破
アルターエゴ。
それは突如としてこの世界に現れた不可解な謎だ。
単独で存在することは許されず、一部の人類の意志と共にある知的生命体。自らを呼び出す人間を主人として尊敬し、揺るぎない忠誠を誓う誠実な隣人。物理法則から外れた現象を操る魔法使いであり、独自の理を持つ独立した世界でもある。
二〇世紀の初頭、その力は様々な人間の興味の対象となり、二度の世界大戦を経て人類全体へと認知されるに至った。
その脅威の力は、人類の発展と衰退、そして人々の繁栄と堕落の為に、戦争の道具、人殺しの道具、破壊の道具、世界中で悪魔のように振われているのだが、日本国内においては少々奇妙で他国とは違う一面がある。
アルターエゴの競技化だ。
第二次世界大戦後暫くして設立された『日本アルターエゴ競技協会』はアルターエゴ同士を競わせる競技を産み出した。人外の力を振う者同士の闘いは、ラジオやテレビの出現と共に徐々に認められるようになり、現在では一〇一人の協会公認選手の他に、三〇〇〇人近いアマチュア選手が頂点を取らんとその覇を競っている。
そして今、今年新人公認選手となった二人のアルターエゴ使いが、どちらがより強いのかと言う、どうしようもなく野蛮なことを確かめる為に、極めて原始的な行為を開始した。
「男はさ、大きいだけじゃ駄目なんだぜ?」
真っ先に動いたのは紅の鱗を持った少女シレーネ。頭から角を生やした竜人の彼女は金属製の地面を身長に対して大きな脚で蹴り飛ばし、獣のように姿勢を低くし力強く踏み出した。
▼シレーネの戦意に呼応して闘気が練り上げられる!【紅竜姫】
▼シレーネは誰よりも早く戦場を駆け抜け敵へと迫る!【アーツ:しんそく】
▼シレーネが纏う闘気が竜爪の鋭さを引き出した!【紅竜姫の竜気】
両手両足を使ってリングをジグザグに駆けるシレーネの姿は紅い稲妻が如し。恐ろしく鋭利な竜の爪がリングを捉える度に火花を散らし、空が押しのけられて轟と風が鳴る。二〇メートルと言う距離を嘲笑うかのように一瞬で、紅の竜人は鐡の騎士との間合いを埋めて行く。
「児戯」
目にも止まらぬ神速を、黒鐡騎ガーランドは短く評し、構えた巨大なランスを突き出す。ガーランドの身長よりも更に長いそのビッグランスは全長で四メートルは下らないだろうか? 騎士の一突きは緩慢な動きであったが、その穂先はシレーネが次の刹那に進むであろう進路を読み切り封じていた。
どれだけ速かろうと、少女が駆けるよりも長大なリーチを誇る槍を僅かに動かす方が早い。奇を衒う必要などなく、大きいと言うのはそれだけで優位だ。あの槍の間合いを抜けてガーランドに辿り着くのは生半なことではないだろう。
が、シレーネも間抜けではない。目の前に突き出されたランスに気が付くや否や、竜の健脚がリングを蹴った。身軽な彼女は魅せるようにくるりと前宙をすると、ガーランドのランスの上に着地して見せる。
「直通だね」
その言葉に咄嗟にガーランドはランスを払うが、遅い。ランス上から一足飛びに間合いを詰めると、牙を見せつけるようにシレーネは笑い、両手の指先から伸びる獰猛その物の爪を空中で振った。金属製のリングすらやすやすと傷つける両の爪が、紅いオーラによって輝き、ガーランドのブレストプレイトを斬り付ける。
▼シレーネの戦意に呼応して闘気が練り上げられる!【紅竜姫】
▼シレーネは素早く竜の爪を二度振った!【アーツ:れんぞくこうげき】
▼シレーネが纏う闘気が竜爪の鋭さを引き出した!【紅竜姫の竜気】
「児戯と言った!」
が、鐘を突いたような音が響き渡る中、ガーランドは同じ言葉を繰り返す。
▼ガーランドの強固な鎧が斬撃の威力を軽減した!【耐性】
「硬っ!?」
見た目以上の防御能力に堪らず呟きを漏らすシレーネ。彼女の攻撃は文句なく直撃していた。が、ガーランドの漆黒の鎧には傷一つ残っていない。多少の衝撃は与えられただろうが、それがこの巨大な鎧騎士に何らかの痛痒を与えたかはかなり怪しいだろう。
想像を超える頑強さに戸惑うシレーネと玲の隙を、天とガーランドが見逃すはずもない。
「ガーランド」
「御意!」
▼ガーランドは破壊の意志を籠めて盾を突き出した!【アーツ:シールドスマイト】
▼ガーランドの技巧が盾に更なる重みを与える!【黒鐡騎の槍舞】
間髪入れず、ガーランドは身体を捻ると美しい黒睡蓮の盾【黒盾ロータス】をシレーネ目掛けて叩き込む。
「シレーネ!」
