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パラドックス・スラッグス  作者: 転転悠悠
正三角形と正四面体を繋ぐモノ
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正三角形と正四面体を繋ぐモノ Part2

「2名様ですね。奥の席へどうぞ」


そう言って通されたのは、向かって左隅にある2人席だ。レジからは一番遠い。隣の席には50代くらいの落ち着いた雰囲気の夫婦が談笑していた。


「どうも」


僕は店員に軽く言い、指定された席に腰掛けた。千里が壁側、僕がその反対の座席だ。壁には正三角形の大きな模様が上下反転しながら交互に並んでいる。照明も暗めで全体的に静かな空気感を作り出している。


「確か…ノラ・ジョーンズよね」


千里が左手の人差し指で空を指しながら言った。少し声のかすれた女性が甘いメロディを紡いでいる。そこに被せるように逞しい男が優しく歌う。この曲は確か…


「確か…フー・ファイターズとの共作だよね。…曲名は、思い出せないや」


「ふーん、そうなんだ。…光と影みたいな歌い方ね」


的確に的を射た喩えだ。千里によって今この曲に立体感が与えられた。


「ご注文はいかがされますか?」


若い男の店員が僕らに聞いてきた。おそらく、千里が指を上げるのを注文の合図と勘違いしたのだろう。

彼女がちらりと僕の方を見やる。僕は静かに頷く。


「ムール貝のクリームパスタで。あと、レモンティーも」


彼女は迷いなく答えた。彼女の選択にはいつも迷いがない。


「え〜と…生ハムのマルゲ、いや、普通のマルゲリータのサラダセットで」


「ドリンクは何にいたしましょう?」


店員はサラサラと伝票にメモをしながら尋ねた。


「そうだな…オレンジジュースで」


「かしこまりました」


そう言うと、店員は軽くお辞儀をして、厨房へと向かって行った。

千里はテーブルの上で腕を組み、そこに顎を載せて、僕の顔をじっと見ている。僕は自分の顔が赤くなるのが分かった。彼女の視線は、目の前の物体ではなく、その裏にある本質に照射されてる様な気分にさせる。


「陽真君、何でもいいから今思い付いた話をしてみてよ」


唐突に彼女はそう言う。出会って最初の頃こそ戸惑ったが、いつも彼女はその様にして話題を求める。取り繕った話題ではなく、その瞬間の話題の方が相手の気持ちをリアルに測れるらしい。心理学部らしい彼女の考え方だ。


「そうだな…」


そう呟きながら、僕は軽く辺りを見回す。さっきの店員が静かにドリンクを運んで来て、テーブルに置いた。僕は壁の正三角形が気になった。


「幾何学的に形を構成するには、次元数に加えて少なくともあと一つ点が必要なんだ」


僕は左の壁の逆正三角形を指差しながらそう言った。彼女は姿勢を崩さず、顔だけを少し傾け僕の指差す方向を見た。


「つまり、平面的な形である為には、同一次元空間上にない3点が必要だ。この三角形で言うと、3つ目の点は、他の2つの点が構成する線の上にあってはならない」


彼女は無反応だが、静かに続きを待っている。僕は少し息を吸い込み、それから続ける。


「ここからは僕の持論なんだけど、モノの見方も同じなんじゃないかなと。多角的に物事を考えるには、幾つかの異なる点が必要だと思うんだ」


彼女は壁の方を見ながら、そこに彼女が見出しているであろう幾何学的模様に向かって語りかける。


「そして、立体的視野には、別の4つ目の点が必要」


「そう言う事」


僕は彼女が空に描いた図形を補強するように言い添えた。

そして、そこに料理が運ばれてきた。彼女は姿勢を戻し、僕の方を見ると、こう言った。


「面白いわね」


僕は軽く微笑んだ。正直、こんな話題が女の子にとって楽しい話題とは思えなかったが、彼女がそう思ってくれたなら良い。そして、僕には彼女がそこから何を引き出したのか見当がつかない。でも、それでいい。

