父の愛
今日は、皆が待ち望む日曜日。
所謂休日だ。
帰国してから約一週間。
学校は一輝や梨央がいるから楽しいのは当たり前かもしれない。
4年間、ずっと望んでいた物。
夢にまで見た時間が、ここにはあった。
ちなみに、陽菜とはあの日以来会っていない。
機会もなかったし、焦ってもしょうがない。
今は時間を置いて落ち着くのを待っている所だ。
遼「ふぅ……」
ため息を吐く。
よく、“ため息を吐くと幸せが逃げる”と言うけども。
逆に、幸せが逃げるからため息を吐くんじゃないか、なんて事を考えていた。
1人で居間にいると、家が広く、寂しく感じた。
遼「………」
ソファーに寝転がり、部屋の天井を見る。
真っ白な天井が見え、何だか物悲しく思えた。
無意識の内に、思考は陽菜との事にシフトする。
どうすれば小さい頃のように話せるだろうか。
どうすれば、小さいのよいに笑顔を見せてくれるだろうか。
簡単に答えが出るなら一週間も時間を置く必要はない。
結局は頭の中で堂々巡りになる。
自問自答、負の螺旋だった。
遼「……あ、陽菜で思い出した。まだ挨拶行ってないや……」
それは、日本に来る前……
父さんとの会話を思い出す。
………
…………
……………
ドイツの首都、ベルリンにあるベルリン・ブランデンブルク国際空港。
その空港内の日本へ行く便の待合所に、2人の日本人の姿があった。
その1人の少年……俺は、大きな鞄を傍らに立っている。
対面にはスーツを着こなした男性がいた。
浩介「遼……本当に行くのか?」
心配そうな表情を見せる男性、名を水崎 浩介。
正真正銘、俺の父親だ。
遼「うん。やっぱり、日本の方が性にあってるみたいだしね。父さんの仕事も、結構軌道にのったみたいだしさ」
浩介「まぁ、確かに軌道にはのったな。優秀な部下のおかげだ」
そう言って、誇らしげに笑う。
父さんは、ある会社のドイツ支部社長をしている。
4年前のドイツへの引っ越しは、いわば栄転だったわけだ。
その仕事が、なんとか軌道にのったんだ、とこの間嬉しそうに話していた事はまだ記憶に新しい。
浩介「……そう、だな。遼も今年で高校2年になるんだ。自分の事は、自分で決められる歳だよな」
遼「……まだまだだよ。日本に帰るのは、俺の我が儘。子供だよ」
浩介「はははっ、本当に子供ならそんな考えには行き着かんさ。お前は大人だよ、さすが俺の息子だ」
何とも気障ったらしいセリフだが、父さんに言われると嬉しい。
父さんの事は尊敬しているし、1つの目標だから。
遼「ははっ、ありがと……父さん。それじゃ、父さんも仕事頑張りなよ?」
浩介「あぁ、言われるまでもないさ。金の事とかは心配するな。毎月振り込んでおくからな。ただ、無駄遣いはするなよ?」
遼「大丈夫だよ、誰が4年間家事してたと思ってるのさ。そういう父さんこそ、ちゃんと家事もしないとダメだからね」
浩介「ぐっ……それが一番の悩みなんだよなぁ……家政婦さんでも雇ってみるかなぁ……」
遼「メイドさんじゃなくて?」
浩介「メイドさんじゃなくて、家政婦さん。メイドさんだとなんかやらしいだろ?」
遼「その考え自体がやらしいんだよ」
浩介「そうか? まぁ細かい事は気にするな!」
俺の肩をバンバン叩きながら大笑いする。
周りの人が何事かと好奇の視線を送ってくるが、気にもしない。
俺が産まれてから、ずっと一緒にいてくれたから、父さんの凄さを知っている。
大らかで、優しくて。
細かい事を気にせず、楽しむ。
優しくて、沢山の人望を集めている。
こんな人になりたいな、と子ども心に思わせてくれた、そんな父親。
遼「ははは……本当に父さんは変わらないね」
浩介「そんな事はないさ。人は変わっていく生き物だぞ? 一分一秒経てば、人は変わってるんだ。変わっていかなきゃいけないんだ、俺達は。同じ場所に留まっていても、人生損するだけだと思うからな。もちろん、その損する人生を賭けるだけの理由があれば別だけどな。……遼、お前は自分の信じるように進めよ。自分だけの答えを見つけろ」
