高校二年 九月
高校二年 九月
音穏
二学期が始まり、普段の平凡な学校生活に戻った。
退屈な数一の授業と、担任が一言二言だけ話す本当に必要なのかという帰りのホームルームを、しゃがれた顔で終えた。
「あーもうやっぱ数一苦手だ。始業式の日に普通の授業があるとか、そんな学校聞いたことないよ。やっぱり夏休みがよかったよなー」
「あれ?夏休み中は、クラス好きだから、二学期早く始まらないかなーって、言ってたのに?」
同じ合唱部の泉晃士が言う。本名は「あきのり」なのだが、入学した頃に名前の読み方が分からず、とりあえず誰かが"こうじ"呼んでいたらそれが定着してしまって、今でも多くの人からそう呼ばれ続けている。
音穏は入学早々仮入部で初対面しているため、名前があきのりというのを既に教えてもらった状態で、こうじという名前を聞いた。だからこの学校では珍しく本名で呼んでいる。
「やっぱ学校始まったらさ、めんどいし。ああもう夏の部活練が一番良かったよ」
夏休み中は意外にもクラスが恋しく、二学期が始まるのを待ちこがれていたが、いざクラスが始まると、賑やかすぎる環境にうんざりして、やっぱり夏休みが良かったと手のひら返しになっている。
「俺もやっぱり無い物ねだりかぁ」
そんなことを呟いていると、グラウンドから大きいホイッスルの音が聞こえた。そういえば、現在サッカー部が六限目を公欠で他校とのリーグ戦の試合をそこでしていることを思い出す。
「あ、そうじゃん!試合どうなった!?」
音穏は急いで窓際に向かう。そこにはオレンジのユニフォームをまとったうちの学校と、青のユニフォームをおまとった相手チームが、見るからに熱い戦いを繰り広げている姿があった。
あきのりも後ろから追い付いてきて、二人並んだ。
「すご、スコア分かんないけど、互角って感じするね、ちなみに相手どこなの?」
「日成」
「日成学園!?え、ちょー名門じゃんか。去年のインターハイ優勝してなかったっけ」
「そうだよ、超絶名門。今年の代の強さは分かんないけど、たぶん相当強いよ」
「そうだよね、にしても、直也数学合法的に受けなくていいな~公欠うらやま」
音穏はそれに笑って返した。
「ていうか、俺らもこんなこと言ってる場合じゃなくね?この後合唱のコンサートよ」
「あ、そうだ、ヤバイね、そろそろ行かなきゃ」
音穏は分かりやすく顔をしかめる。
「気になるんでしょ試合」
あきのりは微笑んで言う。
「そりゃそうでしょ!直也が出てんだから」
「ほんと仲良いねー二人は。ま、直也も試合終わって間に合ったら観に来てくれるんでしょ?また会えるよ」
音穏は少し間延びして、うんっと頷いた。
「そうだね、じゃあ行くか」
音穏とあきのりは若干試合観戦を惜しみながらも、コンクール会場への移動を始めた。
直也
試合は1-1で後半のアディショナルタイムに差し掛かっていた。
「直也ぁ!クロス!!」
左サイドを駆け上がる直也に、フォワードのたくろーがパスを要求する。直也はそれに応えようと、軸足になる右足を強く踏み込み、左足を大きく振り上げてキック体制を作った。
すると、嫌な予感が的中した。
「う、!!」
強く踏み込んだ右膝が痛い。やはり元々痛めていた上に重圧がかかって、痛みが再発してしまった。もちろん、テーピングで固定なんてしていない。
けれども直也は構わず、そのまま左足を大きく振り上げて、半円を描いたクロスボールをたくろーの元へ蹴る。たくろーはそのクロスにヘッドで合わせ、見事にゴールを決めた。
「しゃあおらああ!!」
試合終了間際の勝ち越しゴールだったため、たくろーは嬉しさを爆発させて喜ぶ 他のチームメイトたちも直也とたくろーを称賛する声を出していく。
その様子を直也は、はにかんでじっと眺めていた。
試合終了を告げる笛は、すぐにグラウンドに鳴り響いた。
試合後のミーティングが終わり、直也は一人グラウンドに残った。そして、一つ一つ丁寧にマーカーを置いて、いつも通りドリブルの基礎練習を始める。
「まだまだ、実力が足りなすぎる。もっともっと、基礎を固めなきゃ――」
そんなことを思っていたら、たくろーが笑顔でこっちに寄ってため、足を止めた。
「直也、お疲れ!」
「おぉーお疲れ!」
