44.慶事からの惨事
パーティ会場に入った瞬間、どうしてフィオーラが嘲りの対象となったのか。
理由はいくつかある。
まず、ドレスの色。
社交界において純白を身に纏っていいのは12歳の仮成人の儀を迎えたその場か、15歳のデビュタントパーティか、もしくは婚姻の際。
例外は正神殿で神に仕える高位の神官くらいだ。
次にドレスの刺繍。
ドレスに華やかさを添えるために刺繍を施すのはごくありふれているが、それでも昼間のパーティでキラキラと眩しい色を纏うのはマナー違反とされている。
エリカを含めて銀糸や金糸の刺繍をした令嬢は多いが、皆マナー通り艶を消した大人しいものだ。
だがフィオーラのそれは艶を消すどころかあえて光を放つ素材を使っているらしく、令嬢達は扇の下で目を細めたり視線をそらしたりしている。
そしてドレスの胸元。
刺繍の色と同じように、胸元を大きく開けた型のドレスは昼間のパーティには向かないと言われている。
成人した大人が集う夜会であれば男性の視線を集めることが一種のステータスとなるのだが、こういった昼間の、しかも今回は仮成人ばかりを招いた王族主催のパーティなのだから、これはやはりマナー違反だ。
その胸元に飾ったアメジスト。
これはこのパーティ最大のマナー違反だ。
紫は王族の色とされ、嫁いだ正妃や第二妃、第二王子以外は皆濃さは違えど紫色の瞳を持っている。
公の場において紫を身に纏えるのは王族もしくはそれに連なる者のみ。
このパーティでは王太子妃であるエルシア、遅れて参加するだろう王太子、あとで呼ばれるだろう第三王子、第二王女がそれに該当する。
当然、いち伯爵令嬢であるフィオーラが身に纏っていい色ではない。
付け加えるなら、額のサークレットもアクセサリーとしては不適格だ。
ティアラを身に着けるのが王族の女性のみだというのと同じように、サークレットを身に着けるのは代々選ばれた【聖女】のみ。
故に、いくらそれに憧れたと言ってもティアラやサークレットを身に着けて公のパーティに出席するというのは、マナー違反を通り越して不敬だと言われてもおかしくはない。
全身マナー違反の塊であるフィオーラを、しかしテオドールは平然とした顔でエスコートしていた。
彼は社交界に何度も顔を出しているし、淑女のマナーのなんたるかを知らないはずがない、なのにここへ来るまでその馬鹿げた格好を窘めるでもなく、着替えさせるでもなく、むしろ目立って当然、この格好こそが普通なのだと言わんばかりの顔で、恭しげに義妹を連れて会場を横切っている。
数々のパーティで傲慢な態度を取り中には出入り禁止まで言い渡された義妹を、彼はいつも厳しく窘め、諭し、頭を痛めていたというのに。
この変わりようはなんだ、と周囲は訝しげに二人の様子を伺っている。
(フィオーラ……何故あの時と同じ格好なの!?どうして、彼女に一体何が?)
ガタガタと震えが止まらないエリカの細い肩を、リシャールがしっかりと支えている。
彼には、彼女の感情が不安と恐怖で暗く染まっていくのが見えた。だから、肩を抱く腕はいつもよりも強めに、自分の存在をアピールするように側に寄り添わせて。
「エリカ」
その震える耳元で、低く囁く。
「エリカ、私が側にいる。君は一人じゃない」
だから心配しなくていい、全て委ねていい、そう言って宥めるように肩を撫でてやると、ややあって安堵の吐息を漏らしながらその頭が胸にもたれかかってきた。
この程度の触れ合いなら、周囲は緊張してしまったパートナーを宥めているのだと、むしろ微笑ましく受け取ってくれるだろう。
そうしてエリカを守ってやりながら、リシャールはフィオーラとテオドールの二人に目をやった。
フィオーラを包み込むのは燃えるような赤……怒りの色。
対してテオドールを包む色は ──── 漆黒。
(黒、だと?)
