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【江戸時代小説/仇討ち編】

【江戸時代小説/仇討ち編】人生をかえた日

作者: 穂高

 殺人という罪を犯した人間は逃げたあと、大抵が殺人現場に戻ってくる。それは今も昔も変わらない。

 今宵、ここにも自ら犯した殺人(それ)を“隠蔽(いんぺい)”するために急ぎ戻ってきた男がいた。名を(じゅ)兵衛(うべえ)といった。

 大坂、堺の外れ。山に囲まれ田畑が広がる、殺風景な場所であった。

 そんな場所で、村の若い侍と()み合いになったのが先刻のこと。

 咄嗟(とっさ)に脇差を突きつけてしまったのがいけなかった。

 自分がしでかしたことに恐ろしくなって、一度は現場から立ち去ったものの、考え改め遺体を山に埋めに戻ってきたのだった。

 幸いにも、夜半過ぎで、そばには誰もいない。人気のない林の中の小道、月こそ出ているものの、提灯(ちょうちん)の明かりは見えないでいる。

 しめた、とばかりに十兵衛は傍らに捨ておいた脇差を拾い上げる。

 そして、脇差にこびり付いた血を(ふんどし)(ぬぐ)って(ふところ)にしまった。

 手際が良いのは十兵衛が冷静である証拠だった。

 十兵衛はここへ戻るとき、これを完全犯罪にしてやろうと(すで)に決めていた。それにはまず、自分がここには来ていないという確たる証拠を作らねばならない。苦労がいるだろう。だが、つて(・・)がある。

 村に小さい時分から知った仲の娘が一人いる。

 あいつに頼めばなんとかなる!


 ✱


「おきよちゃん……おきよちゃん……!」

 そう小声で呼びかけながら、娘の家の窓枠に向かって小石を投げる。

「ん、もう……なんやねんな……こんな時分に」

「俺だよ、十兵衛だよ……!」

 窓が開く。

「どないしたん、十兵衛。まだ夜中やで。眠いわ」

「ごめんて。なぁ、降りてきて。喋りたいことがあるねん」

「明日ではあかんの」

「ええから、お願いやて」

 きよに申し訳なく思いつつ、十兵衛は兎に角、何かしらの口実を作らねばなるまいと、それで頭がいっぱいだった。

「こんな夜中に一体どうしたっていうの。人斬りにでも()うたん? それとも人でも殺してきたん?」

 きよは鋭いところがあった。

「そ、そうや……」

「えっ」

「いや、そうやないよ! 全然ちゃう……!」

 慌てて否定したものの、顔には出たかもしれない。

「ちょっと困ったことになってな」

 十兵衛は考えるより先に口が出るほうだ。呼び出したあとのことなんか一切考えてはいなかった。

「いや……あの…………」

(はよ)う言って。明日も朝早いんやから」

「う、うん。今日の晩、一緒にいたことにしてくれへんか」

 きよは首を(かし)げる。

今居()てるやん」

「せ、せやな!」

 十兵衛はきよの一言で今まで思い悩んでいたのが馬鹿らしくなった。ホッとして胸を()でおろす。

「こんな遅くに呼び出して、悪かったな。おおきに」

「なんや変なひとやなぁ」


   ✱


 十兵衛が手にかけた若い侍は、分け(へだ)てなく誰にでも優しいとして、この辺りではちょっとした有名人だった。そのため、その行方が知れないということが大事(おおごと)になり、連日、村の(うわさ)の的だった。

