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高校一年 春

高校一年 春

音穏

 高校一年の春。音穏はこの学校に進学した。1-1組だった。

 

 学校が始まって一週間たったくらいの昼休み。

 

 音穏は窓際の自分の席で、「今月の曲」として合唱部の活動渡された、合唱の楽譜を机に広げた。

 

 この学校の合唱部は毎月の頭に課題曲が発表され、それを月終わりまでに仕上げるという制度だった。そのためやることのない音穏は休み時間に楽譜を広げ、前の練習で上手くいかなかったところや、意識したいパートなどを色ペンでどんどんと書きたしていた。

 

 楽譜をもらってからの一週間の休み時間、これしかやっていないから、かなり色ペンの跡で埋まってしまった。

 

「二枚目、もらうか」

 

 部活動に専念にしているというか、そもそも学年に話せる人が極端に少なかった。

 

 他の人たちはまだ、入学して新しい友達作りに励んでいるようで、何を話しているのか聞き取れないくらい教室は賑やかだ。別にそういう人たちに混ざれなくても、全然寂しくはならない。なぜなら、この学校に深い思いがあって入学したわけではないから。

 

 というのも、元々ずっと行きたいと思っていた第一志望の高校は、ここではなかった。偏差値もここの学校よりもだいたい四つほど上。何よりも全国有数の合唱部の強豪だった。

 

 そこにずっと昔から行きたいと思っていた。高校で合唱をもっともっと頑張りたいという思いで、中学の勉強もちゃんと努力していた。中二の秋くらいまでは、成績的にもあの学校への進学が現実的だったが、中三に上がって、原因は自分でも詳しくは分からないが、成績が思うように伸びず、下がっていく一方だった。

 

 だから、中三の進路の第一志望はここの高校になった。だから、正直本当にこの高校に行きたくて受験したわけでもない。

 

 しかしながら救いだったのは、ここには合唱部があったこと。第一志望を諦めた音穏にとって、また歌を歌える環境があるということだけでも、とんでもなくありがたいものだった。だからここ受験することにした。それくらい音楽は重要で大切だった。

 

 けれど、やっぱり本当の意味での第一志望はあっちの高校だし、あっちの学校へ受かるのが厳しいと分かったときから、あんまり高校の学校生活へ期待をしなくなった。

 

 別に自分は強豪に入って音楽の道を進むスタートラインにも立てなかった人間だし、そういう道がどれだけ厳しいかはピアニストである父から口酸っぱく教えられきた。だから、なんならここに入って良かったんじゃないかって思う。どうせ、どうせ才能のない自分は、歌をただ歌ってるだけで良いんだ。それで充分幸せじゃないか。

 

 音穏は書き終わった楽譜を飽きながら見て、そんな言葉を心に留める。まるで退屈だ。

 

「ねえ!」

 

 なんだか、後ろから元気な女子の声が聞こえる。音穏は、まさかその声が自分へ向けられたものだとは思うわけもなく、耳を立てるだけだった。

 

「ねえってば!」

 

 重ねるようにもう一度、聞こえてくる。

 

 念のため振り返ったら、真後ろに、やっぱりいた。名前は当然知らないし、今初めて見る顔だった。

 

 リボンは着崩すことなく、長くてサラサラとした綺麗なロングヘアをしている。

 

「わ、これ自分でこんなに書いたの?すごい!」

 

 その女子は目を大きく開いて、譜面を覗き込むように見て言った。

 

「そうだけど、」

 

 ビックリして、ボソッとしか言えなかった。

 

「私も合唱部なんだ!知ってた?」

 

 机の前に回り込むように移動する。

 

「え、そう、だったけ?ごめん、まだ全員顔と名前覚えられてなくて」

 

 彼女は前の席の背もたれに肘をつくようにして座った。

 

「あ、やっぱり私のこと知らなかったでしょ!って言いたいところだけど、そりゃそうだよね。実はまだ部活行けてないんだ。この前部活あった日、ちょっと体調崩しちゃって。でも、クラスメイトなんだからちゃんと覚えてよね!」

 

「そっか、そうだったんだ。ところで、えっと、君は、」

 

「あ、ごめんごめん、まだ名前言ってなかったね。私、はる、宮野春。よろしくっ」

 

「あ、俺、浜田音穏。よろしく」

 

 宮野春はうんっと頷いて、もう一度よろしくと言う。そしてすぐに楽譜の上のところに書いてある名前に指を指した。

 

