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試される境界



「寒くないか?」

「大丈夫よ。むしろ、少し暑いくらい」

「ならいいんだが……」



私とカイランは、城砦の主塔――その屋上部分にいた。

彼に城砦内を案内してもらって、最後に連れられたのがこの場所だった。


長い螺旋階段を上った後なので、吹き付ける風が心地良い。


ノワジア領は北部に位置しており、王都よりもかなり気温が低い。そのせいか、もう夏前だというのに、カイランもリナも私に厚着をさせようとする。

確かに今は、身体強化が使えないけれど……そんなにひ弱そうに見えるものなのか。

これまでにないほどの過保護としか言いようのない扱いに、戸惑ってしまうのも仕方のないことだと思う。


だとしても、ここに至るまでのカイランの提案は明らかにやり過ぎだった。

螺旋階段を前に「抱えて上ろうか?」だなんて……いくらなんでも、それくらいの体力はある。

確かに、城砦は広い。とはいえ、自らの足で好きな場所に行けないなんてことは論外だ。


ただ……断られたカイランが、耳の垂れた犬のようになんだかしょんぼりとして見えたのも事実。

この程度で機嫌を損ねられても困る。それはそれで面倒な気がして、腕を貸してほしいと言ってしまった。

私の頼みに相好を崩したので、きっとこれで良かったのだろう。ほんの少し妥協するくらい、なんてことないわ。大切にされる分には、文句もない。



カイランを懐柔したおかげか、リナの雰囲気が伝播しているのか。

ここ数日のうちに、城砦内で働く使用人たちの態度も軟化しているように感じる。

リナが言うには、使用人たちの多くは年のせいで素直になれないだけで、そもそも最初から私のことを嫌っていたわけではなかったらしいのだけど。

ここへ来たばかりのころに感じていた疎外感は、もしかすると……私や彼女(・・)の精神がささくれ立っていたせいもあるのかもしれない。



カイランの腕を掴んだまま、胸壁の前に立つ。

見下ろした先に広がる光景は、想像していたものとは少し違っていた。


このノワジアの中心地は、思っていたよりも大規模な城塞都市だった。

城砦自体もそびえるほどに巨大に感じられたが、同じく黒っぽい石造りの城壁が囲む、赤茶けた街も存外に広い。

閉塞感を感じた灰色の空も、見上げれば果てがない。


それでも、何かが圧し掛かるような心地になる。

息苦しさのようなものを感じるのは、ここが逃げ場のない立地だからなのだろうか。


背後にそびえる山の斜面は断崖絶壁で、その頂を万年雪が白く覆っている。

堀を隔てた橋の向こうに広がる街並みは、冷たく整然としていた。……恐らく、ここから見える城砦内の騎士団詰所や厩舎から、即応できるように設計されているのだろう。

住民が増える度に増改築を繰り返したことで入り組んだ王都の街とは、そもそも造られた意図がまるで異なるのだ。


長大な城壁の右手側には、深く暗い森が広がり――遠くなるほど靄に包まれ、その全容は計り知れない。

昏く気味が悪いのに、それでも覗き込まずにはいられない、引力のようなものが感じられた。



「あれが――」

「あぁ、そうだ。あの森が、魔物との境界になる」



魔物はあの森の奥深く、その更に向こうから現れるのだという。

どのように生じているのかは未だ謎に包まれているが、大昔から変わらないのは、あの森が魔物たちの狩場だということ。



「少し隙間が空いている辺りが見えるか? 視界や足元を確保するために、定期的に伐採している場所があるんだ。時期が来れば、狩猟のために開放したりもする」

「あら、森には動物もいるの?」

「意外か? 面白いことに、魔物は動物を襲わない。皮肉な話だが……奴らの気配が強い森の奥の方が、かえって動物たちには安全らしい」

「まぁ……そういうこともあるのね」



眼下に広がる森では、暗い葉を茂らせた背の高い木々が、鬱蒼と根本を覆っている。あれでは大して光も入らないだろう。足元も、聞いている限り歩きやすさのようなものとは無縁らしい。