何となく言った言葉に対し父さんの返答はかなり真面目なものだった。
父さんは、俺が幼なじみ達と……特に陽菜とケンカ別れしているのを知っている。
だからこそ、父さんの言葉は重かった。
それを受け止め、自分の知識にしていく。
1人の尊敬する男が出した、1つの答えとして。
自分の答えを形作る為に。
遼「わかった。覚えとくよ」
浩介「おし! あ、そうそう、後もう1つ言っとかなきゃいけない事があったんだ」
遼「言っとかなきゃいけない事?」
浩介「向こうについたら、早めに勇次の家に行きなさい」
遼「勇次おじさん、ってことは……華鍬の家に……?」
浩介「あぁ。お前の向こうでの後見人みたいなもんだ。迷惑かけるなよ?」
未成年だし、後見人をつけるのは当たり前だと理解できる。
だが、それが華鍬家……陽菜の家とは。
事情を知っているはずなのにこの行動。
スパルタ以外の何物でもないだろう。
遼「……はぁ……」
浩介「なぁにため息ついてんだ、そんなの覚悟の上だろ? 胸を張れ!!」
バシンッ!!
遼「いってぇっ!?」
背中に思い切り振り下ろされた張り手。
絶対、背中には手のひらが紅葉のように形付いているだろう。
自分で何とか背中をさすりながら恨みがましい思いを視線で送る。
すると、父さんはニヤリと笑いながら俺の頭に、ぽんっと手を置いた。
浩介「休みが取れたら、俺も久しぶりに日本に帰るよ」
――只今より、搭乗を開始致します――
アナウンスが、飛行機の搭乗時刻を知らせる。
それと同時に、別れの時が近づいてくる。
遼「仕事と家事、サボったらだめだからな……?」
浩介「あぁ、大丈夫だ。ちゃんとやるよ」
少しずつ、言葉少なになっていく。
当たり前だが、今生の別れではない。
それでも、小さい頃からずっと一緒にいた父さん。
4年前に、母さんが事故で亡くなって……
それからは、俺の唯一の家族。
一心に愛情を注いでくれた。
その父さんの下を、俺は今日……離れる。
俺が言い出し、実行に移した。
だから、少しだけ……
心苦しく感じていた。
申し訳ないとも思った。
こんな我が儘を許してくれて、本当にありがとう。
心の中でそう呟いた。
本人に伝えたとしても、笑って流されるだろうから。
浩介「そろそろ時間みたいだな。よし、行って来い! 皆によろしくな?」
遂に、その瞬間が来てしまった。
遼「ん、わかった。それじゃ行ってくるよ。お互い、身体には気をつけなきゃだからな」
浩介「ははっ、わかってる。遼……“いってらっしゃい”だ! 頑張れよ!」
遼「……“いってきます”!」
手を振って見送ってくれる父さんに、ギリギリまで手を振り返し、搭乗口をくぐる。
そこからは、振り返らずに、歩いていった。
遼「……っ……」
搭乗券に記載されている座席を探す。
見つけた席は窓際だった。
荷物を上の棚に押し込み、席に座る。
窓の外は、他の飛行機や運搬車が動き回っている。
そのまま、俺は誰にも見られないように……
静かに、声を押し殺して泣いた――
………
…………
……………
空港の中から、外の空を見上げる。
上空には、今しがた飛び立ったであろう、日本行きの飛行機が見事な飛行機雲を作りながら飛んでいく。
浩介「我が息子も、自分で道を決めるようになったか……よし、俺も息子に負けない様頑張るか!!」
瞬く間に小さくなっていく飛行機に、背を向ける。
旅立った自分の息子に、背中を向けて……
水崎 浩介は、自分の道を歩いていった。
記憶の回想を終え、改めてソファーに深く座り込む。
父さんとの4年間を思い出し、少しだけ感傷に浸った。
遼「……1人で黄昏ててもしょうがないか。よしっ、華鍬の家に行きますか!」
