41.企みの種明かし
「ちょっと!なんでついてくるんですかぁ!」
「どこに行くんだ?行きたいところがあるなら俺が案内してやるよ」
「だーかーらーっ!あたしはただ、この庭を一回りしてきたいだけで!」
「そうかそうか。だったらこの庭を歩き回って育ったこの俺が、一緒に回ってやろう。どこに何が咲いてるか、どこに警備が立ってるか、俺なら全部知ってるぞ?」
「必要ありませんって!!ホント、だから追っかけてこないでぇぇぇぇぇ!」
かたや、チャコールグレーの髪をした20代の青年。
かたや、薄紅色の髪をした10代の少女。
一方的に少女が逃げ、それを青年が楽しげに追うという……傍から見れば『騎士様あの人です!』と思わず警備の者を呼びたくなるような光景だ。
が、遠目にこの中庭の警備にあたっている者達は持ち場から一歩も動くことなく、使用人達も全く動じた様子を見せず、淡々と給仕を行っている。
そして、彼らの連れもまたのんびりとティータイムを楽しんでいた。
「あらまぁ、お兄様ったら。近年稀に見るはしゃぎぶりですこと」
「ユリアもどうしてあそこまで必死に逃げるのかしら……恋愛に興味がない、というわけではないようだけど」
「…………あれだけ執拗に追いかけられては逃げたくもなるだろう。ただでさえ我が一族は顔立ちが怖……いや、キツいのだし」
『顔立ちが怖い』と言いかけたニコラスはしかし、レナリアに冷ややかな視線を向けられ慌てて言い直したものの、全くフォローできていない。
確かにこのアマティ三兄妹は、髪色以外にもそのキツい顔立ちがよく似ている。
以前レナリアを『悪役令嬢』と称したユリアの言葉を借りるなら、兄二人はさながら物語の悪役兄弟といったところだろうか。
口の端を吊り上げるだけなら冷笑、ニコリと満面の笑みを浮かべても何かを企んでいるようだし、無表情に見つめられると睨まれているかのように感じる。
外見だけなら悪役そのものだが、ダニエルの友人であるリシャールは人の感情が色でわかるし、レナリアの場合もユリアという悪意感知器のような存在がいたので、信頼関係を築くのに時間はかからなかった。
人を外見だけで判断するというのは、エリカの最も嫌うところでもある。
ユリアもダニエルに悪意がないことくらいはわかっている、はずなのだが……。
「悪意はなくとも、あれだけ興味本位に追い掛け回されては、な」
「ダニー兄様は、ただ嬉しいのですわ。……きっと」
「……そうだろうな。あんなに走り回る兄上を見たのは、初めてだ」
ダニエル・アマティは、生まれながらにして魔力飽和という不治の病を患っていた。
魔力飽和は、体内をめぐる膨大な魔力に対して魔力を放出するための出力装置が弱っているために起こる。
完全に出口が詰まっている重度の患者ほどではないが、それでも一定以上の魔力を放出しなければすぐに体が限界を迎えて倒れてしまう。
そうならないために彼は、親友であるリシャールが開発し日々改良を重ねている魔術具の被験体に自ら立候補し、同じ病を抱える者達のために……何より自分が生きるためにと頑張ってきた。
侯爵家の長男として生まれながらしかし跡継ぎを弟に譲り、病弱だから無理だと言われながらも剣を覚え、弟の支えになれるようにと領地経営についても学び。
そうやって常に努力と我慢、そして諦めを覚えてきた彼が、初めて己の中で荒れ狂う魔力を感じることなく人と接することができている。
ユリア・マクラーレン ──── 彼女の側にいるだけで、どういうわけか膨大な魔力が吸い取られていくような、意識しなくても外に流れ出ていくような、不思議な感覚を覚える。
それが、落ち人としての彼女の能力なのだとしても。
彼はどうしようもなく嬉しかった。きっと、生まれて初めて心から歓喜した。
「まぁ、だから……恋心ではない、とは思うのだが……」
「さあ、それはどうだろうか」
「リシャール様?」
咲き誇る花々の合間をぬって駆け回る二人を見つめながら目を細めていたリシャールは、ひとつ瞬いてから戸惑った様子のニコラスへと視線を移した。
「…………ダニエルの気持ちは、ダニエルにしかわからない。今は、見守ってやって欲しい」
