50.食い違った歯車
記念すべき50話目です。
が……どうしてこうなった。
エリカは、外へ駆け出した。
背後から慌てたような声で「お待ち下さい!」「どうぞお戻りを!」と警護の騎士達の声が聞こえるが、それでも彼女の足は止まらない。
この日のために、家族と相談して仕立てた最高級のドレスを翻し、色を合わせたパールブルーのヒールで石畳を蹴りながら、せっかく綺麗に結い上げた髪が解けるのも厭わず。
ウィリアムの伝言を聞けば、きっとリシャールも駆けつけてくれる。
その場に参列している他の見届人達には申し訳ないが、自分達絡みでの問題が起こっているというのに、単なるお披露目でしかない婚姻式を決行する気にはどうしてもならなかった。
「お父様、お兄様!」
息を切らせて駆け寄った先には、ウィリアムの言葉通り派手な色合いのドレスを身に纏った女性と、そんな彼女に真っ向から睨みつけられてもそこを動こうとしない頼もしい父、周囲の騎士達に警戒を呼びかけて配置を確認している勇ましい兄の姿。
彼らは、決してこの場には近づけたくなかったエリカの存在に目を剥き、
「来るな、エリカ!戻って式を挙げなさい!」
「父上、ここはやはり僕が!父上はエリカを連れて戻ってください!」
そう言って、なんとしても彼女を関わらせまいと声を荒げた。
が、時既に遅し。
彼女こそが狙っていた張本人の一人だと気づいたドレスの女性は、「お前がそうなのね?」と真っ赤なルージュを引いた唇を嬉しそうに吊り上げた。
「お前が、エリカ・ローゼンリヒト……確かに、聞いていた容姿と一致するわ」
「はい。わたくしがローゼンリヒト公爵家次期当主の妻エリカです、はじめまして。わたくしに御用だと伺いましたが?」
女性は、美しかった。
フィオーラのような華やかさとも、レナリアのような凛々しさとも、ユリアのようなひたむきさとも違う、妖艶なという言葉がぴったりの大人の女性。
年頃はエリカよりもリシャールに近いだろう、だからこそ彼女はあえて『次期当主の妻』だと自己紹介して、牽制してみた、のだが。
女性は唇の端を吊り上げたまま、「ええ、そうよ」と挑発的に腕を組んだ。
そうすると、ただでさえ豊満なバストが更に強調されてしまい、正直目のやり場に困ってしまうのだが。
「お前、光の精霊王の加護を受けているそうね?だったら今すぐ我が国に来なさい」
「え?いえ、ですが他国に出るにはそれなりの出国手続きが必要で」
「そんなもの。このわたくしが命じたのだと言えばすぐに通るわ。……わたくしは南国ミーシャの第99代目女王カサンドラ・メリア・ミーシャ。我が国を覆い尽くさん勢いで流行している病を浄化させるため、このヴィラージュ王国に誕生したという【聖女】を迎えに来た。これは一国の主の命令よ、従いなさい!」
────── 【聖女】
それは、エリカやその親しい者達の間で禁句になっている単語。
確かに光の精霊、それも最も高位である精霊王の加護を受け、更にその姿まで顕現させられるほどの使い手となれば、【聖女】と奉られてもおかしくはない。
実際あの凄惨な事件以降、何度も王家から呼び出しを受け、それ以上の頻度で正神殿から誘いをかけられ、そのたびに父や兄、リシャールが替わってやんわり断ってくれていることを、エリカも知っている。
断りきれない数度に一度の呼び出しには応じるが、その時は身内以外に側付き二人に領地の信頼のおける護衛数名、更にかつてリシャール個人の護衛だった元近衛騎士数名も同行するという、実に物々しい道行きである。
それに対して、神殿側も王家側も何も言わない。否、言えないのだろう。
何しろ相手は、歴史上稀に見る光の精霊王の愛し子。
その伴侶は、稀ですらない史上初の闇の精霊王の加護を受けた者。
国としては当然手放せない貴重な人材であり、決して害されてはならない重要人物達であるのだから。
もし彼らが害されるようなことがあれば、その時は加護を与えている精霊王がきっと黙ってはいない。
