決別
「……し、あ……?何で、お前がここに……?」
状況が把握できず、リーファがシアに問い掛ける。
シアはリーファの身体を一度離すと、リーファの容体の酷さに表情を顰めた。
「決まってるでしょ。リーファを助けに来たんだよ。……ちょっとごめん……」
「ンッ…………」
リーファの口に、シアが吸い付く。
突然の行動に驚くリーファだが、すぐに両目を閉じて受け入れた。
……痛みが引いていく……。
超能力で癒してくれているらしい。
一分程キスを続ければ、シアがゆっくりと唇を離した。
「とりあえず応急処置ね。傷多過ぎるから全快できてないけど、痛みはマシになったと思う。すぐに拘束具、外してあげるから」
言うが早いか、シアは風切り刃を取り出して拘束具へと振るった。見事に鉄枷のみを断ち斬れば、前方へと傾いて来るリーファの身体を受け止める。
「さぁ!時間に余裕はあるけど、ウニベルが帰って来るまでに帝国から出よう!」
言いながら、シアがリーファを姫抱きに床を蹴る……その時だった。
シアは咄嗟に後方へと大きく跳ねた。先程までシア達が居た箇所の床に、大きな窪みができている。窪みの中心に居るのは、拳を突き出した形で膝を曲げているジュンユーだ。
ジュンユーはゆったりと立ち上がると、シア達へと向き合った。
「ウニベル様の命により、リーファをこの部屋から逃がす訳にはいかない。大人しくリーファを離すか、貴様もこの部屋に留まるか……反するようなら、排除する」
ジュンユーの物言いに、シアが眉根を寄せる。
リーファの前でジュンユーと闘うことはできない。だが、このまま素直に見逃してくれる筈もない。
……ジュンユーが近くに居るのは、通信機反応でわかってたけど……さて……俺のトップスピードで振り切れるか……。
ペロリと、上唇をシアが舐める。
翼を大きく広げたところで、リーファがシアの肩を柔く押した。そのままシアの腕の中から降りるリーファ。
一歩前へと出れば、リーファは真剣な眼差しでジュンユーを見据えていた。
「リーファ?……」
「時間に余裕があるんだろ?詳しい話は後で聞く。帝国から出る前に、私にはやるべきことがある!」
本気のようだ。
何をするつもりなのか……シアは聞かない。反対することなく、「わかった」と目元を和らげた。そして自身の右腕に結んであったリボンを解くと、リーファの左腕へとシアが結び直す。
「はい、忘れ物。リーファならきっとできるよ。俺は信じてるから!」
「!…………」
リーファは一瞬目を見開くと、元の紅もわからなくなってしまった赤黒いリボンを見つめ……フッと不敵に笑った。
リボンにソッと触れれば、軽く息を吸い込み臨戦体勢を取る。
「今日で終わりにしてやるよ、偽物野郎。その血肉、一片残らず塵にしてやる!」
勢いよく床を蹴れば、リーファは拳を振りかぶった。
パシンと、乾いた音が部屋内に響く。
……殴った…………!
シアが思わず瞠目した。
あのリーファがジュンユーに攻撃したのである。
「…………」
リーファのパンチを難なく受け止めたジュンユーは、生気のない瞳で冷たくリーファを捉えた。
「反抗の意思を確認。実力行使に移らせてもらう」
「……できるもんならなッ!」
リーファが横蹴りをかます。がしかし、ジュンユーはソレを腕で軽く弾いた。すぐさま広げた手の平をリーファの眼前に翳せば、ジンシューを生成するジュンユー。
……『リーファ』
リーファは咄嗟に上半身を横にずらして躱し、無防備になっているジュンユーの腕を掴んだ。背負い投げの要領で投げ飛ばすが、ジュンユーはあっさりと受け身を取って着地する。
……『お前の命は既に俺が預かってる。そのことを忘れんなよ』
両者同時に飛び出し、殴る蹴るの攻防戦が始まった。
ジュンユーの右ストレートがリーファの頬を掠め、リーファの上段蹴りがジュンユーの鼻頭を捉える。
……『お前は強い。誇り高き、立派な月猫族の戦士だ』
互いに互いの攻撃を見切り、躱していくので、中々有効打が決まらない。
どちらのモノとも付かない荒い息が、室内を充たしていった。
……いつもよりもキレがない……攻撃の瞬間に躊躇してるんだ……リーファ…………。
リーファの闘いを見守りながら、シアが手に汗握る。
リーファの表情は苦しそうだ。元々身体中怪我だらけで、正直激しい動きをして良い状態ではない。息切れや苦悶の表情も当然の容体なわけだが、それでもその表情が不調の所為だけでないことは明らかだ。
リーファがジュンユーの顔面目掛けて、握り拳を振り上げる。
……『リーファ』
リーファが表情を僅かに歪めた。
拳も蹴りも……当てる直前でどうしても威力を半減させてしまう。
……『後のことは頼んだ。死ぬなよ、リーファ』
リーファの脳内にユージュンの声が響く。憧れた背中が瞼に過る。
その度に、ジュンユーへの攻撃に微かな躊躇いが交じってしまった。
……違う!違う!違う!……コイツはユージュンじゃない!……集中しろ!躊躇うな!!
