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死神は残業をしない  作者: 樹弦


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ガジュマルの鉢

 私の人生は言ってみれば誰からも必要とされない物語だ。読む価値もない、ただただ平坦な面白みのない人生。大きな苦労も失敗もないが、大成功とも無縁な人生。今まではそれでもいいと思っていた。一般的平均的で何が悪いのか。他人に迷惑をかけることもなく、道を聞かれれば案内くらいのことはする。その生き方のいったい何が悪かったというのか。



***



「ま、言ってみればここは未練の塊となった魂が来る所…ですかね」


 目の前の死神は特に何の感情も込めずにそう言った。全身黒尽くめだからそう思っただけなのだが。


 人生最後にして私は今までこれほどまでに他人に注視されたことはないというくらいの不躾(ぶしつけ)な視線に晒されていた。その光景をよくできた映画でも観るかのように、私は見降ろしていたが、次第に腹が立ってきた。


「それにしても…随分とたくさん刺されましたねぇ…いやはや、どれだけ恨みを買ったのかという風にも見えますが」


 貧血の私の身体の中にもこんなに大量の血が入っていたんだな、と変な感想が出る。猟奇的な光景も一定の度合いを越すと(かえ)って冷静さを取り戻すきっかけになるのかもしれない、そんなことを思う。現に私は冷静だ。


「いや…だって、聞いたでしょ。犯人の言い分」


 私は不服そうに相手に申し立てた。逃走の末に身柄を拘束された殺人犯の放った言葉を思い出す。


「あぁ、言ってましたね。誰でも良かった、って。最近多いんですよね。この手の輩が。あなたはまだ若いのに不運でしたね」


 目の前の男に私は人生で初めて殺意が湧いた。いや、もうすでに人生は終わったのだったか。


「…ドラマの最終回…今日だったのに」


 こんなときでも思いつく後悔はその程度だ。私の人生はつまらない。



***

 


「未練?別にないですよ。生きててやりたかったことはあっても、死んだならもう意味ないですし」


 私の言葉に死神は困ったような顔をした。年齢不詳なその顔に時折見せる表情が、どこか妙に人臭い。


「本当にドラマの最終回を観たい、でいいんですか?いやはや、なんというか…」


「何?」


「何でもありませんよ。それよりも…例えば会いたい人は…いないんですか?」


「会いたい人?」


 ふと一週間ほど前に別れた彼氏の顔が過ったが、私は思い切り首を横に振った。ないない。恨みがましく化けて出る価値すらない。というよりは彼の中に私の価値は存在しないのだった。そのことを思い知らされた駅のホームで別れたときの相手を思い出す。彼は自分がいつもの調子で何気なく言った言葉が私を深く傷付けたのだと、そのときになってようやく気付いた様子をしていた。何の悪びれもなく。

 最初は優しい人だと思っていた。けれども彼は優しいのではなく周りに対しての興味が極端に薄いだけだった。彼の気を引くものは手の中のスマホの画面の中にしか存在しなかった。最初は私も付き合い始めの情熱に浮かされて献身的な女を演じていた部分もあった。だが、ある日から少しずつ何かがおかしくなり始めた。


「ねぇ、死神さん、麻婆豆腐に野菜を入れる女は嫌い?」


 私が言うと、彼は虚を突かれたような顔付きになった。普段の野菜不足を考えて、レシピを調べながら、いつも肉ばかり食べている彼が、鍋料理の中で多少なりとも食べていた白菜を麻婆豆腐に入れたことがあった。出した私の料理を見て彼は途端に小馬鹿にした顔付きになった。


『は?なんで白菜入ってんの?麻婆豆腐に白菜?あり得ないんだけど』


 しかも、そのあり得ない料理を作った女というその話を面白おかしく彼は自分の親友にまで話していた。親友も、それはないと言っていたからおかしいのは私だということになった。そんなに変なことをしただろうか。その後に親友と呼んでいたのが昔からの女友だちで、彼女が本当はずっと彼に片想いをしていて付き合う女を片っ端からこき下ろし続けてきた事実を知ることになるのだが、その時の私はまだそんな事も知らなかった。

 あぁ、それにしても、何故今更こんな事を思い出すというのか。ここ数日の寒波で東京にしては珍しく雪が降ったせいかもしれない。鍋料理の温かさを不意に思い出し、私の麻婆豆腐に投げつけられた台詞が突然蘇って急に胸が苦しくなった。


