それでもサボってこちらに駆けつけてくれた。私に何かあったらクロさんはシロガネさんのように戻ってきてくれるのだろうかと思った。クロさんはとても困ったような顔をして、私の頭を優しく撫でた。
「すみません、マソホさん。不安にさせて」
私は首を振る。なのに自分の感情がうまく制御できなかった。クロさんが私を置いて行ってしまう。そして帰ってこない。私はなぜかそんな思いに支配されてしまった。自分でも訳が分からなくて混乱する。
「ダメです…私を置いて…行かないで下さい…」
私が声を振り絞ると、クロさんは目を見開いた。
「…今日は行かない方がいいな。クロさん、代行を頼んだ方がいい」
「ごめんなさい…そんなつもりじゃ…!」
けれども私は自分の手を見て息を飲んだ。指の先からどんどん黒くなってゆく。シロガネさんが私の手に触れて両手で包み込む。クロさんはどこかに電話をかけていた。えぇ、はい、などクロさんが言っている声を聞きながら、私は申し訳ない気持ちでいっぱいになる。電話を終えたクロさんは、私の横に座ってシロガネさんと交代して私の両手を包み込んだ。
「マソホさん、安心して下さい。今日は仕事はしません。しばらく依頼は受けないことにしました。ずっと一緒にいます。あなたの過去を知っているのに…配慮が足りませんでした」
あの日、もしも。私が置いて行かないでと駄々をこねたら母は事故に遭わなかっただろうか。祖母も亡くなって、一人ぼっちになった私のところに、父だという男性がやってきた。知らない女の人と、私と年齢の大差ない女の子を連れて。妹だった。それから新しい家族がまたできたけれど、そこは私の安心できる家ではなく、私はいつもどこか緊張していた。本音は言えなかったし遠慮してもいた。私は異分子だった。父も結局は私にとっては知らない人でしかなかった。
「マソホさん、私はあなたを置いて行きません。ですから、そんな不安そうな顔をしないで下さい。子どもの頃の記憶とリンクして、余計に不安になってしまっているんです。その姿ですから…」
クロさんに抱きしめられて、私はようやくクロさんに置いて行かれることが不安だったのだと理解した。理解はできたのに、一度感じてしまった不安がずっと胸の中に残っているようで、私は冷静にはなれなかった。子どもになってしまったからなのだろうか。私はクロさんにしがみついて離れられないでいた。クロさんは私の頭を撫でてくれた。
「マソホさんは、いい子過ぎるんですよ。もっとワガママを言ったっていいんです」
クロさんに頭を撫でられて私はようやく少しだけ落ち着きを取り戻した。
「可愛いねぇ。俺も娘が欲しいなぁ…」
シロガネさんが言って、ヤミカさんの方を見た。
「死神の間に子どもはできないでしょう。私の顔を見て何言ってるんですか」
ヤミカさんが仏頂面のまま磨いていたグラスを透かして見る。
「想像するだけなら自由じゃない。二人の間に子どもがいたら、どっちに似てるんだろうなとか。何ならヤミカも幼児化してもいいんだよ?パパって言って甘えてみてよ」
「パパー早く後片付けしましょうねー。講座に間に合わなくなりますよー」
ヤミカさんがシロガネさんに向かって何の感情もこもらない口調で言った。
「愛が足りないよ、愛が」
「はいはい」
ヤミカさんは、私とクロさんの方を見つめて言った。
「そこの親子も、早く残りを食べないと講座に間に合わなくなりますよ」
私は慌ててドレッシングのかかったサラダを口に入れる。やっぱり酸味が強い。そうして思った。早く元に戻らないと、色々と不便極まりないな、と。




