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7.なかないで、おとうさま

 


 そんなこんなで美幼女に変身……もとい、本来の彼女自身の姿に戻ったエリカ・ローゼンリヒト嬢(5歳)は、その姿を見せびらかしたいとわきわきするマリエール、そして母の実家から同行してきたというナターシャの温かい眼差しに後押しされ、久しぶりに自分の足で部屋を出た。

 といっても、病が完治して本来の姿になったとはいえその体は驚くほどか細く、しかもさして運動していなかったからか全く体力もなく……部屋の外に出たのはいいが、メイド二人に両側を支えて貰わなければ階段を降りることすらできなかったが。



 向かったのは、書庫。

 以前の彼女は殆ど引きこもっていたため物語を読んで現実逃避することくらいしかできなかったが、今の彼女は違う。

 むしろ夢物語よりも現実的な……己の魔力のコントロール方法などを学ぶべく、魔術について書かれた本を探しに来たのだが、この途上でもすれ違う使用人達に目を剥いて驚かれ、ナターシャにやんわり諭されてぎくしゃくと挨拶を返すものの、あまりの美幼女ぶりに頬を染める者もあれば、かつての奥方レティシアを知る者は涙ぐみ、それはもうたどり着くまでが大変だった。


「なんと愛らしい」

「奥様方の血筋か……あの髪の神秘的なこと」

「お顔は旦那様のお小さかった頃にそっくりで」

「天使だ」

「いえ、妖精よ」


 とうとう人外レベルまで達してしまった褒め言葉が、どうにもくすぐったいを通り越して居心地が悪くなる。

 それもそのはず、かつての生では常時【ヒキガエル】系ご令嬢であったため、こういった褒め言葉に全くと言っていいほど免疫がないのだ。


(もうやめて……恥ずかしすぎて倒れてしまいそうよ)