ただ加護を与えているだけの闇の精霊王はともかく、加護を与えた者を『愛し子』と呼ぶ光の精霊王の怒りを買ってしまったら…………害した者のみならず、背後にいる者、属する国、全てが壊し尽くされてしまうかもしれないのだ。
故に、国や神殿は彼女を決して公には【聖女】とは呼ばない。
彼女がその呼び名を厭っていることを聞かされているからだ。
(せい、じょ……彼女が、欲した名前。彼女が、欲した居場所)
この2年で、フィオーラとテオドールが起こしたあの事件の夢を見る頻度は減った。
白いドレスを見るたびに、鮮やかな金の髪を見るたびに、彼女を思い出してしまうけれど。
彼女の夢を見た朝は、怖くて、歯がゆくて、不甲斐なくて、涙が出てしまうけれど。
よりにもよって、フィオーラが欲した称号が今エリカの上にある。
そしてその立場であるが故に、南国の島国ミーシャの女王陛下自らが己の国の救い手にと彼女を求めてやってきた。
南国ミーシャは、この大陸の南に位置するウィスタリア公国の更に南、海に浮かんだ三日月の形をした島国である。
肌は浅黒く、男性も女性もふっくらとした体型の者が多くてのんびりとした性格。
このミーシャ原産の果物がここヴィラージュ王国でも人気で、菓子の味付けやジュースなどで味わうことができる。
ただ南国である所為か大型で新種の虫が多いらしく、時折そんな虫が人にまで感染する恐ろしい病の媒介となって流行病が広がってしまう、ということもあるのだという。
今回もそんな流行病かと、当初は慌てず騒がず医師団を結成して町や村を見て回ったのだそうだが、何が原因なのか突き止める前にその医師団すら病に倒れて床に臥してしまった。
これはもしかして呪詛の類かと魔術師に探らせるも、国全体を覆うような灰色の何かがぼんやり見える程度で、それ以上詳しいことはわからずじまい。
とうとう国の重鎮達まで病に倒れ始め、これはいけないと女王の近衛達が一致団結してせめて女王だけはと、ウィスタリア公国へ逃してくれたのだそうだ。
「わたくしは女王。国を見捨てて逃げ出すことも、国が病んでいくのを見過ごすことも許されない。だから【聖女】、わたくしと共に国に来なさい。灰色の何かとやらが浄化できれば、きっと病も落ち着くはず。光の精霊王の力があれば、その程度のこと容易にできるでしょう?」
さあ、と力強い視線に促されたエリカは迷っていた。
確かに彼女が一国の女王であるなら、たかだか公爵家の娘である彼女に拒否権はないに等しい。
だが同時に彼女はここヴィラージュ王国の国民であるのだから、例え王族と言えど他国の者に勝手について行きますと応じることもできない。
ただの公爵令嬢ならそれもできただろうが、光の精霊王の加護を受けた者だと認識された今では出国自体難しい。
目の前の誇り高き女王陛下が、恥を忍んで……いるようには到底見えないが、とにかく己の国のために他国の小娘に救いを求めて……いるようにも見えないが、エリカの力を必要としていることは伝わってきた。
だからこそ、迷っているのだ。どうするのが最善なのか、と。
「エリカ、待たせた」
静かな、声。
ここまで全力で駆けてきているだろうに、息切れ一つしていないその声は、エリカが待ち望んだ人のもの。
そしてその背後から、同じように必死に駆けてくるいくつもの足音。
「エリカ、無事っ!?」
「遅くなり、申し訳ありません!」
「次期公爵夫人を拐かそうとする不埒者はどこのどいつだ!」
「お兄様よく御覧になって。そちらのご婦人しかおられないでしょう?」
「全く……殆どの者にとっては人生一度きりの晴れ舞台だというのに、ぶち壊してくださった罪は重いですよ、女王陛下」
ユリア、ジェイド、ニコラス、レナリア、そしてリシャールの兄として見届け役に立候補した王太子レナートまで何故か駆けつけて、その場が一気に賑やかしいものとなる。
女王はうるさそうにその琥珀色の瞳を細め、闖入者をざっと見回してから最後にレナートを視界に入れると、「これはこれは」と満面の笑みになった。
