48.かくも愛しきハロウィーン【閑話】
お待たせしました、といっても今回は閑話です。
テーマはハロウィン。時期的には前話の一年後くらいを想定してます。
お父様の暴走注意報発令。
「そういえば、ちょうどこんな季節かなー。あたし達の世界ではね、ハロウィーンって行事があるの」
それは、ユリアのそんな言葉から始まった。
秋も深まり、あちこちで紅葉が見られ始めるこの季節。
学園では中間考査が終わり、皆一様にホッと安堵の息をつくこの時期、各地では『収穫祭』という催しが行われる。
平たく言うと、今年一年もたらされた大地の恵みに感謝する日……豊作の年であればそれはそれは盛大な祭りとなり、不作の年であれば翌年の豊作を願って祈りを捧げる、厳かな祭りとなる。
今年は豊作であったため、王都をはじめとする各領地では盛大な収穫祭が行われるのだそうだ。
学園の長期休暇は夏と冬の二回、そして学年の切り替え時期である春に短い休暇がある程度で、秋は特に休暇は設けられていない。だが収穫祭の時期だけは領地に帰りたいという生徒が多くいるためか、学習のカリキュラムはひとまずおやすみとなり、帰省したければできるように配慮されている。
というわけで、エリカはローゼンリヒト領の実家へ帰ってきていた。
当然のようにユリアもそれに付き従い、護衛の任についてから実家にはあまり帰っていないジェイドも今回は一緒だ。
レナリアは一度アマティ侯爵家に帰って挨拶だけはするが、すぐにこちらへ合流して学園へは一緒に帰るのだと言っていた。ただ、ニコラスは実家の侯爵家の後継としてあれこれ仕切らなければならないため、冬こそは来訪したいと何故か妙に意気込んでいたが。
「ハロウィーン?それはどんな行事なの?」
「えっとね、詳しいことはあたしもよく知らないんだけど、簡単に言えばその日は皆仮装してワイワイ騒ぐお祭りって感じかな。仮装もね、魔女とか吸血鬼とか魔物とかにしなきゃいけなくて。えーっとそれから……『トリック・オア・トリート!』ってお互い言い合うの!」
「とりっくおあ?それはどういう意味なんですか?」
「お菓子をくれなきゃイタズラしちゃうぞ!って意味。他所の国だと、そうやってお菓子を貰って歩く子供がいるんだって。そういうのを真似するのが好きな国なの、あたしのいたとこって」
「へぇ……お菓子か悪戯か、なんて実に子供らしい発想ですね」
と、ジェイドが妙に感心したように呟く。
エリカも「微笑ましいわね」などと笑っているが、その隣にちょこんと座っているウィリアムはさっきからなにか言いたそうにうずうずしている。
「ん?どしたの、ウィリアム」
「ボク、その『はろうぃーん』やってみたいです!お菓子、たくさんもらえるですよね?お菓子がもらえなかったら、イタズラしてもいいです?」
「あぁ、ウィリアムなら確かにピッタリですね。そういうイベントなんだって言っておけば、皆喜んで乗ってくれそうですし」
キラキラと金の瞳を輝かせて身を乗り出す使い魔に、ジェイドもエリカもそれならいいかな、という方向で承認しかけた、のだが。
そこに、ユリアの爆弾が落とされた。
「それじゃせっかくだし、皆で仮装しようよ!ジェイドもエリカも、あとから来るレナにもやってもらおう?旦那様も意外とノってくれそうだけど……お硬いラス様は無理かなぁ?」
「ユ、ユリア?貴方、もしかして」
「うん!このローゼンリヒト領で大々的にハロウィーンパーティ、やれたら楽しいよね!」
「………………まずはお父様の許可を取ってちょうだいね」
エリカは諦め顔でそう言うしかできなかった。
結果的に言うと、領内で大々的にパーティ……は無理だった。
それもそのはず、領民を巻き込んでイベントを行うにはそれなりの準備期間、各町への通達、領民への告知など様々な根回しが必要だ。
学園がくれたおやすみは、移動時間を含めてたったの5日間。しかも今からイベントの企画を立てたのでは、実施までに到底間に合わない。
ということで当然フェルディナンドからの許可は下りず、やりたいなら来年までに企画書を出しなさいと厳しく申し渡された上で、だが家の中だけでならやっても構わないというお許しが出た。
ただし全員強制的に巻き込むのではなく、あくまでも自主的にやりたい者だけで、という制限がつくが。
「ま、しょうがないかぁ……仮装の衣装を作るだけでも時間かかりそうだし。うん、来年に賭けよう!今年はひとまず『トリック・オア・トリート』だけでも流行らせなきゃね」
