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40.悪夢の果ての未来【閑話】

今回も閑話。どうしても入れたかったお話です。

残酷描写、自傷行為、人が死ぬ描写、殺す描写が入ります。


 


 青みがかった淡いブロンドは、母方の祖父譲り。

 いつもは背の半ばでゆるりと結っていたそれは今、サラサラと流れるようにベッドの上に広がっている。

 滅多に外に出ないため白磁のままの頬は青ざめ、血の気の通わない唇は薄い紫色。

 その唇の端に僅かにこびりついていたのは、赤黒い何か……恐らく血だろう。

 くるりとカールした髪と同色の長い睫毛は静かに伏せられ、もう動くことはない。

 お母様と同じね、と嬉しそうにしていたラピスブルーの双眸を、もう見ることは叶わない。

 ベッドに投げ出された手足は既に硬く、サイズが合うかしらと不安がっていた制服の左胸部分が大きく裂けており、そこにもべったりと赤黒いものが貼り付いている。


 眠っているような安らかな表情であるのに、明らかに何者かに害された出で立ち。

 その生命が既に尽きていることなど、その場の誰もがわかっていた。


「エ、リカ…………嘘、だろう?いってきますと、そう言っていたじゃないか……後は式だけだから、今日は早く帰れると……一緒に領地に帰ろうと……笑って……っ。なのに、どうして?どうしてお前は、目を開けない?エリカ、父様だよ?いじわるしないで、早く起きておくれ。ねぇ、私の愛しい子……悪ふざけをするような年は、もう、過ぎただろう?」

「父上……」

「旦那様、お嬢様は、もう」

「嫌だ!信じるものか!!エリカ、私の可愛いエリカ、エリカエリカエリカエリカエリカ、起きて、頼むから起きなさい。いやだ、エリカがもういないなんて。いやだいやだいやだいやだ、エリカ、エリカ、エリカあああああああああっ!!」


 ベッドの脇についに膝をつき、冷たくなった娘の手を必死で包み込んで温めようとしながら、ローゼンリヒト公フェルディナンドは絶叫した。

 誰もそれを止める者などいない。

 彼が愛妻亡き後どれだけ家族を愛してきたか、不治の病に苦しむ末娘をどれだけ気にかけてきたか、心を痛めてきたか、痛いほどよくわかるからだ。


 そんな当主を長年ずっと支えてきた執事長はうつむいて涙を堪え、

 病のせいで引きこもってしまった末娘をずっと世話してきたメイド長はハンカチで何度も涙を拭い、

 拒絶されても何度も必死で妹に手を差し伸べてきた兄は拳で何度も床を叩きつけている。

 遅れて嫁に出ていた姉も帰宅したが、彼女は廊下にへたり込んだままうわ言のように妹の名を呼ぶしかできない。



 悪夢だった、しかもとびきりの。


 不治の病には勝てぬと早々に諦めて引きこもった、可哀想な娘。

 彼女はそれでも支えを得て学園に通い始め、社交界デビューも済ませ、最近では時折笑顔を浮かべることすらあった。

 膨大な魔力を持って生まれたばっかりにぶくぶくと魔力の瘤で膨れ上がる体を、厭っていたのは彼女自身。

 魔力の調整さえすればちょっとぽっちゃり程度まで収まるが、すぐにまた膨れ上がってしまう醜い姿を、美しい家族とは正反対の己を誰よりも嫌っていた彼女。


 今目の前にあるのは、こんなにも細かったのかと驚くほどに痩せ細った本来の彼女の姿。

 手足は折れそうなほどに細く、頬もげっそりとこけ、痛々しいほどだ。

 それは、彼女のあの膨大な魔力が全て体から抜け落ちてしまったから。

 魔力を製造し続けていた彼女の体が、機能を止めてしまったから。


 この日は、彼女が通っていた学園の卒業式だった。

 それが終わったら家族揃って領地へ帰る、そう約束して出ていったはずの末娘が……物言わぬ遺体となって戻ってきた。


 どうして、と兄がぽつりと呟いた。

 どうしてあの子が死ななきゃいけなかったんだ、と。


 聖女様が、と涙を拭いながらメイド長が答えた。

 聖女様を害そうとしたので聖騎士様がやむなくそれを止めたと聞いております、と。


 聖女とは、この世に平穏と安寧をもたらす神の代理人である。

 聖騎士とは、そんな聖女を守る唯一のパートナーにして伴侶である。

 だがここにいる皆は知っている、聖女も聖騎士もその時代の王族が高位の貴族から任命するもので、神の意思を受け継いでいるわけでもなければ、勝手に他人を断罪することも許されてはいない、と。

