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倦怠の対価



――夢を、見ていた。



濃紫と深紅の混じり合う、不思議な空間。

私は……ここに来たことがある?

そんな気がするのに、思い出そうとすると霞がかかったようになってしまう。


大きく浮かび上がる、魔術の紋様。

そこから少し離れたところに、小さな光の欠片があった。数多の大きな傷の向こうから覗く輝きが、わずかに戻っていることに気づく。


あぁ……エラディア。

私は彼女に近づくと、自分の光を分け与えるように、そっと触れる。

触れあったところがじんわりと熱を持ち、そこからぬるま湯のような温かさが広がっていく。

――いつか、こうして溶け合うことができたなら。


そんな想いを拒むように、紋様の向こう側から伝わる気配が、濃密さを増す。

音とも声ともつかない何かが、濃紫と深紅に満ちた空間を揺らす。

ここから出たいと、解放されたいと――私へ訴えかけてくる。


魔力の封印。

それは、そんなにも窮屈なものなのだろうか? 彼女に必要なものなのだろうか?


私には判断がつきかねるまま、不思議な空間は薄れていった。



***



「ん……」



目を覚ますと、夢の内容はすっかり忘れてしまっていた。


夢を見ていたことは覚えている。

それで……左胸にある紋様が出てきたような?

封印された魔力が……何かを、訴えていたような気がするのだけど。



エラディアの、封じられてしまった魔力。

まだぼんやりとした頭で、そのことについて考える。


正直、私にはそう必要なものとも思えない。

魔術師だったなら致命的かもしれないけれど……彼女(・・)のしていた使い道といえば、せいぜい身体強化やストレス発散程度。

膨大な魔力を危険視されつつも、あれほどの状況になるまで見逃されていたのは、そういった事情もある。


エラディアは基本的に、魔力を自分の楽しみのためにしか使ったことはない。

身体強化も、肉体づくりの一環や、自衛のための手段の一つといった程度のものだった。


結果として、怪我を負わせた人も出てしまった。苛立ちまぎれに物を壊したことも数えきれないほどあるし、自衛の際には容赦もしない。

それでも――自身の魔力を、意図的に誰かを傷つけるために使おうとしたことはなかった。

彼女(・・)にとって魔力は、ただ己に都合が良く便利なものに過ぎないのだ。


だから魔力が無くても……そう困ることもないと思うの。

もちろん、魔力が使えるならその方が良いに決まっている。けれど封印を解くというのは、そもそもどうすればいいのかわからないし、リスクが大きすぎる。

むしろ、封印されていることで周りが安心しているなら、別にそれで良いのではないか。

そんな風に考えてしまう。



けれど――身体を起こそうとして、僅かばかりその考えを改める。

突き付けられるように、実感させられた……というべきだろうか。



「あー……なるほどね」



エラディアの無敗伝説は、身体強化の恩恵があってこそだったんだな……と。



カイランとは、夫婦としての熱い夜を過ごすことに成功した。

不穏な始まり方だったにしては、かなり盛り上がったといえるだろう。


カーテンの開けられた窓の向こうから覗くのは、相変わらず灰色の空。

けれど差し込む光の具合から、恐らく日の高い時間帯であるのは間違いない。


広い寝台に横たわる私の隣には、ぽっかりと空きがあった。

そこにいたであろうカイランの姿は、既にない。



「体力お化けめ……」



らしくないとは思いつつ、恨み言のようにそう呟く。


昨夜の試みは、概ね成功したといって良いだろう。

――思惑通り、カイランは私に夢中になった。


百戦錬磨の身体に対して、中身が伴っていないことが不安だったけれど……。むしろ、時折どうしても滲み出てしまう、初心らしい反応がカイランには刺さったらしい。

まぁ、望む結果を得られたのだから、細かいことは気にしても仕方がない。



そんなことをつらつらと考えていると、ノックの音と共にカイランが姿を現した。

その手には食事の乗せられた盆が握られ、顔には柔らかな笑みが浮かんでいる。



「なんだ、起きていたのか」



嬉しそうに破顔する彼の後ろに、揺れる尻尾が見えるようだ。

カイランの様子はまるで、懐いた犬そのもの。しなやかな身のこなしなどは狼を思わせるのに、甲斐甲斐しく私を抱き起こすところなどは、大型の忠犬さながらである。


昨日までの彼とは、あまりに別人過ぎるように思うけれど……これは、事が上手く進んでいる裏付けになるだろう。

もしこれが私を騙すための演技だとしたら、相当なものだ。


この妙なお人好し加減が、カイラン・ノワジアという男の一面なのかもしれない。

彼も、背中に残る傷跡や左胸に刻まれた紋様を気味悪がることはなかった。何も言わず、何度もそっと撫でるように触れた指先の感触が――今もまだ、残っているような気がする。



「食べられそうか?」

「えぇ……」



傍らの台に置かれた食事に手を伸ばそうとしたら、口元に匙が差し出される。

どうやら、給餌までしてくれるらしい。至れり尽くせりというのは、こういうものなのかもしれない。


正直、指の一本も動かすのが億劫だったので助かる。

魔力の必要性には疑問があったけれど……この状況では、身体強化がどれほど魅力的なのかを実感してしまう。



与えられる食事をもぐもぐと頬張りながら、カイランの様子を観察する。

寝台横に運んできた椅子に腰かける彼は、水浴びでもしてきたのか、さっぱりと爽やかな雰囲気を漂わせている。

私の身体を清め、ガウンを羽織らせたのも彼がやったのだろうか。そう思ってしまうほどの甲斐甲斐しさだった。



「……手慣れているのね」



スープを飲み込んでそう言った私に、カイランは首を捻った。



「そうか? 昔……母が病で臥せっていたときに、たまにこうして食べさせたことがある程度なんだが」

「……ふぅん、そうなのね」



やけに態度に甘さが滲むのは、むしろ慣れているせいかと思ったのだけど……違ったみたい。

小さくちぎられたパンを食み、見込んでいた以上に思惑が成功している感触を味わう。



「――カイ」



彼女(・・)がそうしていたように、呼びやすく短縮した名を口にする。

見上げれば、男の少し照れたような、無防備な視線と交わった。


もうしばらく様子を見る必要はあるけれど……初めての成果としては、十分でしょう。

傍にいてくれる間は、酔わせてあげるわ。

裏切ることのないように……大切にしてあげる。


――この地で快適に生きるための、協力者。

彼がその一人目になってくれれば、これほど心強いことはない。



お腹も満たされ、私は静かに満足の息を吐いた。



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