心の内とは裏腹に、段々とリーファの動きが雑になってくる。次第にジュンユーがリーファを押し始めてきた。
「グッ……ゥアア!!」
リーファがジュンユーに蹴り飛ばされる。
……『ダァア!!また負けた!!』
壁に激突した瞬間、リーファの頭に昔の記憶がフラッシュバックされた。
たった三年間という短い間で闘り合った、ユージュンとの膨大な手合わせの記憶だ。
結局唯の一度も、リーファはユージュンに勝てたことがない。
……『もっとずっと強くなる。いつかきっと、ウニベルすら越えられる程強くなる!!月猫族最強が保証してやるよ』
あの日、ユージュンから告げられた言葉……疑ったことなどなかった。
それでも……ずっと不安を感じていた。ずっと不満を覚えていた。
……ユージュン……オレは……。
リーファの瞳に紅が揺れている。
ファン、ズーシェン、ユーエン、ジン……そしてユージュンの亡骸に纏わり付いていた血。
大気に覆われた純白の惑星……母星イタガ星が消滅した時の鮮烈な火花。
いつまでもリーファの脳裏に刻み込まれて離れない光景だ。
リーファは唇を噛み締める。
……『いつか』じゃダメだったんだ……本当はあの時……あの瞬間だけでも……強くなりたかった。ならなきゃダメだったんだ!……護りたかったから!……オレがお前らに護ってもらったみたいに!オレだってッ……護りたかったんだよ!!
リーファはジュンユーを見つめた。
一度も忘れたことのないユージュンの顔……ソレと全く同じ見た目をしている。ユージュンの遺伝子を元に造ったのだから当たり前だ。
初めてジュンユーを見た時、リーファは言い様のない憤りと……確かな歓びを感じた。感じてしまった。
身内意識の薄い月猫族の出であるリーファが、喪いたくないと強く想った初めての存在……ソレがユージュンだったから。
だからこそ、月猫族を……ユージュンを汚して欲しくないと思うと同時に、もう二度と喪いたくないと思ってしまう。例え姿形を真似ているだけの偽物だとしても、傷付けたくないと思ってしまう。
消し炭にすると決めた、この瞬間さえ……。
……ユージュンにバレたら、拳骨じゃ済まないな……。
リーファはフッと、自嘲気味に嗤った。
ジュンユーに攻撃する直前、あの日の紅が瞳に滲む度、リーファは自身の不甲斐なさを呪う。弱さを嘆く。
……『見た目が月猫族でも、中身が違うならソイツは月猫族でも何でもない。月猫族の誇りを持ち合わせてない野郎に、いつまでもその身体を使わせとく訳にいかねぇからな!』
リーファは顔を俯けた。
肩を、全身を震わせる。
……情けない……本当に……。
動かないリーファ。
今の内にとジュンユーが畳み掛けるように飛び出して来る。真っ直ぐ放たれたジュンユーの拳。
「…………」
パンチが当たる一歩手前、リーファがノールックでジュンユーの手首を掴んでいた。
腕を引こうとするジュンユーだが、全くリーファの手が振り解けない。
ジュンユーがリーファを訝しむ。だが、変わらずリーファの顔は下を向けられており、その表情を見ることは叶わない。
……知ってるよ。最初からそんなことわかってる。ただオレが弱いだけだ。オレが傷付くことを怖がってるだけ……もし仮にジュンユーが本物だとしても、ユージュンなら『気にせず殺れ』って言うに決まってる……そんなこと、わかってるんだ……。
リーファの下ろされた視界に、赤黒いリボンの端が映っている。
ジュンユーの手首を掴む手の平に、徐々に力が込められていった。ミシミシと、骨が軋む音が聞こえ始める。
「……ユージュンは王女に託した。『月猫族の仇を討つこと』『月猫族の血を繋ぐこと』……そして『月猫族の誇りを何が何でも護り抜くこと』!……頼まれたんだ。例え死にたくなる程の屈辱を与えられたとしても、月猫族を……その誇りをバカにされ続けたとしても、全部全部耐え抜けって。受け止めろって」
