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パラドックス・スラッグス  作者: 転転悠悠
陽真―特異点―千里
6/8

陽真―特異点―千里 Part1

僕は部屋で寝転んでいる。

大学から下宿先に帰って来て、軽く部屋を片付けた。僕は普段から部屋をまめに整理整頓する様に努めている。だから、手間はそんなに掛からなかった。


千里は、僕の家で会おうと持ち掛けてきた。

僕は一向に構わない。彼女と会うことが出来れば、どこへだって飛んでいく。


何も考えずに部屋を眺めていたら、僕の生活空間はミニマニズムに侵食されている事に気が付いた。

本棚には、数学の様々な文献(その中でも幾何学が大半を占めている)が隊列を組み、その後ろで少数のマンガ本がたむろしていた。そして、世の男性にとって(当然そこには僕も含まれる)必要な雑誌が怯える様に本棚の後ろに身を隠している。大丈夫だ。君達の存在を知るのはこの世界では僕だけだ。おそらくは。

しかし、それ以外の余計な物はこの部屋には存在していない。テレビもなければ、ステレオも、パソコンさえもない。

今の時代、必要な情報はスマートフォンがあれば得ることが出来るし、考えをまとめるには紙と鉛筆が最適だ。


それに対して、千里は雑貨を集めるのが好きだった。

僕には何の役に立つか検討もつかない小物や、キャラクターなどのフィギュアを買うために一緒に店に何度も行った。僕はそれについて特に不満も無かったが、彼女はいつも不思議そうな顔をしていた。「私、男の子の方がこういうの好きだと思ってたんだけどなぁ」彼女はよくそう言った。「僕は変わり者だから」僕は決まってそう答えた。


ピンポーン。

部屋のチャイムが鳴った。千里だ。


僕は少し息を吸い込み、ゆっくりと立ち上がった。

そのまま玄関へ向かい、金属の重い扉を引いた。


そこには、シャツが少し濡れて震える千里がいた。雨と甘い香水の匂いがした。暗くてよく見えないが、雨の音が辺りを満たしていた。


「さっき急に降ってきて…」


彼女は腕に掛けたコンビニの袋を下駄箱に置きながらそう呟いた。

僕は洗面所からバスタオルを持って来て彼女に手渡した。


「ありがとう。助かる」


そう言って彼女は濡れた髪を拭いた。

彼女が腕を上げると、乳房がシャツを通してその形を誇示してきた。僕は急いで目線を逸した。


僕は彼女にシャワーを浴びるように勧めた。彼女は少し申し訳無さそうに躊躇ったが、


「そうさせてもらう」


と言って僕の申し出を受け入れた。


彼女がシャワーを浴びている間、僕はコンビニの袋に入っていた缶チューハイを冷蔵庫に入れ、ベッドに腰掛けてマンガを読んでいた。

ふと、部屋が寒くなり始めていたのに気付いて、暖房のスイッチを入れた。


しばらくして、彼女が浴室から出て来た。

彼女は"NEW YORK"と胸に大きくプリントされたシャツを着て出て来た。僕のシャツだったからサイズが少し大きい。彼女は「ごめんね」という仕草をした。僕は「問題ないよ」と微笑んだ。


手にしていたマンガ本を枕元に置き、冷蔵庫に入れた缶チューハイを取りに行った。

二本の冷えた缶を持って戻って来ると、千里は僕のベッドでうつ伏せになりながら、マンガのページをめくっていた。

僕は彼女に缶チューハイを手渡して、ベッドに腰掛けた。


「このマンガ面白いね」


彼女はマンガのページを閉じて、ベッドの上に座り込み、言った。


「うん、ストーリーの展開が凄く独特なんだ」


彼女は同意する様に軽く頷きながら、チューハイに口をつけた。


「このポージングとか、かなり魅力的よね」


そう言いながら、表紙のキャラクターを指差した。


「うん、ファンの間でも人気なんだ」


僕も一口飲みながら答える。


千里はシャツの裾を右手でヘソの上まで持ち上げて、左手を前に突き出し、キャラクターのポーズを真似てみせた。


「こんな感じかしら」


「とても魅力的だ」


僕は即答した。いや、控えめに言って、かなりセクシーだ。

そうして僕達は軽く笑い合い、その後に穏やかな沈黙が訪れた。


「もう会えないのかと思った」


僕はその沈黙に静かに切り込みを入れた。


「この前の事?」


千里がその切り込みをゆっくりと開いた。


「そう。僕は別れを告げられたのかと思って、この一週間近く生きた心地がしなかった」


彼女はそこにある空白を見つめながら、缶をゆっくりと唇に当てた。


「でも、君から会いたいと言ってくれた。正直、その一言にとても救われたよ」


僕は空白を埋めるように続けた。


「ゴメンなさい。そんなつもりは無かったの」


彼女は慎重に言った。


「実は陽真君と付き合い始めた時から決めてた事で、ずっと悪い気がしてたんだ」


彼女はその空白にゆっくりと言葉を注いでいく。


「今でも陽真君の事は大好きだよ」


彼女は切れ目をしっかり閉じ、僕に力強い視線を向けた。


「僕もだよ」


僕は自分の手を彼女の手に重ねた。


そして僕らは静かに唇を合わせた。

微かに雨の匂いがした。

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