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死神は残業をしない  作者: 樹弦


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朽縄(くちなわ)

 シロガネさんが部屋から出ていき、入れ違いにヤミカさんが部屋に入ってきた。明らかに顔色が悪い。私とホムラくんは思わず顔を見合わせて、恐る恐る口を開いた。


「ヤミカさん…もしかして…ランクAの死神に会った?」


 ヤミカさんは青ざめた顔のままこくこくと頷いた。手近な椅子を引き寄せてきてヤミカさんはホムラくんとは反対側の私のベッドの横に座る。


「あれが…ランクAって言うなら…AAA(トリプルエー)とか…いったいどうなっちゃうのって思う…」


 そんなことを言われると逆に気になるけれど、ヤミカさんの様子を見ていたら気軽に会ってみたい、などと言ってはいけない気がした。それに、すでにその気配は階下からこちらに近付いてきていた。ホムラくんは額に浮き出た汗を拭う。しかもその量は私にプリンを食べさせてくれていた時の量の比ではない。むしろこの部屋で一番体調が悪そうと言っても良いほどだった。


「…入るぞ?」


 シロガネさんの声が聞こえてドアが開く。誰もいないのかと思ったら、シロガネさんの足の長さ程度の身長の子どもがその後ろにいた。


「こんちはーどーも」


 長い白髪に赤い瞳。陶器のように白い肌。そして。下半身は鱗に覆われている。白蛇なのだった。


「旅客機事故で駆り出されたついでに寄ってみたら…シロガネは何やら若い姉ちゃん掴まえてヨロシクやってるし、二階にも妙な気配がするから覗きにきたんだわ。へぇ…この子も事故物件か?このご時世に珍しいな…平安の世ならいざ知らず」


「事故物件って…せめて呪殺案件と言って下さいよ…」


 シロガネさんの話し方がいつもと違うことに私はすぐに気付く。ランクAの死神相手だとやはり区別する必要があるのだろうか、と思った。


「事故だろ事故。死神からしたら呪殺なんて事故物件で借り手のない部屋みたいなもんだ。持ってたって維持費がかさむ。おまけに女は異形化する…こんなんは、さっさと現世の欲を解消して輪廻の輪に放り込むのが吉」


「クチナワさんは相変わらず乱暴ですねぇ…」


 シロガネさんは首を横に振る。


「師匠の言うことを聞かない弟子が一人前の師匠面してるのもちゃんちゃらおかしいのに、その弟子が二人とも事故物件っちゅーのは、さすがに手に余るだろ。一人こっちに寄越せ」


「…ベッドに寝ている方はクロさんが指導官です。今一時的に預かっているだけで」


 するすると下半身が蛇の生き物が近付いてくる。少年とも青年ともつかないその生き物は、ベッドにたどり着くとホムラくんの顔を覗き込んで、ケケケと嫌な笑い声を立てた。そのときに私は彼の舌の先が二つに割れていることに気付いた。


「第五階級て。これが!?いやいや、昨今の死神は随分とひ弱になったなぁ…まだ前世の煙が狼煙(のろし)のように上がってるわ…」


 私は嫌な言い方だと思った。両手の使えないタイミングで会いたくはなかったと思った。シロガネさんがクチナワさんと呼んでいた彼は、私の方に向き直った。赤い目の中で暗い炎が燃えているようで怖かった。


「姉ちゃんもバカだなぁ…他人の業なんか放っておきゃいいのに、出来もしないのに手ぇ出して自分がえらい目に遭ってるなんて…どこまでお人好しなんだ?混ざると共に堕ちることはあっても、高みに昇ることはまずないっちゅーのに」


 クチナワさんはそう言って私の顎を掴む。私は顔を背けようとした。本能的な恐怖に襲われた。


「止めて下さい…!」


 シロガネさんが慌てて叫ぶのと、クチナワさんと私の間に何かが割り込むのは同時だった。


「マソホさんの指導官は私です。手出ししないで下さい!」


 私の前に立ちはだかったクロさんは巨大な鎌を取り出していた。クチナワさんが手に持った日本刀でそれを阻む。


「その刀で何をするつもりでした?返答次第によっては上に報告します」


「…異形化した両腕を斬り落としてやるだけなのにそんなに怒らなくても。なに、一週間も経てば新しい腕が生えてくる。そんなわざわざ形成し直す必要はない。時間の無駄無駄。削って削って小さくして形を変えてしまえばいい…なるほど?これがクロの好きな女なのか…珍しく執着すると思ったら…」


