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横隔膜ヘルニア


 眠れないなぁ...。

 夜に手術すると、その緊張を引きずっちゃうのか、頭が寝ようとしてくれない。

 手術のときの様子が浮かんできて、あそこはこうすべきだったかなぁ...とか、あれこれ考えちゃう。

 何度も何度も寝返りをうって、もう寝るのをあきらめかけた頃、やっと浅い眠りに入ることができる。

 でも、眠りは永くは続かなくって、しばらくして目を覚ます。

 すると、今度は手術した動物のことが気になって、また頭は覚醒しちゃう...。


 行くか。

 よろよろとベッドから起き上がって、入院室の様子を見るために下へおりていく。


 入院室の扉を静かに開けて、薄明かりの中ケージを覗き込む。

 静かに寝てる...。

 胸は規則正しく上下して、確実に酸素を吸い込んでいる。

 手術前に比べると、呼吸はずっと楽そうだね。




・・・・・・・回想シーン


 夜の診療が終わる頃、ネコちゃんの呼吸状態はさらに悪化していた。

 拾われた生後4ヶ月くらいのネコ。

 おそらく交通事故だろう。

 状態は最悪。

 横隔膜ヘルニア、そして右後肢大腿部骨折、さらに左後肢ぐちゃぐちゃ...。

 生きてゆくためにやらなくてはいけない事は山ほどあるけど、まずは緊急で横隔膜ヘルニアをなんとかしないといけない状況だった。

 横隔膜ヘルニアとは、胸腔と腹腔とを分けている横隔膜が交通事故や落下事故などの衝撃で破れ、腹腔の内臓が胸腔に入ることによって肺を圧迫し呼吸困難や循環障害を起こすものだ。

 明日までもつかな...。

 昼前に、ネコちゃんを拾ったヒトに手術の必要性を説明したけど、相談すると言ったものの、いまだに連絡はなかった。

 まぁ、拾ったのはいいけど、治療の費用とかその後の世話の問題とか、簡単にはいかないよね。


 そのまま診療が終わって後片付けをしていたら、やっと電話があった。

 「ずっと面倒みますので、手術お願いします」

 Goサインが出た。

 よかったねぇ、優しい人で。

 それならば、すぐにでもやってあげなきゃ。

 ひょっとしたら無駄になるかもって思ったけど、手術器具の準備はしておいたんだよね。


 慌ただしく手術前の準備して、麻酔の前に十分酸素を吸わせ、導入。

 案の定、呼吸止まる。

 挿管して麻酔器に繋ぐと、舞ちゃんがすぐに人工呼吸を始めた。

 「SPO2とCO2に注意してね」

 舞ちゃんが「はい」とうなずく。

 点滴と麻酔の管理は舞ちゃんに任せて、わたしは術野の準備をはじめる。

 胸から内股まで大きく毛刈りをして、イソジンで消毒を数回繰り返す。

 ドレーピングして、とっとと手術開始!


 剣状突起から恥骨近くまで皮膚を大きく切開、さらに筋肉の白線を切開し、腹腔内まで到達、開創器をかけ、内臓の位置を確認する。

 肝臓、脾臓、胃、腸の一部が胸腔内に入ってる。

 やさしくずるずると引きずり出す。

 すべてを引きずり出すと、胸の奥には肩身の狭い思いをしていた肺が見えた。

 そして、中央にはピコピコと元気良く動く小さな心臓。

 舞ちゃんがゆっくりと麻酔器のバッグを押して人工呼吸を続ける。バッグに呼応して肺が膨らむ。

 破れた横隔膜を探す。

 おーい、横隔膜どこいった?

 左側は横隔膜全くなし。胸骨側はどこについていたかも分かんない。

 右の奥を探してやっと小さくよれた横隔膜を発見。

 すごい勢いで破れたんだろうね。


 かろうじて横隔膜とわかる破片をパズルを合わせるように縫っていく。

 肺を傷つけないように、横隔膜に針をかけるときは人工呼吸のバッグを押すのを止めてもらうけど、時々自発呼吸が出て胸の動きに合わせて肝臓が動く。ガーゼで寄せてはいるんだけど、針で刺さないように気を使う。

 横隔膜ヘルニアの手術って、奥を横から覗き込むような姿勢になるので、いつも首が痛くなるんだよね。


 縫合が進むにつれ、徐々に横隔膜が出来上がってくる。

 この表面の感じって、砂肝に似てるね。

 こんなことを考えられるのは、余裕がある証拠だ。

 最後にエア抜きのために胸腔にカテーテルを入れて、バッグで肺を膨らませてもらって最後の1糸を結紮。

 縫合終了。

 自発呼吸もしっかりと出ている。

 SPO2(酸素飽和度)は98で良好。

 横隔膜ヘルニアはこれで大丈夫。


 次は、腹部臓器の確認。

 背側の腹壁に内出血があるけど、問題なさそう。脾臓、肝臓、腎臓、膀胱も大丈夫。

 あれ?

