シマガミサマ
部屋から出る間際、部屋の端に置かれた姿見に映った自分の姿が一瞬写って、ゾッとして悲鳴も出なかった。
私の髪の毛が、メッシュを入れたみたいに、所々白髪になっていたの。
さっき、お婆さんが髪が縞々にって言っていたのは多分このことね。
そう冷静に思い返せるようになったのは、もっと後に成ってからだけど……。
そして、昨日最初に案内された金のふすまの部屋に連れていかれ、一段高くなっている上座に一人座らされると、大勢の大人の人が入って来た。
「それではシマガミ様、改めてご挨拶をさせて頂きます」
そう言うと、昨日私を屋敷に招き入れた男の人が、額を畳にこすりつける様に土下座をして、自分が当主であるとかなんとか……他にも色々と難しい言葉遣いで、何か言っていたとは思うんだけど、何一つ理解も出来なかったし、覚えても居ないわ。
ふと、その土下座をしたまま、難しい言葉を並べる当主の傍らに立つ小さな人影。
まるで市松人形の様な、五歳くらいの和服の少女。
でも、普通の子供じゃ無いのは一目瞭然だった。
何しろその子、髪が真っ白だったし、そして…………微かに透けていたわ。
その子がおもむろに、土下座している当主の右側に立って肩に手を添えると、今度はお婆さんの右に立って同じく肩に手を。
それから居並ぶ内の何人かの肩に、同じ様に手を添えて行った。
誰も咎めるどころか、少女の存在に気付いた様子も無かった。
多分、私にしか見えていないんだわ……。
そして、最後に満足した様な顔で私に微笑むと、スーと消えたの。
オバケ?
とも思ったけれど、不思議と怖く無かったわ。
と言うより、目の前で消えた女の子より、私に土下座している目の前の大人達の方が、よっぽど不気味で怖かった。
それからも、入れ替わり立ち代わり、大人の人達が私の目の前まで来て土下座して、難しい言葉遣いで自己紹介やら挨拶やら……。
一晩我慢すれば、家に帰れるんだと思っていたのだけど、家に帰らせてとは言える雰囲気じゃ無く、我慢するしかなかった。
そして、一通りの挨拶が終わったのか、一度あのシマガミ様の部屋に一旦戻された。
既に、敷かれていた布団も、シマガミ様と呼ばれていたお婆さんの遺体も無かったけれど、正直この部屋に居たくなかった。
ここで、もう一晩過ごすだなんて、考えたくも無い。
如何にか、お願いして家に帰してもらわないと……。
そう考えて居た矢先、ふすまの向こうが騒がしく成って来た。
何かしら?
と、ふすまの向こうを覗こうと、ふすまに手を伸ばしたその時、勢い良くそのふすまが開いて、知らないおばさんが物凄く怖い表情で掴みかかって来た。
「お前か! お前が殺したんか!」
他にも何人もの大人の人が、部屋に雪崩れ込んできて私に怒鳴り散らす。
突然そう詰め寄られて、意味も解らず、怖くて声も出せなかった。
殺したって何の事?
シマガミ様の事?
でも、シマガミ様は朝起きた時には既に亡くなっていたわ。
「わ、私じゃ無い……」
そう声を振り絞るのがやっとだった。
バチンッ!
頬を叩かれ倒れた私に、そのおばさんが馬乗りになって手を振り上げる。
するとその時、おばさんの右側にさっきの女の子が突然現れて、その肩にそっと手を置くと、おばさんは私を叩こうと手を振り上げた姿勢のまま、バタリと白目を剥いて倒れた。
「シマガミ様じゃ……」
部屋に雪崩れ込んで来た誰かがそう呟くと、皆「シマガミ様じゃ」とつぶやき始める。
その呟き声の主の一人に視線を向ける。
「ヒィッ!」
と、小さく悲鳴を上げて、その人は這う様に部屋から出ていった。
他の大人の人達も、倒れたおばさんを引きずる様にして慌てた様子で出ていった。
さっきの女の子も既に消え、再び部屋に一人。
怖くて不安で、部屋の隅で縮こまる様に座っていたわ。
すると、疲れていたのね。
殆ど寝て無かったし、そのまま眠ってしまったみたい。
誰かに肩を揺さぶられて、目が覚めた。
そこには目に涙を溜めた祖母が。
「偉かったなぁ。よう我慢したなぁ。怖かったなぁ」
そう声を掛け、抱きしめてくれた。
私は堰を切った様にひとしきり泣いたわ。
そして、漸くして私が落ち着いた頃。
「ほな、帰ろうね」
そう言うと、祖母は私の手を取って、屋敷を後にした。
特に誰かに咎められる事も無かった。
と、言うより、部屋を出て屋敷の門をくぐるまでの間に、誰とも顔を合わす事は無かったわ。
祖父母の家に戻ると、両親が安堵の表情を浮かべ、そして抱きしめてくれた。
でも祖父は……私の前まで来ると土下座して謝り出した。
「すまんかった……ホンマにすまんかった……ワシが全部悪いんや……」
そう泣きながら謝る祖父に掛ける言葉も無く、どうすれば良いのかと悩んでいると、土下座する祖父の左にあの女の子がいつの間にか立っている事に気が付いた。
そして女の子は無表情に祖父を見下ろしていたわ。
ふと、さっき女の子に肩に手を添えられて、白目を剥いて倒れたおばさんの事が脳裏をよぎって私は叫んだ。
「触らないで!」
もしかすると、祖父も同じ様に成るんじゃ無いかと、咄嗟にそう思ったの。
そうすると、女の子は何をするふうでも無く、ただ祖父を無表情に見つめた後、スーと消えた。
「嫌われてしもうても、当然や……」
と祖父が悲しそうに呟く。
女の子は私にしか見えない。
私が触らないでと言った言葉は、祖父に対しての言葉だと勘違いしたのね……。
「そうじゃ無いの!」
と、直ぐに否定したけど、祖父は構わず話を続けたわ。
難しい事は良く判らなかったし覚えていないけれど、祖父が返せないほどの借金をして、その借金の片に、私をあの屋敷の子として養子として出す事に成ったとか、そう言う話だったと記憶している。
その後、父はすぐにでも島を離れたいと言っていたけれど、結局次の連絡船の到着まで二日ほど祖父母の家で過ごす事に成ったわ。
その間、不安だったけれど、思いのほか静かに過ごせたと思う。
当然、父と祖父は険悪な雰囲気だったし、祖父母の家を出て外を出歩くなんて出来なかったけれど……。
そして、漸く島を離れて家に帰りついてその日の夜、祖母から電話かかかって来た。
祖父が亡くなったと……。
自殺だったらしいわ。
祖母は葬儀は明日簡単に済ます事、島に来る必要は無い事、落ち着いたらまた電話する事を父に伝え、電話を切ったらしい。
怒りと悲しみがない交ぜに成った様な、その時の父の表情が今も忘れられない……。
後で知った事なんだけど、その後結構大変だったらしいわ。
祖父の借金の返済に付いて弁護士と話し合ったり、結局相続放棄するとかでその手続きとか。
それと祖母は、その相続放棄に伴って、島を離れて同居する事に成ったわ。