2.背徳の図書室
「もしかして、きーちゃん?」
「!うん、わたし!思い出してくれた!?」
「思い出したよ!久しぶりだね、確か10年ぶりだっけ?」
きーちゃんーーー橘花が父親の都合で引っ越したのが小学校に入る一年前だから、だいたいそのくらいだったはず。と思ってかるーく確認したんだけど。
「9年と236日ぶりだよぅ!」
「そー……なんだ?」
なんかやたらと正確な数字で訂正が入った。なんでそこまで細かく覚えてるのか知らんけど、もはや誤差じゃないのか。
シマリスみたいに頬を膨らませて怒ってるくせに全然怖くない橘花の手前、「ごめんごめん」って謝っておくけどさ。
「はあ。にしてもほんと、きれいになってまあ」
思わずため息と、ばばくさい台詞が出てくるくらいには、成長した橘花の容姿は魅力的だった。そんな清楚系美少女である橘花は、ここで偶然私と会えたことをよほど喜んでくれてるのか、さっきからやけに視線が熱っぽい。
「ゆずちゃんだって、かわいいのは昔からだけど、今はなんていうか」
「なんていうか?」
「なんていうか、おいしそう」
「いやどーゆー意味!?」
夢現の境界をさ迷ってるような声音での意味深な発言。静寂の図書室が、わたしの悲鳴じみた声を反響する。
おいしそうって、私食べられるんか?
小さい頃の橘花は引っ込み思案で、いっつもわたしにひっついて離れないような大人しい子だったはずなんだけど。10年の月日がこの子を肉食系にでもしちゃったのだろうか。だとしたら大変だ。なにが大変なんだ。
「ゆずちゃあん……」
「ど、どうしたのきーちゃん」
肉食系な発言をした橘花に、今度は甘えるような、それでいて蠱惑的な声で名前を呼ばれる。
わ。な、なんだろ。なんか、橘花の雰囲気がこうーーーーちょっと、端的に言って、エロい。
得知れぬ空気に、体の動くまま席を立つ。長い時間読書をしていたせいで曲がっていた腰がピシッと張られて、背中を抑えつけられているような違和感があった。
橘花は潤んだ上目遣いで私を見つめて来た。だけじゃなくて、私が出してる(出してないけど)磁力に引き寄せられるみたいに距離を詰めてくる。ち、ちょっと橘花?
さっきの比じゃない、くらりとするほどの女の子の香りが鼻腔をくすぐる。彼女の処女雪のように真っ白な頬が、熱の色に染まっている。長いまつげの震えまでがはっきりわかるくらいには、顔が近い。その距離を、橘花はさらに縮める。
私はというと、彼女の凄絶なまでの美しさに完全におかされていた。ポーっと頼りない意識のまま、硬質なガラス玉と化した瞳が橘花を映す。ゆっくりと近づいてきて、やがて近づきすぎたその精緻な顔の輪郭がぼやけていくのを残念に思った、気がする。
ていうか、え。
「ちゅ、ん」
小さな、湿性を帯びた音。
唇に触れる、柔らかくてあついなにか。
いや、それもまた唇だった。
橘花の。
「ゆずちゃん……んぅ、はむ、」
「っんむーーーってなにしてんの!?」
キャパを越えた状況に流されて橘花と二回目の口づけを交わしたところで、ようやく我に返った。尚も私の唇を狙おうとしている橘花を押し退ける。
危ないところだった。理性でブレーキをかけなければ3回目があったと思われるくらいに、橘花とのキスは気持ち良すぎた。よくぞ拒んだ、私。
「なにって、キスだよ?」
「それは知ってるよ!?whatじゃなくてwhyの方を聞いてんの!」
あまりにも「当然でしょ?」みたいな返しをされて、一瞬私の方が間違ったことを言ってるのかと考えたけど、そんなわけない。いくら十年ぶりの再会で感極まったのだとしても、友人にキスするのはおかしい。はずだ。
「全然おかしくないよ。キス友っていって、お友達同士でキスする人もいるんだよ?」
「私らキス友じゃないでしょ!」
「うん、違うよ」
「じゃあなんでキスした!?」
なんかこう、ものすごい体力とか精神力だとかを奪われてる気になりながら、有羽曰く才能があるらしい間髪いれないツッコミを披露する。すると"わたしが法"とでも言うように堂々としていた橘花が、その大きなお目目をぱちくりと瞬かせて言った。
「だって、ゆずちゃんとわたしは恋人だよね?」
「……うん?」
聞き流せないことを言われた。いや、呆けた顔してるけどね橘花。それ、私のリアクションだからね。
「コイビトっていうのは、その、あれだよね。付き合ってるやつ」
「そうだよぅ」
……頭痛してきた。
「……身に覚えがないんだけど、いつから?」
「引っ越しの日に、約束してくれたよね?大きくなってから会えたらケッコンしようって。だからわたし、素敵なお嫁さんになるために頑張ったんだよ」
焼肉屋さんでカレーを頼んだらオムライスが来たときよりも、はるかに大きな衝撃だった。
