番外編 命の恩人《後編》
「父さん!!」
ハオが叫ぶ。
隣ではシアも「月猫族ッ……」と臨戦体勢を取った。
月猫族の男……ユージュンが手にしていた陽鳥族を放り投げる。地面に捨てられた衝撃で、陽鳥族の男が「ウッ……」と呻き声を上げた。どうやらまだ息があるらしい。
「よくも……父さんをォオオオ!!!」
「ッハオ!!」
シアの制止も聞かず、ハオが飛び掛かって行った……がしかし。
「グァッ!!……ッ〜〜〜〜!!!」
「ハオ!!ハオ、しっかり!!」
ハオの拳がユージュンへ届く前に、呆気なく蹴り飛ばされるハオ。シアが駆け寄れば、ハオの左腕が骨折していることに気が付いた。
冷えた眼差しで見下ろしてくるユージュンに、シアがハオを庇うように片腕を広げる。
「……ハオ、俺が気を引く。その間におじさんを連れて逃げるんだ」
シアが小声で告げる。
ハオは左腕を庇いながら「えっ」と、痛みも忘れてシアを見遣った。シアはハオの方を見ることなく、ただユージュンを見据えている。
「な、何言って……いくら何でもそんなのッ……」
ハオがシアの肩を掴む。しかしシアの意見は変わらなかった。「大丈夫」と口元に笑みを浮かべるシア。
「きっと俺も、後で逃げ出してみせるから。お父さんを助けに来たんでしょ?三人一緒に逃げられる相手じゃない。ほら行って」
「ッ……絶対に死ぬなよ!」
「うん!」
ハオが父親の元へと移動を開始すると同時に、シアが火の玉をユージュンに向かって何発も放った。
エネルギーを逆流させた火の玉は、当たれば月猫族といえど無傷では済まない。だが、所詮は狙いも甘い子供の攻撃だ。
ユージュンは溜め息混じりに、その場から姿を消した。
「!?」
焦って辺りを見回すシアだが、すぐ背後にヒヤリとした気配を感じる。
「おい、ガキ。まさか本当にお前一人で、俺を足止めできるとでも思ってんのか?」
「ッ……」
シアは振り返れなかった。
相手の手の平を、自身の背中に押し付けられている。心臓部だ。このままジンシューを撃たれれば、確実に死んでしまうだろう。
しかしユージュンはジンシューを生成することなく、シアの身体から手を離した。シアが不思議に思う間もなく、代わりに手の平をハオ達の方へと向けるユージュン。
考えるよりも先にシアが飛び出した。一瞬遅れて、ユージュンが躊躇なくジンシューを放つ。
「グアッ!!」
何とか間に割り込むことができたシアは、しかし防御が間に合わず、まともにジンシューを喰らってしまった。爆煙が晴れれば、深傷を負って血だらけのシアが姿を見せる。
肩で息をしながら、それでもユージュンから目を逸らさない。
「ほぅ」とユージュンが笑った。
「ガキにしては大した覚悟だな。お前がイカれてんのか、種族そのものがイカれてんのか……まあどっちにしろ、皆殺しが任務だ。ガキだろうと容赦しねぇぞ」
「ッ……」
戦慄するような冷えた殺気に、シアは生唾を呑み込む。
明確な“死”の予感に、身体が勝手に硬直した……その時だった。
「ダメだよ、ユージュン!!」
「ッ痛!?」
「!!?」
突如、月猫族の女がユージュンの背後から飛び蹴りで現れた。見事背中に直撃し、ユージュンはそのまま地面に突っ伏す。
何が何だかわからず、唖然とするシア。
すぐさま飛び起きたユージュンは、般若も逃げ出す形相で「何しやがんだ、ユーリン!!」と現れた女に抗議し始めた。
だがしかし、月猫族の女……ユーリンは一切怯むことなく、むしろ「『何してる』はこっちのセリフだよ!」と言い返す。
「相手見てみなよ!まだ子供じゃないか!!子供に手を出すなんて最低だよ!!」
「ハァア!?再三説明しただろ!!今回の任務は“皆殺し”なんだよ!!ガキも討伐対象だ!!テメェが殺さねぇのは勝手だが、俺の仕事の邪魔すんじゃねぇよ!!」
「わかってるよ!でもやっぱり嫌なんだ!!子供が殺されるところなんて見たくない!!」
「だっから、あれ程『仮病でも何でも使って休め』っつっただろ!!」
シアそっちのけで、ギャーギャーと言い争う二人。