「そちらにおいでなのは、数年前わたくしの求婚を蹴り飛ばしてくださった第一王子殿下ではないの。まさか手紙一つで済まされるなんて思っておりませんでしたわ」
この場にいる王族以外全ての者が「え?」と驚愕の視線をレナートに向けるが、彼は涼しい顔で肩を竦める。
「いくら一国の女王……あの頃は王女殿下でしたが、その求婚といえど既に婚約者の決まった者に『お前、他国の王族から求婚されてるけどどうする?』なんて打診できるわけがないでしょうに。弟はこの堅物そうな見た目通りの律儀者でしてね、自らが選んだ婚約者をそれはそれは大事に大事にしていたわけですし」
どうやら求婚相手というのがリシャールだったとわかると、今度は一同の疑いの眼差しがリシャールへと向く。
彼も話は聞いていたのか、若干居心地が悪そうにしている。
「それはお手紙にも書かれておりましたし、存じてますわ。だけど……」
ちらり、と意味ありげな視線をエリカへと向け、値踏みするように上から下まで眺めた後で、一言。
「 ──── 幼すぎて、お相手が務まらないでしょう?」
キィン、と耳鳴りがした。
今、この美しい人はなんと言ったのか。
自分を幼いとバカにするだけならまだいい、だが彼女はエリカが幼すぎることを理由にして自分こそが相応しいのだと勝ち誇っている。
「ちょっとジェイド、放しなさいよっ!!このクソ女、もう許さない!女王だかなんだか知らないけど、デカ乳だけが全てだと思うなよぉっ!!」
「ユ、ユリアさん!相手、女王陛下ですから落ち着いて!!それとちょっとお下品ですから、黙って!!」
ユリアが全力でキレていて、それをジェイドが全力で止めている。
「ミーシャ王国の特産物は我が国でも評判ですけれど……上がこれではね。わたくし、お友達に頼んで不買活動を始めますわ」
「まぁ確かに。病が蔓延している以上、活動せずとも輸入は止まるとは思うがな」
冷静に、だが視線だけは怒りを湛えたままのレナリアとニコラス。
「…………そういう性格が弟とは合わないだろうと判断したのだが。それに、他国に不法侵入しておいて、しかも我が国の至宝を奪おうとしたばかりか不当に貶めて。何がしたいのか理解に苦しみますよ」
呆れたような、王太子レナート。
兄も、父も、言葉こそ発しないが怒りを必死で堪えているのは表情でわかる。
側にいた騎士達も、驚愕半分憤り半分といった様子で、油断なく女王陛下の動向を見守っているようだ。
エリカも、これに対しては意義を申し立てたかった。
彼女のみならず、遠回しにリシャールまで貶められたのだ。
年の離れたエリカを婚約者に選んだ理由は彼から聞かされているし、形ばかりであっても彼は誠実であろうとしてくれた。
何度も、年の差を考えて不安になったことはある。
恋人がいるんじゃないか、想う人がいるのに我慢させているんじゃないか、そう思い悩んだこともある。
でも例え彼にそういう間柄になった相手がいたとしても。
それでも、真っ直ぐにエリカに愛を伝えてくれたリシャールを彼女は信じた。
だから、それは違うのだと反論したかった。
叶うならば平手打ちのひとつもしてやりたいほどに、彼女は憤っていた。
だけど
「…………私の【唯一】を、貶めたな」
許さない、と一歩前に踏み出したリシャールの背にかばわれるような形になった彼女は、息を呑んだ。
冷たい、冷ややか、無表情、人形、散々そう言われ続けたリシャールの整いすぎた顔立ちを、恐ろしいと感じたのはきっと初めてだ。
いつだって彼はどこか冷静で、感情を完全に制御しているようだったから。
(リシャール様が本気で怒っている……ただそれだけのはずなのに、こんなに威圧感があるなんて)
実兄であるレナートすらも知らなかったかもしれない、その姿。
もし今彼の感情の色が見えていたなら、それは底冷えするような冴え冴えとした蒼色だろう、とエリカはそんな場違いなことを思った。
女王陛下の暴走により、数話分予定が延びる予感がします。
後10話以内で終わる、かな……。




