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5.やさしい、おにいさま

 

『ぎんぱつこわい』


 そう叫んで実の父や兄を拒絶したエリカは、その後数日間熱を出して寝込んでしまった。

 治癒の能力を持つラスティネルが傍について治療すると言い出したものの、もし途中で目が覚めた時にまた同じようにパニックになったら大変だからとキールがそれに待ったをかけ、ならば仕方ないとフェルディナンドは退出したばかりのマティアスを呼び戻した。


「ったく……本来なら俺の仕事領分じゃねぇっつの」


 などとぶつぶつ言いながらも、彼は毎日通って休み休みにゆっくりとエリカの体内魔力の調整をしてくれていた。

 マティアスは直接的な治癒の魔術が使えない代わりに、体内の魔力を上手く循環させることで自然治癒力を高めようと考えたようだ。

 その方法が功を奏したのか、エリカは寝込んだ翌日にはもう目を覚まし、少しずつだが水分だけなら自力で摂取できるようになった。


 が、


「ご令嬢、まだ銀髪は怖いか?」

「………………ごめん、なさい」

「いや」


 やはりまだ、彼女の『銀髪恐怖症』自体は治っていないらしく、溺愛甚だしい父や心配で眠りの浅い兄の面会は許可されないまま。

 食事を運んできたり着替えさせたりするメイドも、比較的落ち着いた髪色のベテランが日替わりで担当することになり、今のところは更なるパニック発作を起こさずにすんでいる、という現状だ。




「……答えたくないなら構わないが……もしかして銀髪だけじゃなく、金髪も怖いか?」


 と、マティアスがそう遠慮がちに聞いたのには勿論理由がある。


 彼はフェルディナンドから事情を聞いただけだったが、エリカがパニックに陥って『銀髪怖い』と叫んだその時、彼女に食事を運んできた若手のメイドは僅かにオレンジがかった明るい金髪だったという。

 そして、怯えるメイドからどうにか話を聞いたところによると、彼女が入室して間もなくエリカが今回のパニック発作を起こした、ということらしい。

 フェルディナンドのように光の加減で銀色にも見える髪色というわけでもないなら、メイド自身の問題かとも思われたが…………確かに色々と問題のあるメイドではあったものの、一目見てパニックになるほどではなかっただろう、とマティアスも総合的にそう判断するに至った。


 ならばなぜか?

 それなら、銀髪だけでなく金髪もまた彼女にとってのトラウマであると考えれば、ひとまずつじつまは合う。


 その問いに、エリカは俯いたままひとつ頷いた。


「そうか。……なら金髪のやつも、遠ざけるように言っておかないとな」

「…………あの」

「ん?」

「とう、さまと、にいさま、は」


 どうなさってますか、と続いた声は掠れたように途中で途切れる。

 だがそれだけで、エリカが父や兄を遠ざけたことに罪悪感を抱いていると感じたマティアスは、彼にしては珍しく『優しく、とにかく穏やかに』と内心暗示をかけつつ、「大丈夫だ」と答えを返した。


「あの二人は、ご令嬢を本当に大切に思ってる。だから、何か理由があるだろうことくらいわかってるさ。……もし話せるようなら、落ち着いたらその理由だけでも話してやればいい」

「そ、う、です、ね」


 ごめんなさい、とぽつりと落ちたその呟きを、マティアスはあえて拾い上げずに聞こえなかったふりをした。




 コンコン、


「?」


 朝食を食べ終わったエリカが顔を上げたタイミングで、扉がそっとノックされる。

 メイドや執事ならしばらく待っていれば「失礼します」と扉を開いて入ってくるが、今ノックをした人物は部屋の外で立ち止まったまま、動く気配もない。


(えっともしかして…………この火の気配は、お父様?)