 クチナワさんはケケケと再び嫌な笑い声を立てて刀を消し去る。クロさんも大鎌を消したが、クチナワさんと対峙(たいじ)したままこちらを振り返らなかった。


「…いつまでもランクAに上がってこないと思ったら、この女の魂を待っていたのか?まったく…下らなくて涙が出そうだ。そんなものは愛ではなく妄執だ。死神のくせにそんな感情に囚われてどうする。捨てずに後生大事に抱えて…その女が異形化すればお前諸共塵になるだろうな…」


「黙っていれば偉そうに…」


 私の隣で沈黙していたヤミカさんがやけに低い声でつぶやくのが聞こえた。


「異形化異形化って…さっきからうるさい。ランクAだか何だか知らないけれど、私から見たら下半身が蛇のあなたの方がよっぽど異形!!だったらそのみっともない下半身、これで斬り落としてやるわ!」


 立ち上がったヤミカさんの手には何故か巨大な裁ちばさみが握られていた。ヤミカさんはハサミをジョキンと鳴らす。


「具現化だと…!?鎌を作り出したのか!?この短時間に?」


 シロガネさんが感心したようにヒュゥと下品な口笛を吹く。


「ランクAに向かってみっともないとはなんだ!シロガネ!まったく躾がなってないな!お前は師匠なんぞには向いてない!くそっ!覚えていろよ!」


 ヤミカさんの鋏を見たクチナワさんは小悪党のような捨て台詞を吐くと、しゅるしゅるとものすごいスピードで部屋から出て行ってしまった。


「図星かよ…」


「…ヤミカさん、ありがとうございます。ほら、マソホさんもその手の物騒なものはしまって」


「えっ…?」


 クロさんがブランケットをめくると、巨大なサンドイッチメーカーの間に挟まれた両手の辺りから、サバイバルナイフが突き出していた。突如として記憶が蘇る。刺された瞬間の衝撃、犯人が手にしていたもの。その鈍い光。


「…マソホちゃんも嗜虐的(しぎゃくてき)だねぇ。自分が殺された得物を選ぶなんて」


 シロガネさんに言われて私は無意識のうちに武器としてそれを呼び出していた自分に恐れ(おのの)いた。ヤミカさんも手にした裁ちばさみを見て途端に嫌そうな顔をした。


「…私…本当は…デザイナーに…なりたかったのよ。でも挫折した。なのに、なんでよりによってこれ?武器としては使いにくいったらない」


 ヤミカさんは自分でも呆れ果てたように首を横に振るとため息をついた。


「…それが心残りだったからだよ」


 シロガネさんが歩み寄って来てヤミカさんの頭を撫でた。ホムラさんが呆気に取られたようにつぶやく。


「ヤミカさんの…カッコいいじゃないですか。僕なんて魔法使いの杖ですよ?なんでこんなになっちゃったのか…それに、映画の主人公は立派な魔法使いになるけれど僕なんて燃やされて終わり…魔法使いなんて子どもっぽいし恥ずかしいったらない…」


「そんなことはないですよ。人の数だけ理想の姿はあるんですから」


 クロさんが慰めるように言う。そうしてサバイバルナイフを消せずに四苦八苦している私に向かって声をかけた。


「それ、まずは外しましょう。もう私も到着しましたから大丈夫です」


 クロさんは微笑んで私の頭を撫でた。それだけのことで私はホッとする。


「これでも急いで帰ってきたんです。よく頑張りましたね、マソホさん。皆さんもありがとうございます。ここから先は私が行います」


 クロさんの言葉に、シロガネさんはヤミカさんとホムラさんを連れて部屋から出て行った。クロさんは私の右手のサンドイッチメーカーを外す。おおよそ手とは思えない黒いぶよぶよしたゼリーのような物体が現れてさすがの私もそんな自分自身に引いた。


「うわぁ…気持ち悪いですね…すみません」


「大丈夫です。私がついていますから」


 クロさんがきっぱりと言って黒い物体と化した手に触れる。その瞬間にサバイバルナイフは消え失せて、鈍い痛みと共に突然記憶が流れた。


(誰…?)


