58.永久の誓い
これで、本編ラストです。お付き合いありがとうございました。
どうにか友人たちによって救出されたエリカ・ローゼンリヒトは、カフェテリアで一息ついていた。
「それで、試験結果はどうだったの?」
「えぇ……合格していたのだけど、そのことで先生方からあれこれと提案を受けてしまって」
エリカは今日、卒業試験を受けに職員棟へと出向いていた。
本来彼女はまだ学生の身分であと三年は学ばなければならないのだが、彼女が精霊王の加護を受けていること、彼女が所属している魔術クラスでは既に学ぶことがないことなどを考慮し、学園長から特別にと卒業試験を受けることを提案されたのだ。
事情があって学園に長く在籍できない生徒の中には、飛び級試験を受けて卒業していく者もいる。
エリカも当初はそうする予定だったのだが、それより卒業試験を受けてみないかと提案されたことで、それならと受けて見事合格……というのは恐らく建前で、最初から卒業は決まったことだったのだろうと彼女はそう思っている。
彼女が長く学園に留まれば、浮足立つ生徒のみならず彼女と比べて自信喪失する者や嫉妬にかられる者など、いい影響ばかりを与えないと判断されたのだろう、と。
が、それを聞いた教師陣はこれ幸いとエリカを己の研究所へと引き入れようと、スカウト合戦を繰り広げていたということらしい。
「誰も彼も、光の精霊王の加護持ちという目でしかエリカを見ようともしないんでしょ。そんなの、断って正解だよ」
「でもそれは仕方のないことだわ。そうなることがわかっていて、リシャール様も私もあの大々的なお披露目を受けたんですもの」
エリカもリシャールも、一躍時の人となった。
領民や使用人達が喜んでくれるのは嬉しい、だが変に気を使われたり避けられたり、中には異質なものを見るような目を向けてくる者までいる。
我こそは後見人に、という的はずれな名乗りを上げてきた貴族には、フェルディナンドが丁重にお断りを入れた。
我が家と是非縁続きに、と実に気の早い話を持ち込んだ者もいたが、そこはご縁があったらと曖昧に誤魔化してやり過ごしている。
その他付き合いを持ちたいという商人や是非茶会へ、夜会へ、と誘ってくる者達については、随時断りを入れたりそこそこ応じたりはしているが、何処へ行っても誰と会ってもあの式典やあの国での話となるため、今ではリシャールもあまり外出したがらなくなってしまった。
ほとぼりが覚めるまでは断ろう、と先日そう言われたばかりだ。
「実際、エリカ様はこの後王宮に入られるんですよね?」
「ジェイド、それじゃまるで嫁入りするみたいだから。正しくは、王宮付属の研究所に入るってこと、だよね?」
「ええ。そちらの責任者を王太子殿下が任されておられるようだから。エルシア様のお話し相手も込みで、とお誘いいただいたの」
「……むしろ殿下の場合、妃殿下の話し相手の方が優先順位が高いんじゃないのか?」
「わたくしもそう思いますわ。お子様ができて、妃殿下も気鬱を抱えておられるとお聞きしておりますし」
王太子妃エルシアは現在妊娠中である。
二人目、ということもあってさほど体調も心配されてはいないのだが、公務が重なって心労が溜まってきた所為か、少々気鬱を抱えているらしいとも囁かれている。
そんな彼女の気晴らしに話し相手になってやってくれないか、と誘われたのはエリカだけではない。
マクラーレン侯爵令嬢、そしてアマティ侯爵令嬢……つまりユリアとレナリアも話し相手として是非に、と声がかかっているのだ。
エリカは、王宮付属の研究所へと通いで勤めることになる。
リシャールは相変わらず領主としてのあれこれを学ぶため、フェルディナンドについて領地を回ったり書類を読み込んだりする日々が続く。
「え、ということは遠距離?」
「そんなわけがないだろう、阿呆が。この奥方を、あのリシャール様が放っておかれるはずがないだろう?」
「それはそうだけど、でも」
「リシャール様のことだ、王太子殿下をお支えするのも仕事のうちだと王宮へ勤めに上がられるに違いない。幸いローゼンリヒト公はまだまだ現役、領主としての勤めはその合間にとのお考えだろう」
「…………えぇと」
エリカが説明する前に、リシャールを尊敬してやまないニコラスが代わりに全て説明してしまった。
どうにも妻の立場がない気がするが、ここは手間が省けたことを感謝して黙っておく。
実際、ほぼニコラスの説明通りだった。
リシャールは確かに次期ローゼンリヒト公爵として学ぶことが多い、だがフェルディナンドがまだ現役でしばらくは領主交代の必要もないため、それなら以前の約束を果たすためにと王太子の補佐を務めるべく王宮へと上がることになっている。