「わ、これねおんって読むんだ、初めて知った。良い名前だね」

  

「まあ珍しいよね、音穏なんて、あんま見たことないし」

 

 宮野春は椅子に肘をかけ、微笑んでいる。

 

「なんて読むんだろって前から思ってたんだよね。ほら、浜田くんいつも昼休み楽譜見てるし、浜田くん仲良いこに訊こうと思っても、誰と仲良いかも分かんないし」

 

 音穏は少しだけ間を溜める。

 

「友達いないからね。あ、下の名前で良いよ、音穏で」

 

 宮野春は驚いたように顔を上げてにやけた。

 

「お、何結構グイグイじゃん、いいね。分かった、じゃあ音穏ね」

 

 音穏はコクンと頷く

 

「じゃあさ、音穏も春って呼んでよ」

「分かった、春ね」

「よっしゃ!これで友達だね」

 

 春は、模範のような笑顔で笑った。

 

「あ、じゃあ、そろそろ授業始まりそうだから自分の席戻るね。この後の部活でまた会お!それじゃまた!」

 

「うん、またね」

 

 風のように行ってしまった。久しぶりに、人と楽しく話せたような気がした。

 

 この頃の周りのクラスメイトたちは、もう、しゃべる気も起こらないほど、自分の世界とはほど遠いところにいる。格下とか、そういうわけじゃなくて、ただ自分とは違うだけだと思う。中学生らしさがまだ抜けていないというか。まあ、年相応って感じで、もちろんそれは良いことなのだろうけど。

 

 そんなことを思いながら、五時間目の英語の教科書とノート、単語帳を机の中から取り出した。

 

 放課後になり、合唱部の活動場所の音楽室に向かった。

 

 今日の部活は、途中でパートごとに分かれて練習する予定だが、最初は全員で音楽室に集まり、全パートで音合わせをする。そして、春の正式入部日ということもあり、部活のメンバーと顔合わせをするつもりだろう。

 

 音穏は相変わらず薄暗い音楽室に入った。

 

「皆始まるまでパートごとに分かれて座ってねー。ソプラノ左、テノールバス真ん中、アルト右ねー」

 

 部長が部員を誘導していた。すると、すでのソプラノパートと、テノールパートの狭間席に、春が座っていた。

 

 「よ!」と手を上げて、笑顔でこちらを見る。

 

 音穏も「おっ」と、今気づいたような顔で手を上げ、音穏は春の隣の席に座った。

 

「随分早いね、もう来てたんだ」

「気合い十分だからね!」

 

 なんか、さっき初めて会ったばかりだけれど、春と話しているとこっちまでパワーをもらえるような気がしてくる。

 

「てか、ソプラノなんだ」

 

「さっき部長に訊いたら、ソプラノって言われたの。アルトでもソプラノでもどっちでも良かったんだけどね。どっちも好きだから」

 

「そっか、いいねソプラノ。俺もソプラノできるよ」

 

「え、本当に言ってる?声低いけどね」

 

「中学校のときはソプラノやったりアルトやったり、テノールやったりしてたよ」


 春は一瞬でニヤける。

  

「わ、声変りしてない男子みたいじゃん。かわい!」 

「いやちゃんと声変わりとしてるから!」

  

 そんなくだりをやってたら、顧問の岩永先生が来た。

 

「はーい皆揃ってるね。じゃあ始めます!全員起立!」

 

 前と同じように、ピアノの音を合図にして、全員が起立した。だいたいいつもジャージを着ていて、最初は音楽教師っぽくない服装にちょっとビックリした。年齢は四十代くらいに見える。

 

 今年から赴任した先生らしく、合唱に関しては数々の学校を県大会の金賞や全国大会まで導いてきた、いわばスペシャリストらしい。入学の年にこんな先生が来てくれたことはラッキーであり、諦めきれない希望の執着さえ頂いた。

 

「今日は最初に各パートごとに練習した途中経過発表とし、全員で一応合わせて見よう思います。ですがその前に、以前まで体調不良で欠席していて、今日正式入部してくれた一年生がいます。自己紹介させてね」

 

 春はにこやかにポンッと席を立つ。スタスタと軽く足音を付けて、先生のいるピアノの隣に立った。

 

「初めまして!今日正式に入部します、一年の宮野春です。部活に来るの、遅くなっちゃってすいません、

一生懸命がんばります!」

 

