貴方を忘れたくない!
203x年7月7日。南半球は真冬である。南極点近くに建設されているアムンゼン・スコッチ基地は気温氷点下70度という極寒のブリザードに晒されていた。
「全く酷い嵐が続きますね。たまには晴れてくれないと観測がうまくいきませんよ」
「まあな、確かに今年はちょっと酷い……。おや?」
パソコンに向き合う越冬隊員の一人が、窓の外に異変に気づいた。
「おい見ろジョージ。な……なんだあれは。人かな!?それも光ってるぞ」
「人です!確かに人です!しかしばかな。輸送機到着の報告なんて受けていませんよ」
「こっちに来るぞ」
彼らが発見したのは、サウスポールステーション付近に出現した謎の男女2人組だった。極夜に加えてブリザードで視界を遮られているため、あまりハッキリとは見えないのだが、2人とも修道士のような格好をしている。
「さあて、どうするlog57(ログ57)。地軸を天王星のように横倒しにしてやるか」
「そう慌てないで√π(ルート・パイ)。今回はじっくり遊ぶのよ」
「だな」
髭面の男が氷原に寝転がり「ドーン」と呟くと、大爆発が起こった。それは人類史上最大の水素爆弾「ツァーリ・ボンバ」に匹敵するもので、南極点に半径3キロに及ぶ巨大なクレーターが残る……。
「では古代人狩りをはじめるとするか」
それから2人組による人類に対する一方的な大量虐殺が始まった。
彼らの前にはいかなる兵器も役に立たない。どの国の攻撃も通用せず、人類側の核攻撃は地球を汚染しただけであった。ただ2人の通った先には恐ろしい数の屍が積み上がるのみ。
僅か1ヶ月で地球上の人類の殆どが死滅。99%以上の人口が失われ、地上に残っているのは1000万人にも満たない。
2人の攻撃により、世界中の大都市がほぼ更地と化している。東京も例にもれず更地となったのだ。そんな広大な荒れ地で、焚き火をしている青年が一人。その隣には壮年の男が座っている。
「材木がシケってて、うまく魚がやけねーなー。生焼けですけど食べます?」
「申し訳ない」
青年から串刺しの焼き魚を受け取ったのは、かつての日本国総理大臣「北条大次郎」である。
「おじさん、どっかで見た顔なんですよね。有名な方?」
「は……ははは。まあ……有名でしたね。ちょっと首相をやっていたもので」
「え?首相って総理大臣ってことですよね……?マジで?」
その時、自衛隊のヘリコプターが上空に見えた。
「あ……助けに来てくれた!おーい!」
「おお……自衛隊か」
青年は必死に手を振る。ヘリが着陸するや否や、防護服をまとった自衛隊員達は青年を素通りして首相を救助する。「あれ?俺は」と焦った青年も、ついでに救助された。ヘリは修羅丘基地を目指して飛び立った。
「どうだね。状況は」
「今回の襲撃で首都圏はほぼ壊滅です、北条総理」
「なんということだ……おお神よ」
青年は持ち前の厚かましさで総理の会話に加わった。
「あの……もしかして戦争中?」
青年は気楽そうな質問をした。
「俺、東京に遊びに来たんですけど、建物が何もないからサハラ砂漠に来ちゃったのかと思いましたよ」
首相は無線での応答を終えると、険しい顔で答えた。
「君も噂は聞いているだろう……。未来人による攻撃があったのだよ」
「え……未来人?」
「もちろん確証があるわけではないが……。各国からの情報を統合すると奴らは未来人らしい。それも1000万年後からやってきた恐ろしい連中だ。とても現代の科学力で太刀打ちできる相手ではないのだ」
「そんな……1000万年後!?」
2人の破壊的な修道士の正体は1000万年後の人類であったのだ!しかし北条総理には青年の質問が滑稽に思える。
「ほ……本当に知らなかったのかね?」