「おはよう、エリカ。食事中にすまないね」

「…………」


 いつもの父らしくない、弱りきったようなその声にエリカの胸が痛む。


 彼女だって、父や兄を拒絶したくないのだ。

 それどころか病気が快癒したことを互いに喜び合って、可能なら母の墓前に一緒に報告に行き、今は遠くの学園に通っている姉にも直接会って喜びを分かち合いたいところ、なのだが。


 あの瞬間、父の顔にテオドールが重なった。

 フェルディナンドの髪は落ち着いた銀灰色だ、テオドールのキラキラしい銀髪とは良く見れば全く違うはずなのに。

 それでも、最初に怖いと感じた気持ちは中々落ち着いてはくれず、彼女は未だに直接父に会って話しができずにいる。


「エリカ?もしかして具合でも悪いのかい?」

「い、え……だいじょうぶ、です。おとう、さま」

「そうか、ならいいが。…………実はね、領地の視察に出ることになって、これから数日留守にするんだ。何かあればラスに……いや、ナターシャに言うんだよ」


(そう。お父様、しばらくおられないのね……)


 寂しくないと言えば嘘になる。

 だが現状、まだ直接顔を見て話すだけの勇気を持てず、寂しいですと素直に甘えることもできず、ただ「お気をつけて」とたどたどしく声をかけることしかできない。




(なんか、嫌だな……こんなの。せっかく生まれ変わったのに、テオドールとフィオーラに呪われてるような気分)


 見返したくないか?

 そうルクレツィアに問われ、彼女は頷いた。

 もう一度やり直せるなら、あの時のような愚かで盲目的な行動はもう取らない。テオドールもフィオーラも信用しない、懐に入れない、何が何でも見返してやる、そう決めた。

 なのに今の彼女は、その二人の影に怯えたまま身動きが取れなくなってしまっている。


 そんなのは嫌だ、なんとかしなくちゃ。


 小さな手でぎゅっと拳を握ったところで、今度こそメイド長のナターシャが「失礼します」と部屋に入ってきた。

 いつものように食事のトレイを後ろに控えた黒髪のメイドに渡し、そして代わりに受け取った小さな鉢植えを窓際のローテーブルにそっと置く。

 開いた窓から吹き込んだ風が、ふわりと優しい香りをベッドまで運んできて、エリカはぱちぱちと不思議そうに瞬きして見せた。


「……これは?」

「庭に咲いたローズマリーですわ、お嬢様。ラスティネル様が、是非お嬢様にと」

「おにいさま、が……」

「はい。お嬢様があのように取り乱されたのは、もしかして悪い夢を見た所為かもしれない。だから魔除けの効果もあるこのローズマリーを、と仰って」

「おにいさま……っ」


 なんて、優しいのだろう。

 なんて、思いやり深いのだろう。


 怖いと家族に拒絶されれば傷ついて当然だ、何て理不尽なと怒ってもいいくらいだ。

 それなのにまだ10歳の子供でしかない兄は、妹が落ち着けるようにと必死で考えて、こうして贈り物をしてくれている。


 殆ど無意識に、エリカは立ち上がって黒髪のメイドが控えているその後ろ、部屋の扉を目指していた。


「お嬢様、どちらへ!?」

「おにいさまのところ」

「いけませんわ、マティアス先生からまだご家族への面会は禁じられております」

「でも、おにいさまに、わたし、ひどいことして、だから」

「……わかりましたわ。でしたら、このナターシャにお任せを」


 跪き、おろおろとする主に視線を合わせると、ナターシャはそのココアブラウンの双眸を柔らかく細めた。




 しばらく待つように言われたエリカは、所在なげにベッドの端に座ったままぼんやりと窓辺のローズマリーを見つめた。


『悪い夢を見た所為かもしれない。だから魔除けの効果もあるこのローズマリーを』


(確かに、あれは悪い夢だわ……現実になんて絶対にしたくない、最悪の部類の悪夢よ)


