3.学食にて、
「聞いてくれぃ」
「んん?どーした?」
濃い放課後から一晩明けた昼休み。
有羽と共に学食を利用していた私は、思い切って昨日の事件?について打ち明けた。色々予想外の成長をしていた幼馴染みに対して考えることが多すぎて、このままでは学生の本分に支障をきたすと思われたからだ。
午前中の授業の記憶はほとんどない。体育でバスケをしたのだが、自陣ゴール下でボーっと突っ立っていたら、リングを通過したボールが頭に落ちてきて脳が揺れたのだけはよく覚えてる。首への衝撃が凄まじかった。
午後からの数学は中谷先生(再任用でボッケボケのおじいちゃん)だから集中してなくても痛みを伴うことはないし、なんなら寝てても気づかれないんだけど、それはそれとして、ね。
昨日橘花にも言われたように、私は過ぎたことをうじうじ悩んだり、何かにとらわれて他が疎かになる、なんてことはほとんどない。切り替えが早い、もしくは物事への執着が薄い性質なのだろう。
普段がそれだからこそ余計、こうして四六時中橘花に頭を支配されてるみたいな今の状況に違和感を抱くというか、落ち着かない気持ちになるのかもしれないけど。
まあそんな経緯もあって、猫の手よりは幾分か頼りになるはずの有羽に相談することにしたのだ。
「なうほぉねー」
「飲み込んでからにしよっか」
私の話を聞き終えた有羽が、行儀悪く口に食べ物を含んだまま喋ろうとするのを窘める。別に私が作法にうるさい人間だとかじゃなくて、単純に聞きとりにくかっただけだ。
有羽はコオロギを粉末状にしたらしい特製ふりかけをかけたご飯を、しっかり噛みしめてから嚥下した。余談だが、今日は蚕の卵をデザートとして持参しているんだって謎の自慢された。全然羨ましくはないけど、こいつのゲテモノ喰らいは筋金入りだなあと思う。
「再会してその流れでキスかあ。そりゃびっくりだわ」
「うん。どうしよ……」
「具体的に言うと?」
「私と橘花の関係は、結局のところどうなんのかなってさ。昨日はその、なんだかんだで有耶無耶になっちゃって……」
そう、目下一番の問題はそれだった。
あのあと用務員さんが見回りに来たことで、ろくに話をする暇もなく帰らなければならなくて。私は正門、橘花は裏門からの登下校だから、玄関までは並んで歩いたのだけど、二人とも終始無言だった(ただし私は気まずさ故。橘花は、なんかもう機嫌のメーターみたいなのが上限の針を振り切っていたという違い、もとい温度差あり)。
下足箱前で私は一言挨拶、橘花がそれに返事をするのを聞いてから、逃げるように帰った。
キスの余韻みたいなのから帰還したのもこのあたりだった。怪しい薬物の効果が抜けるのもあんな感じなのかな、とか、やけに冷静な頭で考えた。
その後私の思考は冷静期を経て、ひたすら悶絶する期に突入し、現在は何もかもわからない期を迎えているわけだ。
「柚子的に、嫌ではなかったん?」
「まあ、うん……」
「じゃあ付き合っちゃえばいいんじゃん」
「やそんな簡単な話でもないから。第一、私と橘花は女同士でですね」
「性別ってそんな重要なフィルターかねぇ?あたしは貢いでくれる……じゃなくて、愛してくれるなら金づr…恋人が女でも気にせんけど」
「本心んん!」
全部駄々漏れだった。
「……はあ。私とあんたとで価値観が違いすぎるのだけはよくわかったよ」
私は有羽みたいには割り切れない。いや、ここまで割り切るのもどうかとは思うけどさ。所詮、私の感性は凡俗的ですし?
