51.暴走従者の告白
なんか、色々すみません。
「まことに、申し訳ありませんでしたあああああああああっ!!」
石畳の上に座り込み、なおかつ上半身をべたりと地に伏せた格好で、黒髪の青年が悲壮な声を上げている。
南国ミーシャの女王陛下の暴言に、とうとうリシャールが本気でブチ切れたことで、正に一触即発の空気が漂い始めた礼拝堂前。
だがリシャールが次の言葉を発する前に、遠くから凄まじい速度で駆け寄ってきた黒髪黒瞳で何処にでもいるような顔立ちの青年が、警戒する騎士達の合間をすり抜けるようにしてこの姿勢になり、ひたすら頭を下げ続けている、という状況である。
あまりの突拍子もない出来事に、本気で激怒していたはずのリシャールでさえきょとんと目を見張り、その姿勢の意味を知らない者達は呆然とし、唯一それが何なのか知っているユリアは
「ス、スライディング土下座とか……生で見たの初めて……」
と、違う方向に驚いてしまっていた。
「いま来たばかりなので、うちの女王陛下がどんな失礼をしたのか存じ上げないんですが、それでも空気がここまで凍っているということは、この見た目悪役令嬢でプライド激高の本当はツンデレコミュ障なだけの誤解されやすい我らが女王様がなにかやらかしたに決まってます!ええ、間違いありませんとも!!」
「……つんでれ……」
「コミュしょ?」
「ちょっとリュー!!黙りなさい、この無礼者っ!!わたくしをなんだと思ってるの!?」
周囲が唖然とする中、いち早く立ち直った女王陛下が恐らく自国の者であろうリューという青年に向かって喚き返す、が。
「そっちこそお黙んなさい、我儘女王様!せっかくウィスタリアに逃れられたっていうのに、俺が王城に挨拶という名の根回しに出向いてる間にいなくなりやがりましたよね!?あまつさえさっさと一人でヴィラージュ王国まで特攻した上、今からラブラブ結婚式ーなところに乱入したばかりか、多分ですけどすっげー失礼なこと言ったでしょ!?言いましたよね、絶対!あんたの言葉はとにかく誤解されやすいんですから、他国では下手なこと言うなってあれだけ言われたでしょうが!ああ、もう!あんたの教育係がそれ聞いたら、今度こそツルピカハゲ太間違い無しですよ!そんでもって、事あるごとに『このハゲーっ!!』って怒鳴られる未来が見えますよ!ああ、可哀想な教育係!」
一度は毅然と顔を上げたものの、再び突っ伏したかと思えばヨヨヨ、と泣き崩れる青年。
唖然としていたエリカも最初はハラハラしながら青年の言葉を聞いていたのだが、徐々に顔を真っ赤に染め上げて何かに耐えているような表情になっていく女王陛下の様子に、あれ?と少しだけ考えを改めた。
(この方の言葉が本当なら……女王陛下って、ただ不器用なだけの方なのかしら……)
だとしても、さすがにあの暴言は許しがたい。
どういう意図を持ってあんな言葉を発したのか、それがわからないことにはこのままなし崩しに「じゃあもういいです」と言う気にはなれないのだ。
「…………このままでは埒が明かないな」
はぁっ、と溜息をついたのは王太子レナートだ。
彼はこの場の代表者としてこの女王陛下がどんな言葉を発したのか、それをリューという青年へ伝えた。
その言葉を受けて、それ以前に彼女が何を言ったのかをフェルディナンドが補足する。
「………………そんなことだろうとは思ってましたが……予想以上だった……もうこうなったら、俺がこの場で首を掻っ切ってお詫びするしか方法が……」
「そんなこと、わたくしが許すはずがないでしょう!!」
「もとはといえばあんたの暴言の所為ですよねええええ!?」
ふざけんな!!とリューはガバリと起き上がり、飛びかからんばかりの勢いで女王陛下の頭をグイグイと上から押して、無理やり頭を垂れさせた。
「痛いっ!なにをするの、乱暴者っ!!」
「土下座しろとまでは言わないですから、せめて頭くらい下げてくださいよ!」
