番外編 イタガ星の最期《後編》
リーファにとっては、数時間にも思える五分が過ぎた。
地面へと降り立てば、リーファは無言のまま歩き出す。
「………………」
乾燥したサバンナにも関わらず、リーファが歩く度、ピチャピチャと水音が鳴った。リーファの靴跡が地面を更に紅く染めていく。
……『リー姫ちゃん!』
ファンの死体を通り過ぎる。
……『姫さん!』
ズーシェンの死体を通り過ぎる。
……『お姫!』
ユーエンの死体を通り過ぎる。
……『リーファ姫!』
ジンの死体を通り過ぎる。
「………………」
そしてリーファは足を止めた。
ポチャンと、リーファの手からリボンが零れ落ちる。そのまま力が抜けたように、リーファの身体も膝から崩れ落ちた。
「……ユー、ジュン……?」
震えるようなか細い声だった。
リーファの目の前に横たわっているのは、硬く目を閉ざしたユージュンだ。全身傷だらけで、真っ白だった筈の戦闘服は血に塗れボロボロになっている。
ユージュンを中心にできた血溜まりを吸って、リボンが深紅へと染まっていった。
リーファは地面に突いた手を、力任せに握り込む。
「……同種の死体は気に入ってもらえた?」
背後から突然話し掛けられた。
リーファは振り返らない。見なくとも相手はわかっている。
リーファに無視されながらも、話し掛けた張本人……ウニベルは一切気にした様子もなく、世間話をするみたいに話を続けた。
「月猫族最強とやらも大したことないね。さぁ、リーファ。これから最高のショーを見に連れて行ってあげる。大人しく俺に付いておいで」
ウニベルがリーファへと手を差し出した。
「…………」
黙ってウニベルの話を聞いていたリーファが、血溜まりのリボンを手にし、数秒ソレを見つめる。一度強く握れば、そのまま自身の左腕にユージュンのリボンを結んだ。
「ッ…………」
リーファは静かに立ち上がり、ウニベルと対峙する。
感情を削ぎ落とした表情だが、リボンと同じ真紅の瞳だけは殺意と闘志で燃えていた。
「……ウニベルーーーーーー!!!!!!」
怒りが爆発したように、リーファが大地を蹴った。
拳を大きく振りかぶれば、全体重を乗せてウニベルを殴り付ける……がしかし。
「ッ!!」
リーファのパンチは、あっさりとウニベルの手の平に受け止められてしまった。拳を掴まれ、距離を取ることもできない。腕を蹴り上げようとするリーファだが、これもまた軽々と防がれる。
「やっぱり『大人しく』なんて無理か。まあ月猫族達がイタガ星に帰るまで、まだ時間はある。それまで相手してあげるよ。君のご主人様が誰なのか、しっかりその身体と脳に刻み込んでね」
言い終わるや否や、ウニベルはリーファの身体を思いきり投げ飛ばした。
勢いが強過ぎて、リーファ自身では止まれそうもない。
「ッ……グァア!!!」
猛スピードで宙を移動している筈のリーファの身体を、ウニベルが寸分の狂いもなく尻尾で叩き落とした。受け身も取れず、まともに地面へ突っ込めば、リーファを中心に大地に大きな窪地ができる。
リーファが起き上がるよりも先に、ウニベルがリーファの小さな頭を踏み付けにした。
「グッ……ゥアアアアアア!!!!」
ギリギリと足に力を込められ、堪らずリーファが絶叫する。
ウニベルは冷たい瞳をウッソリと細めて、恍惚の笑みを見せた。
「あれあれ、リーファ?最初の威勢は何処に行ったのかな〜?……ほら、言ってごらん。君のご主人様は誰?」
ウニベルが少しだけ足の力を緩める。
掛かっていた圧がマシになれば、リーファは歯軋りと共に口を開いた。
「ッ……殺すッ……絶対に、殺してやるッ!!」
「ふーん……まだまだ調教には時間が掛かりそうだねぇ……」
「ガハッ!!」
ウニベルがリーファの腹を蹴り飛ばす。
肺中の空気を吐き出せば、リーファは「ゲホッ!ゴホッ!」と咳き込んだ。呼吸が整うのを待つことなく、ウニベルは尻尾でリーファの首を絞め上げる。
「ウッ……ゥァ……ッ……」
「ははッ……良い表情するじゃん、リーファ。このまま死ぬ直前まで、絞めててあげようか?」
愉しそうにウニベルが問い掛ける。当然返事はない。
とそこで、ウニベルの通信機がピピピと鳴った。
『ウニベル様、後二時間程で全ての月猫族がイタガ星に集まります』
「そ。それじゃあ、こっちもそろそろ向かおうかな。万が一にも取り零しがないようにね」
『畏まりました。すぐに出発準備を整えます』
通信を切れば、ウニベルはリーファの顔面へと手の平を翳す。
「ウッ……ウゥ…………??」
途端に起こる身体の異変に、リーファが訝しむようにウニベルを睨み付けた。
……身体から力が抜ける……ダメージの所為でも、首絞めの所為でもない……何だコレ……??