「お前また自主練習やってんのか、ほんとすごいな」
「もっと強くならなきゃだからね」
たくろーはそのままの顔で、小刻みに頷いた。
「たまにはゆっくり休めよ?てか、すごかったなさっきの直也のクロス。めっちゃいいボールだったぜ!」
「いやいやたくろーまじナイスゴールだよ。でも本当はもっとインに出したかったのに、結構軌道がずれちゃった。でも、たくろーが合わせれくれて助かったわ」
直也は悟られないように、笑ってごまかす。たくろーは微笑み続けたままだった。
「そっか!あ、そうだ、飲み物買い行かね?ちょっと直也に相談したいことあってさ」
「おお、良いけど」
二人は広場に備え付けられている自販機で飲み物を買い、部室から少し離れたコンクリートの段差に腰かけた。
「それで、話って?」
直也が訊ねると、たくろーは少し神妙そうに顔を向けきた。
「あのさ、前から姫奈のこと好きって話、直也にしてたじゃん」
「お、そうだな。え、まさか、つ、付き合った!?」
「お、そうなんだよ!って言いたいとこなんだけど、その逆だよ」
「……あ、ドンマイ」
するとたくろーは吹き出したように笑った。
「違う違う!俺がやめようと思ってるんだよね」
直也は目を若干丸して、驚きを表現した。
たくろーから姫奈を振り向かせるための相談はよくされていた。何よりも、直也が姫奈と中学校からの同級生だから、他の人よりも知っていることが多いという点でよく相談相手にされている。
しかしながら、わりかし長い期間熱心に姫奈を追っていたたくろーの熱が、パタンっと消えてしまったのはいったいなぜだろうか。
「え、なんで?あんなに好き好き言ってたのに、何かあったの?」
たくろーは一瞬微笑んで、すぐに顔をしかめる。
「いや実はさ、悪い噂を聞いたんだよ」
「悪い噂?何それ」
「一年のときに集団いじめとか盗難とかの問題が何個があったろ?あれ実は姫奈が関わってるらしくてさ」
たくろーは寂しげな顔をしながら、うつむいたまま話し続ける。
「先生たちもプライバシーを考慮して、表向きに加害者の名前までは言ってないだろう。だけどこの前さ、放課後に姫奈が教室のロッカーから何か盗んでる姿を前に見たって言ってるやるが居てよ。今更っちゃ今更なんだけどさ」
「ちょっと待って、でもそれたくろーが見た訳じゃないでしょ?噂話にあんまり動かされない方が良いって。第一に、一生懸命マネージャーをしている姫奈に惚れたわけじゃん」
たくろーは苦笑いをする。
「本当は俺もそうしたいところなんだけど、やっぱり、噂話が出るってことは、少なからずそういうことに関わってるてことだろ。俺意外と性格面とか気にするから、やっぱりちょっと、厳しくて」
上手く返事ができなった。
「それでさ直也、何か知らないか?そのことについて」
「んー、いや、ごめんそ情報にはうとくて」
ほんの少しだけ知っていた気もするが、言う気にはなれなかった。
「そっか、ありがと、まあとにかく、俺は新しい恋探すよ、そんじゃ」
たくろーはそう言い残して行ってしまった。
直也はそれを見つめ続ける。すると、数秒経ってあることをハッと思い出した。
「あ、いけね!今日音穏合唱コンサートだった!やばい遅刻する!」
直也はそう言って、急いで部室へと向かった。
音穏
会場では既に開場が始まっていた。
このコンサートは今まで数ヶ月かけて練習してきたものの集大成でもあり、先輩たちにとっては最後の演奏になる。
今回のコンサートは学校の生徒と先生、保護者、卒業生なら誰でも観に来ることができる。
音穏とはやとは、会場の二階から、観客が来場してくる様子をじっと眺めていた。客席には同学年の友達や先輩、友達の親など、知り合いの姿がたくさんあった。けれどもそこに直也の姿はなかった。
「いや~いっぱいいますね。あれ、直也さん見当たらないですね、まだ来てないのかな」
「さっきまで絶賛試合中だったからね、もしかしたら来れないかも」
「あそうなんですか、残念ですね。音穏さんいっぱい練習したのに」
「仕方ないよお互い部活だし、直也も見たいって言ってたから。あ、でも、もし間に合ったら観に行くって言ってたよ」
「お、良かったじゃないですか」
「まあね、じゃあそろそろ本番に向けて準備しよう」
