4.親友以上で恋人未満の私達
自分に向けられた好意を拒絶するのは、存外に負担がかかるものみたいだ。
心臓が早鐘を鳴らす。その音を無視して、私は断りの言葉とともに軽く下げていた頭を上げた。
「あたし、席外した方がいいパターン?」
「気にしないで。お邪魔してるのは、わたしだから」
「あっはい。ほんじゃ空気やってまーす……」
なんとも言えない雰囲気を感じとった有羽が、野生の勘で逃走を図るも、橘花にふわりと止められていた。
いやに心が軋む。それでも逃げちゃいけないと、まっすぐに橘花と瞳を合わせた。
橘花のカラメル色の光彩が、ほんの少しだけ揺らいだ。あ、まずい、そういえばこの子は泣き虫だった、とか。考えて動揺してしまう私だったけど、橘花は涙を流すことはしなくて、かわりに困ったような顔で笑った。
「……そ、っかぁ。うぅん、やっぱり、ダメだよねぇ」
「え、」
呆けた声。その声が自分から零れたものだと気づくのに、ちょっとの間が必要だった。もっとこう、泣きつかれたり、もの凄い剣幕で攻められたりするのかと思ってたもんだから、橘花のその反応は予想の埒外にすぎた。
「きーちゃん、分かってたの……?私が、なんて言うのか」
「……昨日のゆずちゃんの反応からなんとなくだけれどねぇ。断られるのは、予想できてた、かなぁ?」
「……」
「えへへ、ゆずちゃん、へんなお顔になってるよ?」
「いや、きーちゃんが滅茶苦茶あっさりしてるってか、てっきり昨日みたいに強引にキス、を……」
そこで私は自爆した。言葉にしたことで、一時は忘れられていたはずの感触が、唇にリフレインする。
一瞬で、頬が沸騰したんじゃないかと錯覚するくらいの熱を帯びる。デュオ・カラフェもびっくりの急騰具合だ。
「こほん。えーと、だから、きーちゃんが……」
「うん、わたしが?」
「なんだか随分冷静だけど、なんで?……って、振った私が聞くのも変だけどさ」
「ほんとだねぇ」
そうやって目の前でお上品に微笑む橘花と、昨日の淫らな表情で私に迫る彼女が、どうしても重ならない。うーん、困惑するなあ。
「あぁ!ゆずちゃんもしかして、わたしが恋人関係を強要してくると思ってたの?」
「まあうん。正直、思ってた」
誤魔化してもしょうがない。未だに熱さの残る顔のまま、言外に、だから意外なんだよって伝えると、橘花がちょっとだけその秀眉をすくめる。
それから、ちっちゃな子を諭すような語調で語りかけてきた。
「あのねぇゆずちゃん。わたし、ゆずちゃんに嫌われたいわけじゃあないんだよ。だから、ゆずちゃんが本当に嫌がることは、しないからね?」
「じゃ昨日のあれは?」
私の記憶じゃ、かなり強引な感じだった気がするけどなあ?