総理は不思議そうに尋ねる。
「ニュースでもさんざん報じていたと思うのだが」
「あ……すいません。俺、時勢に疎いもんで」
青年は顎をさすり、照れ笑いで誤魔化した。
──ヤバイことになってるな。日を変えれば良かったな。
1時間後、ヘリは無事に修羅丘基地に到着した。
「お父様!無事でしたのね」
「おお、心配かけてすまなかった。私は無事だ」
ヘリから降りた北条総理に若き乙女が駆け寄り、抱きついた。娘のマーガレットである。彼女は父親の隣にいるなんてことのない青年の存在を不思議に思った。
「この方は?」
「私に昼飯をごちそうしてくれた青年だよ。シェルターから出てきたところで偶然に会ったのだ」
マーガレットは青年に顔を近づけて、美しいシアンの瞳でマジマジと見つめた。
「あ……貴方、あの核爆発の中で無事だったの!?」
「え……はい。どうにかこうにか……」
「地下に泊まってたのかしら……」
自衛官の一人が緊急の通信を受けて叫ぶ。
「総理!レーダーが飛翔体に反応しています。はやく施設へ避難を。あと30秒で奴らがここに到着します」
「な……なにっ!」
突如、空を真っ二つに割くような稲光が天球に走る。2人の未来人達は首相を追って修羅丘基地に降り立っていたのだ。
「ほ……本当に来たのか」
畏れを抱いている北条総理の様子に、女は満足しているようだ。
「ほほほ。私達がお前を見逃すわけがないでしょう」
「ヘリ如きで逃げ切れると思うなんてとんだ間抜けだ。ははは」
自衛隊員達は一斉に銃のセイフティを解除する。
すぐさま隊列を組み、必死に銃を撃つが、1,000万年後の科学力に太刀打ちできるわけもない。一発足りとも当たりはしなかった。隊員達も敵わないことを悟る。
「ああ……もはやこれまでか」
マーガレットは涙を浮かべて父親の胸にしがみつく。
「お……お父様!」
「すまないマーガレット。私にはお前を、そして国民を守ることができなかった」
意を決して総理は敵に問うた。
「き……貴様達の要求はなんだ。人類を皆殺しにすれば、1000万年後の世界も存在しないだろう」
愚問だと言わんばかりに、女は笑う。
「あははは。これだから時空旅行を知らない原始人は駄目ね。時空は分岐するんだから、関係ないの。単に人類が絶滅した平行世界が1つ増えるだけさ。私達にはなんの影響もないんだから。お分かり?」
「くそ……」
刹那、総理を囲む自衛隊員達が血しぶきを噴き出しながら爆発する。未来人の念動力だ。
「ぐっぎゃああ!」
「いやぁぁお父様!」
あまりの恐怖で、父親の胸にしがみつくマーガレット。だが総理は決断を下さねばならない。
「許してくれマーガレット!」
北条総理は密かに「基地ごと爆破」という指示を出した……。次の瞬間、大爆発とともに基地施設は跡形もなく爆散してしまう。現代人の最後の抵抗であったが、未来人の2人にはやはり何のダメージも与えられなかった。服についた塵を払いながらlog57は笑っている。
「ふはは。爆薬で自決とは古代人らしい惨めな発想力だな」
「さて、log57人類の残りはあと僅かよ。最後の1匹まで殺して、地球を消せばゲームクリアね」
だが粉塵が消えるとともに、地面にへたりこむ女が姿を現した。その悲痛な鳴き声が耳に届く。
「お父様ー!お父様ー!どこなの。死んじゃいやぁー」
振り返った√πの目に映ったのは、泣き崩れているマーガレットだった。
「おや?1匹だけ生き残っていたようね」
「よーし、アイツは俺に殺らせろよ。消化不良だったからな」
だが進もうとしたlog57の肩を、誰かが背後から掴んで止めてしまった。
「消化不良なのは俺だよ」
「なんだこのガキ?お前も生き残っていたのか?」