 聖女も聖騎士も所詮飾りもの……おとなしく神殿で二人の世界にこもっていれば良かったものを。


 この心優しい娘を傷つける必要など、なかったというのに。


「許さない……許さない、テオドール・ユークレスト。エリカを殺したお前を、僕は絶対に許さない」

「ええ、許してなるものですか。許しませんわ、フィオーラ・グリューネ。わたくしは、エリカを裏切ったお前を絶対に許さない」

「エリカ……」


 冷たくなった頬を撫でていたフェルディナンドの手が、娘の髪をそっとかきあげる。


「お前は、そんなことは望まないと言うのだろうが……だが、もう遅い。お前を殺したあの男も、お前を裏切ったあの女も、お前を嘲笑ったあの者達も、皆、殺そう。あいつらを聖女に、聖騎士に選んだ王家も、もういらない。いらない者は皆、消そう。だからエリカ、待っていておくれ」


 終わったらすぐにそちらへ行くから。

 耳元で囁いたその声に、駄目だと止める言葉は返らなかった。



 まずは、王家へ宛てて爵位返上の申立書を送った。

 兄は職場を辞し、姉も嫁入り先に離縁を突きつけ、命など要らないからどうぞお側にと申し出てきた者だけを連れ、神殿へと乗り込む。

 本神殿を守っていた警備の騎士を、元黒騎士の警備隊員が一刀のもとに斬り捨て、慌てて寄ってくる神官を突き飛ばし、剣を抜いて駆けてきた聖騎士テオドールにフェルディナンドは炎を纏った剣を持って挑んだ。

