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6.かわるために、できること

今回、切りどころがわからなかったのでちょっと長めです。


 

「おにいさま…………あの、きいていただきたいことが、あるんです」



 ほのぼのと兄妹愛を確かめ合った二人は、ややあって照れくさそうに体を離した。


(うん……なんだかすっきりした気分。今なら、話しても大丈夫みたい)


 エリカは、思い切って『かつての生』について兄に話してみることにした。

 幸い、兄はエリカのパニック発作を『悪夢を見て魘された所為』だと勘違いしてくれた、それならその筋書きにしてしまえば多少荒唐無稽な内容であっても、精神状態を疑われることもないだろうと考えたのだ。


 夢の中の彼女は、いつも独りだった。

 家族は優しかった、だけどその優しさが辛くて仕方なくなったので、部屋に引きこもるようになった。

 姉の発案で側付きを決めることになり…………つまりそれは、彼女の婚約者探しも兼ねていたのだけれど、そうして選ばれた少年に彼女は恋をした。


 楽しかった、幸せだった。

 彼女の世界は彼だけで出来ていて、彼以外は目に入らないくらい夢中だった。


 そんな彼は、卒業後に神殿によって【聖騎士】に選出され……そして【聖女】と、結ばれた。

 二人にとっての邪魔者である、公爵令嬢エリカを亡き者として。



 彼女がとつとつと語る間、途中何度も鼻を啜る音が聞こえた。

 堪えきれない嗚咽が、漏れ聞こえた。

 話し終わって顔を上げると、黒髪の新人メイドはハンカチをグシャグシャにして泣きじゃくっていたし、ベテランメイドのナターシャは泣いてこそいなかったが痛ましげに顔を歪めている。


「それで、その、おにいさま……」

「うん、わかった。そのエリカを裏切ったという男が銀髪、騙した女が金髪だったんだね。夢とは言え……そんな現実的な光景を体感したんじゃ、トラウマになって当然だと思う」


 ラスティネルも、今にも泣きそうな顔になっている。

 だが彼は寸前のところで泣かず、代わりに酷く辛い夢を見た妹を慰めようと、ゆっくりと髪を撫でてくれた。


「ねぇ、ナターシャ。前に確か、母上が時々不思議な夢を見てたらしいって教えてくれたよね?」

「え、えぇ……。レティシア様ほど魔力の多い方の場合、占いよりも余程正確に未来を垣間見てしまったり、己に起こる災難を夢で知ったりすることがあるのだとか。どうやらそれは、精霊に好かれやすいのが原因だそうですが……」

「確か、僕も聞いたことがある。父様と出会った時、これが運命なんだと精霊に教えられたんだ、って」

「ええ、ええ。そうも仰っておられましたわ」


 だからね、とラスティネルは視線を妹に戻して、真剣な顔つきになる。


「エリカの見た夢は、予知夢の一種なんじゃないかと思うんだ。金髪の女性と銀髪の男性……二人はエリカと同年代だった……しかもそれなりに高位の貴族だ、と。うん、それだけわかればなんとかなるかも。父上が戻って来られたら、早速相談してみるからね」


 今のうちにノートにまとめておこうかな。

 そう告げて、兄はじゃあねと爽やかに部屋を出ていった。

 エリカが困惑している、その間に。


「え、えぇと…………いいのかしら」

「よろしいのではありませんか?わたくしも、話をお聞きしていて酷く腹が立ちましたわ。そんな身勝手な方たちなど、もし実在するならお嬢様に一歩たりとも近づけるものですか。ねぇ、レイラ?」

「はっ、はいぃぃぃ。おじょうさま、あたしも、おじょうさまをおまもりいたしますぅぅぅっ」

「…………ありがとう。きもちはわかったから、なきやんでちょうだい、レイラ」



 それからの、ナターシャの行動は早かった。

 彼女はメイド長だ、だからこの屋敷に務める女性の使用人に関する采配はすべて彼女に任されている。

 まずは、丸一日使って女性使用人全員と個別に面談し、現在ついている仕事に対する適性の見極め、及び今後やってみたい仕事に関する聞き取り、そして何より領主家族をどう思っているかと問いかけ、その返答の裏に蔑みやあこがれ以上の偏愛などが隠れていないか、丁寧に記録をつけていった。


 以前エリカの世話役を担っていたジュリアは下級貴族の令嬢とあって、ほとんどゴリ押しのようにエリカの側付きになってしまった……その所為で娘が殺されかけたことにフェルディナンドは深く後悔し、二度とこのようなことのないようにと、ベテランのナターシャにその監察を任せたのだ。


 今は夫となった幼馴染、筆頭執事のセバスチャンと共に長くこの邸と領主一族に仕えてきたナターシャは、己に任された仕事の難易度の高さに頭を抱えるどころか、むしろ「お嬢様のために」と張り切ってメイド達の割り振りを考え始めた。