ポカンと口論を眺めながら、シアは「今の内に逃げようかな」と退路を確認する。
とそこで、ユージュンの舌打ちが聞こえた。逃げようとしていたシアに、手の平が翳される。
「悪いが、今回の仕事は“皆殺し”だ。お前の甘ったれに付き合うわけにいかねぇんだよ」
ユージュンが手の平にジンシューを作っていく。
反射的に目を瞑ったシアだが、いつまで経っても来ない痛みにソッと目を開いた。
そして驚愕する。
キラキラと輝く金色の髪が目の前で靡いていた。その奥には、イライラと後頭部を掻いているユージュンの姿。
ユーリンがユージュンとシアの間に立ち塞がり、何と陽鳥族を庇っていたのだ。
「……そこ退け」
「嫌だ」
「ッいい加減にしろよ、ユーリン。下手すりゃ、お前が他の月猫族に殺されるんだぞ?」
「わかってる。でもさ……月猫族は蛮族じゃないんだよ!!こんな闘えもしない子供に手を出して、それでも誇り高き戦士の一族かい!!?闘えない人を戦場で死なせたら、戦士の恥だよ!!」
ユーリンが叫ぶ。
シアは鳩が豆鉄砲を喰らったような表情を浮かべて、ただユーリンの背中を見つめていた。
「仕事なんだからしょうがねぇだろ!!討伐対象以外は俺だって殺さねぇよ!!」
「ユージュン!!」
「ッ〜〜……ダァアア!!今回だけだぞ!!」
結局ユージュンの方が折れてしまった。パァアとユーリンの表情が明るくなる。
盛大に舌打ちを溢しながら背中を向けるユージュンに対して、ユーリンは優しい笑みでシアの方へと振り返った。
「ごめんね。怨んでくれて良いから……どうか生きて欲しい。どの口がって話なんだけどね」
言いながら、ユーリンは自身の髪を結んであった黒のリボンを一つ解き、血が滲んでいるシアの膝へと巻き付ける。そして、緊急脱出用の宇宙カプセルが収録された腕輪をシアへ手渡した。
「生かして、くれるの?……子供だから……?」
シアが首を傾げる。訝しむ眼差しだ。
当然の疑問なので、ユーリンは眉を下げて、困ったように微笑む。
「意味わかんないよね。自分達で他所様の惑星までやって来て侵略してるのに、『殺されるところが見たくない』なんて……理解できないよね。罪滅ぼしのつもりじゃないんだ。どうしてこんなことをするのか、わかって欲しい訳でもない。コレは私の自己満足だから……ただ、私の我儘に付き合って欲しいだけ。理由がちゃんと言えなくてごめんね」
「…………」
シアは押し黙る。
理解はできないが、ユーリンの表情から悪意や敵意が一切無いことを悟った。
だからこそわからない。
……何でそんなに悲しそうな表情をしているのに、こんなことを……?
その時、遠くの方で盛大な爆発音が聞こえた。
音の方へと視線を向ければ、街から離れた山奥から黒煙が立っている。陽鳥族が避難しているシェルターの方角だ。
弾かれたように、シアは翼を羽ばたかせた……がしかし、シアの腕をユーリンが掴む。
「離してッ!あっちには皆がッ!……」
「……今行っても、君が殺されちゃうだけだよ……」
「ッ子供は殺したくないんじゃなかったの!?あそこに避難していたのは、殆どが子供だよ!!闘えない人達ばっかりだった!!良いから離して!!」
シアがユーリンの手を振り払おうと、懸命に腕に力を入れる……がビクともしない。ただ、ユーリンは罪悪感を滲ませた瞳でシアを見つめているだけだ。
とそこで、ユージュンがユーリンの頭に手を乗せる。
「うわっ!?」
下方向に力を入れられ、ユーリンは顔を地面に向けさせられた。
その衝撃でシアの腕を離してしまったようで、シアは今の内にと宙へ舞う。だが、ユージュンに足首を捕まれ、思いきり大地へと叩き付けられてしまった。
「ガハッ!!……ゲホッ!ゴホッ!」
「な、何してるんだい!?ユージュン!!」
ユーリンが顔を青褪めさせるが、ユージュンは知らん顔だ。
シアの目の前まで行き、胸倉を掴み上げる。
