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うめちゃん その1


 診察台の上で横たわるミニチュアダックスのうめちゃんは、深く大きな呼吸を繰り返し、口からだらりと出た舌は真っ白だった。

 これで2度目の虚脱だ。

 「なんとか、お願いします」

 おとうさんが顔を歪めながら、そう言った。



 1度目の虚脱は1ヶ月ほど前だった。

 急に倒れたと言うことで、高橋さんがうめちゃんを抱きながら慌てて病院にやって来たのは、午前の診療が終わる直前だった。

 いつもはおかあさんがうめちゃんを連れて来ていたのに、その時はおとうさんだった。

 ちょっと不思議に思ったけど、うめちゃんの状態があまりに悪かったのでそれ以上気にはかけなかった。

 虚脱の原因は、心タンポナーデだった。

 心臓を取り巻く膜の中に血液が溜まり、心臓を圧迫することによって心臓の動きを邪魔してしまうのだ。

 すぐに心嚢内に針を刺し溜まった血液を抜くと、うめちゃんは先ほどの苦しさが嘘のように回復した。

 しかし、安心してはいられなかった。うめちゃんの調子が戻り安堵する高橋さんに、場合によってはかなり厳しいかもしれないと言うことを告げなくてはいけなかったのだ。

 悪性の腫瘍、血管肉腫の可能性。

 わたしは淡々と説明をした。

 「もし悪性の腫瘍だった場合、どれくらい生きられますか?」

 高橋さんがうめちゃんからわたしに視線を移して聞いてきた。

 「もしそうなら、3ヶ月程度かもしれません」

 少し間があって・・・。

 「実は、うちの妻が今入院していまして・・・」

 そうか、だからおとうさんが連れてきたんだ。

 「うめは妻がとても可愛がっていたので」

 そうだね、おかあさんが退院した時に元気でいなきゃね。

 「せめて妻が亡くなる前に、うめが死ぬなんてことがないように出来ないでしょうか」

 え・・・

 お母さん、そんなに悪いんだ・・・

 まぁ、心タンポナーデすべてが血管肉腫ってわけじゃないから。

 念のため、2次病院への紹介も提案したけど、おかあさんのこともあってか、無理させずに少し経過を見るとのことだった。



 そして、今、再び虚脱状態で運ばれてきたのだ。

 舞ちゃんに酸素の指示を出し、少し毛の伸びてきた前回の穿刺の跡に再びバリカンをかける。

 エコーのプローブを当てると、モニターには丸い影の中で押し潰されて小さくなった心臓が弱々しく拍動していた。

 「結構溜まっている」

 すぐに心臓周囲の液体を抜かないと、いつ心臓が止まってもおかしくない状態だった。

 エコーのモニターで心嚢までの深さを測る。

 深さ16ミリ、心臓に直接当たらないように、角度を間違えなければ30ミリの留置針の外筒を根元まで入れても大丈夫。

 狙いを定め、一気に留置針をうめちゃんの胸に刺した。

 血液の逆流を確認。

 内側の針を抜きながら外筒を根本まで進める。

 心臓の拍動が留置針を通して伝わってくる。柔軟性のある針なので心臓を傷つけるようなことはないと思うけど、ちょっと怖い。

 血液が溢れてくる留置針にプラグをつけ、そのプラグに注射器につながるチューブを取り付けゆっくりを心嚢内の血液を吸い出す。

 がんばれ!

 まだ、死んじゃダメだから。

 「妻が入院している」・・・、前回の時に聞いたおとうさんの言葉が浮かんだ。

 1回目の吸引。20ccの注射器が一杯になり交換。

 2回目、さらに20cc。

 3回目、5ccくらいのところから抜けなくなる。

 針先が血液に届いていないと考え、留置針を胸に少し押し込む。そこからさらに10ccほど抜けた。

 その頃には、チアノーゼもなくなり、呼吸も落ち着いてきていた。

 エコーで確認すると、心臓の周囲の黒い影はほとんどなくなり、圧迫がなくなった心臓は軽やかに動いているように感じられた。

 とりあえず一安心。

 うめちゃんの状態が落ち着いたので、エコーでゆっくりと心臓を映し出す。

 心臓の表面の一部が少し不整のような気がする。

 今度は腹部。

 「肝臓、脾臓・・・大丈夫」

 「血管肉腫じゃないのかな?」

 多くの場合、脾臓や肝臓に血管肉腫が出来、そこから心臓に転移する。まれに心臓だけに出来ることもあった。

 心臓の表面の不整な状態は腫瘍を思わせたが、明らかに脾臓や肝臓に病変は見つからなかった。

 「それとも、心臓が原発なのかな?」

 

 待合室で待っていたおとうさんを診察室に呼ぶ。

 うめちゃんはおとうさんを見ると立ち上がりシッポを思いっきり振った。

 「しばらくお預かりしますね」

 見た目は元気そうだけど、この状態で帰すのはかなり心配だった。

 「お願いします」

 おとうさんはそう言って頭を下げると、うめちゃんの頭を優しく撫でたあと診察室を出て行った。


 

 2日後、点滴を噛み切るくらいに元気の出たうめちゃんは、おとうさん、息子さんそして娘さんのお迎えで退院して行った。

 帰り際、お父さんが嬉しそうに言った。

 「明日、妻が一時退院して来るんです」


 今日のうめちゃんの退院も治ったからではない。

 いつ何時、また出血があるか分からない。

 それは、数ヶ月後かもしれないし、ひょっとしたら家に戻ってすぐかもしれない。

 確定診断をつけるべきか?

 でも、山田さんがそれを望まなければ、うめちゃんに負担をかけるだけで、診断がついてもあまり意味はないかもしれない。

 カルテを書きながら、そんなことを思った。


 

 それから3週間ほど、山田さんはこまめにうめちゃんの状態を電話で知らせてくれた。ずっと元気な様子で、ちょっと安心していた。

 けど、最後に電話があった日から1週間ほど何も連絡がなかった。今まで2、3日ごとに連絡があったのに。

 何かあったのかな?

 さらにそれから3日ほどしてやっと電話があった。

 娘さんからだった。

 「電話できずに申し訳ありませんでした。うめはずっと元気です」

 その言葉にわたしはほっとした。

 「あの、一昨日、母が亡くなりました」

 しばらく電話がなかった理由を、わたしは理解した。

 「母は、亡くなる直前に一時退院出来て、元気なうめの姿を見てほんとに喜んでました」

 涙声で話す娘さんに、わたしはうまく言葉をかけることができなかった。

 

 電話を切った後も、しばらくわたしはうめちゃん のことを考えていた。

 いつ亡くなってもおかしくないような状態だったのにな。

 あんな状態から回復してずっと元気なのは、ひょっとしておかあさんのためだったのかな?

 それとも、おかあさんがうめちゃんを守っていたのかな?

 わたしは、動物を擬人化したりして感動を誘うようなことが大っ嫌いだ。でも、今回のことは、状態から考えて何か不思議な力が働いているような気がしてならなかった。



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