「ゆずちゃんに抵抗されたらやめるつもりだったんだけれど、されなかったから……」
「されなかったから?」
「押し倒せば、イケるかなあって」
「この堕天使めぇ……!」
外見だけ清楚天使な我が幼馴染みは、その整った御尊顔に清々しい笑みを浮かべて良い放った。
アークエンジェルだと思っていた橘花が、実はダークエンジェルだったっていう、まあ薄々気づいてたんだけど受け入れたくなかった現実。私は神に祈りが届かなかった信徒みたいに天を仰いだ。なんてこったい。
「それにねぇゆずちゃん。わたし、諦めてはいないんだよ?」
「ほぇ?」
「ゆずちゃんがわたしのことを、そういう目で見てくれるように、わたし、頑張るから!」
「がんばらないで」
ぐっと拳を握ってキリッと宣言する橘花に、私は力なく、しかし切実なツッコミを入れる。
言っても無駄な気がするけど、きっとこういうのははっきり自分の意思を示すことが重要なんだ。たぶん。
というかぶっちゃけ、またキスされたら絶対に流されちゃう自信がある。なんていうか、橘花にはあんまり強く出らんないんだよね私。このままじゃいかんとは思ってるんだけどなあ。
っと、話が脱線しかけてしまった。
話の続きをするために視線を向けると、橘花はなにやら畏まったように姿勢を正していた。
なんだろうかと思いつつ、同じように私も背筋をピンと張る。
「ゆずちゃん」
「はい」
「わたしは、ゆずちゃんのことが好きです」
「……ぅ、うん。私も、きーちゃんのことは大切な親友だと思ってるよ」
自分への好意を、こんなに真っ直ぐ向けられたことなんて今まで一度もない。照れくさくも不快ではなく、だからこそ、その一途な好意から目を反らすような応えに、罪悪感めいた思いは強まっていくんだ。
「じゃあ、ゆずちゃんがわたしのことを親友だと思ってくれているなら、わたしにチャンスをくれないかなぁ?」
「ち、チャンス?」
「うん。ゆずちゃんが恋人にはなれないっていうなら、わたしは我慢するから。だからゆずちゃんも、わたしがゆずちゃんとただの親友とか幼馴染み以上の関係になりたいと思ってることを、受け入れて欲しいなぁ」
「え、えー、えぇ?」
要は、お互いに譲歩しましょうということだ。
わたしだって、このまま宙ぶらりんの関係でモヤモヤした気持ちを抱えるのは避けたいところだし、なにより、幼い頃の口約束とはいえ完璧に忘れてしまっていたのは私の落ち度だ。ばつの悪さを感じる心が、橘花の提案に揺れ動く。
「でも、うーんと。その、親友とか幼馴染み以上で恋人じゃない関係っていうのは、例えばどういうの?」
「例えば、そうだねぇ。……空戸さんはどんなのだと思う?」
え、なんで有羽に話振ったの。
そんな疑問が沸いたけど、空気モードを解除した有羽が口を開く方が早かった。嫌な予感。
「セ○レでよくね?」
「却下で」
予想を裏切らない空戸クオリティを光速否定するも、それが橘花の耳に入ってしまったことによる二次災害は防げなかった。
「ゆずちゃん……からだだけの関係でも、わたしはいいよぅ?」
「わたしがよくない!」
全然よくないし、なんなら私的には恋人以上にNGだ。
「ちなみに柚子はどんな関係ならいいの?」
「わ、私?そうだね……超・親友とか?」
「それ親友とどう違うん?」
「う、うるさい!有羽はちょっと黙っててよ!不純同性交遊はダメだし、純な同性交遊もダメ!」
「ゆずちゃん、今更だと思うなぁ」
「あーあー知りませんー!私、なんもしてない!キスしたりとかしてないしー!?」
実質2対1の状況で追い込まれた私は、手負いの獣みたいに威嚇しながら、やけくその口撃を放つ。
だけど橘花は、呆れたように、何故か少しだけ申し訳なさそうに、そしてすごーく艶のある表情で。
「ゆずちゃんとわたしは、おっぱいだって吸いあった仲なのに?」
ーーーー。
ーーーーーー。
ーーーーーーーは。
「は、え……うっそぅ!?」
「ほんとだよぅ」
全然身に覚えがない罪状を突き付けられて、一瞬頭が真っ白になる。これが冤罪なら裁判起こすところだけど、あまりにも昨日と状況が似すぎていた。
ちゃんと、確認しないと。
「えそれ、い、いつの話?」
「昔、一緒にお風呂に入ったでしょ?そのときだよ」
ほんっとトンでもないことばっかしでかしてんな昔の私!
無垢な幼子(私)が背負った罪科の大きさに気が遠くなる。いや自業自得だけどさ!