 なにこれ?

 アコーデオン状に縮れた小腸。

 ひょっとして腸の中で糸が絡んでる?

 紐状のものが腸の中で引っかかっていると、このような状態になるのだ。

 何か変なものでも食べたのかな?

 ノラさんだから、分からないよね。

 もしも糸なら、蠕動によって腸の粘膜が切れて穴が開くかもしれない。

 仕方がないのでちょっと切開。鉗子を入れて探る。

 手応えがあって引っ張り出す。

 げっ、なんと、回虫ゲット...。

 ヒト騒がせな!

 急いで腸の縫合。もう、早く終わりたいのに...。


 さあ、腹壁を縫合、ってところで、舞ちゃんが慌て出す。

 「SPO2下がってきてます」

 見ると90をきってる。...ったく、へんな寄り道してるから...。

 「プローブ付け直してみて」

 その間にもどんどん下がる。

 「回路抜けてない?」

 まるでカウントダウンをしているように下がっていくSPO2。

 モニターのアラーム鳴りっぱなし。

 手術室ソーゼン!!

 さらに下がるSPO2。

 えー、62まで下がっちゃたよ。

 どーなってるの?

 せっかくここまで来たのに。

 焦るな、落ち着け。

 どこかに原因は必ずあるはず。

 どこだ。

 麻酔器から繋がる回路、モニター、術野、ひとつひとつ問題がないか確認する。

 わからない。

 さらに下がるSPO2。

 このまま縫合を進めて早く手術を終わったほうがいいか。

 いや、そんな時間はない。

 どうしたらいい?

 鳴り響くアラーム音。

 もう、アラームうるさい!


 「胸が膨らまないみたいなんですけど」

 バッグを押していた舞ちゃんが言った。

 ひょっとして、エアー入った?

 「ディスポちょうだい!」

 胸腔に入れたカテーテルに注射器をつけて抜いてみる。

 すっとエアーが抜けてきた。

 これか!

 気胸を起こしたんだ。

 胸腔には空気があってはいけない。空気があるといくら呼吸をしようとしても肺が膨らまないので、体の酸素が足らなくなってくるのだ。

 何度も何度も空気を抜く。


 とても長く感じる時間。かなりエアーが抜けた。

 細かく縫ったつもりだったけど、どこかに縫合の緩いところがあるんだ。

 お腹をすぐに閉じてれば問題にならなかっただろうけど、寄り道してたからなぁ。

 「あがってきました... 」

 なんとかアラームが止まるくらいまで回復。

 呼吸も落ち着いた。

 ゆっくりとさらにSPO2があがっていく。

 ああ、良かった。

 こわかったねぇ…。どーなるかと思った。


 横隔膜の縫合部をもう一度確認して、怪しいところに一糸かける。

 あとはおなかを閉じちゃえば大丈夫でしょ。

 気を抜けないまま、いつものように大きくお腹を開いたことをちょっと後悔しながら、急いで縫合していく。

 最後にもう一度カテーテルからエアーを抜いて手術終了。

 念のため、カテーテルは残しておこう。

 SPO2に注意しながら抜管。その後、マスクで酸素を吸わす。



 入院室に移したあともまだ心配な状態なので、舞ちゃんが帰ったあと、しばらくつき合うつもりで1階で一人ぼーっと過ごす。

 風邪気味だったから、早く寝たかったんだけどな...。

 でも、こーいう時って、手術が終わるとなぜか体調が戻ってたりする。緊張のせいなのかな?

 時計を見たら、11時半だった。

 



 そして、寝不足の朝。

 今朝の診療、ちょーヒマだった...。

 神様が『休みなさい』って、言ってくれたのかな?

 でも、そこまで休ませていただかなくてもいいんですけどぉ。


 でもって、一日分の患者さんが夜に来たのには、ほんとまいった...。

 ヘロヘロになりながら診察を終え、診察室の椅子に座り込む。


 「横隔膜ヘルニアのネコちゃん、フード欲しいっていってるんですけど、あげていいですか?」と、舞ちゃん。

 「まだだめ、腸開けちゃったから...」

 せっかく食欲が出たのに、食べれなくてごめんねぇ...。




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