 今すぐ、顔を覆って蹲ってしまいたい。

 そんな羞恥と戦いながら、どうにかたどり着いた書庫。

 そこには、父公爵の代理として邸内を仕切っている筆頭執事のセバスチャンがいた。

 彼もまた他の使用人同様にまず驚きで目を剥き、次いで妻のナターシャに問いかけるような視線を向けて頷き返されると、おもむろにその場に膝をついた。

 漆黒の執事服が汚れてしまうとおろおろする主の末娘に、お気遣いなくと小さく微笑みまで浮かべて。


「どのような本をお求めでしょうか?このセバスにお教えください、すぐに探して参ります」


 これには、エリカの方が驚かされてしまった。


 使用人の中でも最も偉い立場にある『筆頭執事』は、主である公爵とその邸に仕えている。

 そんな彼が自らの愛称を口にし、暗にそう呼んでも構わないという素振りを見せた。

 それは、公爵家の跡取り息子であるラスティネルと同様に、エリカのこともまた『主に連なる者』として認めた、という意味に他ならない。

 これは、エリカの外見が主の幼い頃にそっくりだったとか、一見すると病が癒えて元々の美しさを取り戻したからだとか、そういったことが原因ではないだろう。

 純粋に、彼女が凛と前を向こうとしているから……その心意気が彼女の外見、そして付き添っているナターシャを通じてわかったからこそ敬意を示した、そういうことなのだ。


 エリカは戸惑ったようにナターシャを見上げ、優しく頷かれたことでもう一度セバスチャンに視線を戻した。


「あの」

「はい」

「まりょくのせいぎょにかんする、ほんは、ないかしら?」

「魔力制御でございますね。少々お待ちください」


 どうぞ、と閲覧用の椅子を勧め、エリカが素直にそこに腰掛けたのを満足気に見つめてから、セバスチャンは素早く身を翻して書庫の奥へと消えた。



 その後、たっぷりと時間を使って戻ってきたセバスチャンは、その手に十数冊の分厚い本を抱えていて。

 それを見たナターシャは大いに呆れ、まだ5歳のお嬢様にそんなにたくさん読ませるつもりですかと、懇々と夫を諭し始めた。


「……ねぇ、マリエール。あのくらいなら、すぐによんでしまえるわよね?」

「…………私には無理です」

「そうなの?」


 本気で不思議そうな顔をするエリカを見て、あぁこのお嬢様はどこまで規格外なんだ、と若干遠い目になってしまったマリエールだった。




「おかえりなさいませ。おとうさま、おにいさま」


 数日後。

 領内の視察に出向いていた父が帰ってくるその夜、エリカは思い切ってエントランスまで迎えに出た。


 兄とは、あの兄妹愛を確かめあったあの日以降毎日顔を合わせているし、今では突然顔を見ても足が竦まないくらいにはなった。

 幸い兄以外に銀髪と呼べる髪色の者はいなかったし、ナターシャの采配で金髪のメイドもエリカの目に触れないところに配置されているため、ここ数日はとても穏やかに過ごしていられた。

 の、だが……問題は、パニック発作に陥ったあの時に真っ先に恐怖の対象認定してしまった父である。


 父の髪は銀灰色、銀髪というよりはややくすんだ色合いであるため、日の下でなければ問題はない、はずだ。

 ただ、これからのことを考えると、ずっと一生外で父と会わないというわけにはいかないし、兄で克服できたのだから父でできないはずがない、と本人のやる気だけは十分だった。

 とはいえいきなり外というのも刺激が強すぎるため、まずは夜にお出迎えするのはどうかというセバスチャンの提案により、こうしてエントランスで待っていたわけである。


 勿論、仕事帰りの父はもとよりそれに偶々同行していた兄にとっても、サプライズな出来事だった。

 二人は揃いも揃って玄関先でぽかんと呆け…………その中でもいち早く我に返ったラスティネルが父フェルディナンドの背をそっと押し、「ただいま、エリカ」と微笑んだところで


「…………エリカ……っ」


 フェルディナンドの涙腺が、とうとう決壊した。


 仕事着である高価なスーツが汚れることなど気にもせずにその場にがくりと膝をつき、メイドに両肩を支えられるようにして立っている末娘をぼんやり見つめながら、ボロボロとただ声もなく涙を流し続ける。

 その姿を嘲笑う者は、誰一人としていない。

 ここにいる者は皆、彼がどれだけこの末娘を思いやっていたか、愛していたか知っているからだ。


「おとう、さま……」


 きっと父は、かつての生でエリカが死んだ後もこうして泣いたのだろう。

 どうしてなんだ、誰にやられたんだ、ただ幸せに生きて欲しかっただけなのに、と己を責めて、苦しんでいたに違いない。

 なのにエリカは、最初から最後まで自分のことだけ。

 テオドールに踊らされ、フィオーラに騙され、そうして全てを失って初めて家族への、家族からの愛情に気付かされた。


 くすんだ銀灰色の髪は、もう怖いとは思わなかった。

 彼女は震える足取りで父に近づくと、ちょうどいい位置にあったその首にぎゅっと抱きつく。


「おかえりなさい、おとうさま」


 涙で服が濡れても構わない、むしろその涙は彼女を想って流されたものなのだから、誇ってもいいはずだ。


(大丈夫。私はちゃんと、愛されてる。……それだけで、もう平気)