「なんか虚しい…」


 私のつぶやきに、死神は相変わらず困ったような表情を浮かべたまま言った。


「…私は、麻婆豆腐に白菜が入っていてもニラが入っていても、好きな人の作ってくれた料理なら何だって食べますよ。別にそれほどおかしなアレンジではないと思いますし…」


 そう言って死神は(なぐさ)めるかのように、ぎこちなく私の頭を撫でた。何故か今ここにはいない知人のことを思い出す。雰囲気が少し似ていると思った。



***



 そうして今、私は私の部屋で死神と並んでドラマを観ている。最終回だけ観せる訳にはいかないと、見逃し配信でこれまでのストーリーも観てもらった。


「ごめんなさい、好きでもないのに付き合ってもらってしまって」


 私が言うと、彼は不思議そうな顔をした。


「どうして謝るんですか?僕はこれが仕事なんですから、あなたが気にする必要はないんですよ?それに、こう見えてけっこう楽しんでいますし」


 もう触れないマグカップが指をすり抜ける。こんなことになるのなら、もう少し部屋を片付けておくのだったな、と思う。毎日慌ただしくて気付けば一日があっという間に過ぎていた。ふと窓辺のガジュマルの鉢を見る。


「私がいなくなったら…お世話する人も…いなくなっちゃうな。枯れちゃったら可哀想…」


「こんなときにも植物の心配をするなんて、あなたらしいですね」


「だって…私が死ななければ、あの子は巻き添えにならずに済んだと思ったら…そうか。ねぇ、私じゃない別の誰かが買ったことにできないんですか?そんなの無理か…」


「…やってできないこともないですけど…あの植物はあなたが買ったからこそ、今まで生きていられたんですよ。他の人が買っていたら…そうですねぇ。途中で枯れる未来しか見えないんですよ」


「…えぇ…私だけじゃなく…あの子もそんな儚い運命なの?」


 私はため息をついた。膝を抱いて丸くなる。人生はうまくいかない。


「あなたは、自分の本当の願いが…分からないんですか?無自覚なんですね…」


 死神に言われて私は顔を上げた。そんなことを言われても困る。テレビのCMが終わった。


「本当の願い?そんなもの…ないです…それより最終回が始まりますよ!」


 私の声に死神は苦笑して、テレビに視線を移した。



***

 

 

「野村、大丈夫か?」


 同期の川谷に声を掛けられて、スマホを見つめてぼんやりしていた野村はそのまま相手の顔も見ずにどこか上の空で声を出した。


「別に。平気だけど…それに元カノのことならもう関係ないし…」


 野村の言葉に、川谷は焼き鳥を食べながら横目で野村の方を見る。


「…俺さ…ずっと思ってたけど…お前、紫乃芙(しのぶ)さんとの腐れ縁、いい加減にケリつけた方がいいと思うよ。杏果(きょうか)さんだって、そうしたら無駄に傷付くこともなかったんじゃないの?」


 川谷の言葉に野村はようやくスマホから目を離す。その記事に杏果の殺害現場付近の写真が見えて、川谷は眉をひそめた。


「飯食いながらよく見ていられるよな。落ち込んでるかと思ったら、案外そうでもなくてホッとしたようなガッカリしたような…俺は複雑な心境だよ。もう関係ないって言うなら見るなよ。故人に対しても失礼だ」


 野村はスマホをテーブルに置いてビールを一口飲んだ。とっくにぬるくなっているがあまり気にしたこともない。そもそも食べ物にもあまり興味はない。


「…なんで紫乃芙の名前が出てくる訳?腐れ縁は昔からだし、友だちなんだから、お前にどうこう言われる筋合いなんかないんだけど」


 だが川谷は怒らず、何故か哀れむような目付きをした。


「そうだよ。第三者だからこそ見えることだってあるんだよ。紫乃芙さんはお前のことを諦めてなんかいないし、ずっと好きなんだと思う。だから野村はどれだけ新しい彼女を作っても上手くいかないんだよ」


「は…?何言ってんの?だって紫乃芙にだって男いるじゃん。長電話で色々自慢してくるし」


「彼女でもない女と長電話する野村の方が俺は理解不能だよ。それ杏果さんの前でもやってたんだろ?紫乃芙さんはお前を試してたんだよ。だからお前の予定がある日を狙ってわざわざ電話してくる。杏果さんを優先して電話に出ない選択をお前がしないことで、紫乃芙さんは優越感に浸れる。杏果さんに自分が勝ってる、ってな。そんなこと繰り返されてたら、どんなに寛容な人でも耐えられなくなるんだよ。杏果さんはお前が殺したようなもんだ」


「は?あいつが通り魔に刺されたのなんて偶然じゃん、そんなことまで俺の責任にするなよな」


「…少なくとも、別れてなかったらあの日は絶対に一緒にいただろ。記念日だったんだから。それに杏果さんの誕生日だっただろ。お前言ってたよな?誕生日に付き合い始めたって。紫乃芙にアドバイス貰って記念日をまとめておいて良かったって。その合理主義もどうかと思ったけど、散々自慢げに言われたから忘れられなかったんだよ。なのにお前、それすら忘れてんの?どうかしてるよ」


 川谷はビールを飲み干すと席を立った。


「この後、用事あるから先に帰るわ」


 割り勘にしては多い金額を置いて川谷は去ってゆく。紫乃芙には割り勘はきっちり計算しないと損するよと言われて十円単位まで杏果に請求した。杏果は何も言わなかったし、むしろ小銭がないからと多く出すこともあった。