適度に整えられた狩猟用の森とは、様相がまるで違う。

にもかかわらず、騎士でもない民間人までもが足を踏み入れているとは……俄かには信じがたいことだった。



森と街を隔てる城壁上の歩廊には、何人もの騎士が巡回している。その様子からは、平時であっても警戒を欠かしていないことが見て取れた。

対して、街を挟んでほぼ反対に位置する街道側には、門番が数名詰めているだけ。恐らく、人間による襲撃など……彼らにとって、脅威ですらないのだろう。


警戒の度合いは、街道と森とをそれぞれ隔てる門の造りにも、如実に表れていた。

街道と繋がる表門は、玄関口としての最低限の威厳こそ備えているものの……言ってしまえば、それだけの代物。十分役割は果たせるに違いないけれど、差は歴然だった。


カイランの指先が、森と城壁とを隔てる門を差す。



「裏門を開けるのは、討伐や狩りのときだけだ。今は落とし格子まで下ろしているが、もしもの場合は完全封鎖する機構も備えている」

「そう……徹底しているのね」

「街に、魔物を入れるわけにはいかないからな」



森側に配置された裏門は、小ぶりで重厚な造りをしていた。

隊列や馬車が十分通れる程度の高さと幅を備えた門。閉ざされた状態からは、どのような存在による侵入も絶対に許さない――そんな強い意志が感じられる。



表門と裏門から続く道は、それぞれ街の中心部へ向かって伸びている。城砦からも同じように真っ直ぐと道が続いているので、この三本が主要な道といえるだろう。

高所から見下ろすと、街の中央から円形と放射状の道が広がっているような形だ。



街の中心地からやや森側に、白く荘厳な聖堂のような建築物が鎮座している。



「あの白い建物は、教会かしら?」

「そうだ。……言いたいことはわかるよ。寂れた領地にしては、不釣り合いな代物だろう?」



私はカイランの皮肉交じりな言葉へ耳を傾けながら、今一度街を見渡した。

赤茶色の住居が整然と立ち並ぶ街並みには、驚くほど人の影がなく、街らしい賑わいも感じられない。

その中心近くに巨大な教会が鎮座しているが……そこを預かる司祭が一人きりだということを、私は知っている。


広く、大きく、立派で――しかしその内実は、空虚そのもの。



「ここの人間は『教会に合わせて街が作られた』――なんて言ったりするんだが。まぁ、それだけ人のいた時代もあったということだな」



肩を竦めたカイランの胸元へ、そっと頭を寄せる。

この城砦都市は、太古の巨人のようだ。永い時をかけ、じわじわと――滅びへ向かい、命が失われていくような感覚。



「うふふ……面白いわね」

「そうか? こんな話でよければ、いくらでもあるぞ。今は見る影もないが、歴史だけはご立派なもんだからな」



彼の腕に、少しだけ力が入る。

降ってくる声に僅かに混じる喜色が、可愛らしい。……そのくせこの男は、私をこうして抱く腕で、恐ろしい魔物たちを容赦なく駆逐し続けているのだ。



「だって、これからは私がこの地の女主人なのよ。どんな小さなことにだって、興味があるわ」

「あぁ、そうだな……。頼りにしているさ、我が伴侶殿」

「もう、貴方ばかりに背負わせたりはしないわ。そうでしょう、カイ?」

「エラディア。君も共にこの地を治めてくれるなら、心強いよ」



見上げたカイランの瞳の奥に、誇りが滲んでいた。

私にはまだこの地に対して、そこまでの思い入れはない。


――けれど、私は本気だ。

エラディアの立場を盤石なものにするためには、領地をこのような有様にしておくわけにはいかない。

協力者を増やし存在を確かなものにするように、この土地も立て直してみせる。

私は一人、胸の奥で決意を固めた。



頬を撫でる心地よい風に吹かれながら、カイランがポツポツと語る話へ耳を傾ける。

彼の口にする逸話は、どれも面白かった。

合間に囁かれる耳打ちに胸を躍らせながら、しびれを切らしたリナが迎えに来るまで、屋上でのひと時を楽しんだのだった。



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