 その悪夢の中で、エリカは早々に病の治癒を諦めて部屋に引きこもってしまっていた。

 誰の言葉も聞かず、誰の顔も見ようとせず、時にはメイドに当り散らして。

 きっと、父はそれでも愛してくれていただろう。

 きっと、兄は心配してくれていただろう。

 きっと、姉は怒り心頭でやきもきしていただろう。


 変わらなきゃと決めたのは、自分。

 いつまでも『銀髪怖い』『金髪怖い』と引きこもってなどいられない。


 それはわかっているのだが、いざ兄と対面するとなると本当にパニックを起こさずにいられるのか……もしかしてまた兄を傷つけてしまわないか、そのことが怖くて堪らない。



 コンコン


「!」

「お嬢様、ラスティネル様がお見えでございます」

「は、はいっ」

「エリカ、入るよ?」

「ど、どうぞ……」


 カチャリ、と扉が開く音がする。

 いよいよだ、とぎゅっと拳を握ってエリカはもう一度ローズマリーを見つめる。


(悪夢になんて絶対に負けない。ここにいるのはお兄様……大好きなお兄様なんだから!)


 ゆっくりと、近づいてくる足音。

 いつも図書室にこもってばかりだからか、僅かに古書や墨の匂いがする。


「エリカ……やっと、会えた。ずっとずっと、会いたかったよ」

「わたしもです、おにいさ、………………ま、?」

「うん?」


 顔を上げる。

 そこには確かに、覚えている通りの兄の顔。

 父と同じブルーグレーの瞳に、恐らく母から譲り受けただろうキツめの顔立ち。

 だけど。

 父のそれよりも鮮やかな、銀髪は。


「………………ちゃいろ……」

「あぁ、これいいでしょ?ナターシャがね、どこからか探して持ってきてくれたんだ。本当は女性用らしくてこんな長い髪になっちゃったけど、でも銀髪を隠せるならって思って。大丈夫?怖くない?」

「え、えぇ……」


 恐らく仮装用なのだろう、明るい茶色のストレートヘアを模ったそのかつらは、まだ10歳のラスティネルには大きすぎるらしく、ずれないようにと時折手で直しながら照れたように微笑んでいる。

 確かにこれは怖くない、怖くはないが……。


(お兄様は私のために、こんな違和感しかないかつらまで被ってくれた。私を怖がらせないために)


 そのあまりの優しさに、思わず涙がこぼれた。


「エ、エリカ!?」


 ぽろぽろと流れ落ちる涙は、どんなに頑張っても止まってはくれない。

 思えば、過去の生でもこれだけ素直に泣いたことなど、数えるほどしかなかった気がする。


 あの頃は、いつもいつもテオドールが彼女を甘やかしてくれていたから。

 汚いものなど見せないように(本当の意図に気付かせないように)

 優しい言葉しか耳に入れないように(余計なことなど考えないように)

 そうして、盲目的に偽りの愛を信じさせて…………いずれ、裏切るために。


「エリカ、どうしたの、やっぱり怖い?」

「いいえ、いいえ、おにいさま」

「だったらどうして……」

「おにいさま、だいすきです」

「っ!!」


 ぎゅっと、体ごと抱きつく。


 以前の体では、できるだけ他人に触れないようにと気を遣っていた。

 そうしないと、押しつぶしてしまいそうだったから。

 実際はそれほど体重は変わっていなかったのだが、それでもやはり醜い見た目を厭われるのは嫌だったから。

 家族達にも触れないように、誰も彼も拒絶していた。


 だから、こうして抱きつくのは正直恥ずかしい。

 だけど、今なら素直に甘えられる気がしたから。



 突然の衝撃に、ラスティネルの頭に乗っていた茶色の塊が床に滑り落ちてしまっても。

 視界の端に、長く伸ばしかけの銀髪がキラキラと輝いて見えても。

 それでも、エリカは身体を離さなかった。

 大丈夫、大丈夫、と自分の気持ちを落ち着かせて、とくとくと早く脈打つ兄の鼓動を感じながら、そっと目を閉じる。


「ぼくも、大好きだよ。エリカ」


 まるで身体に染みこむように響いてきたその声に、エリカは嬉しそうに、照れくさそうに微笑んだ。



ほのぼの兄妹愛。


※タグに「ブラコン」「シスコン」親バカ」を追加しました。


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