 エリカを陰ながら【ヒキガエル】【恥さらし】【足手まとい】と蔑んでいた者は、実は結構多い。

 噂話にただ付き合わされただけという者もいたが、ひとまず積極的に陰口に関わっていた者はこの邸で働く資格なしと彼女は判断し、人数分の評価表をフェルディナンドに提出した。


 そして、その2日後


「この手紙と荷物を分家のセレスト夫人に」


 そう筆頭執事から『お遣い』を頼まれた数人のメイドは、そのまま邸に戻ってくることはなかった。

 その更に2日後、別の分家に同じように大量の荷物と手紙を託されて出ていったメイド数名もまた、戻ってくることはなく。


 あの手紙は公爵からのメイドの紹介状であり、大量の荷物は密かにまとめられた彼女達の荷物と、そして迷惑料代わりの特産物の山だったことがわかり、邸に残されたメイド達は今更ながらにガタガタと震え、心を入れ替えて働きますとナターシャに代わる代わる宣言してみせたという。


 というのも、不心得者という判断を下されたメイド達の向かった先……セレスト家ともう一つの分家は、どちらも使用人がなかなか居着かないとの噂でもちきりで、その理由は家を取り仕切る奥方がそれはもう礼儀やマナーや常識に厳しいからであると、で聞いていたからだ。




 さて、当のエリカである。


 かつての【エリカ・ローゼンリヒト】という少女は、魔力飽和という現代の魔術でも医療技術でも完治不可能と言われた病にかかっていたこともあってとてつもない人見知りで、性格は内向的、母方の祖父に似たというやや青みがかったアッシュブロンドには艶がなく、前髪も顔を隠すほどに長いので表情がわかりにくい。

 寝ている時はころんと丸まり、起きていても猫背。起き上がることができても肩身が狭そうに廊下の端を歩くだけ、そのうちそれも億劫になってついに引きこもり、という公爵令嬢としては規格外の鬱々としたネガティブガールである。


 要は、自分に自信がなかったのだ。

 父も兄も、そしてエリカを産んで早々に亡くなった母も、その母に生き写しの姉も、麗しいだの美しいだのという賛美を受けて当然の顔立ちをしているのだから、末娘であるエリカもまたその遺伝子を受けついているはずなのに。

 実際に、母に似た凛とした顔立ちの姉アリステアは絶世の美女と名高く、同じく顔立ちは母に、色合いは父に似た兄ラスティネルもまだ幼いながら美形候補と囁かれており、一見優しげな父も文句なしの美男子だと一時期騒がれていたそうだ。

 そんな父に顔立ちの似た、そして髪色は母方の祖父に、瞳の色は母に、そんな最高の遺伝子を受け継いだエリカは、魔力飽和の病が完治した今、ナターシャや専属世話役となったレイラに日々せっせと手をかけられている、のだが。


(まずは外見から、よね。第一印象は見た目が大事だと言うし。そうと決まれば……)


 彼女はまず、ベッド脇の呼び鈴をチリンと鳴らした。

 入ってきたのは、せめてレイラ以外にもう一人世話役が決まるまではと側についていてくれる、メイド長ナターシャ。


 かつての生では、幾度となく声を荒げてエリカの態度を諌めてくれた。テオドールの手を取って浮かれていた時も、最後の最後まで『あの方はお嬢様には相応しくありません』と苦言を呈してくれた、厳しくも心優しい女性だ。


 ごめんなさいね、貴方の言うとおりだったわ。そう心の中だけで深く詫びておいて、エリカは顔を上げた。真っ直ぐに、『命令』を待っているメイド長を見つめる。


「ねぇ、ナターシャ。かみを、きってほしいの。いちばんうまいひとは、だれ?」




 少々お待ちを、と頭を下げたナターシャによって部屋に呼びつけられたのは、マリエールという名のブルネットの少女だった。

 彼女は、去っていったメイド数名の代わりにセレスト家から寄越された、メイドの基本的教育が終わったばかりの新人である。

 彼女の実家は下町の理髪店で、その御蔭か一度ハサミを持たせればまるで奇術師のように器用に髪を整えてくれる、と他ならぬレイラが興奮気味にそう話していた。

 それ故のご指名だったのだが、まだこの邸にきて間もない新人メイドがいきなり主の溺愛する末娘の前に呼び出されたのだから、マリエール当人としては緊張するやら恐怖するやら困惑するやら忙しい。