「あ、そこはやるんですね」
「もっちろん。やりたい人だけになるけど、あたしはやるからね!…………で、できればエリカとジェイドもやってね……さすがに一人は寂しいから」
途中から途端に勢いをなくしたユリアを見て、付き合いの長いエリカもそれなりに長いジェイドも苦笑いしながら頷いた。
「トリック・オア・トリート!お菓子くれなきゃイタズラ」
「はい、ユリア様。ジンジャークッキーをどうぞ」
ふふ、と微笑ましそうに笑いながら、エリカの専属メイドであるマリエールは小さな包みをユリアの手のひらに乗せる。
その側をパタパタと慌ただしく駆け抜けようとしていた他のメイドも、ユリアが視線を向けた途端小さな包を取り出し、「これはロッククッキーです」と言って手のひらに乗せた。
二人が去った後、ユリアはメイド達から積極的に渡されたお菓子を眺めつつ
「こんなイベントじゃないはずなのに……あたし、ただお菓子をねだる子供みたいになってる……」
と、しきりに首をひねっていた。
さて一方、エリカが邸の中を歩き回っていると、エントランスの応接セットでジェイドが休んでいた。
明らかに疲れた様子の彼に事情を聞いてみると、どうやらメイド達に逆にからかわれて逃げてきたのだという。
「最終的にお菓子をくださるんですけど……その前に、『どのような悪戯をしてくださるのですか?』とか聞かれてしまって。その、まさか女性相手に悪戯とかって、そんなはしたないことできませんし」
「ふふっ、ジェイドもお年頃ですものね」
「おっ、お年頃とかっ、その、関係ないです、よ?え、えと、ええと、その、」
「ジェイドはそのままでいいと思うわ。はい、お菓子。コンペイトウという東国の砂糖菓子なのですって。日持ちするから、良かったら婚約者の方にも贈って差し上げて」
まだ公にはされていない、内々で決めたばかりの婚約について小さく付け加えられ、今度こそジェイドは真っ赤になってうつむいてしまった。
(ちょっとからかいすぎてしまったかしら?でもメイド達の気持ちもわかるわ。ジェイドったら、いつまで経っても可愛らしいんですもの)
外見は日に日に男らしくなっていくが、内面はそうすぐには変わらないらしい。
男らしい外見と可愛らしい内面とのギャップがたまらない、とそう噂しているメイドの話を聞いたことがあるが、エリカも少しだけならわかる気がする。
いつの間にか頼もしくなってきたからか、時々からかってみたくなってしまうのだ。
と、そんなことを考えながら次は何処へ行こうかと立ち止まった時
ふわりと背後から抱き寄せられ、そのまま姫抱っこをするように抱え上げられてしまった。
「やあ、可愛い私のお姫様。たくさんのお菓子を抱えてどこへ行くのかな?」
「お父様!」
視線を上げると、柔らかく微笑むブルーグレーの双眸。
忙しい執務の合間に抜け出してきてくれたのだろう、やや疲れが滲んだ顔はしかしまだまだ若々しく麗しい。
嬉しそうに肩に擦り寄ってくる娘を愛しげに抱き直し、フェルディナンドはその耳元で低く呪文を囁いた。
「『トリック・オア・トリート』……悪戯されたくなかったら、そのお菓子を寄越しなさい、可愛い子」
「お父様ったら」
「さあ、どうする?」
悪戯っぽいその笑みに、エリカも悪戯心がむくむくと湧き上がり、
「嫌です、と申し上げたらどんな悪戯をされてしまうのかしら?」
と問いかけた。
この可愛らしい反撃には、フェルディナンドも声を上げて笑い出す。
「ははっ、そうだな…………今日は一日お父様の膝の上、というのは?」
「あらお父様、それは悪戯にはなりませんわ」
「うーん、それは困った。……仕方ない、降参しよう。というわけで、ご褒美をもらうよ?」
「えっ?」
戸惑っている間に、頬にちゅ、と温かい感触。
小さい頃時折父がしてくれた親愛のキス、それをされたのだと自覚した頃には既に体はソファーに降ろされ、父は上機嫌で執務室へと帰っていくところだった。
「もう……お父様ったら」
これじゃお菓子じゃなくて悪戯ですわ、と羞恥半分戸惑い半分で頬をそっと押さえ、彼女は熱を持った顔を冷ますために庭へと足を向けた。
「あら、あちらにいらっしゃるのは……」
お兄様かしら、とそちらへ向かおうとしたエリカはしかし、途中で足を止めてゆっくりと方向転換した。
中庭の中心部、東屋にいたのは眩い銀髪の青年……エリカの5歳年上の兄ラスティネルに間違いないが、彼は一人ではなかった。
その正面に座っているのは、遠目で見ると黒に近い深いグレーの長い髪を背に垂らした女性。