「さ、エリカ。食事に行くよ」

「…………はい」


 差し出された手に、エリカはしがみついた。

 絶対に離れない、そんな必死さすら感じる仕草に微笑み返し、フェルディナンドはエリカの歩幅にあわせてゆっくりと歩き出す。



 兄だけでなく父とも無事和解したところで、エリカの世界はグンと広がった。

 これまでは体調不良や『金髪及び銀髪恐怖症』のこともあって部屋の周辺を出歩くくらいしかしなかった彼女が、毎日きちんと食堂で食事をとるようになったのだ。


「エリカ、もういいの?まだ半分以上残っているけど」

「……はい。ごちそうさま、でした」

「まだ少し多かったか。……無理する必要はないが、お父様はお前の体力が心配だよ」

「そうだ、エリカ。少しデザートを増やしてみようか?甘いものなら、まだ食べやすいし。厨房に相談に行ってきますね、父上」

「あぁ」


 エリカがあまり出歩かないのは、体力がない所為でもある。

 魔力飽和の病であった頃はその体型からか外に出るのも億劫で、人目に晒されることも嫌っていたので基礎的な体力すらついていなかったのだ。

 お陰で、病が快癒した今は折れそうなほどガリガリに痩せ細っており、ここからどうやって体力をつけていけばいいのか、周囲の者達が困り果てるほどである。



(えっと、確かこの前読んだ本はこの辺に……うーん、っと)


 そんな彼女が毎日のように通い詰めているのが、書斎ライブラリーである。

 ここは邸内に数ある書庫の中でもそれほど人の出入りのない場所で、エリカが好んで読む【地球】についての研究論文や記録書などが多く収められている。

 そのため、邸内で彼女がいなくなったらほぼ間違いなくここ、と言われているくらい彼女は頻繁にこの書斎に入り浸っていた。


【地球】というのは、この世界【ラーシェ】のちょうど裏側に位置するという異世界。

 異世界などありえない、絵空事だと信じられていた遠い過去に、しかし何人もの『落ち人』と呼ばれる地球人がこの世界に降り立ち、その文化を伝えてくれたため現在の魔術文化があると言っても過言ではない。

 最初こそ魔力の制御に関する本ばかりを読んでいた彼女も、そのうちの数冊から『落ち人』という不思議な呼称を拾い上げ、興味を持ち始めた。

 そうして、父の管理する書庫をあらかた探し終えたところで、兄にこの書斎の存在を教えてもらい、以降ここに入り浸っているというわけだ。



 5歳の彼女が手を伸ばしても届かない場所にある、過去の『落ち人』についての研究書。

 仕方なくうんしょうんしょと脚立を引っ張ってきて、ようやく手が届いたその本をちょうどいいからとそのまま脚立の上に座り込んで読み始める。


 半分ほど読んだところで「危ないよ」と苦笑交じりの声にやんわり窘められ、顔を上げると意外と近くに深い紫紺色の双眸があった。


 彼の名は、キール・ヴァイス。

 エリカがこの書斎に通うようになった初日、窓辺にあるライティングデスクで書き物をしていた彼と出会って、挨拶したのがはじまり。

 それから彼は数日おきにここへ来て、何をするでもなくぼんやりとエリカを見ていたり、時々話し相手になってくれたりしている。


 見た目年齢は成人して数年、といったところか。

 父である公爵の客人だと聞いた以外、彼についての情報は何もない。


(だけど不思議と、警戒する気にはなれないのよね。どこか、懐かしい気すらするし)


 以前会ったことはない、はずだ。かつての生でも、黒髪に紫の瞳という取り合わせの知り合いはいなかった、と思う。

 彼もはじめましてと言っていたし、懐かしいと思うこと自体おかしいのだろうとは思うが。

 それでも、あの父が客人としてここに置いているのだから、悪い人ではないんだろうと彼女はそう納得することにしている。


「熱心なのはいいことだけど、そんなところで読んでいたら危ないよ。さすがにそこから落ちたら無傷ってわけにはいかないだろうしね」

「……でも」

「そうだね、ここの椅子はちょっとまだ君には高いね。んー……だったら、ほら」

「……わ、」


 少し考えてから引き出しから何かを探し出したキールは、それを両手で挟んでポンと軽く手を合わせ、宙に放った。

 床につくかつかないかのところでむくむくと大きく膨らみ、それはたちまち巨大なクッションとなる。


「これはね、風の魔術を応用したエアクッションって商品だよ。君が今読んでる『落ち人』が発明したらしい」

「やわらかい……」

「うん、座り心地はいいと思うよ。長時間座るのには向かないかもしれないけど」

「どうして?」

「気持ちよすぎて寝ちゃうから」


 悪戯っぽいその言葉に、エリカは声に出して小さく笑った。




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