「はあ。例によって、忘れてました。ゴメンネ……」
「いえいえー。……じゃあ、セ○レでいいかなぁ?」
「だからそれはダメ!」
どさまぎで防衛ラインを突破されそうになって、慌てて首を横に振る。
「うぅん……だったら、キス友は?」
「キス」
ついそのワードに反応してしまう。そのせいでダメと言うことができなかった。
「どう、かなぁ?」
「うっ!?」
後光が見えるくらいの上目遣いに、目が眩む。
だけど、これ以上は。
お互いが譲らなければいけないのなら、たぶんこの辺りが瀬戸際だよね。
自分の気持ちを確認する。
嫌、じゃない。橘花のことは、恋愛を抜きにしたら素直に好きだと言えるし、その、キスだって、ありえないくらい気持ちが良かった。
まだ思い返せる、麻薬のような中毒性を持つ、あの甘い痺れ。
あれが、また、味わえる。
ドクンっとひとつ、心臓が鳴いた。
「い、」
恐る恐る、震える声で、しっかりと。
「いい、よ」
「ーーーー、ほんとうに?」
橘花が、自分で提案しておきながらびっくり顔になる。
なんでそんな驚いてんの、とか、言いたいことはいっぱいあったけど、とりあえず今はこれだけ。
「……うん、キス友なら、いいよ」
「…ったぁ……!やったぁ!ありがとうゆずちゃん、大好きだよぅ!」
今自分がどんな顔をしてるのか、自分でもよくわからなかった。けど、私に抱きついて喜んでる橘花がめちゃくちゃかわいかったので、私はまあいいかーって思うのだった。
めでたしめでたし。
「早速だけどゆずちゃん、今日わたしの家に来ない?わたし、前みたいにゆずちゃんと一緒に遊びたいなぁ」
「あー、今日はちょっと……文芸部の友達と先約があるんだよね」
「柚子、まーた月崎のやつに駆り出されたん?」
「そ。だからきーちゃん、悪いけどまた今度ってことで……」
右手でごめんってジェスチャーをして謝意を示すと、橘花は聞き分けよく頷いてくれた。ただし、それだけではないのがこの子だ。
「今週の土曜日も、何か用事があったりする?」
「土曜日は、空いてるけど……」
「じゃあ、土曜日にデ、お出かけしない?」
「言い直す前の単語が気になる……まあ、いいけど」
「えへへっ。じゃあ、楽しみにしてるからねぇ、ゆずちゃんとのデート」
「しっかりエスコートするんだぞ柚子」
「ごまかすつもりなら最後までごまかしてね!?あと有羽、便乗すんな!」
ようやく一区切りってところで、また頭を悩まされるような約束をとりつけられてしまった。
いや大丈夫。ただ友達と遊びに行くだけだ。頭に「キス」ってつくけど、それだけだから。全然悩むことも慌てることもないんだ、うん。
ってか、そうこうしているうちに私、どんどん橘花に外堀りを埋められていってないか?橘花って、実は策士!?
「お!二人とも、そろそろ五限のチャイム鳴るぞぃ」
有羽に言われて初めて、あと5分ほどで昼休みが終わることに気づく。ずいぶん話し込んじゃったみたいだなあ。
見回すと、あんなに騒がしかった食堂もすでに閑散としている。ちょうど食堂の給仕さんが、テーブルを拭いて回ってるところだった。
「教室戻ろっか」
「そうだねぇ。……あぁ、だけどその前に」
「?なに、どうしたーーっんん!?」
ぐいっと橘花に袖を引かれて、ちゅ、と一瞬だけ唇が重なる。呆気にとられる私を見つめて、橘花はぺろっとピンクの小さな舌を覗かせた。
「キス友、だもんねぇ?」
「ちょ、見られたらどうすんのっ!?」
「大丈夫だよぅ、空戸さんが壁になっててくれたから」
「それ有羽には見られてるじゃん!」
「ははは、ご馳走様」
「えへへ、お粗末様でしたぁ」
初対面の癖に、妙に息のあった連携プレーを披露されて、私はどっと机に突っ伏した。
めでたしめでたしって、さっきは言っちゃったけどさ。
……どうやら、そう簡単には終わりそうにないっぽい。
書く前の私「4話は前後半2パートに分けて、3000字あれば余裕だわ。けど前半の修羅場大変そうだなー。よし後半から書こう!」
後半書いたときの私「すでに3900字……解せぬ」
昨日の私「前半4300字!?これ合体させたら8000字越えやん……」
というわけで分割させました。