いやー、ビックリダナー。私、彼氏いない歴=年齢だと思ってたら、プロポーズして10年になる彼女が居たみたいです。
なんて冗談で逃避してる場合ではない。私、結婚の約束なんてしたかなあ。どうにかこうにかセピア色の記憶を掘り起こす。
『……やだよぅ……わたしゆずちゃんとずっと一しょにいたい……おひっこししたくないよぅえええぇん!』
『大じょうぶだってきーちゃん、ぜったいまたあえるから、ね?だからなきやんで。ほら、おかーさんもいってたでしょ、バイバイはえがおでしなきゃなんだよ』
『ぐすっ……とに……?』
『ん?』
『ほんとに、またあえる?わたしのことわすれない?』
『うん、やくそくするよ。きょうがおわかれじゃないし、きーちゃんのこともわすれない』
『じ、じゃあ!わたしもゆずちゃんのことわすれないから、あの、その……』
『きーちゃん?ほっぺたがりんごになってるけど、どうしたの?』
『えぅ……ゆずちゃん……』
『うん』
『おっきくなって、またあえたら、わたしとけっこんしよっ!』
『いいよ。じゃあ、そのときはゆずがおむかえに行くから、かわいいおよめさんになってまっててね』
『いいの!?やったあ!わたし、ゆずちゃんのおよめさんになるためにがんばるよ!』
『ん。ばいばい、きーちゃん』
『えへへ。またね、ゆずちゃん!』
ばっちり言ってたわ。
子ども同士で、しかも橘花を宥めるためとはいえ、今の状況を考えると、とんでもない約束してくれたな過去の私って感じだ。
いやでも待って。
「そんな子どもの約束でキスするやつがあるか!無効でしょ!?」
だってこれってあれだよね?3歳くらいの女の子がパパと結婚するっていうようなやつ。そういう、幼少期のちょっと恥ずかしい経験みたいなのじゃないだろうか。
なんて、思ってたのは私だけだったみたいで。
「そんなぁ……。わたし、わたしゆずちゃんのお嫁さんになるためにって、9年間それだけ考えて生きてきたんだよ?ゆずちゃんがかわいくなってねって言うから、髪の毛もきれいに伸ばして、毎日お肌のお手入れもして、体型の維持も徹底してきたのに。あと、唇も」
「確かに唇はすっごい柔らかかったけど!」
想像以上に橘花の愛が重い。
けど、そうか。私にとっては、思い出そうとしなければならないほど薄れてしまった出来事だけど、きっと橘花にとっては。彼女にとっては、昨日のことのように思えるほど大切な約束だったのだろう。
なら、そうだね。
「ごめん。子どもの約束って軽んじたのは謝るよ」
「ううん。思い出してくれただけでも、わたしは嬉しいよ。ゆずちゃんが過ぎたことに気をとられない性格なのは子どもの頃からだもん」
「そーだっけ?まあでも、そういうことだから恋人云々に関してはまたーーーーっ!?ちょ、橘花なにしてんむっ!」
結婚の約束とかについては白紙にしよう。そう言おうとしたときにはすでに、私の唇は橘花のそれに塞がれていた。
キス。これで三回目。ちなみに人生でキスをするのも三回目。ファーストキスから全て、橘花に奪われた形だ。しくしく。
おちゃらけて何とか気を紛らわそうとしたけど、無理だった。
やっぱりこれ、いい。桜色の花弁みたいな唇は一瞬だけ啄むように重なって、そして離れていく。それに少しの寂しさを感じていることから目をそらして、橘花に視線をよこす。
「き、きーちゃん?なんで、またキスして……」
「ごめんねゆずちゃん……。でも…ずっと会いたかったんだもん……。わた、わたし、もうがまんできない……からっ」
「んんーーー!?」
キスが雨あられのように降り注ぐ。だけど今度のは、唇同士を擦り合わせる、えっちなやつだった。やばい、やっばい!
視界がチカチカして、全身から力が抜ける。唇を介して橘花の愛やら情欲やらがダイレクトに伝わってきて、もう流されてもいいやって思ってしまう。
「ふぁ……き、きーちゃん……」
思わず漏らした艶のある声に自分で驚く。甘えるような私の姿に、橘花は蕩けるように微笑んで膝を折る。
その動作につられて私も床に座りこんで、橘花に覆い被さる形になった。首に腕が回されて、離さないって言われてるみたいに唇を押しつけられる。
「ちゅ、ふは、んっ」
襲われてるはずなのに、橘花への嫌悪感は全くない。それどころか、15年生きてきてはじめて感じる圧倒的な快感にどこまでも溺れていく。止めなきゃって思ってたはずなのに、そんな余裕なんてもうどこにもなかった。
あるいは図書室という、ある種聖域とも呼べる空間でしている背徳的な行為が、私達の興奮を助長させているのかもしれない。
人気のない放課後の図書室で、私達は時間も忘れて互いの唇を貪りあった。
まさか1話使って図書室から場面が動かないとは……。
プロット存在しないので、たぶん次も遅くなります(-""-;)