 エリカの従者であった頃から彼の剣は見てきたが、だからこそ勝てない相手ではないとわかっている。

 フェルディナンドが傷を負えばすぐにラスティネルが癒やす。

 嫁いで多少のブランクはあったものの、アリステアも驚くほどの剣技をもって他の騎士へと応戦している。


 混乱の極みの最中、ついに剣を取り落としたテオドール。

 その剣を手に、フェルディナンドは奥へと歩みを進めた。

 祈りの間と呼ばれる、神殿内で最も尊いと言われるその場所には、何重にも敷かれた温かい毛布の上に座して震える、娘と同い年の少女の姿。

 彼女と知り合わなければ。彼女の言葉に惑わされなければ。彼女が、娘を放っておいてくれれば。


「エリカを殺しておいて、幸せになれると思うな。阿婆擦れが」


 エリカの恋した相手と、ずっと関係を持ち続けてきた女。

 何が聖女だ、何が清らかな乙女だ、ただの我儘な人殺しじゃないか。

 その腹の中にいるのは、友人だと自称してきた相手を平気で裏切れる阿婆擦れと、平気な顔で公爵令嬢を騙した魔性の間の穢れた子供。

 可哀想に……生まれてもきっと、恵まれまい。


 彼は、その腹めがけて剣を突き刺した。

 テオドールがエリカの胸を貫いた、聖騎士の剣で。

 そしてその剣をそのままに、彼は身を翻した。


 祈りの間から出ると、そこは血の海。

 ラスティネルは杖を片手に荒い息をつき、アリステアも剣を下げたまま立ちすくんでいる。

 一緒に来た元黒騎士達も倒れ伏す者、膝をつく者、ピクリとも動かない者、まさに被害甚大といった様子で佇んでいた。


 テオドールは、と探すと……彼は神殿の出入り口手前で、事切れていた。

 呆然とそちらを見ていると、アリステアが「お父様、やりましたわ」と小さく呟いて微笑む。

 非常に場違いなその微笑みは、愛する家族の仇を討った者の勝利の笑みだった。



 終わったな、とフェルディナンドは笑った。

 終わりましたね、とラスティネルも肩の力を抜いた。

 そう、これで彼らの復讐は終わった。

 ローゼンリヒトの末娘を裏切り、殺した張本人はもういない。

 ここでぐずぐずしていたら、やがて王城の騎士達が揃って駆けつけてくるはずだ。

 そしてローゼンリヒト前公爵の反逆として一族郎党処刑される。


 ならば、と彼は側で倒れていた部下の剣を手に取った。

 ラスティネルの手には、母に貰った短剣、アリステアはテオドールを刺し貫いたそれではなくもう一本の剣を。


「お父様、ラスティネル、先に行きますわ」

「それでは父上、姉上、またあとで」


 娘が、息子が、それぞれの剣で息絶える。

 それをしっかりと見届けてから、フェルディナンドはもう一度虚空に向かって微笑んだ。


「エリカ、今行くよ」






「あああああああああっ!!」


 夜中だというのにありえない程の絶叫を響かせて、フェルディナンド・ローゼンリヒトはベッドから飛び起きた。

 ぐっしょりと濡れた銀灰色の髪を、鬱陶しげにかきあげる。

 そっと、恐る恐る首筋に触れてみるが、そこは斬れているどころか傷跡ひとつない滑らかな手触りだ。


「夢、……か?」


 夢にしては妙にリアルで、非常に生々しかった。

 指先で触れたエリカの頬の感触や、人を斬ったあの嫌な感触、そして己の首を掻っ切った時の激しい痛み。

 それらをまだ、思い出すことができる。

 どうして、何故、起きてくれ、と絶叫した声も耳に未だ残っている。


(前に、エリカが悪夢を見たと言っていた……あれと同じようなものだろうか)


 これは確かに堪える、とフェルディナンドが自嘲したその時


『これは、ただの夢に非ず。……いずれ、起こり得た未来』

「……ヴァイス?お前、いつの間にそこに」

『お別れに来たんだ、フェル。もう、時間がないからね』


 何人も許可なしには入れない領主の寝室、そこに何故か長年の悪友がぼんやりとした光を纏って立っていた。

 彼はもう一度繰り返す、これでお別れなのだと。


『エリカがもし、5歳のあの時もっと生きたいと足掻かなかったら。エリカがもし、光の精霊王の加護を受けなかったら。彼女の病はあのまま進行し、いずれ彼女は絶望して部屋に引きこもり、与えられた絵姿だけでテオドールという名の従者を選び、彼に恋をし、そして裏切られて殺される。そんな彼女を愛していた君達家族は、地位も名誉も命すら捨てて復讐の道を選び取る』

「そんな、」

『そんな未来が、あったかもしれない。これはね、可能性の一本に過ぎないんだ。だけど最もあり得た未来だ。エリカもまた、それを見た。だから彼女は変わろうと決意した。……君にもそれを知っておいてもらいたかった。……未来は、変わったよ。君達がすべてを捨ててまで復讐を行う、そんな未来はきっと来ない』

「絶対に、とは言わないんだな」

『絶対なんて言葉はないよ。未来はどれだけだって変わっていくんだから』


 淡く微笑む彼は、今にも消えてしまいそうだ。

 そんな友人を引き止める言葉を、フェルディナンドは持たない。

 だって彼は、お別れだと二度も告げたのだから。


「もう、行くのか?」

『うん。……僕はもう、この姿を保てない。近いうちに【僕】の意識は完全に消えて、【僕以外】の何かになる。これまで、ありがとう。楽しかったよ』

「あぁ。私も…………楽しかった」


 ふざけて遊んだ学生の頃。

 どうしても追いつけなかった成績を、それでも追いかけたあの頃。

 男の子が生まれたらラスティネル、女の子ならアリステア、エリカという名前も妻が気に入っているんだと、散々惚気けたこともあった。

 妻に紹介しようかと言うと、彼は困ったように笑いながら「僕は闇の力が強いからやめておくよ」と言っていたのも、今なら理由がわかる気がする。


(闇の力が強いなんてものじゃない。これは闇そのもの……こいつは、闇の……)


 彼は精霊か何かか?と尋ねたリシャールの言葉。

 彼は人ですとその時はそう答えたが、今はどうだろうか?



「エリカには、別れは告げたのか?あの子はきっと寂しがるぞ」

『わかってる。……最後にひとつだけ、やり残したことがあるからね。それが済んだら、お別れを言うよ。君にはその前に言っておこうと思って』


 一呼吸置いて、キールは歌うような口調で告げる。


『フェルディナンド・ローゼンリヒト。君の愛する家族に、祝福を。君の大事な領民に、君を慕う部下達に、祝福を。闇の精霊の祝福は、その者に平穏を、安らぎをもたらす。最後にとびっきりの悪夢を見せてしまった君には、最大級の祝福を贈ろう』


 ごめんね?といたずらっぽく付け加えた彼は、もうフェルディナンドがよく知るキール・ヴァイスの顔で。

 だからフェルディナンドも、覚えておけよといつものように笑った。



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