 春の挨拶が終わると共に、皆が大きな拍手で歓迎した。多くの先輩たちが「なあ、あのこ可愛くない?春ちゃんだって」とか、「えーめっちゃいいこじゃん、声もよく通るねー」とか、新鮮な空気を楽しむようにザワザワと音を立てた。

 

 しかしそのざわつた世界は、先生が声を貫いたことで切り替わった。

 

「はーいでは、早速やっていきたいと思います。みんな起立!発声練習から!」

 

 そう言って、鍵盤をたたき始めた。

 

 先生のリズムに乗って、皆が一斉に発声をする。必ず練習前に行う、いわばウォーミングアップみたいなものだ。最初は、ハヒフヘホで、一文字ずつ順番にメロディーを取っていく。滑舌と、口を大きく開ける練習になるから、ハ行は発声に良いらしい。

 

 音穏は、春がどんな雰囲気をしているか気になって

耳を済ませて意識して聴こうとする。

 

 それは、春がとんでもなく美しい歌声を持っているかが分かる瞬間だった。

 

 透き通った声と、綿密に計算されたような発声が、音穏の耳に流れ着く。発声も、呼吸法も、その全てが他に類をみないもので、これだけで春が何年も試行錯誤して歌い続けてきたことが分かる。

 

 音穏は既に確信を得ていた。春はただ者ではない。そう分かったと同時に、メロディーに乗せた歌声を聴くのがますます楽しみになった。

 

 長い発声練習がようやく終って「はいみんな水分取って、ちょっと休憩ねー。次ソロだよー」という先生は声をかけた、

 

 当然、この空気がザワついた。

 

「え、今日ソロやんの!?聞いてないよー」

「うわ、まじか、いけるかな」

「えーまたー。春ちゃん初めてなのにかわいそうだよ」

 

 誰の声か分からないくらい、言葉が飛び交った。

 

「ねえ音穏、皆なんでこんな嫌がってるの?てか、ソロって、どゆこと」

 

「あーなんか、パートごとに先生が決めた箇所を、皆の前で一人ずつ歌うんだよアカペラで。まあ、ここの伝統?ってやつらしいよ。でも毎回はやらないんらしいんだけどね、俺もこの前初めてやったばっかだし」

 

「そういうことか、良いじゃん!楽しそう!」

 

 春はニッコニコでこちらを見た。

 

「すごいメンタルだね。でも、先生も今日が初めての春がいるのに、よくソロやるよな。俺らも最初の練習はさすがになかったよ」

 

「だって、最初っからいなかったのは私じゃん。皆に合わせないとね」

 

「そうだけど」

 

 不安そうな声で音穏が言う。

 

「初めてで緊張しないの?俺だったら、いくら歌に自信があっても、こんな上手い先輩たちの前で。しかもソロで歌うなんて、緊張でピッチが外れて、自信なくなっちゃうよ」

 

 春は間を置いて少し考える。

 

「あ、分かった。先生私の声期待してるんだ!だからだよソロやるの!うわー嬉しい!」

 

 こちらに向かって眩しいくらいに言われる。

 

「全然聞いてないし、めちゃめちゃ、ポジティブだね。すごいよそのメンタル」

 

「でしょ!大丈夫だよ私、歌好きだから!任せてっ」


 ソロ発表が始まって、すぐに春の番が来た。

 

 春はサッと立ち上がって、小走りで前へと向かった。

 

「じゃあ次、宮野さん、お願いします」

 

 皆の視線が、一点に集まる。

 

 春は、静かに目をつむって、首を下に傾ける。息を流すようにする。空間が凍るように静かになった。

 

 春はゆっくりと、溜めた息を吹き掛ける。まるで、氷河の中で白い息をするような吐息。もうすでにこの部屋は、春のものだった。

 

 息を吐いたと思ったら、今度は一気に息を吸う。そして、息に音を付けて、「ハッ」と。声にならない、ブレスのような呼吸音を立てて。

 

 歌い始める。

 

 透き通っていても絶対に消えない歌声が、スーッと。


 体に流れ込んでいく。

 

 春の音楽が、心に届き始める。

 

 まるで讃美歌を聴いているように、体が軽くなる。

 

 一瞬にして、この時間は終わってしまった。

 

 心地よい空気が流れていたことを、今、やっと実感できた。まるで不思議だった。

 

 歌が終わって、一度、何もない時間があった。皆が言葉を失った。


 何も差し出せなかった。

 

 けれど、すぐに春は、大きな拍手に包まれた。この部活が春の歌声を歓迎しているようだった。

 