「何か勘違いしてねぇか?月猫族は善人じゃねぇ。他種族の方が良くわかってる筈だろ。同種の所に逝きてぇなら勝手にしろよ。一人だけ助かる気がないなら、今ここで自殺でも何でもすれば良い。好都合だ。こっちは『全滅させろ』って任務を受けてんだからなぁ。どっかの甘ったれを庇うのも楽じゃねぇんだ」
「ッ…………」
ユージュンの瞳が冷たく細められた。
「選べ。全て棄てて生き延びるか、今ここで死ぬか。好きな方を選ばせてやるよ」
紛れもなく悪人の言葉だった。
奥のユーリンも何も言わない。
シアの頭の中には、様々な疑問が浮かび上がって来るだけだ。
「……な、んで……」
震える声で、潤んだ目元で、シアがユージュンを睨み付ける。
「何で俺だけ……月猫族と陽鳥族はずっと昔から争ってきた。月猫族のことを言えないくらい、陽鳥族だって月猫族の同種を沢山殺してる。だから、陽鳥族を攻撃する理由はわかるんだ。でも……なら、どうして俺だけ生かしてくれるの?どうして……」
シアの脳内に、先程の二人の会話がリピートされる。
……『子供が殺されるところなんて見たくない!!』
……『仕事なんだからしょうがねぇだろ!!』
殺しを望んでいる人達のセリフじゃなかった。
ならば何故、殺し合いをするのか。
シアを助けようとする心があるのに、何故闘うことを止めないのか。
死を望まれてすらいないのに、殺されていった人達は報われないどころの話じゃない。
シアの疑問は、次第に憤りへと形を変えていく。
ユージュンはコレに、大きな溜め息で持って答えた。
「一つ言っておくぞ。殺し殺されが当たり前の戦場で、月猫族が私怨で闘ったことなんざ殆どねぇよ。……死んだ奴は運が悪かった。生き残ってる奴は運が良かった。ただソレだけだ。月猫族も他種族も変わらねぇ。それが戦場だろ。……どうせ他種族には理解できねぇよ。」
ユージュンが吐き捨てる。
……『私怨で闘ったことがない』……なら、陽鳥族のことを怨んでないの……?怨みもないのに殺せるの?仕事だから?……月猫族は一体何を考えてるの……。
シアはグッと奥歯を噛み締める。
ユージュンの腕を震える両手で掴んだ。
「『理解できない』なんて、勝手に決め付けないでよッ……理由もわからず同種を殺されて、納得なんてできる訳ない!……本当は人殺しなんてしたくないんでしょ!?宇宙中の人達から嫌われてまで……月猫族は何を考えてこんな酷いことをしてるんだ!?」
シアの瞳とユージュンの瞳が交差する。
「「ッ!!」」
ユージュンとユーリンがピクリと耳を反応させた。
次いで、シア目掛けて飛んで来るジンシュー。咄嗟にユーリンがジンシューで撃ち落とせば、「おいおい」と瓦礫の影から月猫族の男が現れた。
「そんな餓鬼相手に、何をちんたらしてんだ?最下位サマよぉ」
金髪と黒髪の割合が殆ど変わらない髪色……若干金色が多いところを見るに、レベルの低い上位戦士のようだ。
ユージュンは「ぁあ?」と地を這う低音ボイスで、相手のニヤケ面を睥睨する。
「テメェ、誰の獲物横取りしようとしてんだ?」
「餓鬼の始末程度にモタモタしてるからだろ?最下位戦士が上位戦士である俺様に向かって、随分と偉そうな口聞いてんじゃねぇか。足手纏いになるようなら、テメェから殺してやっても良いんだぞ?」
「……」
月猫族二人が睨み合う。
一触即発の雰囲気が漂っていた。月猫族同士だというのに、お互い本気の殺意をぶつけているようだ。
ふと、男がその場から姿を消した。
「ウワッ!?」
突然襲った身体の浮遊感に、シアが状況に付いて行けず瞬きを繰り返す。気付けばシアはユーリンに抱き止められており、ユージュンから放り投げられたことが遅れてわかった。続けて、先程までシアの頭が在った位置に、月猫族の男が拳を突き出していることを知る。
ゆらりと、月猫族の男は拳を降ろして、ユージュンへ鋭い視線を向けた。
「血迷ってんのか?何、陽鳥族の餓鬼を庇ってんだよ!?最下位戦士サマは餓鬼一人殺すことすらできないってェ!?」
「……はぁああ……だから皆殺しの任務にユーリンを連れて来たくなかったんだよ……」