彼が見えるのは感情の色。それが黒だということはつまり、テオドールの感情が黒く染められてしまった証。
腹黒だとか鬼畜だとかそういった次元の問題ではない、感情が漆黒で塗りつぶされている……それが意味するのは、誰かが彼の感情を無理やり潰してしまったということ。
彼が己の感情を全く持たないというのであれば、ああして平然とした顔でフィオーラを連れ回せるのも納得がいく、が。
(精神支配の禁術は厳重に封印されているはず。ならば催眠術か、もしくは薬の類か)
誰がそれを成したか、というのは考えずとも答えはそこにある。
何のために、という問いに今のところ答えは出ていないが、それは今重要なことではない。
リシャールにとって重要なのは、ああしてエリカのトラウマを抉るような格好をしてきたフィオーラが、一体何を企んでいるのか……エリカに害を成さないか、それだけだ。
マナー違反、ひいては不敬の塊であるフィオーラはそれでも追い出されることもなく、そして彼女自身も何か仕掛けることもなく、不穏な空気を漂わせながらもパーティは幕を開けた。
主催者であるエルシアは護衛の騎士や侍女とともに会場中を回り、招待客達と挨拶を交わしている。
他の招待客達は立食形式となっているテーブルに集う者、知り合いを見つけて言葉をかわす者、早速もう疲れたのか休憩用のベンチで休む者など様々だ。
「エリカ様、お久しぶりです」
「ジェイド。逢えて良かったわ、久しぶりね」
相変わらずの人見知りなのか、緊張しきった表情でやってきたジェイドとそのパートナーである彼の姉。
二人と挨拶を交わし、あそこの焼き菓子は美味しかったですよとの言葉に、そのテーブルへと移動する途中で、エリカの視界に純白のドレスが飛び込んできた。
(フィオーラ……テオドールと二人で、一体何を?)
二人はパートナー同士なのだから側にいてもなんら不思議はないのだが、それにしても誰とも交流せずに二人きりでグラスを傾けている、というのはある意味異質だ。
しかもテオドールが持っているそのグラスには、真紅の液体。
このパーティは仮成人の者ばかりを招待していることから、酒類は一切置いてない。
果物の絞り汁やノンアルコールのシャンパンくらいなら置いてあるが、それでもあのグラスの液体のように真紅の色をした飲み物など置いてあっただろうか。
フィオーラが手にしているのは透明な水のようなのに、どうして彼だけあのような色の飲み物なのか。
エリカが疑問視している間にも、テオドールはそのグラスの中身を一気に煽り……恍惚とした表情をフィオーラに向けている。
その眼差しはまるで、かつての生で【聖女】フィオーラへの愛を囁いたあの時の彼のようだ。
ぞくり、とエリカの背筋に冷たいものが伝う。
その時、ざわりと周囲がざわめいた。
そのざわめきの元を辿るように視線を向けていくと、王太子レナートにどこか面差しの似た少年が黒髪の少女をエスコートして。その少年を多少女性っぽくしたような容姿の少女が、明るい茶色の髪をした青年にエスコートされて。四人揃って会場の入口に立っていた。
「王子殿下だ」「ではあちらが」「王女殿下のお隣にいるのは」「あれは確か騎士団の」
「あ、兄上様……なんで?」
周囲の声に混ざって、ユリアの呆気にとられたような声が、確かにエリカの耳にも届いた。
ユリアがそう呼ぶということは、茶色の髪をした彼はマクラーレン侯爵家の令息なのだろう。
「皆様、ご静粛になさって。これまで色々と噂はお聞きのことかと思いますが、今日この場で第三王子殿下と第二王女殿下の婚約者をご紹介致しますわ」
第三王子の隣に立ったエルシア妃が、堂々とした声で告げる。
これは正式な披露ではないが、それでも王太子妃が主催する公のパーティでの『紹介』は、この婚約が既に本決まりであり国王にも承認されたものだということを意味する。
周囲が固唾を呑んで見守る中、まずは、と第三王子ルーファスとその隣に立っていた少女が一歩前に出た。
「私、ヴィラージュ王国第三王子ルーファス・フォン・ヴィラージュは、こちらの倭国の二の姫との婚約をここに宣言する。いずれ私は公爵位を賜り、姫を娶って臣下としてこの国を支えていくことだろう。……さ、姫」