 その気持がわからないでもないナターシャは小さくため息をつき、「落ち着きなさい」と彼女の肩をぽんと軽く叩くと、まずは鏡をよく見るようにと姿勢を正させた。

 鏡に映っているのは、どこか戸惑った表情をしたマリエール自身とその後ろで肩を支えるメイド長。そして。


「…………」

「…………?」


 不安げな表情で、だがしっかり前を向いて座っている『最高の素材』

 磨かなくても光るが、磨けば磨くほど最高級の輝きを放つようになるだろう、埋もれかけた逸材。

 ごくり、とマリエールの喉が鳴る。


 変えてみたい。己の手で、この素材を磨いてみたい。

 そんな庇護欲と理髪店の娘というプライドと職人気質と、色々なものが混ざりあった焦げ茶の瞳が、真っ直ぐにエリカを捉える。


「あ、あの……マリエール?」

「お嬢様、ほんっとーに、私のいいようにしてよろしいのですね?」

「え、……ええ。ナターシャが、つれてきてくれたのだもの。おまかせして、いいのよね?」

「ええ、勿論でございますとも。さ、マリエール。思うようにやってごらんなさい」

「……では、遠慮なく」


『やってごらんなさい』が『やっておしまいなさい』に聞こえた気がしたが、もうどうにでもなれとエリカは観念して静かに瞼を下ろした。



『まぁ、ローゼンリヒト公爵とそのご子息ですわ。銀灰の髪に黄昏時の空のような瞳……あぁ、なんて麗しいのかしら』

『後添いはいらないとはっきり仰っているようですけれど、勿体無いことですわね。ご子息にも母君は必要でしょうに』

『ねぇご存知?公爵が後添えを拒絶されておられる理由……公爵に横恋慕したメイドがご令嬢を殺めかけたからですって。でもこう言ってはなんですけど、あのご令嬢では無理もありませんわ。ねぇ?』

『……ええ、そうですわ。アレでは貰い手がつかないでしょうし……公爵もご子息もお可哀想に』


(やめて!そんなの、私が一番良くわかってる!だからやめて!もうやめて!)



「お嬢様、終わりましたよ」


 両肩に手を置かれてようやく、エリカは自分が浅い眠りの中にいたことを知った。

 俯いた姿勢のままゆっくりと目を開けると、睫毛に引っかかっていたらしい涙がぽろりと一粒零れ落ちる。


「まぁまぁ、怖い夢でもご覧になったのですか?」


(ゆ、め…………ただの夢にできたら、どんなにいいでしょうに)


 かつての生でも、エリカは父に心酔していたメイドによって殺されかけた。

 そのことで彼女を溺愛していた父は怒り狂い、それ以降自分を含めた家族の周囲に置く人間には殊更厳しくあたるようになっていった。

 後添えがいらないと公言したことについても、公にはエリカの受けた傷を明かすことなく、ただ前妻以外の妻はいらないと宣言しただけだったのだが、それでも社交界というところはどこから噂が舞い込むかわからない。

 社交界デビューの年齢になった彼女を待ち受けていたのは、父公爵や兄に憧れる数多の女性達による嫌味の洗礼だった。


 今冷静になって思い返せば、そうして嫌味をぶつけられている彼女の隣で、エスコートしていたテオドールは平然とした顔で彼女を気遣うことすらなかったように思う。

 もし彼に思いやる心があるのなら、バルコニーへ連れ出すなりダンスに誘うなりして彼女を気を逸らせたり、そうでなくとも優しい言葉のひとつかけてくれるものではないだろうか。


(結局彼は、最初から私を騙すつもりだったってことね。私、本当に見る目がなかったわ)


 神の気まぐれか、死神の悪戯か。エリカは再び生をやり直す機会を得た。

 理由はわからない、だが彼女にはそれよりも大事なことがある。



 促されて、顔を上げる。

 そこには、何十何百何千という魔力の塊が浮き出てぶくぶくと膨れ上がった醜い娘はもういない。

 母方の祖父譲りのアッシュブロンドを腰の辺りまで垂らし、サイドは鎖骨の辺りまでで切り揃えられてくるりと内巻きにカールしており、前髪もふわりと眉を隠す程度の長さに揃えられている。


 驚いたように鏡を見つめるその瞳は、肖像画で見た母と同じラピスブルー。

 これまではぼってりとした瞼の所為で半分以上埋もれていた睫毛は長く、くるんと上向きにカールしているため瞳全体がぱっちりと大きく見える。

 社交界の薔薇と称された母にも決して劣らない、父のどこか繊細な美貌をいい形で受け継いだ、正真正銘の美幼女がそこにいた。


「………………だれかしら、これ」

「誰って、お嬢様ですよ!私もまさか、ここまで変わるなんて思いませんでしたわ!嬉しい思い違いです」

「…………はぁ」


 まだ信じられない、そう言いたげに戸惑った表情のまま鏡を見続けるエリカに、背後にたったメイド二人は微笑ましそうにただ笑うだけだった。




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