芽生えた感情
……『ウゥッ……許さない……許さないぞ、月猫族……いつか必ずッ!お前達を一人残らず殺しに行ってやるからな!!!』
あの日、ユージュンに止められなければ、間違いなくオレは子供を殺していた――。
* * *
「もしかしてさ〜……難民如きに情でも湧いちゃった?」
ジアンから尋ねられる。
一瞬何を聞かれたかもわからなかった。
「…………あ?」
長い沈黙の後で、リーファの口から間抜けな声が漏れる。その表情には、ありありと「何意味のわからないこと、言ってんだ?」と書かれてあった。
どうやら無自覚らしいので、ジアンは「だってさ〜」と人差し指を空に向けてクルクル回す。
「全然難民に反撃しないじゃ〜ん。何なら自滅しそうなところを庇うし……何より我輩のことを殺しに来ない上に、さっきなんて“暗樹”に攻撃してたしね〜。“暗樹”を破壊する前に我輩を殺したら、もう二度と暗示が解けなくなっちゃうからでしょ〜?ソレってさ〜……『難民共に掛けられた暗示を解きたい』ってことだよね?」
「…………」
リーファは反応を示さない。
ジアンはニヤリと、怪しく笑みを深めた。
「リーファちゃん、言ってたよね?『何でさっさと難民共を自死させないのか?』って……どうしてわざわざ超能力を使ってまで、リーファちゃんに難民掃除をさせたいのかわからないんでしょ?」
コテンと首を傾げるジアン。「教えてあげるよ〜」と立てた人差し指を口元まで持って行く。
「さっき『ウニベル様からもう一つ命令されてる』って言ったよね〜。確かにリーファちゃんの言う通り、『難民の始末』に関する命令だよ〜。でも、難民を片付けるのは我輩の仕事じゃない。ウニベル様が仰ってた命令はこう……
『もしジアンが難民の星に着いて、まだリーファ(ちゃん)が滞在してたら……難民如きに情なんて湧いていたとしたら……情ごと、くだらない縁をリーファ(ちゃん)自身に断ち切らせて来い』
……ってね〜。月猫族への憎悪や殺意を増幅させるのも、こんな風に月猫族を侮辱するような暗示を掛けているのも……ぜ〜んぶ!リーファちゃんに難民共と決別させる為、ウニベル様から指示されたことなんだよ〜!」
「…………」
溌剌と言われたカミングアウト。
リーファは唖然とした表情のまま、開いた口が塞がらなかった。
気にせずジアンは「でもさ〜」と続ける。
「命令を受けた時、『有り得ないでしょ〜』って思ったんだよ〜。だってそうじゃない?月猫族だよ〜?月猫族って、帝国軍の中でもずば抜けて非情だったじゃ〜ん。そんな月猫族が難民に情を掛けるなんて、ある筈ないでしょ〜。でも、現に今……リーファちゃんは、そんな奴らを助けようとしてる。我輩に掛けられた暗示を解こうとしてる。情が移った証拠じゃないの〜?」
「……別に町の連中に情が湧いた訳じゃ…………?」
リーファが言葉に詰まる。
町の人達を殺さないのは、仕事でもなければ復讐でもないからだ。闘えない者や闘う覚悟がない者を殺すことは、月猫族の誇りに反する。ただソレだけである。
だがジアンの言う通り、本当にソレだけならば、暗示のことまで気にする必要はない。
ジアンを殺して、町の人達に掛けられた暗示が解けなくなったとしても、リーファにそれ程のデメリットは残らないのだ。いつまでも月猫族の幻影と殺し合いをされるのは腹立たしいが、直接的な害ではない。
さっさと帝国軍幹部を殺し、ヴァルテン帝国の戦力を削る方がよっぽどか得策である。
にも関わらず、リーファはジアンを殺すことを躊躇していた。わざわざ体力の無駄遣いであると知りながら、“暗樹”に特大のジンシューを打つけ、暗示を解こうとしていた。
情が湧いた訳ではない……ない筈だが……。
リーファの心を見透かすように、ジアンが「ねぇ」と口を開く。
「もし『情なんかじゃない』って言うなら、教えてよ〜。何で難民を庇ってるの?」
「ソ、レは…………」
リーファが言い淀む。
……『俺は“仕事”だから護るんじゃない。大切な人達だから護りたいんだよ』
ふとシアの言葉が頭を過った。
……そうだ。あいつが『護りたい』って思ってる奴らだから庇って……??……何であいつが護りたい奴らを、私が庇ってるんだ?私には関係ない筈だろ……?