「いえ、俺は……別に」
「あら」
「レナリア?」
「まぁ……そうでしたの。ふふっ」
意味がわからない、と首を傾げるエリカに「なんでもありませんわ」と微笑み返し、レナリアは意味深な視線を兄二人の間で彷徨わせた。
メイド達がお茶のおかわりと一緒に焼きたてのスコーンを運んできたタイミングで、追いかけっこをしていた二人が戻ってきた。
ユリアは「なんなのよー、引っ張らなくっても歩くわよー」とぶつぶつ文句を言っており、そんな彼女の腕をしっかり掴んでズルズル引きずってきたダニエルは、イイ笑顔で空いた席に座った。
当然、ユリアはその隣に座ることになる。
「ちょっ、あたしはエリカのとな」
「お隣は、もう埋まっておりますわ。ほら」
「うー……」
左隣はリシャール、右隣にレナリア。
そんな状況で席を譲れと言えるはずもなく、ユリアは仕方なくダニエルの隣に座ったまま、時折掴まれたままの腕をチラチラと見ている。
「それにしても、随分捕まるのが早かったのね?ユリアの体力なら逃げ切れると思ったのだけど」
「あたしもそう思ったよ。……けど」
そもそも赤騎士団長に認められるだけの身体能力を持ったユリアが、病弱で万年引きこもり予備軍のダニエルに負けるはずがない。
最初は適当に距離を置いてすぐに戻ってこようとしていた彼女は、しかし思いがけず本気で追いかけてくるダニエルが怖くなり、途中からは必死で逃げたのだという。
そしてある程度距離を置いたところで振り返ると、
「その、急に具合悪そうに膝をついてたから……ちょっとやりすぎたかな、って思って引き返したの」
そもそもダニエルがどうしてユリアを追いかけていたか、それは彼女が側に来た途端彼の魔力が落ち着いたからだ。
どういうことだ、何をしたんだ、君は何者なんだと矢継ぎ早に問いかけられたユリアは、落ち人ですとだけ名乗って距離を置いた。
そんな彼女をダニエルが追いかけ……あの妙に倒錯的な鬼ごっこが始まった、というわけだ。
ユリアが近くにいたからこそ彼は全力で走ることができた、だがそんな彼女が一定以上離れてしまったら?
すぐにまた魔力が渦を巻き始め、体が限界を訴えるかもしれない。
そうして倒れてしまったら、せっかく招いてくれたレナリアを始めとするアマティ侯爵家に迷惑がかかってしまう。ひいては、ローゼンリヒト家に泥を塗ってしまう可能性だってある。
だから彼女は、すぐさま引き返してダニエルに駆け寄った。
『だ、大丈夫ですか!?すみません、あたしやりすぎちゃって!』
『………………た』
『っ、え?』
『……やっと、捕まえた』
差し出した腕を、思ったより強い力で握られる。
上目遣いにニヤリと笑ったその顔は、文句なく悪役のそれだった……とユリアは頬を膨らませながら語った。
「いやあ、具合が悪くなったのは本当だ。ユリア嬢がお人よ……優しい子で助かったぜ」
「……お兄様、誤魔化せておりませんわ」
「兄上、そろそろ腕を離してやったらどうです?」
「そうか?うーん……こうして触れてると楽なんだが……そうだな、未婚のお嬢さんにいつまでも触ってちゃ失礼だな。ユリア嬢、ごめんな?」
「いえ、その、はい」
実にあっさりと腕を離されたユリアは、拍子抜けしたと言いたげな顔で小さく頷く。
あれだけ執拗に追い掛け回されたのだから、もっと何かゴネるなり高位貴族の特権を振りかざすなりするだろうと思っていたらしい。
それよりも、と使用人が遠ざかったところでダニエルが本題を切り出した。
「今度のガーデンパーティだが……王太子殿下は何を企んでおられるんだ?未成人の者ばかりのパーティなど、胡散臭いにもほどがある。それとも、裏の主催はお前か?リシャール」
「……どちらも然り、だな」
「ほう?なるほど……なら目的はなんだ?大人を呼ばない子供だけのパーティなど、王城の膿出しをするには無意味もいいところだ。まさか呼ばれた子供が何かやらかす、とでも?」
「招待するのは仮成人ばかりだが、パートナーはその限りではないからな」
「確かに」
二人の口調はまるで「紅茶にはミルクかレモンか」というような軽いものだが、内容はかなり重い。
今度エルシア妃が主催するガーデンパーティの招待客は仮成人のみ。
