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放逐の果て



僅かばかりの療養を終えた私は、追い立てられるようにして辺境伯領ノワジアへ向かう馬車に揺られていた。


父の告げた結婚話というのは、とどのつまりは体の良い厄介払いに過ぎない。

王太子夫妻による『恩赦』を受けたとはいえ――『悪女』と呼ばれた『罪人』である娘を、手元に置いておきたくなかったのだろう。

ただ、これまでしてきたように……面倒事を、金と権力で拭ってみせただけ。

それは、放逐と同義だった。

やはり父は――あの裁判の日、私を見限ったのだ。



久しぶりに対面した父の顔には、失望も憐憫もなかった。

醜聞に塗れた娘にすら結婚相手を見繕ってみせた手腕を誇るでもなく、多大なる支援と引き換えに『悪女』を弱小領地へ押し付けたという臆面もなく……淡々と私の結婚相手について、端的に口を動かしたばかりだった。



――カイラン・ノワジア。

齢三十にも満たない、若き辺境伯。

広大な辺境伯領を治める領主でありながら、自ら騎士団を率いるほどの精悍な武人でもあるという。


父のいつになく相手を持ち上げる語り口は、しかし私の耳を素通りしていくばかりだった。

若く功績もある辺境伯が、未だ独り身である理由を……私は知っていた。


ノワジア領はただでさえ荒廃した辺境にありながら、魔物の溢れる呪われた土地だという。

呪われた地を治める領主――それも魔物の討伐実績を誇る無骨な男に、嫁ぎたい貴族の娘などいるものか。


いっそ、流刑だと言ってくれた方が良かった。

これも罰の一種なのだと……その方が、どれほど心が安らいだだろうか。


愛のない結婚は、受け入れられる。けれど……なんて惨めなことかしら。

私はいつだって、求められる側にいた。欲しいものを手に入れるために努力を怠ったこともなかったけれど、大抵は与えられてきた。


……それなのに。

未開の地の蛮族へ、支援と引き換えに仕方なく娶ってもらうというのは、僅かに残された矜持までもを酷く傷つけられる仕打ちだった。


これが――大勢の愛情を弄んだ報いということ?

因果の果てがこの結末なのだから、受け入れろと?



唇を噛みしめ、揺れる馬車の窓から、移り行く景色を苦々しく眺める。

ヴェルミリオン公爵領からノワジア辺境伯領への道中は、私の消沈しきった心を慰めるどころか……ただ悪評に塗れた事前情報を、暗澹とした現実で裏付けするばかりだった。


陽を受け、眩しいまでに青々と茂る新緑。

新芽を伸ばす、生命力に満ちた田畑。

整備された街道。


ノワジア領へ近づくほどに、それらはみるみるうちに姿を消していった。


宿の質が下がっていくことは、それほど苦にはならなかった。

仕方なく馬車の中で寝泊りしなければならない日が出てきても、まぁこんなものかと思う程度。


けれど、道行く人々の生気が少しずつ失われていく様。

荒れた土地が増え、気温が下がり、空の明るさが失われていく様は……これから待ち受ける苦境への希望をことごとく削いでいくのだった。



***



ノワジア領は辺境に位置しているだけあり、そこに至るまでの道のりは驚くほど遠かった。

中心地の門をくぐるころには、公爵領を出発してから既にひと月が過ぎていた。


鬱々とした景色を眺める気にはなれず、最近の私は馬車の中で大半の時間を、カーテンを引いたまま過ごしていた。

それでも、領民たちからの視線を集めていることには気づいた。

王都の住民たちとは違い、激しい罵声を浴びせてくることこそなかったものの……密やかなざわめきが、重くまとわりついてくるのを感じずにはいられなかった。


しばらく進んだ馬車は、もう一度門をくぐり――そこで止まった。

領主の館へ、到着したのだ。


私は目を閉じ、大きく息を吸った。

覚悟は出来ていた。……少なくとも、そう信じたかった。


目を開き、息をゆっくりと吐く。

どうせ、逃れることなんて出来ないんだもの。

それならいっそ、この地での初めての光景を目に焼き付けようと、馬車から一歩踏み出した。



まず感じたのは、閉塞感だった。

空は高い。にもかかわらず……鈍く澱んだ灰色の空が、頭上から圧し掛かってくるようだった。

領主の館は、慎ましやかな邸とは程遠い。前方にそびえるのは、煤けたような黒っぽい石造りをした無骨な城砦。それを取り囲む城壁は、王城のものとは比べ物にならないほど長大だった。

――魔物が跋扈する、呪われた土地なのだ。それも当然のことのように思えた。


もう晩春と呼べる時期だというのに、風は凍えるほど冷たい。しっかりと巻き付けた防寒着の隙間から入り込んだ冷気が、肌を刺す。


出迎えの人間は、驚くほど少なかった。

料理人や掃除婦のような使用人まで並んでいるというのに、総勢二十人を超えるかといった程度。

先日滞在した、公爵邸の別館で働いていた使用人の方が多かったのではないだろうか。


恐らく、脇を固める騎士の方が多い。

顔ぶれを眺める気にはなれなかったけれど、よく訓練された雰囲気が漂っている。



正面には、領主であるカイラン・ノワジアらしき姿もあった。

……騎士団を率いる若く精悍な辺境伯とは、よく言ったものね。


夫となる男の姿は、蛮族そのものだった。

獣から剥ぎ取ったような外套を羽織り、乱れた髪に伸び切った髭面。

彼の纏う粗野で荒々しい雰囲気は、武人というよりも山賊の頭領といったほうが近いように思えた。


そんな男の向ける、昏く冷たい視線は――出迎えた女が望まぬ花嫁であることを、まざまざと突き付けた。



私は決して、何を期待していたわけでもなかった。

そのはずだと、自分では信じていた。

けれど……思ってもみなかった失望感が、容赦なく胸を貫いた。



あぁ……私は、こんなところまで堕ちてしまった。


セレヴィオや王都の人間たちは、私を『悪女』と罵り、ことごとく尊厳を奪い去った。

このノワジアの地は、どこへも逃れられない、冷たく薄暗い監獄のような場所。


消えない傷と印を刻まれ、要らぬ存在として娶られ――こんなところで、ただ息をして暮らしていくの?



――いいえ! 絶対に嫌!! 屈するなんて、許せない!!


失望の先に湧き上がったのは、紛れもない怒りだった。こんな結末は認められないと、拒絶の炎が身を焦がす。

私の視界は、それに呑まれるように――黒く塗り潰されていった。



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