リーファが不思議に思っている間にも、どんどんと全身の力が抜けていく。
完全にリーファが脱力したのを確認して、ウニベルは上空で待機していた宇宙船へと乗り込んだ。
コックピットの中央に置いてある豪華なソファに腰掛ければ、自身の足下にリーファを転がす。
「ウニベル様。出発準備、完了致しました」
兵士の一人が恭しく頭を下げる。
ウニベルはニヤリと怪しく口角を上げた。
「じゃあ行こうか。イタガ星にね」
* * *
「ゥアア!!……ギッ、ァアア!!……アァアア!!……」
少女の悲鳴が船内に響き渡る。
リーファだ。天井から縄で吊るされたリーファは、相変わらず全身に力が入らないようで、抵抗もままならないまま鞭打ちを続けられていた。既にリーファの周りは血飛沫だらけで、服の至る所が破けている。
「ウニベル様、到着致しました」
部下の報告を受けて、ウニベルが片手を上げた。すると、リーファを打っていた兵士二人が手を止め、鞭を下ろす。
ウニベルはソファから立ち上がると、正面の窓ガラスからハッキリと見える純白の惑星を見つめた。
月猫族達の母星……イタガ星である。
惑星の全貌が窓から一望できる程、イタガ星から距離を取って、船を停めているようだ。
ウニベルは「さて」とリーファに身体を向けた。
血の流し過ぎで蒼白くなったリーファの頬を、ウニベルは愛おしむようにスルリと撫でる。その僅かな刺激で、リーファはピクリと、閉じかけていた瞼を持ち上げた。
真紅の瞳がウニベルを射抜く。
微塵も衰えないリーファの殺気に、ウニベルはゾクリと興奮を覚えた。
「良い瞳だね。屈伏させたくなる。……覚えてる?初めて会った日のこと。君が王家の養子になったことを、俺に挨拶しに来たんだよね。まだ三歳になってすぐだったかな。君は今と変わらない瞳で、俺に殺気を向けていた。そんな幼少期から、初対面の相手に殺気を飛ばすなんてね。流石は宇宙一の蛮族だ。呆れを通り越して感心する程だったけど……でも、同じくらい君に興奮しちゃってさ〜。あの日からずっと……手に入れたくてしょうがなかった……」
ウニベルがリーファの両頬を包み込む。
リーファの背筋にゾクリと悪寒が走った。
ゆっくりとウニベルの顔がリーファの顔へと近付いてくる。後数センチで互いの口がくっ付くというところで、ウニベルは動きを止めた。
「……キスは掃除が終わってからにしようか」
フッと笑みを溢し、ウニベルが一度リーファから離れる。
「今の内にシールド用意しな。どうせなら特等席で観たいからね。惑星の爆発に巻き込まれて、船がダメになったら困る」
「ハッ!直ちに!」
ウニベルの命令で、兵達が慌ただしく作業し始める。
リーファは『惑星の爆発』という単語に、ピクッと耳を反応させた。
……『このままだと、イタガ星諸共月猫族が絶滅しちまう』
ユージュンの言葉がリピートされる。
……ホントに、やるつもりなんだ……イタガ星ごと、月猫族をッ……!!