宙に浮かんだ状態の竜の姫は、しかし流石であった。回避しきれないと見ると、左足を盾へと自ら突き出し、それを足場に攻撃の方向に自ら飛ぶことでその威力を減衰させようと試みる。
しかし巨大なガーランドが持つ【黒盾ロータス】は巨大だ。人が三人並んでネタとしてもまだあまりあるほどに。その圧倒的な質量を前に、その程度の抵抗は瑣末だと黒鐡騎はそのまま腕を振り抜く。
「覇ァッ!」
「ッ!」
▼シレーネの紅の鱗が闘気と合わさり衝撃を緩和する! 【紅鱗の加護】
盾と脚の交錯は一瞬。次の刹那、シレーネの身体が跳んだ。優に六メートルは竜人の身体は吹き飛び、二度三度とリングの上を水切りの石のように転がって行く。が、四度五度と回数が重なる内に、紅鱗纏う身体は徐々に体制を立て直し、駆けよって来た玲と並ぶ頃には二本の脚で立ち、忌々しそうにガーランドを睨み付けていた。
「大丈夫?」
「へーき。でも、危なかった。立ち位置の関係で盾だったけど、もう少し右にいて、あの槍で攻撃されていたら終わっていたかも」
ゆっくりと歩きながら間合いを詰める主従の動きを見逃すまいと集中しながら、玲は頬を流れる汗をスーツの裾で拭う。たった一度の攻防だったが、天の能力を何処か見くびっていたことを思い知らされた。
「様子見は済んだか? 中谷玲」
そのことを見透かしたように天が静かに訊ね、ガーランドがそれを引き継ぐ。
「紅の龍の姫とその主よ、持てる全力でかかって来るが良い。我が主の御命令は“闘争”。全身全霊の貴女達を我が槍で穿ち貫いてこそ、その望みを叶えることになるのだから。我が主の為に、貴女達には全力を出す義務があると知れ」
隙なく槍と盾を構えるガーランドは傲慢でもなく、それが当然の様に告げる。
「調子に乗るなよ! ルーキー!」
勿論、玲にはそれが挑発にしか聞こえない。可愛らしい顔の眉間にしわを浮かべ、シレーネがその怒声に呼応するように咆哮を上げる。深く腰を落とし、天を衝くように尻尾を振り上げ、大気が怒れる龍の力に震える。
▼シレーネの戦意に呼応して闘気が練り上げられる!【紅竜姫】
▼シレーネは雄叫びと共に闘気を練り上げた! 【アーツ:きあいため】
▼シレーネは呼吸により闘気を竜の破壊の力に転換した! 【紅竜姫の錬気】
原始的な恐怖を思い起こさせる龍の轟きと同時、真紅の鱗の姫の両腕がより原始の姿を取り戻す。少女の細腕は自身の腰回り程の太さに膨れ上がり、その長さも身長と同等までに膨張する。指先にから伸びる爪はより捕食者らしく下品な鋭利さに輝き、長くなった腕のバランスを取る為か尾は伸び、下半身も若干ながら太く逞しく変化した。
「鉄屑にしてあげるよ」
「大言壮語! 来い!」
若干野太くなった声で唸るようにシレーネは言い、両腕で大地をかくように走り出す。
▼シレーネの戦意に呼応して闘気が練り上げられる!【紅竜姫】
▼シレーネは誰よりも早く戦場を駆け抜け敵へと迫る!【アーツ:しんそく】
▼シレーネが纏う闘気が竜爪の鋭さを引き出した!【紅竜姫の竜気】
肉体が肥大化したにも関わらず、シレーネの速度は落ちてはいない。稲妻のようにジグザグと身体を左右に揺らすことこそしていないが、その迫力は増していると言えるだろう。
「それで良い。それでこそ打ち倒す甲斐がある!」
戦慄すべき突進にしかしガーランドは歓喜を表し、龍の姫を迎撃せんとその槍を振るう。
「んらぁ!」
「疾ッ!」
ぶつかり合う爪とランス。金属同士がぶつかりあう激しい衝撃音が舞台に響くが、それが消えるよりも早く、次の衝撃が走る。何度も何度も二体のアルターエゴは激突を繰り返し、一見互角に見たその応酬の趨勢も傾き始める。
「その程度か! 紅の竜よ!」
優勢を誇るように叫んだのはガーランド。龍の力によって膂力とリーチを補強したシレーネであるが、それでも体重やリーチにはガーランドに分があるようだ。その差を埋めようと彼女はやや強引に攻めるが、騎士の技量がそれを許さない。烈火の如き攻撃を上手くいなされ、じわりじわりと互いの体力に差がついていく。
天とガーランドの強さは至極単純。巨大で、頑丈なのだ。その長大なリーチで間合いを保ち、多少の攻撃ではびくともしない体力で根気よく相手の攻撃に耐える。負けるまで倒れなければ負けない。そんな当たり前のことをガーランドは体現している。
だが、それとて無敵ではない。
一体、何度目の攻防だっただろうか?