音穏とはやとは合唱部の楽屋に向かった。
今回のコンクールは、男性、女性、混合のすべてを含めて、全十曲を披露する。音穏とはやとはそのうちの7曲に出演する予定だ。
楽屋では、合唱部のメンバーが発声練習をする者や、好きな音楽を聴いてリラックスする者など、各々で自由な時間を過ごしていた。音穏はこの、自由だけど芯のあるメンバーの雰囲気がとても気に入っている。
定刻となり、部員が司会に登壇し、コンクールが始まった。合唱部は長く親しまれている曲や、最近の流行りの曲を合唱バージョンにして演奏したりした。
そしてあっという間に最後の曲になってしまった。
曲に入る前に引退する三年生が舞台の先頭に横並びになり、顧問の岩永先生に一人一人紹介されている。その間一、二年生はコーラスで先輩たちの最後を彩る。
音穏とはやとは三年生の後ろ姿をしっかりと目に焼き付けながら、力まずに、丁寧にコーラスを演奏した。
時々、隣にいるはやとと目を合わせながら、ニコニコ笑って、三年生を華やか送ることに努めた。
すると、会場の奥の扉が空いたのが見えた。
「あ、直也だ!」
練習着を着て、ソックスをくるぶしに丸めている直也の姿があった。
「間に合ったんだ、良かった」
心の中の思いが溢れて、目が優しく緩む。はっきりは見えないが、直也もニコッとしてくれたような気がした。
直也は席につき、じっくりと舞台を見ていた。ちょっぴり恥ずかしくなった。直也に歌っている姿を見られるのは、他の人に見られるのと訳が違う。
三年生の紹介が終わり、最後の曲になった。客席のライトは再び消え、場内は静かな空間に包まれる。
その流れで指揮者が一礼をして登壇する。手をバサッと上げる袖の音だけが聞こえる。そして、皆が深く息を吸う音が響き渡る。
指揮者のゆっくりとした、なめらかな振りで、歌は始まった。音穏も聴いてくれて人の心に、そして直也の心に届くように、流れるように美しい歌い上げた。
演奏が終わると涙ぐむ先輩たちも多かった。客席からの盛大な拍手の中で、たしかに直也も大きな拍手をしてくれているのが見えた。めちゃくちゃ良かったぞと言わんばかりの笑顔が、舞台からでも分かった。
最後の挨拶が終わり、無事にコンサートは幕を閉じた。
公演が終わると出演した部員たちは一斉にロビーに行く。ここでは観に来てくれた友達や家族などと話したり、写真を撮ったりする時間がしばらく設けられる。
音穏はすかさず直也のところへ向かった。
「音穏!」
ざわざわとした会場の中で、直也が呼んでいるのが分かった。
「ごめーん来るの遅くなっちゃって」
「ううん全然、試合終わった後だったのに来てくれてありがとうね」
「当たり前よ!いやぁ最後のしか観れなかったけど、あれめちゃくちゃよかったな!」
「ほんとに?うれしいよありがとう!」
二人は互いに目を合わせながら、シワを作るくらいまでの笑顔で話していした。
「直也も試合、お疲れ様。今日の相手めっちゃ強かったんでしょ」
直也は、少しだけうつむいて微笑む。
「いやぁギリギリ勝てたよ、でも全然納得してない。もう少し皆で連携が取れれば、少なくてもあと二点は絶対に取れてた。だから、俺もチームに貢献できるようにもっともっと強くならなきゃ」
直也は、まるで前進するように顔をあげる。その目は音穏には計り知れないくらいの輝きを持っていて、まさにサッカー少年だった。
やっぱりすごいなと思った。直也にはサッカーのというか、前向きに、ひたむきに頑張る才能があると改めて感じた。こんなにも一つのことに真っ直ぐに、貪欲に上を目指せるというのは、本当にすごいことだ。
そんな直也の良さが、少し羨ましく感じる。もし自分もこんなにも夢を真っ直ぐ追うことができたなら、なんて比べようもないことを、音穏は心にそっと留めた。
「俺めっちゃ強くなりたい。全国の強豪のも負けないぐらい強くなって、全国大会で勝つんだ。決めたんだ!」
直也の熱い視線が、眩しくて、自然と笑顔になった。
「きっとできると思う直也なら。応援してるよ!」
「お、ありがと!ちょーがんばるよ!」
直也に手を差しのべた。直也は皮が少し剥けて、砂が乾いた手で、ぎゅっと手を握ってくれた。
音穏はその手を、強く握り返した。
あきのり
たくろー