ひとまず視力は取り戻して
「矢切さん」
「っわ」
頭のすぐ後ろから声が聞こえて思わず声を上げる。
振り返れば最近入った派遣の柊君がいた。
「え、近くない…?びっくりした…」
「すみません、そんなにびっくりすると思わなくて」
人の良さそうな子に申し訳なさそうに謝られるとこちらも申し訳なくなる。
そもそも私が過剰にビビりすぎた。
「ううん、私こそなんかごめん。何か用?」
「ええと、ちょっとわからないことがあって…」
手に持った用紙を差し出しながら首を傾げこちらを見る柊君。
そんな二次元みたいな動作、現実の男性であり得るんだなあと変に感心しながら受け取る。
よくよく見れば作業マニュアルが分かりにくくて理解できなかった模様。
マニュアルの類ってやりなれた人間が作るから、初心者には理解しにくくなるのはよくあることだ。
私も気を付けなければと思いながら補足しようと顔を上げると、眼前に顔があってびくりとしてしまった。
「ち、かいね?柊君距離感バグってる人?」
「え、あ、ごめんなさい…実はさっき眼鏡壊しちゃって…近づかないとよく見えなくて」
「えええ」
そういえばいつもは特徴的な丸眼鏡をかけていたような。うろ覚えだけど。
というか視力が死んでて仕事に支障はないのか?本人の心配もそこそこに仕事の心配してしまう。
「大丈夫なの?帰ったほうがよくない?」
「いえ、コンタクトは持ってるので更衣室戻れば大丈夫なんですけど…矢切さん見かけたので先に聞いときたいなと思って」
なるほど。更衣室向かいついでに用事を済まそうとしたのね。
確かに効率がいい気もするけど、視力蘇らせてからのほうが賢い気もする。
「見えないんじゃよくわからないでしょ、後でちゃんと教えるからコンタクトつけておいでよ」
「いや、でも矢切さんいつも忙しそうだから…また後でなんて申し訳なくて」
気遣いの塊。最近の子はすごいな。
年下の気遣いに驚きながらも、正直万全じゃない状態でものを教えることに抵抗がある。
相手の物分かりが悪いとかではなく、私だったら万全じゃないときに聞いてもほんとに理解できないと思うから。
だが、柊君の言う通り私が忙しいのも事実だ。すぐに時間を割けないかもしれない。
「あー…そうだね…良ければメールとか教えてもらっていい?そっちに補足加えて送っておくから…って、個人の連絡先はまずいか」
「あ、いえ、俺は構わないですよ」
「うーん、悪用する気はないけど個人情報提示させるのは悪い気が…」
ひとしきり考えて、会社用の携帯ではなく自分のスマホを取り出す。
「私も自分の連絡先使うから、それでおあいこにしよう。悪用はしないし、悪用もしないでね」
後半は冗談半分、本気半分。笑って見せると柊君はきょとんとしてから、表情を崩した。
「あはは、承知しました。LINEでもいいですか?」
「ファイル添付できるならなんでもいいよ。補足資料送るけど、わからないとこあったら遠慮なく連絡して」
「ありがとうございます。助かります」
手早く交換をして、安心したのか嬉しそうに笑う彼に早く視力生き返らせといて、と返してその場を去る。
「ラッキー。大収穫」
そう呟く柊君の声など、その時の私には聞こえるはずもない。
矢切 十子
柊 春近