「わたくしは東の島国倭国の二の姫……名はまだございません。というのも、倭国の姫は婚姻を結ぶにあたり、初めて名を与えられる風習なのです。ですからわたくしのことは二の姫とお呼びください」
二人揃って礼をとったことで、周囲の者からも大きな拍手が贈られる。
次いで第二王女とマクラーレン侯爵家の令息が、一歩前に出る。
「わたくし、ヴィラージュ王国第二王女アリエッタ・フォン・ヴィラージュは、マクラーレン侯爵家嫡男であられるカイル様との婚約を宣言致します」
「私はカイル・マクラーレン。第二近衛騎士所属で、マクラーレン侯爵家の嫡男です。このたびは王女殿下との婚約が叶い、正直まだ浮足立っております。若輩者ではありますが、王女殿下に恥をかかせぬよう精進して参りますので、よろしくお願い申し上げます」
「兄上様……本気で浮かれすぎ。意気込みすぎて引くわー」
ぽつりと呟かれたユリアの言葉に、エリカも少々苦笑する。
彼、カイル・マクラーレンとはエリカも何度か会ったことはあるが、これぞ騎士といった紳士な態度と人好きのする笑みが印象的だったと記憶している。
確かに普段に比べると浮かれすぎているようにも見えるが、王族の、しかもあれほどの美少女で、更にまだ12歳と年若い相手との婚約なのだからそれも仕方のないことなのだろう。
彼自身、近衛騎士になってまだ1年弱という年若さなので、不釣り合いというほどの年齢差ではないが。
「ユリアさん、ご存じなかったんですの?」
「全然。兄上様からよく手紙はもらうけど、王女様をお嫁にもらうなんて話初耳だよ」
「まぁお家柄としては可もなく不可もなく、ですわね。マクラーレン家は元々当代で侯爵位を賜っておられますし、王家との繋がりも薄い。政略的なというよりは、王女殿下のご希望で決まったご縁という線が濃いのではないでしょうか」
「王女様が兄上様を?……うーん、ありえない話ではないけど」
カイルは赤騎士団長である父に似て、美形というよりは精悍さが目立つ顔立ちだ。
造作は整っているが、ユリアに言わせれば『ワイルド系』であるらしい。
対して第二王女はややキツさの目立つ顔立ちで、守ってあげたくなるような儚さとは真逆の印象を受ける。
「兄上様の好みは聞いたことなかったけど、あれだけ舞い上がってるんだから不本意ってことはないと思う。並んでると結構お似合いっぽいし、親父様とか大喜びじゃないかな」
「そういえば、ユリアが養子入りした時も大騒ぎだったそうね?」
「うん。あれをまた王女様に対してやっちゃうってことはさすがに……ない、と思うけど。大騒ぎにはなると思うよ。うちの家族、結構お祭り好きだから」
あらあら、とレナリアは楽しそうに目を細める。
その光景が目に浮かぶようだ、とニコラスも苦笑している。
パーティ会場は盛大な拍手に包まれ、第三王子と倭国の二の姫、第二王女とカイル・マクラーレンの二組は、エルシアに対して一度礼をとると参加者達の輪の中に入っていく。
問い詰めてやる、とユリアは楽しそうに兄に近づいて行き、そのすぐ後をダニエルが追う。
ごちゃごちゃしすぎて警戒しにくいからとニコラスが一歩引いて輪から外れ、レナリアはエリカの側に寄り、リシャールとジェイドはそれぞれの特殊能力を持って周囲の色や声を漏らさぬように警戒を強めた、そんな時。
「エリカ様、問題が起きました。お下がりください」
「ジェイド?」
「エリカ、彼の言うとおりに少し下がれ。……来るぞ」
言われたとおりに輪の外に出て、何事かと身構えたところで甲高い悲鳴が会場の端……ちょうど先程フィオーラとテオドールがいた辺りから上がった。
悲鳴、怒声、罵声、剣がぶつかり合う鋭い音、巻き起こる風の音、叫び声
招待客達が慌てはじめ、逃げ惑い、警護にあたっていた騎士達が乱入し、エルシアをはじめとする要人達には近衛騎士達がぴたりと張り付く。
「『許さない、殺してやる』……そう、聞こえました」
「それは一体誰が……」
「赤黒い蛇のような感情を持つ者だ」
静かに指さされた先、純白のドレスの裾がヒラリと翻ったのが見えた気がした。




