情欲の契り
冷えないようにとガウンを羽織らされ、私は内心戸惑いながら廊下を歩く。
結婚式での態度からして、カイランに初夜を行う気はあるのかしら?
案内されている以上、そういうことだと判断するしかないのだけど……。らしくもなく、不安が過る。
残念ながら、転生前の私は未経験。頼れるのは、百戦錬磨のエラディアの記憶のみ。
それだけで上手く振舞えるかといえば――正直、自信はない。
けれど、エラディアの功績には傷を付けたくない。
評判ほど大したことない……なんて言われたら、今度こそ取り返しのつかないことをしでかしてしまいそう。
カイランは、そこまで失礼な男かしら? でも……先ほどのやり取りから、否定できるほどの材料が見つからない。
悶々としているうちに、部屋に辿り着いたらしい。
まだちっとも心の準備は出来ていないけれど、ここでもたもたしているわけにもいかない。
意を決して重厚な扉を開ければ、果たしてそこにはカイランの姿があった。
私のようにあからさまな格好をしていることもなく、湯上りしっとりとした普通の寝間着姿。
カイランは私の姿を認めると、眉間のしわを更に深めた。
「……来たか」
「妻ですもの」
そちらが呼んだくせに、舌打ち混じりなのはどういうことなのか。
彼は私の言葉に「妻か……」と皮肉気な笑みを浮かべると、腰かけていた寝台から立ち上がる。
「貴女と結婚したのは、公爵家からの申し出を断れなかったからだ。夫人として遇しはするが、俺は貴女を愛するつもりはない。呼んだのは、このことを伝えるためだ」
キッパリとした、決意の籠った言葉。
それに何故か私は、妙な感動を覚えた。
――あぁ、恋愛劇でお約束の定番台詞じゃない。
しかも、タイミングまで完璧。
まさか……こんなことを、本当に言う人がいたなんて。
思わず感心したけれど、同時に苛立ちも湧き上がる。
確かにエラディアは、望まれない花嫁だったのだろう。
それでも……先ほどから、随分と失礼な態度には違いない。
こちらだって、望んでここにいるわけじゃないことくらい、知っているくせに。
思わず口を開きかけて、そこではたと考え直す。
案外……これはこれで、悪くないのかもしれない。
むしろ、良い機会ですらある。
だって――私たちは、愛が欲しいわけじゃないのだもの。
そのことに思い至り、自然と口角が上がる。
「あら、操を立てた相手でもいるの?」
小首を傾げて嘲るように笑えば、カイランは大きく顔を歪めた。
話にならないとでも言いたげな表情からは、強い否定が伝わってくる。
「そういうことじゃない! 君が……いや、俺の信条の問題だ」
「ふぅん……そう」
それなら好都合。
わずかに狼狽した様子の彼に近づき、厚い胸板を押す。
カイランはそのまま、ぽすりとベッドの縁へ再び腰を落とした。
「何を……!?」
驚いた表情を浮かべてはいるけれど、彼はその場から動こうとはしない。随分と……身体は正直みたいね。
先ほどの口づけのときも、そうだった。
カイランの鍛え上げた体躯であれば、私を拒絶することなんて容易いはずだもの。
魔力を封じられ、身体強化も使えない――脆弱な存在となってしまったエラディア。
だというのに、彼は今も抗わない。
先程の御大層な宣言は、所詮建前に過ぎなかったのだろう。
その程度の気概と口先で、私を拒めると本気で思っていたのかしら。
「――愛は要らないわ。ねぇ、私の評判は知っているでしょう? 夫となったのだから、義務を果たしてちょうだい」
「な……、君は……」
「うふふ……どうせその年で、初めてというわけでもないでしょう?」
こういう手合いは、一度身体を重ねれば態度が変わるものだ。
それは彼女の記憶からも明らか。
時間をかける方法もあるのでしょうけど……手っ取り早い方法があるのに、まだるっこしいことはしていられないもの。
何より――これは、エラディアの得意分野。
彼女は奔放なだけでなく、財力では手に入らないものを欲した際などに、こうした手段を取ることがあった。
もちろん、相手は選んでいたけれど……その手管は熟練したものといっていい。
この意志の強そうな夫を篭絡するのも、そう難しくはないはず。
これまでの男たちと同様に――きっと、どうせ、抗えない。
むしろこの手の男は、得てして堕としやすいと相場は決まっている。
腹芸の一つもできないあたり、この男は本質的に、領主というよりも騎士なのだ。
信念を抱き、誠実を貴び、規律に忠実。あぁ……なんて御しやすいことだろう。
相手にしているのが、王城にある牢の看守まで何度も入れ替えさせたほどの実力者だなんて……ふふ、彼には知りようもないことよね。
とはいえ、エラディアの身体が経験豊富なのは確かでも……どうしても、心のどこかで不安が拭えない。
完遂するには、彼女の記憶を総動員して振舞うしかないだろう。
けれど彼が視線を逸らせずにいる姿に、身体の奥から熱で満たされていくのを感じる。
私はゆっくりとガウンの紐を緩めながら、もう片方の腕を持ち上げて上体を反らせた。
肩口で切り落とされた髪を掬い、後ろへ流すようにそっと指を滑らせる。
「別に、望んだ結婚でなくてもいいじゃない。それでも――この私を妻にできたのは、貴方だけ。少し肉は落ちてしまったけど……今も、王都の最高級娼婦の身体にだって、負ける気はしないわ」
「っ……!」
ガウンが床に落ち、わずかな布擦れの音が鼓膜を揺らす。燭台の灯りが薄布越しの輪郭を描き出し、その影を躍らせた。
牢に入れられている間に、エラディアの身体から脂肪が減ってしまったのは事実だ。
それでも、今も変わらず豊かな胸には存在感がある。そして……より腰が細くなったことで、肢体は一層艶やかな曲線を描き出す。
薄汚れた環境の中ですら、美貌が曇ることはなかった。
匂い立つ魔性の女は、魅力を削がれてなどいない。むしろ影を纏ったことで、より成熟した妖艶さを漂わせている。
カイランの強い視線が突き刺さるのを感じながら、息を呑む音と共に彼の喉が動くのをじっと見つめる。
「ねぇ……だから、愉しみましょう?」
私は深紅の瞳を細め、ゆったりと笑みを浮かべた。