 川谷に言われたことをふと思い返す。紫乃芙はいつも親身になってアドバイスをしてくれた。相手に対する不満はないのかと心配してくれた。それが心地良くてつい大げさに話すこともあった。


『マコトにはもっといい女が似合うよ』


 他愛ない話の途中で紫乃芙は囁いた。今の彼女と別れろとは決して言わない。だが、もっといい女、というその言葉は甘美な毒のように野村の心を麻痺させた。


「杏果といても、つまらないんだよね…」


 駅のホームで紫乃芙とスマホでやり取りしながら、そう書き込んでいたら、思わず声に出していたことに野村は気付いた。さすがに慌てて顔を上げると、杏果は小さな息を長々と吐いて、初めて傷付いたような顔を見せた。こんな疲れたような顔をしていただろうか、と思う野村の前で杏果は続けた。


「もう無理。私たち別れよう。さようなら」


 杏果はそう言って改札を通り抜け人混みに消えた。



***



 川谷は小さなホールケーキと花束を買って、杏果の殺害された事件現場を訪れていた。誰が置いたのかしおれた花束がひとつ転がっている。その隣に花束とケーキを並べて手を合わせる。


(杏果さん、ごめん。勇気を出してあいつから連絡先聞いて誘えば良かった…そうしたらこんなことにはならなかったのに…誕生日、一緒に祝ってあげれば良かった。何もかも手遅れだった…本当にごめん)


 川谷はしばらくその場に佇んでいた。その時だった。どういう訳か小さな植木鉢を抱えた女性が目の前に立っていて驚いた顔で川谷を見上げていた。


(えっ?川谷くん?どうして?)


「ウソ…杏果さん…?」


(追悼してくれた彼が運命の分岐点を引き当てた、それだけのことですよ)


(あのね、川谷くん、もうあまり時間がないの。私行かなくちゃ。だからこの観葉植物のお世話…お願いできないかな?)


 自分の方に差し出されたので植木鉢を反射的に受け取ってしまってから、川谷は焦る。


「えっ?な、俺が?いや、別にそれはいいですけど。それより時間がないって?」


(長く留まりすぎると輪廻(りんね)の輪に入れず、この場に魂は縛られる。君たちが地縛霊と呼ぶ存在に変わってしまう)


 背後に立った全身黒尽くめの男がそう告げた。川谷は死神だろうかと思いながらその男の顔を見つめる。そうして見覚えのある顔だと思って次の瞬間に素っ頓狂な叫び声を上げた。それはどういう訳か古い写真でしか知らない父親の顔をしていた。


「ちょっ…父さん!?父さんだよね?こんな所で何やってんの!?」


(私はもうお前の父親ではない。単身赴任先で孤独に過労死した男のことなどもう忘れろ。私は未練が多過ぎて、こちらに長く留まりすぎた。その尻拭いで今もこうして働かされている、それだけのことだ。ただ生前に懲りてもう残業はしない主義になったがね)


(本当にごめんなさい…私がうだうだ悩んでいたばっかりに。それよりも、川谷くんのお父さんなんですか?誰かに似ているなと思ったら…)


(その話は後にして下さい。さ、もう行きますよ。誰かに誕生日を祝ってもらいたかったあなたの願いは、うっかり愚息が叶えてしまったようですから。そのケーキは持ち帰って食べなさい。そうすれば彼女のところにも届く)


「えっ?分かったけど、もう行っちゃうの?せっかく会えたのに」


(すまないな、(しゅん)。いつかまた会えるよ。君が寿命を全うしたときに)


 そう言うと二人の姿は忽然(こつぜん)と消え失せた。消える前に杏果が頭を下げるのが見えた。いつも礼儀正しい彼女らしい姿だと思った。残された川谷の手には小振りなガジュマルの鉢植えが残されていた。



***



 あの日の出来事を川谷は誰かに話したことはない。言っても信じてもらえるとは到底思えなかったし、都合の良い夢を見ただけかもしれなかった。

 だが今も、その時確かに受け取ったガジュマルの鉢は彼の手元にある。育て方を調べてきちんと手入れしている。そうすることで、今はもう会えない人と自分とがどこかで繋がっている、そう思えるからだった。いつか自分が寿命を全うしたときに、父はまた現れてくれるのだろうか。もしそうだとしたら次こそは言おう、そう思っていた。


(毎日一生懸命、働いていてくれてありがとう)


 自分が仕事をする立場になったからこそ分かるようになったことでもあった。今も父は死神の仕事をしているのだろうか。誰かの死を見つめるというのはどんな気持ちなのか。聞いてみたいことはたくさんあったが、再会するその日まで一日一日を大切に生きることがまずは自分のすべきことだと彼は理解していた。早くに逝ってしまった父や杏果に恥じない生き方をしたい、川谷はそう心に誓った。

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