「かったるい!」
シレーネの背後で玲がガーランドを指さす。
「捻じ伏せなさい! そこよ!」
▼シレーネは玲の指示を信じ更なる力を引き出した! 【攻撃指令】
▼シレーネは自らの内に燃え上がる闘気を練り上げ、攻防一体の構えを取った! 【必殺】
「了解!」
振り向きもせずにシレーネは返事すると、今まで以上に深く踏み込み、更に激しく爪を振るった。今までよりも明らかに強引にビッグランスに度挑みにかかる。
▼シレーネは敵の攻撃を受け流し、攻撃の隙をこじ開けた!
シレーネの左腕はランスの攻撃を喰らい、鱗が何枚も剥がれ、その下の肉が抉れ、血のように燃える体液が弾ける。が、そのダメージと引き換えに、ガーランドの右腕は大きく弾かれ、鉄壁に思えた防御に僅かなほころびが産まれる。
アルターエゴの所持者がリングに上がる最大の理由。彼等は自らの意志をアルターエゴに伝え、その力を一時的にだが更に引き出すことが可能であるからこそ、危険な戦場に上がり、アルターエゴの傍で指示を飛ばすのだ。
効果は一目瞭然。たったの一撃ではあるが、今までの均衡をシレーネは打ち破り、
「雄ォ雄雄雄!」
その勢いを一連の流れとして前へと力強く踏み込む。
▼シレーネの闘気が龍の爪を燃え上がらせる! 【アーツ:火行咆爪】
▼ 必 殺 !
竜の咆哮と共に爪は鱗よりも赤く輝き、灼熱の竜気が陽炎を生み、敵対者を貫かんと放たれる。例えガーランドの頑強な肉体であろとタダでは済まないと直感させるには十分なその攻撃に――
「ガーランド!」
――天は自らの騎士の名を呼ぶ。
そのたった一言に、己の黒鉄の鎧と煌々と輝く竜爪との間にガーランドは盾を突き出す。
「関係ない!」
「このまま貫く!」
が、玲もシレーネも今更止まれない。止まらない。止められない。随分と巨大で立派な盾だが、この瞬間であれば自分達の攻撃力はそれを上回っていると言う自負があった。
実際、そうなったであろう。
ガーランドがただの鉄の塊であるならば。
▼ガーランドは主の命に応え、その盾の奥義を開帳した!【伽藍洞至る士道の極致】
▼騎士の極致があらゆる攻撃を見極める! 【絶対防御】
黒鐵騎ガーランド。春日天の守護騎士は黒盾ロータスにシレーネの爪が振れると同時、それを引き下げて恐ろしい必殺撃をいなして見せた。やっていることは、シレーネが【シールドスマイト】をやり過ごした時と変わらない。衝撃に合わせて身体を引き、その威力を減衰させる。
違いがあるとすれば、ガーランドのそれは洗練された技術であった。殴りつけたシレーネですら一瞬、自分が攻撃したことを忘れる程に完璧な衝撃の受け流し。寸毫も衝突音すら発していないのだ。
「【絶対防御】!?」
それは四大大会の予選レベル――Cランカー――相当の技術であり、三年間のキャリアを持つ玲ですら実際に目の前で見たのは初めてのことだった。
だが、将来的には相手するであろうその技術の脅威は知っている。必殺を完全に無効化されたことによるリソースの浪費もそうだが、何よりも――
▼ガーランドは相手の隙を見逃さず攻撃に打って出た! 【カウンターアーツ】
――大技を外した隙が最悪だ。
▼ガーランドは勇ましく踏み込み猛烈な突きを放った! 【アーツ:ランスチャージ】
▼ガーランドの槍捌きが冴え渡る!【黒鐡騎の槍舞】
▼シレーネの紅の鱗が闘気と合わさり衝撃を緩和する! 【紅鱗の加護】
▼ 会 心 の 一 撃 !!