疑っていた訳ではないが、実際にウニベルの口から聞いたことにより、リーファはギリッと奥歯を噛み締めた。
「……さ、せてッ、堪る、かッ!……ハァ!ハァ!……絶、対にッ……!」
息も絶え絶えにリーファが吠えれば、ウニベルはクルリとにこやかに振り返った。
「『させて堪るか』、ねぇ〜。そんな身体で何ができるわけ?所詮月猫族如きに……俺を殺すことも、母星を護ることも、同種を救うことも……何一つできやしない。教えてあげるよ。この先ずっと……君が成し得ることなんて何もない。何も護れず、何もできず……ただ俺の所有物として、一生を過ごすだけ。ソレが月猫族の運命なんだよ」
金色の瞳が冷たく光を放つ。
次の瞬間、リーファの視界が一気にブレた。目の前でフラッシュを焚かれたみたいに、目がチカチカする。追って、頬から電撃のように痛みが駆け抜けた。
ウニベルに平手打ちされたのだ。
「ッ〜〜!!」
ジンジンと熱を帯びて来る頬に、リーファは歯を食いしばりながら耐える。
その様を嘲笑うかのように、ウニベルは「ほら」とリーファの顎を持ち上げた。
「抵抗一つできないでしょ?……イタガ星は消滅する。月猫族はリーファを除いて、今日全滅する。リーファの目の前で見せてあげるから……しっかり脳内に焼き付けといてよ。自分がいかに無力で、月猫族がいかに小っぽけな存在だったかをさ」
「……ッお前、なんかにッ……ウゥ……ゥアアアアアア!!!」
「!!?」
ウニベルが目を見開く。
力が抜けていた筈のリーファが、突如として縄を引き千切ったのだ。
床に爪先が着くと同時に、リーファはウニベル目掛けて突進する。ウニベルの鼻先直前で方向転換すれば、目にも留まらぬ速さでウニベルの背後へと回り、勢いそのままに回し蹴りを喰らわせた。
「ッ!!」
リーファが歯軋りを溢す。
意表を突いた筈の攻撃は、ウニベルの尻尾に受け止められ、ウニベル本体には傷一つ付いていなかった。そのままウニベルの尻尾に足を絡め取られると、宇宙船の壁に叩き付けられる。
「ガハッ!!……ッ痛……」
大人しくなったところで、再度ウニベルが手の平をリーファへ翳せば、またもやリーファの身体から力が抜けていった。
「……おかしいな。さっき全部抜いた筈なんだけど……俺、リーファにエネルギー戻したっけ?」
ウニベルが首を傾げる。結局答えを出さないまま、「まあ良いか」とリーファの首に尻尾を巻き付けた。リーファの身体を持ち上げ、自身の目の前まで持って来る。
「そんなに焦らなくたって、心配要らないよ。イタガ星の消滅は始まりに過ぎない。これからゆっくり時間を掛けて、リーファのココロを空っぽにしてあげる。故郷も同種も、種族の誇りも……全部どうでも良くなって、最終的に君の全てが“ウニベル”で埋め尽くされる。今感じてる感情は全部無くなるよ」
歪に笑うウニベルの瞳を、リーファが閉じそうになっている目で睥睨する。
その時、モニターを監視していた兵士から「ウニベル様」と声が上がった。
「全ての月猫族がイタガ星に集まりました」
「!!……ッ」
リーファの瞳孔が開かれる。
このままではマズいと必死に身を捩るが、ウニベルの尻尾は微動だにしない。
「おっ、予定より早くショーを始められそうだね。ハッチを開けて、エネルギー全開でシールド展開。目障りだった月猫族とも、漸くお別れだ」
「「「ハッ!!」」」
* * *
宇宙船上部のハッチが開き、中からウニベルが出て来る。その隣には、首にウニベルの尻尾を巻き付けられたリーファ。