歯牙にもかけていなかった青年が、何故か生き残っている。
訝しむlog57の髭面を尻目に、青年の怒りは止まらない。その強烈な握力で、未来人が服の下にまとっていたバトルスーツのショルダーを砕いてしまったのだ。
「なっ!なんだと」
「せっかくの旧世界の東京一人旅を台無しにしやがって。覚悟しろよ髭面」
ショルダーは水素爆弾の直撃を食らっても損傷を与えられない代物だ。
2人の顔色が変わる。
「まさかお前は……嘘だろ。ここには俺たち以外はこれないはず……」
「そりゃ原始人の文明力じゃな。お前らと一緒にすんなよ」
刹那、√πは光の槍を自らの掌から取り出し、それを青年に投げつける。だが青年の体に触れる前に光の槍はバラバラに砕けた。
「そんな……!私の攻撃が通じない!」
「ば……馬鹿な。恒星すら射抜く光の聖槍だぞ。恐怖の超兵器だ」
青年は光の欠片を踏みつけて消滅させてしまう。
「それで兵器のつもりか。俺の時代じゃ赤ん坊の玩具だぞ」
log57は恐る恐る尋ねた。
「お前はいつの時代から来た……」
「ざっと1億年後だよ原始人ども」
「貴方も未来人だったの!?」
マーガレットは目を丸くした。「どうりであの核爆発の中を……」
「くそっ!こうなったら。がぁぁっ!」
髭面のlog57は地球そのものを破壊しようと、口から怪光線を放った。本来であればマントルを貫き、中心核を溶かし、内部から地球を崩してしまう破壊力である。だが……。貫いたのは地球ではなく、とてつもない轟音を響かせる太陽の紅炎であった。
刹那、強烈な可視光線に襲われる。log57と√πは、とっさに腕で目を庇った。
「ぐあああっ。目がっ!俺の目が」
「きゃあ!なんなのよこれ」
同時に2人の体は強烈な熱線で焼き尽くされる。しかし流石は未来人のボディ。まるでダメージを受けていない。
「10秒経った。いい加減、目も慣れただろ」
青年の声で、恐る恐る目を開けるlog57。しかしまだ視界がホワイトアウトしたままだ。
「なんだここは!?溶鉱炉か?」
「いえlog57!ここには地面がないわ。飛ばないと果てしなく沈んでしまう。この強烈な重力は一体……」
その謎の答えは2人の想像を絶するものであった。
「太陽の表面だよ。まさか太陽に来たぐらいでお前ら、死なないよな?ゆっくりしてけ」
「こ……この男、俺たちをテレポートさせたのか」
「そう言えば原始人には、まだテレポートは無理だったか。俺と出会うなんて運が悪かったな」
次の瞬間、log57の腹に穴が空き内臓が飛び散る。青年の拳が体をぶち抜いていたのだ。
「き……ぎぃっ!貴様……俺の完全なる肉体を」
「log57!」
散った臓片は超高温の爆風で巻き上げられ、プラズマとなって消えていく。
「無制限の再生能力があっても、太陽の中心核まで引きずり込めば復活できまいよ」
亜光速で逃げようとした相棒の√πの前に、テレポートしてきた青年が立ち塞がる。
「ちくしょうっ……この男。本当に1億年後から来たのね」
時空移動能力で逃げようとするが、強烈な磁場と熱線に阻まれてうまくいかない。
「太陽がお前たちの墓場だよ」
1000万年後の未来人と1億年後の未来人とでは勝負にならない。太陽表面での決戦の結果、2人のテロリストは青年の手で討ち取られ、太陽中心核でその体は素粒子レベルにまで分解されてしまったのだ。
3人の姿が修羅丘基地から消えてから10分が経った。
「どうなったのかしら……」
突如として青年だけが虚空に出現し、マーガレットの前に着地する。
「ふうっ。さすがに熱かった。ちょっと火傷しちまったな」
恐る恐るマーガレットは尋ねる。
「貴方は一体……誰なの」
「未来人です。といっても東京見物に来ただけの旅行者なんですが……」