「わたくしは一国の女王なのよ!王が下々に頭を下げるなんて!」
「だーかーらー!!ここは自国じゃないし、さして付き合いもないし、しかもうちの国のために今から聖女様にお力を借りなきゃいけないのに、あんたが暴言吐いたからマイナススタートじゃないですか!!頭くらい下げられるでしょう!国を守るためですよ!」
下げろ、嫌よ、の不毛な攻防戦が目の前で繰り広げられている。
ユリアだけは何か言いたそうにしていたが空気を読んでおとなしくしており、他は呆れ返って視線をそらす者までいる。
どうしたものか、と泣きたい気持ちになりながらエリカが視線を礼拝堂の方へと戻すと、何事かと扉の隙間から何人かが顔を覗かせているのが見えた。
(婚姻式……こんな状態じゃ、強行できないわね)
以前一度、略式ではあるが婚姻の誓いをたてたことならあった。
だから今回はお披露目という意味合いが強いのだが、それでもせっかく誂えたドレスを着て一生に一度に晴れ舞台に臨む、その儀式がどうやら中止になってしまうようなのは、正直に言って残念だ。
例えこの女王陛下の国が一刻を争う危機に陥っているのだとしても、それはそれ……自分の晴れ舞台が台無しになっても構わない、とまではさすがに思えない。
(だって私は ──── 【聖女】じゃないんだもの)
我が身を顧みず、罪のない国民を助けるために、例え貶められても暴言を吐かれても、持てる力を余すところなく分け与える……それこそが【聖女】なのだというなら。
少なくともエリカも、そして一度はその地位についたはずのフィオーラでさえも、【聖女】ではないと言い切ることができる。
仕方がない。だって彼女は……彼女達は、感情を伴った【人】なのだから。
場所を移そう、とレナートがそう提案したことで一行はぎゃあぎゃあと言い合っている主従を無理やり引っ張って、礼拝堂の中へと移動した。
ひとまず先にフェルディナンドとラスティネルが駆け戻り、礼拝堂の中で待機してくれていた見届人達一人ひとりに丁寧に詫び、事情は詳しく話せないがどうやら外交問題が勃発したらしいからとだけ説明し、馬車を呼んでお見送りまで請け負う。
そして直接的な関係者しかいなくなった時点で、控室で待たせていた騒ぎの当事者二人を呼び出し、改めて説明を求めた。
────── 主よりは冷静で空気の読めそうなリューに対して。
と、その前に。先程からずっとモノ言いたげだったユリアが、とうとう我慢しきれなくなったように口を開いた。
「ねぇ、貴方って【落ち人】だったりする?」
「は?……いやいや、やだな~お嬢サン。俺がそんな大層なモンに見える?俺は至ってフツー。こっち生まれのこっち育ちデスヨ?」
「ふぅん、そうなの?リューさんって、ジョニーズのテッキーに似てるから、仲良くできたらなーって思ったのにぃ。ざぁんねんっ」
「え、え?テッキーって……えぇっ!?俺がジョニーズ顔!?こっち来てから『凹凸が少ない』だの『薄い』だのしか言われてこなかったこの顔が!?マジで?しかもしかも、こぉんな美少女に『仲良くしたい』だなんて言われるなんて、コレが異世界補正っていう…………ハッ!俺は今なにを!?」
しまった!と気づいたときにはもう遅い。
周囲は……あの失言女王でさえ冷ややかな目で見つめる中、ユリアだけがにっこりと『必殺、乙女の微笑み』を浮かべて小さく拍手している。
「はーい。言質取っちゃいました~。同じ【落ち人】同士、仲良くしてね、リューさんっ」
「あああああ…………美少女、怖い……」
「俺はリューヤ・シノヅカ。こっちではリューって名乗ってます。今から7年前、落っこちた先がウィスタリアの端っこだったんですけど、そこでまぁ迫害されたりとか色々あって。で、漁船に密航してたどり着いたのがミーシャでした」