しかし、リーファの瞼の裏にはシアの笑顔が焼き付いている。
……『どんな事情があったって、自分の身を犠牲になんてしないで。一人で解決できないなら、俺に相談して。お願いだから……もう二度と「死んでも良いか」なんて思わないでよ』
……『できる限り傷付いてほしくないし、闘ってほしくない。自分の身体をもっと大事にしてほしいし、もっと俺のことを頼ってほしい』
……『俺にとっては、月猫族は故郷を滅ぼした蛮族じゃなくて、誇り高き戦士だよ』
リーファの頭の中に、シアから告げられた言葉が浮かんでは消えていく。
いつだってシアはリーファのことを想ってくれていた。
理由はリーファにもわからない。シアにとってのリーファは仇の筈だ。町の人達と同じく、月猫族を怨んで然るべきである。間違っても『誇り高き戦士だ』なんて言わない筈なのだ。
それでもシアはハッキリと告げてくれた。
……そうだ……初めてだったんだ。他種族の奴にそんなこと、言われたのは……本当はオレ……すっげぇ嬉しかったんだ……。
リーファの内心で漸く腑に落ちる。
その瞳は真っ直ぐと強い光を放っていた。
リーファは決意を固めた表情でジアンを見下ろす。そして「ハッ」と鼻で嗤った。
「お前に教えてやる義理はねぇよ!!どうせ理解できないだろうしな!一生悩んで、くだらない妄言でも吐いてろ!」
思いきり小馬鹿にされ、ジアンは口を閉ざした。
すぐに「口が悪いな〜」と、冷えた声で前髪を掻き上げれば、瞳孔の開いた目でリーファを睨み付ける。
「そっか……まあ、どっちでも良いや〜。リーファちゃんがどう思ってようと、任務は変わらないもんね〜。どんな理由か知らないけど、自分の命より大切なモノなんてないでしょ〜」
ジアンはすっかり元の調子を取り戻すと、パチンと指を鳴らす。
背筋を駆け抜けた悪寒に、咄嗟にリーファはその場を離れた。
一瞬見えたのは赤い炎。
「…………」
リーファの目の前に“天使”が降りて来る。
町の人達と同じく据わった瞳。
……見かけないと思ったら……。
特段驚きもせず、リーファは“天使”……シアと向き合った。
地面では、相変わらずソファの上で寛ぎながら、ジアンが「どう〜?」とケラケラ嗤っている。
「“悪魔”と言ったら“天使”でしょ?大変だったんだよ〜!ソイツ変なの!月猫族への憎悪も殺意も一切無し!だから一人だけ暗示し直しだよ〜!お陰で時間掛かっちゃった〜!」
ジアンの言葉を右から左へ聞き流しながらも、「へぇ」とリーファはシアを見つめる。
……本当に月猫族のこと、怨んでなかったのか……やっぱイカれてるな、こいつ……。
リーファも若干引いていた。
まあ勿論、そんな余裕のある状況ではない。むしろ最悪だ。
ジアンが「ソイツでしょ〜?」と声を上げる。
「リーファちゃんと一緒に幹部を倒して来た奴って〜。流石のリーファちゃんも、陽鳥族相手じゃ『絶対に反撃しない』なんて無理でしょ〜!一人殺せば、二人目も同じだもんね〜!さあ!宿敵ちゃんを殺しちゃってよ〜!」
ジアンの声を合図に、シアが風切り刃を手に構えを取る。
初めて向けられたシアからの殺気に、リーファは口角を上げながら上唇を舐めたのであった。