故に、しばらく二人は王都にある別邸で暮らすことになり、フェルディナンドが何らかの理由で領主を続けられられなくなるか、もしくはある程度次代が育った後に領地に戻ることになっていた。
勿論その間であっても、寂しがり屋の父を激励するため頻繁に領地へ足を運ぶことにはなるだろうが。
「エリカ」
迎えに来た、と低い声が耳朶を打つ。
出会った頃と変わらない、几帳面で生真面目な美貌の男。
出会った頃に比べたら、遥かに表情豊かになった心優しい旦那様。
立ち上がって駆け寄ると、彼は嬉しそうにワイン色の双眸を細めた。
「もういいのか?」
「はい。手続きは終わりましたし……荷物は後で送ってもらいますから」
「そうか」
二人揃ってカフェテリアを振り返ると、友人達は笑顔で手を振ってくれていた。
じきに、年度替わりの休暇だ。
今別れを惜しまずとも、どうせすぐにまた会える。
ここで別れても、彼らの付き合いが絶たれるわけではないのだから。
エリカも手を振り返してから、迎えの馬車にゆっくりと乗り込んだ。
そのまま王都の邸へと向かうのかと思いきや、馬車はゆっくりと郊外へと向かっていく。
エリカの視線に気づいたのだろう、リシャールは「寄り道をする」とだけ告げて、視線を窓の外へと戻した。
(いつもならもっと会話してくださるのだけど…………何か隠し事かしら?)
基本的にリシャールは嘘や隠し事を好まない。
それはエリカが子供の頃から変わらず、どうしても話せないことはそう言ってすまなそうに謝ってくれていた。
だがそんな彼でも、稀にだが隠し事をしようとする時がある。
大概はエリカを驚かそうと何か計画している時なのだが、悲しいかな彼のいつにない態度でそれにいち早く気づいてしまう彼女は、毎回どうやって驚こうかと考えてしまうくらいなのだ。
そんなわけで、微妙に隠しきれていないリシャールのサプライズイベントが待っているだろう郊外の何処かへ向かって、馬車は進んでいく。
流れる風景をなんとなく見つめていたエリカは、最近何処かで見たことがあるような建物を視界の端に捉え、首を傾げた。
それは、一生に一度のことだからと胸を躍らせて足を踏み入れた場所。
その一生に一度の誓いを立てることが叶わず、無念の気持ちだけ残して足早に立ち去った場所。
「さあ、エリカ。手を」
いつの間にか、馬車は停まっていた。
先に降りて手を差し出しているのは、あの日手を取り合って誓いの言葉を述べるはずだった夫。
「ここは……」
あの日あの時、婚姻式を挙げそこねた礼拝堂が今目の前にあった。
貸し切りにしてもらった、とリシャールは静かに語った。
「あの日、やむを得ない事情ではあったが婚姻式が挙げられなかったことで、ずっと気になっていた。私は、形式にはあまりこだわらない。事実上は夫婦なのだから、披露目などせずとも何も変わらないのだと。だがエリカ、君はそうではないだろう?」
12歳の頃、略式にとはいえ二人は夫婦の誓いを立てている。
その誓いを正式なものとするため、見届人のもとで改めて夫婦の誓いを立てる……その、はずだった。
女王が悪いとは言わない、彼女にも譲れないものがあったのだろう。
だとしても、やはりやりきれない気持ちは残っているはずだ。
エリカがどんなに気にしていないと言ったところで、心の色が見えてしまうリシャールには嘘だとわかる。
広く静かな礼拝堂に、二人きり。
一人は平服、一人は学園の制服、婚姻式のようなドレスも礼服もなければ、荘厳な音を奏でるオルガンもなく、見届人どころか神父すらいない。
「やり直しを、と言ったところで君はきっと遠慮するだろう?またドレスを用意するのは勿体無い、また見届人達に来てもらうのは悪い、と。だが、私は君がずっと気に病んでいるのを見過ごせない。これは自己満足だと思ってもらっていい。私が ──── 君に、誓いたかったのだ」
こちらへ、と導かれて二人は祭壇の前に立つ。
手を取り合い、向かい合って視線を交わし合う。
婚約をしたあの時、エリカはまだ幼かった。
対してリシャールは成人したばかりの青年で、その年齢差もさることながら身長差もかなり開きがあった。
ダンスをしても、エリカが一方的に振り回されるだけ。
話をする時もエリカが見上げなければ視線が合わず、いつも彼が身をかがめてくれていた。
子供と大人……最初は、契約から始まった関係だったはずなのに。
「ひとつ……君に、詫びなければならない」
リシャールが、ぽつりとそう呟いた。
「君に契約上の婚約を持ちかけたあの時……互いに割り切った関係だと、どちらかに想う相手ができればすぐに解消すると、そう告げたのは覚えているか?」
「はい」
「あれは嘘だ」
「……っ、はい?」
いきなり『嘘だ』と暴露されて、今更エリカはどうしていいやらわからなくなる。
(えぇと、つまりどういうこと?最初から、婚約解消は視野に入れていなかった、と?)