だが何らかの企みを持っている者が、参加者のパートナーという立場で入り込む可能性が高いと王太子やリシャールは考えている。
むしろ、それを誘い込んで一網打尽にしてしまおう、というのが王太子レナートの考えだ。
そしてリシャールは、招待客であるエリカのパートナーとしてパーティに参加し、大きな騒動にならないように周囲を警戒する役目を負っている。
「なるほど、わかった。そこでポカンとしてるユリア嬢や我が弟にわかるように言うと、王太子殿下は対抗勢力……第二妃派の失脚を狙っておられるということだ。第二妃は、エルシア妃のご実家であるグリューネ侯爵家の後妻と繋がってる。だがこの後妻は前妻の子であるエルシア妃をよく思っておらず、今でもまだ引きずり下ろしたがっている。エルシア妃さえ王族でなくなれば、今度こそ自分の娘が第三王子の妃になれるかもしれない。あわよくば空席の王太子妃にだって、と」
「そこで、兄上に頼んで陛下に進言していただいた。第二妃とグリューネ侯爵夫人の繋がりは社交界を混乱に陥れる、王族にとっても良い関係とはいえない。このままでは第二妃の地位すら危うくなるかもしれない、だからどうか第二妃にその危険を伝えていただきたい、とな」
第二妃は確かに贅沢好きで我儘なところもあるが、正妃とともに国政を担う一人としての賢さは備えている。
国王から諭された彼女は己の身贔屓を詫び、そして自ら謹慎と称して離宮に移ってしまった。
最低限公務には参加する、だがしばらくは身を慎むのだと。
さて、それを知ったグリューネ侯爵夫人は当然慌てた。
最大の支援者だった第二妃が第一線を引いたのだ、夫人一人ではエルシア妃を害するどころか王城に近づくことすらできない。
もしこんなことが夫に知れれば、ただでさえフィオーラの放蕩ぶりに頭を痛めている夫のことだ、すぐさま離縁の手続きを取られるに違いない。
崖っぷちの侯爵夫人は、実家の伝手で第二妃を支援していた第二妃派と呼ばれる者達と連絡を取り、第二妃を陥れたのは王太子とその妃だ、妃を害してその罪を王太子派でなおかつ王太子の妃候補だった家柄の者になすりつければ、王太子派は分裂……あわよくば力を大きく削れるかもしれない、と取引を持ちかけた。
「そこまでわかっていらして、でも事前にその計画を防いだりはなさらないのはどうしてですの?企んだ方々の名前くらい既にわかっておいでなのでしょう?」
「無論。……招待客の中に、パートナーとして刺客が紛れることもわかっていてあえて招いている」
「ですからそれは」
「彼らが最も失脚させたいのは誰か?王太子殿下の支援者の中で最も力のある者は誰か?」
「…………っ、それ、は……!」
レナリアは、そして同時に気づいたニコラスも、息を呑んだ。
ダニエルは話の筋が読めたところで気づいていたらしく、気遣わしげな視線を正面に向けている。
彼の正面に座った者……エリカは、静かに深呼吸してからそのラピスブルーの瞳を伏せた。
「 ────── フェルディナンド・ローゼンリヒト……父、ですわね」
「エリカっ!」
「その通り。つまりそのパーティにおいて刺客が接触してくるのはエリカ、君と私だ」
刺客というなら、当然そこにグリューネ侯爵家のゆかりの者もいるはず。
エリカ個人への逆恨みという意味ではテオドールも含まれるが、どういう理由か今世ではまだ関わりを持っていないはずのフィオーラが殺意を向けてきたことで、恐らく彼女が刺客の代表格になろうことは想像がつく。これはグリューネ侯爵夫人の思惑とは外れるだろうが。
リシャールはある程度それを予測して、パーティを計画してもらった。
エリカも、テオドールやフィオーラと対峙するとわかっていて、招待を受けることを決めた。
王太子の思惑とは別に、彼らは彼らで罠にあえて飛び込むだけの理由があるのだ。
(テオドールとフィオーラ、二人はきっと何かを仕掛けてくる。だけど…………私は、もう逃げない)
父を、兄を、姉を、家族を、領民を、友人を、そして愛しい人を。
大事な人達を今度こそ守りたいと、5歳のあの日に願ったから。
絶対に生きて見返してやるんだと、あの日誓ったから。