 ヤミカさんだった。布を切っている。とても素敵なドレスだと思った。けれどもヤミカさんは縫い付けたドレスのフリルをビリビリと乱暴に引き千切り絶望した表情を浮かべた。私には才能がない。ヤミカさんは(うずくま)る。


(そんなものに命懸けなくたってさ、美人なんだからそれだけで人生勝ち組じゃん。もっと楽に生きればいいのにさ…)


 髪をピンクに染めた青年がヤミカさんの肩に触れる。その手を乱暴に振り払ってヤミカさんは獣のような目で彼を睨む。


(勝手にそんなもので私の価値を決めないでよ!)


 ヤミカさんはスケッチブックにデザインを描き始める。これも違う。思い通りにならない。描いては破り捨てる繰り返し。ヤミカさんを覆う絶望の色が濃くなる。


(何にもなれない私は…嫌だ…そんなの要らない…)


「マソホさん、大丈夫ですか?」


 私はハッと我に返った。クロさんが心配そうな顔でこちらを見ていた。


「ヤミカさんの記憶が…見えてしまいました。でも…大丈夫です…」


 クロさんは私の右手に触れる。ぶよぶよした感じが少し軽減された代わりに、ものすごく痺れたような感じがした。ビリビリする。


「痛いですか?少し…我慢して下さいね…」


 クロさんはそれでも手を離さずに私の頬に反対側の手で触れた。


「マソホさん、こちらを見て下さい。今は…闇に目を合わせずに…私の方を…」


 私は懸命にクロさんを見つめる。優しくて少し悲しそうなその瞳を。


「少し温もりが戻りましたね…間に合って良かったです…あなたの魂の一部を破壊されてしまうのかと思ったら…身体が勝手に動いていました…」


「魂の一部…?破壊?」


 私は先ほど起きたことがよく理解できてはいなかった。クロさんは私の右手を撫でる。少しずつ感覚が戻ってくる。


「クチナワさんの言う通り…確かに斬り落としても以前の記憶から腕の形を辿って再生させることは可能です。でもそれは前にあった腕ではありません。新しい腕です。今黒くなってしまったマソホさんの腕にはマソホさんとヤミカさんの記憶が混ざっている…それはマソホさんの魂の一部にヤミカさんの記憶が上書きされた状態ですが…間違いなくマソホさんの魂の一部です。魂の一部を失うと…自分に関する記憶の一部もまた…失います」


 私は動いていないはずの心臓の位置がドクリと跳ね上がる心地がした。


「記憶がなくなるのは…嫌です…」


「えぇ…ですから…異形化したら簡単に斬り落としてしまえというクチナワさんの乱暴な意見には賛同しかねます」


 静かにクロさんは私の腕を撫で続けた。どのくらい経ったのか、気付くと私はまた眠ってしまっていたようだった。慌てて起き上がろうとしたがクロさんの腕がそれを止めた。


「まだ寝ていて下さい。消耗していますから」


 クロさんはそっと私の両手を見えるところに移動してくれた。私の手はいつの間にか元に戻っていた。


「クロさん…ありがとうございます」


「マソホさんも頑張ったからですよ?私はそれを手助けしただけです。元に戻りたいという気持ちがあったでしょう?最終的にはその気持ちが大切なのです。諦めたらその瞬間に…異形化は進みます」


 クロさんは両手で私の元に戻った手をそっと撫でた。私は恐る恐る指を動かしてみる。動くと分かったので、緊張しながらも自分の意思でクロさんの手を握った。クロさんの瞳を見つめる。


「クロさん…お願いがあります…。クロさんと…キスが…したいです…ダメですか?」


 私は胸が苦しくなった。どうして苦しいのだろうと思う。クロさんは驚いたように目をわずかに見開いて、その後にふわりと微笑んだ。


「いいえ、ダメではないですよ。マソホさんのお願いは…叶えます」


 クロさんの顔が近付いてくる。ギリギリまで私は目を開けていたがクロさんの瞳が閉じた瞬間に私も目を閉じていた。静かに唇が重なったのが分かった。さらりとしていて、とても優しかった。気付けば私は泣いていた。嬉しいのになぜ涙が出るのか分からなかった。


「あれ…?私…どうして…?」


 クロさんは困ったように微笑んで私の頬の涙を指で拭う。私の涙は止まらなかった。クロさんはハンカチを渡してくれた。ハンカチで涙を拭う私の頭をクロさんは優しくずっと撫でてくれた。

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