リーファはユージュンから言われた言葉を全て覚えている。
月猫族の在り方、誇り、闘い方、王族の責務、下らない我儘や八つ当たりのような小言まで。
しかし、ユージュンと過ごした三年間。リーファは一度たりとも、ユージュンから『同種の命を護れ』とは言われていない。
求められていないのだ。
だからこそ、偽物への甘さなど言語道断である。
「……オレはまだ弱いから、やっぱりオマエを完全に『偽物だ』って割り切ることはできねぇ。ユージュンみたいにはなれねぇ。それでも……オマエを壊す覚悟はできなくても、ユージュンの意志を受け継ぐ覚悟はとっくにできてる!」
リーファは顔を上げると、強い光の灯った眼差しでジュンユーの身体を引き寄せた。
そのまま頭突きをかませば、ジュンユーが怯んだところで腹に蹴りを入れる。
後方へと吹き飛ぶジュンユーの身体を、リーファは追い掛けた。
……『重さが足りねぇんだよ。パワーの無さを別のところでカバーするのは構わねぇが、だからって最初からスピードやテクに頼り切ってんじゃねぇ。一撃一撃にもっと力を入れろ』
しっかりと脚を振りかぶり、体重を乗せた一撃を叩き付ける。
凄まじい勢いで床へと蹴り落とされた訳だが、ジュンユーはすぐさま体勢を整えた。
……『読みが甘ぇ。相手の動きをもっとよく見ろ。最後まで気を抜くんじゃねぇよ』
しかし立ち上がることは想定済みだったのか、既にジュンユーの懐にリーファは入っていた。
リーファは両手を床に突き、ダンスをするかの如く足払いを掛ける。相手のバランスが崩れた隙に、一気に顔面を蹴り上げた。
……『ゴリ押しすんな!闘い方雑なんだよ!いつだって格下相手とは限らねぇんだぞ!もっと頭使え!思考を止めんな!』
リーファの脚がすんでのところで、ジュンユーの手の平によって受け止められていた。
そのまま投げ飛ばされるリーファだが、空中で何度か回転して威力を落とし、床に爪先が着いたと同時に再び飛び掛かる。ジュンユーも同じく向かって来るが、腕のリーチはジュンユーの方に分があった。先に攻撃が決まるのはジュンユーの方だ。
だが、リーファはジュンユーのストレートを見切れば、身体を斜めにずらし、真っ直ぐ伸ばされたジュンユーの腕を両手で掴む。相手の勢いを利用して、背負い投げだ。
ジュンユーの身体が、既にできた床の窪みに更なる高低差を付ける。
まともに受け身を取れなかったのだろう。ジュンユーが口から血を吐いた。先の攻防で、身体の至る所から血が流れている。
リーファはソレを見て、表情を顰めた。
……ファンを撃った時、ユージュンも同じ気持ち……だったわけないか……そもそもあの時、ユージュンはファンなら助かるって確信して撃ってたし……でも、例え助かる術がなかったとしても、ユージュンは撃った。月猫族の誇りを護る為に……。
リーファはジュンユーの眼前に左手の平を翳す。
……本当に護るべきは、月猫族の肉体じゃない。その“精神”だ。
だから、ユージュンは最期まで『同種の命を護れ』とは言わなかった。最も護るべきモノを託していたから。
リーファの瞳に迷いはない。
左手に光の粒が集まって来る。
リーファはふと口角を上げた。
「……やっぱり弱いな、オマエ。見た目が一緒でも、闘い方を真似しても、同じ遺伝子を使ったって……偽物如きじゃ、本物の足下にも及ばない。月猫族の精神を持ち合わせてない偽物なんかに、使い熟せる肉体じゃないんだよ!」
「……ウニベル様の命により……」
ジュンユーの言葉は続かなかった。
リーファの放ったジンシューが、宣言通りジュンユーの全てを塵芥に変えていた。
唯一残った焦げ跡を見下ろし、リーファは左腕のリボンに触れる。
「オレが相手で良かったな。他の月猫族なら……造られた瞬間に消し炭だったぞ」
そうして、ヴァルテン帝国の幹部は全滅したのであった――。