「三日前の晩に火の用心に出かけたっきり、戻ってないらしいやんか」

「捜索隊が山ば入ったけんど見つからんかったって。もうなんぞ野生動物にでも()われて……」

「やめぇやめぇ、そない滅多(めった)なこと言うもんやあらへんで」

 十兵衛は肩身が狭い思いをしていたが、野生動物に襲われたという吹聴(ふいちょう)をしたために、どこにも逃げずにいた。

 しかし、お天道(てんと)(さま)は見ているのである。

 きよが血相(けっそう)を変えて十兵衛の家にやって来た。

「あのひとは、どこ行ったん!」

「な、なんや、おきよちゃん、いきなり……」

「なんやや、あらへんわ! あのひとが行方知れずになった三日前の晩、あんたはあたしの家に来たな、それも夜中に! あんた、(なん)か知ってるやろ!」

 きよの(かん)だった。

「いや、それは……」

 言葉を(にご)す十兵衛。

 しかし、きよがそれを許さない。

「答えい、十兵衛! あのひとは、わたしの許婚(いいなづけ)(婚約相手)はどこよ!」

 じれったいという風にきよは怒鳴りつけた。

 真昼間からするきよの大声に、村の住人が集まってくる。その中には、きよの母親もいた。

「や……山の、中に」

 十兵衛はきよの目が見れなかった。彼女の瞳は真っ直ぐに十兵衛を(とら)えていたというのに。

「裏山の、奥に……埋めた……」

 それを聞いた瞬間、きよはその場に膝から崩れ落ちた。

「な、なんてことを……」

 十兵衛は慌てて駆け寄ろうとした。

 きよが叫ぶ。

()んといて!」

 きよは地面に顔を伏せ、震えた。十兵衛にはそれが涙を(こら)えているように見えた。

「いったい、何があったん……」

 きよはその姿勢のまま低い声で尋ねた。

「……ちょ、ちょっとした……いざこざがあって、それで…………」

「それはひとを殺してまうほどのもんやったんかっ!」

 きよが地面を踏みしめるようにして立ち上がる。全身から炎が沸き立つようなその迫力に、十兵衛は後ずさった。

「そ、そんな、おっかない顔せんでよ、おきよちゃん」

 十兵衛は(なだ)めようとしたが、きよは隠し持っていた小刀を(さや)から抜いていた。

 ハッと身を引く十兵衛。

 走り出しそうな勢いのきよ。

 だが、母親がそれを止めた。

「それは犯罪じゃ。いけん」

 母親が震える娘の手を制止する。

「もうこれまでや。およしなさいな」

 母親は(さと)すように言い、娘が十兵衛に向けている刃物をそっと奪い取った。

 娘の目を見て母親が低く言い放つ。

(かたき)を取っても、あのひとは返って()ん」

 それを聞いた娘はわっと泣き出した。

「それはっ、わかってる……わかってるから尚更(なおさら)……」

 何度もそう口にして、涙と鼻水でぐちゃぐちゃにした顔で怒りながら娘は聞いた。

「そいなら、残さ(やら)れたほうは泣き寝入りするしかないん?」

 母親は目を細めて答える。

「あんたには刀の振り方さえ教えんできた。人を斬る道具使()こても幸せになんかならん。そんなもん持たんでも、誰が相手でも、心の内を言えるよう育てたはずや。あんたは強い子やねんから」

 泣き崩れる娘を母親は抱きしめる。

()いたひとを奪われた心の傷は、すぐには()えん。それには時間がいるに。今は、どないもできんで、しゃあない……」

 母親はきよの背中をさすりながら、娘の涙を拭ってやった。

「ごめん、おきよちゃん、ごめんな」

 十兵衛は謝るが、きよの涙は止まらない。

 きよは目の端に涙を()めて声を張り上げて言った。

「わたし、十兵衛のことも好いとったんよ! ちっちゃい頃から一緒に遊んで楽しかった思い出がいっぱいやもん。結婚できんでも、一生のお友だちや思うてたんに!」

 ぼろぼろと(こぼ)れる涙を()きもせず打ち明けるきよの姿は、いつか十兵衛が見た、子どもの頃の彼女と何も変わらなかった。

「すまん、おきよちゃん……」

 十兵衛はようやく自分がしでかしたことの重大さを知った。

 ひとりの純情を踏み(にじ)ったのだ。

 そうこうしているうちに同心がやって来て、十兵衛は御用となった。

 十兵衛は引っ捕われて行く最中、きよに謝るために叫ぼうと息を吸ったが、ふとある考えがついて出た。

 今更どの口で謝るというのか。罪を犯しておきながらそれを隠そうと目論(もくろ)みたのだ。謝罪しても、それが舌先三寸でしかないのは明白だった。

 その考えに頭が持っていかれたが、口をついて出たのは、やはりこの言葉だった。

「ごめんよ、おきよちゃん、ごめんよぉ〜〜」

 泣き乱れる哀れな男の声音が野に響き渡る。

 十兵衛はきよが顔を上げて自分を見るのを待ち望んだ。だが、その視線が交差することは、二度となかった。


 おわり

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