轟。
漆黒のランスが旋風纏い放たれ、闇が煌めく。
真っ直ぐにシレーネの胸を狙った下品なまでの鋭い槍の切っ先は、紅の鱗を穿ち、筋肉が膨張する肉体を貫き、炎が如き血を撒き散らしながら、背中から無慈悲にも突き出した。
「がっ!」
「シレーネ!」
痛ましい悲鳴が響き、
「確実に潰せ」
「御意!」
直後、ガーランドのランスは高々と振り上げられ、そのまま鉄製のステージへと振り下ろされた。金属音が無慈悲に響き、「もう一度」更に続けてそれが重なる。三度目の為に振り上げた所で、胸の肉が抉れ、槍からシレーネの肉体が解放される。力なく放物線を描いた少女の身体は、既に最初の華奢な物へと戻り、傷口からはドロドロとした赤い液体が溢れている。
胸に大穴を空けられ、力なく倒れるシレーネの姿に、
▼生命の危機にシレーネの身体に眠る原始の火花が輝く! 【劫火巡りて竜姫起つ】
「ギリッギリ!」玲が汗ばむ拳を握り締める。「私達の勝ちよ!」
シレーネの胸から流れ出す粘度の高い深紅の液体が、突如として燃え上がる。それは意志を持つかのようにうねり、竜の姫の身体を糧に勢いを増して行く。炎は同じ色の鱗をした竜の少女を容赦なく焼き尽くし、その灰から更に深い紅の色を産み出す。
灰と紅色は渦巻く熱気に煽られて広がり、そしてそれが明確な形を現した。
勇ましく広がる枝分かれした角。燃える輝きを閉じ込めた双眸。捕食者であることを如実に語る牙と爪。そして、全てを焼き尽くす紅蓮。それは灼熱の火炎で繋ぎとめられた暴力の化身と化した竜の姫の原始の姿。
▼シレーネは原始の姿を炎と共に解き放った!
全長一〇メートルを越えるのではないだろうかと言う、燃え盛る巨大な竜の姿がリングに現れた。見る者を圧倒するその巨大さと、凄まじいエネルギーを感じさせる焔の身体。巨体と言うアドバンテージを失った天とガーランドに、玲は挑発的な視線を向けると共に訊ねる。
「こうなったシレーネは止められないわ! 降参する? 騎士様?」
「笑止千万。我が主の御命令は闘争。全身全霊を出すのは義務であると言った。貴方達は当然の義務を果たしただけ。ようやく、私が我が主の御命令を果たす前提が整ったと言うだけのこと。御誂えではないか、感謝するぞ、玲殿。竜退治など、騎士の誉れではないか」
が、黒鐡騎は目の前で空を悠々と泳ぐ劫火の竜を快く迎え入れながらランスを構える。たったそれだけで、ガーランドの雰囲気が変わる。より研ぎ澄まされた戦士の放つ圧力は、決して原始の力を見せつけるシレーネに勝るとも劣らない。
しかし、表情のない黒鉄の兜は何処か笑っているように感じられる。
「焼き尽くしてあげるわ、その戦意ごと!」
「君の主が戴冠するにはまだ早い。紅の竜シレーネの名と爪をその鎧に刻むと良いよ」
しかしそれは玲とシレーネも変わらなかった。目の前の強敵に心躍り血が沸くと、ネクタイを緩めボタンを幾つか外し、凶悪に歯を見せて笑う。
こんな舞台に上がって来るような連中は、少なからずそう言うモノだ。闘うのが好きな野蛮人で、殴ったり殴られたりするのが好きな変態で、それを笑って許容する異常者でないと、ランカーになってまでアルターエゴの競技の世界には踏み込まない。
その本性を玲が露わにしたことに、天は安堵する。
戦いとはそうでなくては面白くない。
「さあ。闘争はここからだ」
春日天は闘うことが好きなのだ。