青年は跪くと、ポケットからハンカチを取り出し、赤く晴れたマーガレットの目から涙を拭った。
「そう泣かないで。後は……どうにかしますから。ちょっと大変だけれども」
「ひっく。本当に?」
※※※
数日後。愛媛県にある首相の実家に招待された青年は、大きな応接間でマーガレットと談笑していた。
「貴方のいた1億年後の世界ってどんな風なのかしら。想像もつかないわ。でもきっと素敵な世界なんでしょうね」
青年は首を振る。
「未来人はマーガレットさんが期待してるような、聖人君子ばかりじゃないんです。あの連中みたいなのもたくさんいます」
カップの珈琲を飲み干して青年は呟いた。
「だから適当に取り締まる必要があるわけでしてね。と言っても俺はただの旅行者だから……勝手に成敗しちゃったのは不法なんですけど」
「そう……残念だわ。結局人間はあまり変わらないのね」
しばらく俯きながらマグカップを見つめていたマーガレットだったが、突然に笑い始める。
「ふ……ふふ……。そうですよ。本来ならば政府によるライセンスが必要なのに、それを守らない者もいる。だからそれを正すシステムも必要というわけです」
「え!」
青年の顔色が変わったのを見て、マーガレットはニヤリと笑う。
「もうお分かりでしょう?私は貴方よりさらに1000年先の未来から派遣されたの。貴方を逮捕するために」
「じゃあまさか……君は本物のマーガレットになりすました未来人なのか?しかし一体どうやって」
「その手法はご想像にお任せしますわ。さて……未来へと連行を」
青年の人差し指がマーガレットの額を軽く弾いた。
「あてっ!」
「変な冗談はやめてください。ちょっと本気でビックリしたじゃないですか」
「てへへ。すいません。ちょっとやってみたかったの未来人ゴッコ」
マーガレットの悪戯に呆れた青年は椅子を立ち、グーッと背伸びをする。
「予定より過去にいたもので疲れました。自分が未来人ってことを本格的に忘れる前に、帰りますね。珈琲ごちそさまでした」
そそくさと部屋を出ようとする青年を、彼女は慌てて追いかけた。
「待ってください。これからどうなさるんです」
「とりあえず、この破壊された世界は元に戻していきます。何もかも元通りにしますので心配なさらず。ついでに皆さんの記憶も消しちゃいますけども」
「そんな奇跡が起こせるなんて……。これからお父様を生き返らせてくれるって……未だに信じられません……」
マーガレットは青年の手を握って引き止める。それは自分でも予期しなかった行動だった。
「でも貴方を忘れちゃうなんて嫌。せめてお名前だけでも教えてください」
「名前は……∫(インテグラル)っていう変な奴でして。あまり言いたくないなあ……」
「まあ……素敵なお名前」
顔を赤らめる彼女の手は握る力を強めていく。
「1億年後の未来にもキスってあるんですか?」
青年は眉を緩めて笑った。そして2人は口づけを交わした。
気づくとマーガレットはソファーに腰掛けたまま、窓から差し込む夕日を浴びていた。
「あれ……。私、何をしていたんだろう」
目をこすって応接間のテレビをつけるとニュース番組がはじまる。父親の北条総理が緊急の会見を開いているようだ。メディアから問い詰められ、かなりオロオロになっているようだが。
『ええ。この一ヶ月、世界中の人間の記憶がありません。誰も覚えていません。記録にも残っていません。実に不思議な珍現象です。』
オロオロな総理の姿を見ていると、自分の父親ながらもどかしい。
──お父様しっかりしてよ。
マーガレットはテレビを消し、クッションを抱きしめた。何か素敵なことがあった気がしたのだが、よく思い出せない。
(終)