僕らはお互いの料理を口に運んだ。


会計は僕が払い、黒い扉を押し開けて外に出た。外の空気は少し冷たかった。

僕らは、来た道を引き返し、再びドンキホーテが黄色い狼煙を上げている大通りへと、並んで歩いた。


「陽真君は、物事が立体的に見えているのかしら?」


彼女は10°上に視線を固定する様にして、前を向いたまま尋ねた。


「分からない。でもなるべくそうあろうとはしているよ」


「同じ平面に点が下りないように」


彼女はゆっくりと視線を水平に戻しながらそう言った。

ふと僕は路地の民家の前にある花壇に視線が行った。11月ということもあり、花壇には花が咲いていない。余り手入れをしないのだろうか、雑草がその存在を必死に示そうとしていた。その影に隠れるように、白い塊が見えた。何だろうと、疑問に思った僕は、千里に「ちょっと待って」と声を掛けた。僕は花壇の方へと駆けていき、彼女は僕を不思議そうに眺めていた。花壇の前で腰を下ろし、その物体のあった周りの草を押し除けると、そこには白くてかりを帯びたナメクジがいた。


「何か見つけたの?」


千里は同じ場所に立ったまま、僕に尋ねた。


「うん、ナメクジがいた」


僕は押し除けていた草から手を放しながら答えた。そしてゆっくり立ち上がり、僕らは再び歩き始めた。


「この時期にナメクジを見るのは珍しいわね」


彼女はそれが何処か遠い国で起こった出来事かのように言った。


「そうだね。でもツチノコほど珍しい物でも無かった」


僕がそう言うと、彼女は僕の方に顔を向け、付け加えた。


「もしツチノコだったら、陽真君は一躍有名人ね」


僕は少し笑いながらそれに答える。


「でも有名になったところですぐに忘れられるよ」


「風が全てを運んでいく」


「そして、僕らは塵になって消える」


クスクスと彼女は口に手を添えて笑った。今まで僕のユーモアのセンスはズレていると他人に馬鹿にされる事が多かった。彼女はそのズレたセンスを理解してくれる数少ない存在だ。



「いいかい、よく覚えておくんだ。"追い付かれたら終わり"それがルールだ」

誰かがどこかで囁いた。



大通りに出て暫く歩き、今日僕らが待ち合わせた駅のホームまで来た。今日はこれから彼女には家庭教師のアルバイトがある。だから僕はここでお預けだ。彼女は上り方面、僕は下り方面の電車に乗る。


「私ね、来年からイギリスへ行くの」


唐突に彼女はそう言った。


「イギリス?」


僕には初耳だった。彼女が海外に興味があったのは知っていた。その中でも、イギリスのスピリチュアルに大きな関心を抱いていた。


「いつまでいるの?」


僕は動揺を隠せずに聞いた。間もなく電車が到着するというアナウンスが流れる。


「分からない。もしかしたらずっといるかもしれない」


彼女は目の前の路線図を眺めたままそう言った。いつもの様に、彼女の声には迷いが無かった。


「僕らはもう会えなくなるのかな?」


僕は不安になって尋ねた。上り方面の電車がやって来た。


「それも分からない」


彼女は無表情にそう言った。電車の扉が開いた。この駅で降りる人はいない。


彼女は振り返り、後ずさりながら、こう言った。


「風が全てを運んでいく」


扉が閉まるブザー音が鳴る。


「じゃあね」


彼女は微笑みながら手を振った。


「うん、また」


僕もそれに応える。電車の扉が閉まる。そしてゆっくりと電車が進み始めた。電車が僕の前に風を起こして走り去って行った後で、僕は呟いた。


「そして、僕らは塵になって消える」



「いいかい、よく覚えておくんだ。"追い付かれたら終わり"それがルールだ」

悪魔がどこかで呟いた。

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