「ぁあ?何をブツブツ言っ……ガッ!……ゴボッ!!」
男の口から盛大に血が噴き出される。
それもその筈で、男の心臓部をユージュンの腕が貫通していた。顔色一つ変えずに、ユージュンはさっさと男の身体から腕を引き抜く。と同時に、男は地面に倒れた。血溜まりが緑に覆われた大地を赤く染めていく。
「…………」
アッサリと人を殺してみせたユージュンを、シアは感情の追い付いていない頭で眺めていた。
血で汚れた腕を拭うことなく、ユージュンは「何も考えちゃいねぇさ」とシアへ視線を向ける。
「闘うことしかできねぇから、この運命を選んだ。他の奴らにどう思われようと、周りにどれだけ死体を積もうと、俺達に『闘いを止める』なんて選択肢は最初から存在しねぇんだよ。理解も同情も要らねぇ。月猫族が憎いなら、殺しに来れば良い。……『殺す理由』?そんなの知ってどうする。正当な理由でもあれば、許してもらえるって?何を並べたって、納得なんざできねぇだろ。なら初めから聞くんじゃねぇよ。他種族はお綺麗なまま、月猫族のことを嫌って、憎んで、怨んで……拒絶して生きてりゃ良いんだ」
ユージュンはそのまま踵を返した。
明確な線引き……深入りしてくるなと暗に告げているのだろう。
ユーリンもシアを「ごめんね」と降ろし、ユージュンの後を追う。
……わかってるんだ。月猫族がやってることが、許されないことだって……わかってて、代償も理解して……それでも月猫族は……。
シアは無意識の内に口を開けていた。
「……寂しく、ないの?……宇宙中敵だらけで、同種であっても平気で殺せて……悲しくないの?」
思った以上に縋るような声になってしまう。
ユージュンは振り返らない。立ち止まらない。
答える気はないようだ。
代わりにユーリンがクルリと、シアに向けて微笑み掛けた。
「悲しむ資格もない。そういう選択だから……ソレが勝手をしてるケジメ。嫌われて、憎まれて……誰にも受け入れられなくて当然なんだよ。じゃあ、元気でね。大きくなって、月猫族のことを殺せるくらい強くなったら、いつでも復讐しにおいで」
そう告げれば、ユーリンはユージュンの隣まで駆けて行く。
もう二人がシアの方を振り向くことはない。
シアは自身の膝に巻かれたリボンをギュッと握った。
「……ッ俺は怨まないから!!!」
気が付けば、シアは思わず叫んでいた。
予想だにしていなかった切り返しに、二人はピタリと足を止める。
「月猫族のこと!嫌わないし、憎まない!!どんな事情でも受け入れる!!理解してみせる!!納得できなかったら、できるまで何度でもぶつかってやるさ!!『綺麗なまま拒絶してろ』って言うなら、泥に塗れてでもその手を掴みに行く!!『その選択しか無かった』って言うなら、俺が月猫族の選択肢を増やしてみせる!!ソレが俺の復讐だから!!絶対に殺さない!!殺させない!!今度は俺が月猫族を助けるから!!生かしてみせるから!!もう二度と『嫌われ者で良い』なんて言えないくらい!俺が月猫族の味方になりに行くから!!だから……覚悟して待っててよ!いつか必ず、月猫族の価値観壊して、今日俺を生かしたことを後悔させてあげる!!約束だから!!」
感情のまま叫び、シアが「ハァ!ハァ!」と肩で息を繰り返す。
ユーリンが何とも言えない表情で、シアへと首だけ振り向ける中、ユージュンは変わらず背中を見せたままだった。
数秒静けさが三人を襲う。
沈黙を破ったのはユージュンだ。
「やれるもんなら、やってみろ」
そうしてユージュンは去って行く。
* * *
後に一人取り残されたシアは、ユーリンから貰った宇宙カプセルでドーバ星を脱出した。
人知れずシアが生き残ったとは夢にも思わず、月猫族達は陽鳥族を絶滅させた。
そしてその数年後……月猫族もまた、母星であるイタガ星と共に全滅してしまう。
シアの約束は果たされぬまま……そうして現在。月猫族の生き残りであるリーファと出会うのであった――。
……『地球で暮らさない?俺に君の望みを叶える手伝いをさせてよ』