気の進まない自分自身に、勢いをつけて立ち上がる。
部屋に戻り、家の鍵と一応財布を手に取った。
遼「華鍬の家、か……」
勢いをつけたものの、不安は残る。
会えたとしても、恐らく先週と同じ事の繰り返しだろう。
遼「ははっ……結局俺も逃げてるな……」
あの日の……子供ながらに感じた絶望が、鎖となって縛りつける。
恐怖という名の感情が、支配する。
今は、陽菜に会うのが怖い。
陽菜に拒絶されるのが、怖い。
それでも、挨拶には行かなきゃいけない。
1週間も経っているから、先延ばしするのはそろそろ限界だろう。
目を瞑って深呼吸する。
遼「すぅ~……はぁ~……よし」
ゆっくりと目を開いてから、華鍬家へと向かった。
………
…………
……………
我が家から少し歩いた所に、白くて3階建ての大きな家がある。
テレビとかで時々出てくる、芸能人の家に似ている気がする。
そこが、幼なじみの家……華鍬家だ。
我が家も十分立派だと思うが、それでも華鍬家の前に立つと、決まってこう思う。
遼「相変わらずでっかいなぁ……」
4年振りだと、驚きも一塩だ。
門についている呼び鈴を押す。
―ピンポーン―
聞き慣れたチャイムが鳴ると、数秒後にガチャっという音と共に声が聞こえてきた。
『はい、どなた様でしょうか?』
遼「あ、遼……水崎ですが、勇次おじさんいらっしゃいますか?」
『あら、もしかして遼ちゃん!? ちょっと待っててね~♪』
遼「あ、はい……あのテンション、未由おばさんだったのかな」
小さい頃から、記憶に焼き付いている。
華鍬家のハイテンションお母さん事、華鍬 未由さん。
小学生時代の俺達と同等かそれ以上。
それぐらいハイテンションで元気が良い人だ。
門の少し奥にある玄関の扉が開く。
そこからは、優しそうな男性が出てきた。
トレーナーにジーンズと、ラフな格好をしている。
今日は家での仕事だったのだろうか。
男性「おぉ、遼くん。大きくなったなぁ……」
遼「お久しぶりです、勇次さん。今回は父さんが無理をお願いしてすみません」
勇次「何言ってるんだ、遼くんが帰ってくるなら当たり前じゃないか」
挨拶を済ませ、頭を下げる。
陽菜のお父さんで、華鍬 勇次さん。
俺の父さんとは幼なじみであり親友同士。
そしてそれと同時に、有名な総合企業、NOSTALGIAの社長でもある。
NOSTALGIAは、最初建築会社だった。
会社名を訳すと、郷愁。
故郷を懐かしく思う事を指す。
故郷を思い出せるような家を建てる。
それが会社名にNORTALGIAとついた理由らしい、と父さんから聞いた事がある。
“木の温かみを伝える家”を建て、それが人気を集めて会社が大きくなっていった。
今では建築だけではなく、テーブル等のインテリアや日用雑貨、果ては動物園の経営等、様々な分野に進出している。
そして、その2代目社長が目の前にいる人、華鍬 勇次さんだった。
遼「ありがとうございます。出来るだけ迷惑はかけないようにしますので……」
勇次「何言ってるんだ、そんな事気にしないでいいんだ。むしろそんな気を遣われた方が心苦しい」
「そうよ、遼ちゃんっ!! どうせならこの家から学校に通えばよかったのに……」
遼「あ、未由おばさんもお久しぶりです」
勇次おじさんの後ろから、ひょっこりと女の人が姿を表す。
こちらもラフな格好で、長袖の赤いTシャツにエプロンをつけている。
インターフォンにも出た、華鍬 未由さんだ。
未由「……遼ちゃん? 誰が、お・ば・さ・ん、なのかしら……?」
俺の挨拶に返事はせず、おばさんを強調しながらにっこりと微笑まれた。
微笑んではいるが、目が笑っていない。
明らかに殺気を放っている。
どうやらこの数年間で禁句になっていたらしい。
戦慄を覚えた俺は、すぐさま訂正する。
遼「み、未由さん、お久しぶりです!」
