第3話 終わりの地の魔法使い
人里離れ、ぐるりと高い石壁が囲む中に建つ、牢獄のような古い建物。
空にはこの辺りだけ暗雲が立ち込め、いつ雷雨が降ってもおかしくないほど黒く広がっている。植物は根付くことなく枯れ果て、何も生えていない。生物の気配がなく、しんと静まり返っていた。
「いつ来ても不気味なところですよね」
リーナは辺りを見ながら体を縮こませる。
「それに、何だか気分も悪くなる気がします」
リーナの言葉を無視し、到着まで目を閉じていたラルフィルは、馬車から降りるなり、ぱちんと指を弾いた。
風の魔法が発動し、空を風が貫く。それまで夜のように暗かった空に、光が降り注いだ。
眩い光に包まれるとともに、建物のドアが開き、すらりとした背の高い男がゆっくりと出て来た。
「やめて欲しいな」
白衣を着た、長い青い髪の男は、眩しそうにその青い目を細める。
「こうでもしないと、出て来てはくれないでしょう?」
ラルフィルは彼を見て小さく笑う。ラルフィルより少し年上に見えるその男は、困った様子でため息をついた。
「こんな場所に、君のような人は来ない方が良い」
この場所、魔法使いの「終わりの地」の管理人である彼、デイルはそう言うと、くるりと背を向けた。
「立ち話もなんだし、中で話そう」
デイルの後に続き、ラルフィルは中に入った。
◆ ◆ ◆
中に入ると同時に、魔法使いたちの苦しむ呻き声が聞こえた。
ここは、魔法を使い過ぎて眠ったままの者を入院させている施設で、ここに入った者は、基本的に出ていくことはない。回復することはない。それほどに、魔法の使い過ぎは、取り返しのつかない事態を招くのだ。
だからこそ。
ラルフィルはこれから起こる厄介ごとの前に、どうしてもデイルに会っておく必要があった。
「魔力上限を上げたいんです」
部屋に入るなり、ラルフィルはそう切り出した。
「もう十分、魔法を使えると思うけど」
「それでは足りないんです」
「神託のことか」
こんなところにも、ラルフィルの神託の話は届いているらしい。
「勇者なんて、適当に決めてしまえばいいのに。ってわけにはいかないか」
ラルフィルが今無事なのは、この聖女に選ばれたからで、勇者を決めてしまえばお役御免になり、元の危うい立場に戻る。
可能なら、できる限り決めずにのばそうと思っているぐらいなのだ。
「生き残るために、この魔力量では足りないんです」
ラルフィルは右手を握り締める。
「あの子のこともあるし、魔法の危険性は十分わかっていると思うけれど」
「だからこそ、上げておきたいんですよ」
真剣な様子のラルフィルに、デイルは頭を搔いた。
「あなたなら、治療の力を応用して、上限を上げられるでしょう?」
ここでの治療の基本は、魔法上限を一時的に上げ、症状を緩和することだ。眠りについたままの人たちの何割かは、それで目を覚ます。目を覚まさない場合も、少し症状を緩和できる。もちろん、上がるのは一時的であるが故に、また眠った状態になってしまうのだが。
「わかっていると思うが、上げられるのは一時的にだ。無暗にリスクを上げることにもなりかねない」
「これからの戦いでは、このままでは負けてしまう。私は、負けたくない。絶対に」
窓の外を見つめるデイルに、ラルフィルははっきりと言い切った。
「どうしてもと言うのなら、自分でやるといい」
デイルは、本棚から一冊の本を手に取ると、ラルフィルに手渡した。
「使わないことを祈るよ」
ラルフィルはその本を受け取り、その場で開こうとする。
「まずは、彼に会ってきなよ」
デイルにそう言われ、押し出されるようにラルフィルは部屋を出た。
暗い廊下の奥、闇が深くなるようなその先に、小さな部屋があることを彼女は知っていた。
ここに来たのは、彼に会うためでもあった。
古く軋む廊下を歩き、扉を開ける。風が柔らかく吹いた。
薄暗い部屋の中に、わずかに光が差す。
そこには、眠りについた美しい少年がいた。
水色のやわらかな髪は無造作に伸び、肌はこれ以上ないほどに白い。何年もこうしているのだろう、頬はやせ、ぐったりと動かない。それでも彼が、美しい少年であることはわかった。
「ナクル」
ラルフィルは彼の名を呼ぶ。
けれど当然のように、彼は何の反応も示さない。
ラルフィルは彼の傍に立ち尽くしていた。
かつて、彼女と共にいた幼馴染の彼は。
魔物に襲われた彼女を守るために魔法を使い過ぎ、意識を失った。
「あなたを勇者に選んだなら、目を覚ましてくれるのかな」
昔のように笑ってくれるなら、傍にいてくれるなら。
そんなことはできないと、わかっているけれど。
だけど、もし彼が目を覚ましてくれるのなら、それでも構わないとすら思って。
そんな感傷的な自分ではダメだと、首を横に振った。
「行かなきゃ」
そう小さく呟き。
ラルフィルは部屋を出た。泣きそうだった目は、いつもの気丈な目に戻っていた。
もう一度デイルの部屋へ向かうため、歩き出す。
だが次の瞬間、彼女は奇妙な錯覚に囚われていた。
「何これ、幻視魔法?」
周囲がぐにゃりと曲がるのを見て、ラルフィルは小さく嗤った。
このどうしようもない悲しみを、ぶつけられるならそれでもいいか、そう思って。