「え、すごい。めっちゃ綺麗だったね」

「春ちゃんすごいな、俺らも負けてらんねーな!」

「春ちゃんの声本当に素敵」

 

 自由に春のことを褒める声で溢れた。みんなが褒め称えるせいで、春は少し赤くなってしまった。

 

「え、そんな、ありがとうございます。これからもがんばります!」

 

 照れ隠しにも聞こえるようなしゃべり方で言った。

 

 春はルンルンでこちらにも戻ってくる。

 

「すごいね!春の歌声めっちゃ綺麗だった」

「そうでしょ!あ、次音穏の番ね!」

 

 上機嫌な春に促される。

 

「え、お、俺?もう?」

 

 先生の方を見たら、ニヤつきながらコクンと頷いた。

 

「そーだよ、ほら、行ってきて!」

「えー分かったよ。どうせやるし、いっか」

 

 音穏はスタスタと歩きながらも、春に負けないように頑張ろうと思って、気合いはちゃんと入っていた。

 

 定位置につく。

 

「先生、テノールじゃなくて、主旋律でもいいですか」

 

 今日は春に、こっち聴いてもらいたい。

 

「ええ、良いですよ」

 

 周りの先輩たちは、何を言っているかは分からないが、まだ春の余韻に浸ってか、ザワザワしている気がする。

 

 けれど春を見たら、主旋律を歌うことに驚いたのか、少し目を丸くして、驚いた顔でこちらを見てきているのが、確かに分かった。

 

「じゃあ、浜田君どうぞ」

 

 先生の合図で、音穏の時間が始まる。

 

 音穏はまぶたを開けたまま、「ハッ」と息を吸う。

 

 溜めた息と共にブレス混じりの声で、歌い始めた。

 

 歌詞に乗せてメロディーを繋いでいく作業に専念する。心地良い感じが、全身に広がっていく感覚を覚えた。

 

 音穏は所々長い瞬きをして、文字を噛み砕くように、言葉一つ一つが届くように歌う。

 

 歌詞の世界に入り込んだように、息をするのが、必死だった。

 

 やっと歌い終わった。すぐに皆が拍手を送ってくれる。また何かを言っているようにザワザワと聞こえるが、皆笑顔だから、たぶん悪いことではないだろう。

 

 音穏は、春を見た。笑顔で、笑っている。目が合ったことにニコニコしながら、こちらに拍手を送っている。

 

 ちゃんと歌声が届いてよかった。

 

 すぐに春のところへ向かった。

 

「スゴいじゃん!めちゃ綺麗だったよ!さっすが休み時間に楽譜見てるだけあるね」

 

 春は冗談交じりで歌声を褒めてくれた。

 

「いやバカにしてるでしょ!でも、褒めてくれて、嬉しいよ。あ、ありがとね」

 

 音穏は照れくさくなったように、言葉を噛みながら言った。春は眩しく笑って、頷いてくれた。

 

 ソロ発表が終わると、先生が次に何の練習をするかについて話始めた。

 

「えーっと、それではですね、全体練習に入っていきたいところなんですけれども。申し訳ない!先生ね、この後ね自分のクラスの子のお家行かなきゃいけないんだ。言ってなくてごめんねー。だから、今日は一旦ここで解散しちゃって、自主練習したい人は、残って練習しもいいですよ。一人でも、同じパートの人とか、なんでも」

 

 皆が「えー」「今日ないのー」「この後どうするー?」など、各々でしゃべり出した。

 

 先生は自分の肩掛けバッグに、取り出していた荷物を詰め込んだ。

 

「ごめんごめん!また明日も活動あるし!皆、自主連する人は、自分の足りないところとか、得意なところを伸ばす時間にしてね!あ、使った教室はちゃんと綺麗にしてね。それじゃ!がんばって!」

 

 先生はそう言い残し、場を後にした。

 

「先生行っちゃったね。まあ、事情があるならしょうがないかー」

 

 春は小走りで行く岩永先生を目で追いながら言う。

 

「ねえ音穏!この後一緒に練習しようよ!」

 

「え、うん、いいけど、俺パート違うけどいいの?」

 

「え、それが良いんじゃん!だし、やろうと思えば、音穏だってソプラノもアルトもいけるでしょ」

 

「まあ、頑張れば」

 

「じゃあ決まり!ほら、練習しよ!」

 

 春はまるで休み時間が来た小学生みたいな表情をしてくる。

 