未由「ん、よろしいっ! お久しぶり、遼ちゃん。お帰りなさい!」
遼「え~っと……ただいまです」
何とか未由さんの機嫌を直す事に成功し、ほっとする。
そして、未由さんの“お帰りなさい”が妙に嬉しかった。
未由「それにしても、カッコよく育っちゃって……」
改めて、未由さんが俺の事をまじまじと見つめてくる。
値踏みされているようで、若干居心地が悪くなる。
勇次「本当、見た目は良い男になったな。後は中身がどう成長したか、楽しみだ。……未由、あまりじろじろ見るのは失礼だぞ?」
未由「だって久しぶりだし……ね? 遼ちゃん♪」
遼「あ、あははは……えっと、それじゃ迷惑かけるかもしれませんけど、よろしくお願いします」
未由「そんな事気にしないの! むしろ私達を頼りにする事!! 困った事があったり、寂しくなったりしたらいつでも来なさいね?」
勇次「そうだぞ、浩介と由美の息子なんだ。俺達の息子も同然だからな」
由美――
俺の母さんの名前。
4年前に、亡くなってしまった人の名前。
一瞬、脳裏をよぎったが、すぐに気持ちを切り替えて笑顔を見せる。
遼「……ありがとうございます。それじゃ、今日は帰りますね」
勇次「なんだ、あがっていけばいいじゃないか。陽菜も部屋にいるんだろう? 会って行かないのか?」
遼「え~っと……今日は遠慮しておきます。この後買い物に行きたいんで……」
一瞬返答に迷ってしまったが、何とか答える。
今日は会わずに済みそうだから、出来ればこのまま帰りたかった。
勇次「……そうか、無理にとは言わんが……」
未由「………」
未由さんが黙ったまま俺を見つめる。
その視線に気づいた時、真っ先に違和感を感じた。
未由さんなら、もっと騒ぎそうな気がする。
昔の記憶通りなら、
「え~!? いいじゃない、今日はご馳走にするからあがっていきなさいよ~!」
くらいは言いそうだ。
もしかしたら、未由さんは知っているのかもしれない。
俺と陽菜が、あの日以来ろくに言葉も交わさずに過ごしている事を。
遼「すみません……それじゃ、失礼します」
勇次「あぁ、いつでもおいで」
未由さんの視線から逃げるように、2人に軽く会釈してから華鍬家の前から立ち去ったのだった。
………
…………
……………
部屋の窓から丁度見える我が家の玄関。
そこから隠れるように覗き込んでいた。
陽菜「………」
遼が、来ていた。
窓を開けて、声を挙げれば間違いなく届く距離に、遼がいた。
それでも、私は動けなかった。
何と滑稽な事だろうか。
普段は強気で、新しく出来た後輩からは男らしいだの、憧れるだの言われている私が、今はどうだろうか。
全く正反対だ。
怖がって、前に出る事もせずにただ逃げているだけなのだから。
何よりも、後輩がどうの言う前に、私自身が今の私を嫌っている。
そんな事を他人事のように考えていると、部屋のドアがノックもなしに開いた。
未由「……よかったの? 陽菜。遼ちゃん、帰っちゃったわよ?」
お母さんが、真っ直ぐ私を見つめる。
おおよその事情を知っているお母さんだからこその、この言葉。
それでも、私は誤魔化す事しかできない。
精一杯、強がって見せるしかない。
陽菜「……な、なにが? 別に用事もないのに会う必要なんか……」
未由「……意地っ張りねぇ。誰に似たのかしら。お母さんから忠告! その考え方、きっと損するわよ」
呆れたように苦笑いし、お母さんは肩を竦ませながらそう言って私の部屋から出て行った。
お母さんが出て行ったのを確認すると、私は俯いて自分の手のひらを見つめる。
いつの間にか握り拳を作っていて、開くとじっとりと汗をかいていた。
陽菜「損するなんて、私が一番わかってるよ……」
今まさに、私自身が実感している事なのだから。
誰もいない部屋で、私は現実から目を背けるように布団に潜り込み、目を閉じた。