第5話 因縁の魔物
大抵の魔物であれば、ラルフィルはすぐに行動できただろう。
だけどこの魔物だけは、そうはいかなかった。
◆ ◆ ◆
過去の光景が、鮮明にフラッシュバックされる。
いつも通りの日常を送っていた。
危険な場所にも、行ってはいけない場所に行ったわけでもなかった。落ち度なんかなかった。いつも通り過ごしていただけだった。
ラルフィルとナクルは、いつものように、中庭で遊んでいた。広いケバーランド家の中庭は、色とりどりの花が咲き乱れる、美しい場所だった。
親同士が親しい二人は、幼馴染として時々こうして会っていた。会う時はいつも、最近読んだ面白かった本をお互いが持ち寄り、交換した。会うとその本の話をして、お互いが何を思ったのかを語り合った。
似た価値観の二人にとって、それは楽しく、特別な時間だった。
そんな風に、いつものように本の話をしていた時だった。
空に、突如黒い巨大なドラゴンが現れた。
「あれは何?」
呑気に尋ねるラルフィルとは対照的に、ナクルはそれが危険だとすぐにわかった。ラルフィルの手を引き、建物の中へと逃げようとする。
だがそれよりも先に、アシッドドラゴンの「酸」の雨が降り注ぐ。
酸の雨は、降れれば一瞬で溶ける危険な雨だ。
ナクルはすぐに防御結界魔法を展開する。
この頃のラルフィルは、防御魔法を身につけてはいなくて、ナクルが展開する結界の中でうずくまり、どうすればいいか考えていた。
ラルフィルは炎の魔法をこの頃から得意としていた。同世代で使える者がまだおらず、貴重で優秀な魔法使いだと、周囲に褒め称えられていた。だから調子に乗っていたのだろう。
ラルフィルは、アシッドドラゴンに向けて炎の矢を放った。
その攻撃は、大した効果もなく当たって消えた。
逆効果だった。
アシッドドラゴンはその攻撃に怒り、酸のブレスを二人に向けて放った。防御結界魔法は何とかそれに耐えた。だが、アシッドドラゴンの執拗な攻撃は続く。
どれぐらい耐えていただろう。
ナクルの顔が苦痛に歪んだ。
アシッドドラゴンの弱点は何だっただろう? 自分は何をしたら良い? どうしたら、どうしたら。
恐怖で混乱するラルフィルに、ナクルは言う。
「大丈夫。君を絶対に守るから」
そう言って。
ナクルは意識を失った。
だけど不思議なことに、防御結界魔法は消えることなく持ちこたえた。
崩れ落ちたナクルを抱きかかえ、いつ終わるかわからない攻撃の中、ラルフィルは叫んだ。声にならない声で。ナクルの無事を、助けを。
そして、彼女の記憶もそこで消える。
後で聞いた話では、騎士団がやって来てアシッドドラゴンを追い払ったらしい。退治はできなかったと。まだ、あのドラゴンは生きていると知った。
だからラルフィルは、強くなろうと決めた。
誰よりも強く。
一人でも戦えるように。
大事な人を守れるように。
そう思っていたのに。
◆ ◆ ◆
「しっかりしろ!」
震えるラルフィルに、レンブレムが言い放つ。
防御結界魔法も展開できていない。ラルフィルがそう考えた時には、すでに誰かの防御結界魔法が辺りを覆っていた。その魔法はこの辺り一帯を守るに十分だった。
これだけ広範囲に、防御魔法を展開できる人物。
「らしくないな」
彼は嘲笑うようにそう言って、ラルフィルに背を向けた。
この学園を飛び級で卒業し、最年少王宮騎士と呼ばれる彼。
トゥーファル・ディスタは氷の剣を構えた。
ラルフィルがこの学圏で、剣で勝てなかった唯一の相手。
短い銀色の髪に、雪のような銀色の瞳。鍛え上げられた体躯に、紺色の騎士団の制服を着ている。トゥーファルは呪文を唱える。それを聞いて冷静さを取り戻したラルフィルも、同じように詠唱を始めた。
氷の呪文。
氷魔法を得意とするトゥーファルほどの威力は出せないが、援護にはなるだろう。
アシッドドラゴンは固く強力な表皮に覆われ、大抵の攻撃は効かないと言われている。
―――そんなの、やってみなきゃわからない。
ラルフィルの瞳に、いつもの気丈さが戻る。
詠唱が終わり、二人の氷魔法が放たれた。