彼はここでも奇異の目で見られ、いい加減自暴自棄になっていたところを、当時まだ世継ぎの王女だった現女王陛下に拾われたのだという。
そこでも馬車馬のようにこき使われたが、それでも王女は彼を【落ち人】だからと差別することなく接してくれた。
いかにも悪役顔の見た目と誤解されがちな上から目線の言葉遣い、そして貴族にありがちなあえて言葉を省いた言い回し、それらに彼が馴染んだ頃ようやく王女は即位して女王となり、彼はその従者として仕えることを自ら決めたのだという。
「……さっき聞いたお話だと、明らかにこの女王様の言い方が問題なんだと思いますが……あえて蒸し返しますと、『幼すぎてお相手が務まらない』というのは聖女様を貶めたわけではないと思います。その、確かに婚約されている方に対して求婚するというのは失礼だと、そこは同意します。ただ、その婚約者というのがあまりに幼い方だとお聞きして……陛下は、可哀想だと仰ったんです」
「ちょっと、リュー!」
慌てたように女王が割って入ろうとするが、リューは首を緩々と横に振ってそれを諌める。
「経緯を聞けば聞くほど、一方的な政略の臭いがする。公爵の娘といえど、まだ幼いのに政略の道具にされるのはあまりに哀れだ。それにもし想いが通ったとしても、ある程度成長するまでは対等に並び立つことすらできない。互いに我慢を強いられる関係など、辛いだけだ。彼ならこちらの王配として迎えるにも相応しい身分なのだから、想い合っていないだろう今のうちに割り込んで壊してしまえばいい……と。陛下は、そういう方なんです。考えようによっては傲慢で、我儘なだけのようですが」
もしかしたら本当はそれだけかもしれませんけど。
そう言いながらも、苦笑を浮かべたリューの表情はその最後の付け足しの言葉を否定している。
主はただ不器用なだけだ、ただまっすぐに国を思い、王たらんと欲し、舐められないように上を向き、あえて他を見下すような姿勢をとり、だけど根は優しい女性なのだと、そう言外に告げている。
「どんな意図があるにせよ、国の代表者や国の至宝と呼ばれる方々に対して陛下がとった態度は、一国の王としては最低レベルのものだと俺は思います。だから…………いえ。だけど、あえてお願いします。どうか、我が国に来て灰色の闇を晴らしてください」
「それは……随分と都合のいい言い分だな」
「わかってます。だから俺も言葉を飾らず本音で言います。俺は、あの国がどうなろうと、この大陸が滅ぼされ尽くしてしまおうと、そんなことどうでもいい。俺を拒絶して、迫害したやつらなんて、死ねばいいとすら思ってる」
「リュー!!おやめなさい!」
「けど…………この優しい女王陛下だけは、死んで欲しくない。この人だけが、俺を認めてくれたんです。この人がいなかったら、今の俺はいない。だから、お願いします。この人の願いを叶えてください。この人が大事に大事に育ててるあの国を。見守っている国民を。どうか、お願いします!」
座ったまま頭を下げたリューを、隣りに座る女王は歯がゆそうな面持ちで見つめると、その視線をレナートへと移して ──── 静かに、頭を垂れる。
今度は誰に強要されることもなく、自ら進んで。
「恥を忍んでお願い致します、レナート王太子殿下。どうか……我が国を。我が国を覆う灰色の闇を、晴らすためにお力をお貸しください。先程の失礼については、後ほど如何様にも罰は受けるつもりですわ。ですが時は一刻を争いますの。どうか、お願い致します」
屈辱のためか、膝の上で握りしめた拳が軽く震えており、真っ赤に色づいた唇も噛み締めすぎて血が滲んでいたが。
それでも彼女は、一国の王としての使命を何より優先させた。
その姿に、冷徹な眼差しを注いでいたレナートも、ようやく表情を僅かに緩める。
「事情を、伺いましょう。支援を行うかどうかは、その後決めさせていただきたい」
それは、ようやく国の代表同士としての対話が始まった瞬間だった。