二人の視界には、真っ暗な宇宙空間……その中で白く輝くイタガ星が浮かんでいる。
「……さて、この惑星もコレで見納めだね。リーファ、別れの挨拶くらいの時間はあげるよ」
「ほら」と、ウニベルがリーファの身体を前に出す。
リーファは震える腕を持ち上げ、イタガ星へと手を伸ばした。
……『リーファちゃん!』
リーファの瞼にユーリンの笑顔が映る。イタガ星で、リーファ達の帰りを待っているであろうユーリンの顔を……。
……『来いよ、オヒメサマ。天才だかエリートだか知らねぇが、上には上が居ることを教えてやる』
ユージュン達と出会えた場所。
……『ほら、行くぞ。これから同じ仲間だろ?一緒に地獄の訓練だ』
敵だらけのこの宇宙で、初めて安心できる居場所を見つけられた場所。
……『改めて我が家へようこそ!!これからしばらくよろしくね!リーファちゃん!!』
リーファの……月猫族の帰って来る故郷なのだ。
「……ッ絶対に……滅ぼ、させねッ……オレが……オレがッ!……イタガ星も……月猫族もッ……護って、みせるッ!!」
リーファは手の平にジンシューを生み出した。自分への被害を顧みず、首元のウニベルの尻尾へとジンシューを打ち付ける。
爆音の後、爆煙が二人を覆った。
だがしかし……。
「はぁ……『絶対に無理だ』ってこんなに教えてあげてるのに……月猫族の低脳ぶりには呆れるねぇ。ソレが最期の言葉で良いんだね?」
煙が晴れれば、全く無傷のウニベルが悠長に溜め息を吐いていた。
ダメージすら入っていないようだ。
ウニベルは尻尾に力を入れた。途端に絞まるリーファの首。
「グッ……ゥアッ……」
「やれやれ。ホントはショーを楽しんでもらう為にも、首絞めする気はなかったんだけど……こんなに元気じゃ、しょうがないよね〜。リーファの別れも済んだことだし……」
ウニベルがイタガ星へと手の平を向ける。
すると、ウニベルの手にキラキラと輝く粒子が集まり出した。粒は段々と巨大な球体へと成長していく。
仕組みはわからずとも、球体が膨大なエネルギーの玉であることがリーファにはわかった。惑星一つを簡単に滅せられる程のエネルギー弾だと……。
「ッ……ヴッ、グァ……ッ!!!」
呼吸を阻まれ、上手く息が吸えない中、それでもリーファは必死に手を伸ばす。
「さあ、最高のショータイムだ」
「ッやめ……!!」
「じゃあね、月猫族」
リーファの身体を横切って、莫大なエネルギーボールがイタガ星へと向かって行く。
……やめろッ!……嫌だッ……嫌ッ……!!
手が……身体全体が震える。
伸ばした手は空を切るだけで、何処にも届かない。何も掴めない。
「ヤダ……ヤダァ!……ッ…………」
エネルギー弾がイタガ星へと沈む。
惑星の核が破壊され、イタガ星は内側から幾つもの火柱を立てて爆発した。
「ァ……ァア……ッ!!!!」
目の前で故郷が花火のように散って逝く。
その火花すら手にすることはできない。
「ッ………………」
暴風のような爆風に煽られながら、リーファは腕を降ろした。
先程まで確かに存在していたイタガ星は影も形も見当たらない。
完全な無になり、残されたのは何処までも広がっている暗い宇宙空間だけだった――。
* * *
そうしてこの日、イタガ星は消滅した。たった一人を残した全ての月猫族達と共に……。
『宇宙の悪魔』の絶滅は、瞬く間に宇宙中を駆け巡った。
ヴァルテン帝国の脅威は消えずとも、最低最悪の種族が滅んだ事実に、宇宙中の人々が歓喜した。
たった一人、生き残った少女の想いも知らぬまま――。