橘花が私を恋愛的に好きなんだっていうのは、昨日で十分に理解したつもりだ。あんなに何回もキスされて伝わらないほど、私は鈍くも頭の中お花畑でもない。
加えて言うと、性的少数者への偏見だって特にない。
あくまで、自分の領域外での恋愛に関しては。
だけど私は今、その領域の中心に引きずりこまれているわけで。
同性愛に忌避がないのと、自分がその渦中にいるのとでは話が全然別なのだ。
「そもそもの前提として、私にとってあの子は恋愛対象じゃない」
「でもかわいいとは思ってるわけで?」
「そうだね!かわいいはかわいいんだよ!超かわいいしなんなら昨日も本気で天使かなとか思っちゃったんだけど!それは恋って意味の好意じゃなくて、友達とか……あとはそう、テレビとかで見る綺麗な人に対する憧れ、的な?」
「あー……、あれか。よく聞くけど、loveではなくlikeの好きってやつ」
「それよ」
それが言いたかったんだ私は。
思ってることを的確に理解してもらえたことで脱力して、ぐてーっと椅子の背もたれにしなだれる。プラスチック製の椅子が、ほどよい反発をもたらしてくれる。
しかしどうしよう。
自分の思いを言葉として表すことができたおかげで、知恵の輪の攻略法を見出だしたときみたいな、満たされた気持ちにはなった。けれど実際は、まだなんにも解決していない。というか橘花と話し合わなければ、私側だけでいくら考えたところでどうにもならないのではなかろーか。
私の気分は一転して、知恵の輪の攻略法を見出だしたと思ったら全然違ったときみたいな袋小路に迷いこんだ。
「あ」
ほへーっとだらしない姿勢のまま天井とお見合いしていると、有羽の口からそれ単体では意味を為さない音が漏れた。
彼女の視線は、私の後方に向いている。
「ねえ柚子、もしかしてさー」
何かを言おうとしている有羽につられて、私は後ろを振り返る。
「なんかあった有羽?私、今ちょっと余裕がーーーー」
その視線の先には、笑顔で私達の席へと近づいてくる一人の少女。
「噂をすればってやつ?」
揶揄いを含んだ有羽の声が、どこか遠く感じる。
天使の輪を浮かべたふわふわの黒髪に、神の御業とおぼしき面。香る熟れた果実のような甘い匂い。背景に幻視するは、咲き零れる百合の花。
常陸橘花。
マイ・エンジェルの御光臨だった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
右隣の席に座って黙々とデザート(持参)を食べる有羽。正面の席に陣取ってこちらをジーっと見つめる橘花。
代わり映えしない学生食堂の一角が、今の私にとってはまるで断頭台だ。と、まあそれは言いすぎにしても、私が勝手な居心地の悪さを感じているのは間違いなかった。
「……ええと、きーちゃんは毎日ここでお昼?」
「うん!ちょうど食べ終わって、今からゆずちゃんに会いに行こうと思ってたんだぁ」
「そ、うなんだ。……あれ?クラス、教えた?」
「昨日下足箱で確認したんだよ。3組だよね」
「……あそ、そ、そう」
ーーー駄目だ。私の受け答えがどうしてもぎこちない。橘花が自然体だからか、余計に不自然さが際立つ。
このまま1対1で話すのはきついと結論付けた私は、第三者を会話に引き込むことにした。具体的には、デザートを食べ終わってから我関せずとばかりに腹を擦ってくつろいでいた、「そ」で始まって「う」で終わる名前の友人を。
「た、確かきーちゃんと有羽は初対面だったよね!?ほら有羽!この子がさっき言ってた私の幼馴染み!ご挨拶して!」
色々と空回りしてる私に突然話を振られたにも関わらず、有羽は爽やかな笑みを浮かべて橘花に挨拶した。
「あたしは空戸有羽。柚子とは中等部の頃からの腐れ縁。好きな食べ物は(以下略。
常陸サンて言ったっけ?柚子から聞いてた通りというか……うん、こりゃホントに天使だわねー」
「てん……?」
「ちょっと有羽、人の幼馴染みを口説かないでよ」
「えー?柚子の被害モーソーでしょー」
有羽といつものように軽口を叩き合う。よしよし、いい感じだ。
調子を取り戻せてきたという手応えが、口角から余計な力を抜かせる。今になって気がついたけど、私はかなりひきつった笑い顔をしていたようだ。酷使してごめんよ表情筋。
私が自分の筋肉に謝るという人生初の体験をしたところで、今度は橘花が有羽に自己紹介をするために口を開く。
「えへへ、よろしくね空戸さん。わたしはゆずちゃんの婚約者の、常陸橘花です」
「違います幼馴染みもしくは親友です」
脊髄反射もかくやというほどの早さで訂正する。こんなに俊敏に反応をしたのも、私史上初と思われる。昨日から人生の初体験が多すぎるな私。
そんな私の中では現在、『やっぱり来たか……』という思考と、『昨日のは気の迷いであってほしかった……』という思考とが混在していた。
こてんと小動物っぽく首をかしげるその仕草には、激しく昨日のデジャブを感じさせられたしハートを撃ち抜かれそうにもなったけれど、いやいや落ち着け柚子。今日は流されるな。ちゃんとはっきり言わなきゃ。これはうやむやにしちゃ行けない大事なんだ。
ここでその機会が来たのも、捉えようによっては幸運だろう。物事というのは時間が立てば立つほど、白黒はっきりさせるのが難しくなるのだから。
だから私は、せっかく取り戻した調子を再び崩されないように、努めて平静を装いながら橘花に言った。
「そのことなんだけどさ、きーちゃん。ごめん……私はやっぱり、きーちゃんとは付き合えない」
橘花の口調は字面以上におっとりした感じです。