エリカの知る限り、その髪色をした女性は一人だけだ。
(レナリア、もう来ていたのね。お兄様とご一緒、ということは……もしかして)
あの話かしら、と夏の休暇で帰省した時に兄からチラリと聞かされたことが頭をよぎり、それならお邪魔するのは無粋よね、とエリカはそっと中庭を離れた。
正面を向いていた兄はもしかしたら気づいたかもしれないが、追って来ないということはそちらの話が優先だと判断したということだろう。
なにしろ、ことはローゼンリヒト公爵家とアマティ侯爵家、という二大勢力に関わる話だ。
まだ内々のことだとはいえ、近い将来分家を立ち上げて若き侯爵となるラスティネルと、そこに嫁いでくることになるだろう侯爵令嬢、この二人の結びつきはそれだけで社交界の勢力バランスを変えてしまうほどの影響力を持っている。
更に、エリカの夫として婿入りするのが元第二王子のリシャール、とくればローゼンリヒト公爵家の力は絶大なものとなる。
本来なら他の貴族から危ぶまれるほどの権力集中具合なのだが、強い妬みや悪意を持って引きずり降ろそうとする策略などを避ける意味もあって、現当主であるフェルディナンドはあえて王城に仕官していない。
領主として報告の義務があるため定期的に登城はしているが、主にそれだけだ。
権力を持ちすぎるとロクなことがない、バランスが崩れすぎてはいずれ国が傾く、そう判断したが故に国政は他の高位貴族に任せて彼はあえて領地に引っ込んでいる、というわけだ。
「エリカ様、リシャール様がお戻りになりました」
「そう、ありがとう」
そういえば帰省してからまだ一度もリシャールには会っていない。
当然彼はユリアの『ハロウィーン』企画についても知らないはずだから、突然声をかけて驚かせてみたい。
そんな悪戯心が芽生えてしまったエリカは、軽い足取りでエントランスへと戻っていった。
少し伸びかけのハニーブロンドに、深みのある赤ワイン色の双眸。
突然の出迎えに、戸惑いながらも嬉しそうに瞳を細める旦那様に向かって、エリカはひとこと
「『トリック・オア・トリート』」
「………………ん?」
どういう意味だ?と首を傾げる仕草が妙に可愛らしく思え、エリカは少しだけ背伸びして耳元にこう囁いた。
「お菓子をくださらないなら、悪戯致します。どうなさいますか?」
「………………」
「あの、リシャール様?」
「………………」
ピシリ、と石像のように固まったままリシャールは身動き一つ、瞬きひとつしない。
余程衝撃的だったのかしら、と考えながらエリカは軽くその頬に触れてみた、のだが。
「っ!!」
ズザッ、と音がする勢いで大きく一歩後ずさられてしまう。
さすがに様子がおかしいからと、エリカも戸惑ったようにリシャールを無言で見上げてみたところ、じわじわと赤らむ頬を隠すように彼は手で顔を覆い、
「 ──── 保留で頼む」
「……は?」
そう言い残して、足早に玄関を出ていってしまった。
(保留?保留って…………いつまでお返事を待てばいいのかしら……)
待っているというのも恥ずかしいのだけど、とエリカは突拍子もなく仕掛けた自分の悪戯心を少々反省した。
そして、保留と告げて去っていったリシャールはといえば。
「……ダニエル、妻に『悪戯します』と言われたのだが……どうしたらいいだろうか?」
「ブハッ!!……おま、お前、それ真顔で聞くことか!?」
唯一なんでも話せる友人、ダニエルの元へ駆け込んでいた。
未だ婚約者の決まっていないダニエルにとってみれば、迷惑極まりないノロケを持ち込んで。
「あー、どんな状況下でそうなったのかはわからねぇけどな……悪戯したいってんなら、してもらえばいいだろうが。どうせあのお姫さんのことだ、たいした悪戯なんてできねぇだろ?」
「しかし、妻は愛らしい。そんな妻に悪戯されてしまったら、私の理性が今度こそ危うい。現に、少々危うかった。もしエントランスなどという公共の場でなければ、と思うと……」
「…………もう好きにしやがれ、このバカップルが」
俺だってイチャイチャしてぇわ、畜生。
そう悪態をつきつつも、結局夜中まで親友のノロケに付き合ってやった挙句、翌朝寝不足でぶっ倒れるダニエルなのだった。
そんなダニエルのもとに、御見舞と称して大量のお菓子を抱えたユリアが無理やり送り込まれるのは、その更に翌日のこと。
その御見舞を彼がどうしたか…………それは当人達だけの秘密だ。
第二幕、緩々更新再開します。