「でも、この後ここ、吹奏楽が来るから、俺らは使えないよ」

 

「えー!そっかー、んー、教室はまだ残ってる人いるよねー、てか、先輩たち皆もうどっか行ってるけど、どこで練習してるの」

 

 音穏はまだ慣れていない空白の多い学校の地図を、頭に思い浮かべた。 

 

「わかんない、どっか場所あるんじゃない?」

「ふーん、まあいいや、で、どこ行く」

「どこって、んー、どこ、どこにしよう」

  

「あ!」


 音穏は近くで春を待たせて、職員室で顧問から放送室の鍵をもらった。

 

「よし、行こ」

 

 二人はゆっくり歩き始める。放送室は職員室がある廊下の、もっと奥にある。

 

 ここは印刷室とか資料室とか、先生が使うような教室しか並んでいないから、一通りが少ない。だから春と並んで歩けた。

 

「なんて言ってもらったの?」

 

「一人でパート練習がしたいから、放送室貸してくれませんかって」

 

 春はその言葉を聞いて笑いながら言った。

 

「ねえなんで一人って言ったの!私もいるじゃん」

 

「だって女子と二人っきりで練習とか、バレたら恥ずかしいだろ!まだ入学して1週間くらいだし!」

 

「えー良いじゃん部活仲間なんだし」

 

 二人はずっと笑顔で廊下を歩き進めた。

 

「てか、音穏って放送部兼部してるんだ。初めて知った」

 

「しゃべりを鍛えたかったからね、あと学校説明会の司会もやるから、大勢の前で声を出すこともね。緊張しいから」

 

 春は一度前を向き直して、口角を上げる。

 

「へー、結構考えてるんだね、意外と」

「いや意外とって」

 

 そうこうしているうちに放送室についた。音穏は固い鍵穴に、鍵をぶっ指し、回すようにひねって、引っ張るように抜いた。

 

 手すりに手をつなぎ、ドアを強く押す。ドアの開く、ミシ、キーンとした音が二人を出迎える。

 

「失礼しまーす」

 

 春は扉を開いた音穏の後ろで、恐る恐る足を踏み入れる。

 

 音穏は入ってすぐの壁にある、明かりのスイッチを押そうと手を伸ばしたが、やっぱりやめた。窓が入り口の正面にあって、カーテンのレースを添えていても、夕方の日差しがひしひしと入ってくるため必要ないし、この空間には勿体ないと思ったから。

 

「わ、なんか落ち着く香りがしていいね。なんだろう、おばあちゃん家みたい」

 

 春がつぶやいた。

 

「たしかにここ結構古そうだもんね、置いてある物とかもだいぶ年季入ってるな。俺もまだ一回しか来たことなかったから、何があるかとか全然分かんないんだけど」

 

 春は子どものようにニコニコしながら、辺りをくべなく眺めた。

 

「ねえこのソファ、いい色してるし、形も綺麗だね。シックって感じで」

 

 春は左隅に置いてある、ダークブラウンの革製のソファに目を向けて言う。

 

「なんでここにいるんだろう」

 

 春は続けるようにボソッと独り言を言った。

 

「いるって、人みたいに言うね」

 

 音穏がそう言うと、春はソファーに目を向けたまま言葉を続けた。

 

「なんか、ここでどんな人たちがどんな会話したんだろーって、ちょっと気になっちゃって」

 

 それを聞いて音穏は、ちょっと嬉しくなって、口角が上がった。

 

「春っておもしろいね、着眼点が」

 

 春は、その声でやっと振り返る。

 

「でしょ!よし、じゃあ練習しよっか!」

「うん、練習しよ」

「あ、音穏も今日ソプラノね」

「え?」

「よし!歌おー!」

 

 それから、明日も明後日も、春と話すようになった。

 

 春と仲良くなるのに、多くの時間はいらなかった。その次の日も、さらに次の日も、昼休みになると必ず春はやって来た。

 

 最初は部活のことや最近聴いている音楽のことなど、共通の話題ばかり話していたけれど、気づいたら自分が好きなア漫画の話や、春がハマっているドラマの展開がゲキアツだという話とか、今度あの小説が読みたいとか、話の話題は目まぐるしく変わっていった。

  

 なんだか春の話すものは、どんな話でもいつも壮大になって、ワクワクさせられるようで。


 そのどれもがおもしろくて。


 あの時間が大好きだった。



宮野春

岩永先生

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