それこそどういう意味だろう?と未だ混乱する頭のまま、彼女はじっと夫となった男を見つめる。
結果的に婚約解消はしていない、それどころかまだ12歳という年齢で婚姻も結んでいるし、少なくとも悪い意味ではない……気はするのだが。
今更に懺悔のようにそう告白されても、全く意味がわからない。
エリカにまじまじと見つめられたリシャールは、珍しく白皙の頬を朱に染めて「その、」と口ごもった。
恥じらう彼も珍しいが、口ごもる彼は非常に珍しい。
「君の姿を初めて垣間見た時、その身を包む哀しみの色に心を惹かれた。哀しくて、胸が締め付けられた。こんな色を持っている君は、どんな人なのか……どうしようもなく知りたくなった」
「でも、あの時の私は」
「魔力飽和で膨れ上がっていた?……だったら何だと言うのだ?私にとって、外見など殻のようなものだ。見栄えは良い方が他人受けはいいかもしれないが、それで中身が腐っているのでは意味がない。私は、例え君があの時のままの姿でも、恐らく婚約を持ちかけていただろう」
「だけど以前は、っ」
「以前?」
今度は、リシャールが首を傾げる番だった。
(いずれ話さなきゃと思ってたことだったもの。大丈夫、リシャール様ならきっと信じてくださるわ)
エリカは、己の身に起こった一度目の悲劇を話して聞かせた。
魔力飽和の病が癒えず、次第に家に引きこもるようになり、皆に蔑まれていると自暴自棄になって治療も断り、そして姉が気を利かせて勧めてくれた絵姿の中から、あのテオドール・ユークレストを選んだこと。
テオドールの優しさに絆され、外に出るようになってから知り合ったフィオーラ・グリューネ。
友人だと思っていた、愛しい人だと恋い焦がれていた、そんな二人に卒業と同時に裏切られ、失意のうちに命を落としたかに思われたが、何故だかまた5歳の頃の自分に戻っていたこと。
そこで諦めず、勇気を振り絞ったことで今世では光の精霊王に認めてもらえたこと。
あのフィオーラも、かつての生の記憶があったらしいこと。その所為で、あの悲劇を生み出してしまったこと。
話し終わった彼女を、リシャールは静かに抱き寄せた。
「その『かつての生』で、私が君と会っていたのかどうかはわからない。君が邸に引きこもっていたというなら、会っていないのかもしれない。君と会っていないのなら、私も不遇の第二王子のままどこかに婿入りしていたのかもしれないが」
「それが、もしかしたらミーシャ王国の女王陛下の元だったかもしれない?」
「その可能性はないとは言えない。…………だが、エリカ。今は、違う」
腕を緩めて肩を抱き、額同士を合わせて至近距離から深い蒼と深みのある紅の瞳が見つめ合う。
「私、リシャール・ローゼンリヒトは、君、エリカ・ローゼンリヒトを生涯愛し、慈しみ、決して裏切らず、命の続く限り側に添うと、今ここに誓う」
「わたくし、エリカ・ローゼンリヒトは、リシャール・ローゼンリヒトを生涯愛し続け、時に労り、命ある限りその心に添うことをここに誓います」
「……やっと、誓えた」
「そうですね」
──── では、誓いの口づけを
そんな声がどこからか聞こえた気がして、その声にどこか聞き覚えがあるような気がして。
二人は揃って淡く微笑みながら、そっと唇を重ねた。
もうちょっとだけ蛇足にお付き合いいただける方は、この後の59話【番外編】と60話【後日談】までお供いただけるとうれしいです。
番外編はラス&レナリアの夜会編。
後日談はメインの二人のその後です。




