4.ぎんぱつこわい
「……というわけで、エリカは今までで一番いい状態らしい。と説明せずとも、とっくにわかっていたという顔だな、それは」
「まぁね。まさか光の精霊王自らが加護を与えるなんて、さすがに予想はしてなかったけど」
エリカが光の高位精霊の加護を受けたらしいと知った時も大いに驚いたが、それがまさかの精霊王だったと知ると、フェルディナンドはショックで心臓が止まるかというくらいの衝撃を受けた。
それもそのはず、下位精霊ならともかく高位精霊となると滅多に人前には現れてはくれない上に、力を借りるだけでも断られることが常だ。
稀に気まぐれを起こして加護を与えてくれることもあるとは聞くが、世界中で見てもその数はごく少数。
その最上位である【王】となると、当然属性の数しか存在しないのだからそもそも人に関わることすらなく、力を借りられるとしたらそれは奇跡に近いとまで言われている。
エリカの場合、力を借りるどころか諸々すっとばして加護を受けてしまったのだから、もしその事実を国が知ったなら……否、それが他国であってももし上層部の者に知られてしまったら、即刻囲い込みに入られるに決まっている。
「…………とにかく、精霊王に加護を受けたことは他言無用だよ。あの子はまだ小さいけど、貴族の場合今から婚約を結んで囲い込んでおく、なんて無茶もまかり通るからね。特に君は公爵だろう?ということは王族に最も近い……僕の言う意味、わかるよね?」
「わかった。マティアスやラスティネルにも、【高位】精霊という部分は他言しないように言っておく」
加護を受けていること自体は、隠してもわかってしまう。
ローゼンリヒト公爵の末娘が魔力飽和の病に侵されていることは、付き合いのある貴族の間では周知のことだし、もし知らなかったとしてもラスティネルのように感覚の鋭い者がいれば、ある程度力のある精霊の加護がついているのだと気付かれてしまうだろう。
だから、精霊の加護を受けていること自体は特に否定しない。
その上で、【高位】どころか【最上位】であることを覆い隠す、ということだ。
幸いマティアスはその仕事柄守秘義務が発生しているし、ラスティネルも口が堅く律儀な性格だから一言注意しておけば大丈夫だろう。
(……考えたくはないが、そのうち形だけでも婚約者を決めておかねばならないのだろうな……できれば、いや、ものすごく気は進まないが)
長年の悪友が言うように、公爵家は王族に次ぐ家柄だ。
貴族の婚姻相手として最も人気が高いのはやはり王族、そしてその王族に最も近いのが公爵家……つまり、エリカがいずれ婚約をするとすれば、その筆頭候補は王族の男子となるわけだ。
ごくごく普通の公爵令嬢であるなら王族との婚姻も念頭に置かねばならないだろうが、王族との婚姻イコール国に囲い込まれることだと考えるなら、エリカの場合王族は最も避けるべき相手だろう。
であるなら、形だけでも婚約者を定めておけばまだ言い逃れはできる。
王族が本気でかかればそんな婚約など潰されてしまうだろうが、しかし今の貴族社会では『婚約の横入りは不道徳』というのが暗黙の了解となっており、これを犯した者は不心得者として社交界から爪弾きにされてしまう。
それを逆手に取れば、不当に横入りされる危険性も低いはずだ。
とはいえ、娘を溺愛してやまない父としては、それは最終手段に取っておきたいところだが。
「ところでヴァイス、エリカが落ち着くまでいると言っていたが……」
一体いつまでだ、とは聞けなかった。
それを聞いてしまえばまるで「あまり長居するな」と釘をさしているようだし、さすがに娘を守るようにして抱えてくれていた悪友に対し、礼を尽くさないままに放り出すようなことはしたくない。
何を言いたいのか気配で伝わったのだろう、彼は紫紺の双眸を細めてくすくすとおかしそうに笑った。
「君は相変わらず、厳しいんだか甘いんだかわからないねぇ。ま、そうだね……ひとまず半年はこの領内に留まろうかと思ってる。その間、迷惑をかけるだろうけどどこか隅の空き部屋でいいから、貸してくれるかい?」
「…………お前こそ、ずうずうしいんだか、遠慮深いんだかわからないな。だがわかった、部屋はすぐに用意しよう」
「よろしく頼むよ」
と、互いに笑顔になったところで、まるでそのタイミングを見計らったかのように、遠慮がちなノックの音と「旦那様、よろしいでしょうか?」という執事の声が聞こえた。
入室を許可された執事は、フェルディナンドの傍に寄ってそっと何事かを耳打ちする。
一瞬、フェルディナンドのブルーグレーの瞳にギラリと凶暴な光が宿ったが、すぐに理知的な領主の顔に戻った彼は、
「全て任せる、と伝えなさい」
そう執事に伝言を託し、その背中が扉の向こうに消えるのを見届けてから、やれやれとソファーに背を預けて天井を仰いだ。
今執事から報告されたのは、エリカ付きだったメイドの捜索結果。
自分ひとりでは決して外に出ようとしなかったエリカが、邸の敷地から出て少し離れた森の中で泥だらけになっていた。
幸い崖から落ちた怪我は精霊の加護を得た際に完全治癒したそうだが、それでも落ちた事実は変わらない。
そしてそんなエリカと一緒に行方不明になっている以上、このメイドがなんらか関わっていることは間違いないと見て、警備隊に捜索を命じていたのだがどうやらすぐに見つかったらしい。
どんな様子か、何を話しているのか、まではフェルディナンドも知らないし知りたくもない。
ただ、彼は知っている……ジュリアという名のそのメイドが、他の使用人に混ざってエリカのことを悪く言っていたことを。
時折、フェルディナンドに対して気持ちの悪いほど熱っぽい視線を向けていたことを。
「任せる、ってさぁフェル…………この領内にいる警備隊員って、確か君を慕ってついてきた元黒騎士団員達じゃなかったっけ」
「そうだが」
「尊敬する元団長が溺愛する愛娘、それを傷つけた……いや、守るべき責任を放棄した時点で、彼らにとったら万死に値するよねぇ。さぞかし張り切っていらないことまで調べつくしてくれるんじゃないの」
「だろうな。それが?」
「それがどうした、って?いや、別に僕はどうでもいいんだけど、メイドにとっちゃ生き地獄だろうな、って」
ガッシャンッ!!
と、何かが落ちるような派手な音が、階上から聞こえた。
位置的にエリカの部屋のある方からだと真っ先に気付いたフェルディナンドが部屋を飛び出し、途中青ざめた顔の息子と合流し、最後に困ったなと言いたげなキールが後に続いた。
部屋の扉は開いており、その入り口ではまだ年若いメイドが床にへたり込んでガタガタと震えながら、じりじり後ずさりしている。
「どうした!?」
「あ、あぁ、いや、……っ!化け物……化け物ぉぉっ!!」
邸の主たるフェルディナンドの問いかけに、メイドは青ざめた顔のまま「化け物」とただ繰り返すのみ。
この場合の「化け物」が何をさすのか、この場でわからない者はいない。
そしてこの面子の前でその呼び方をした時点で、このメイドの未来は断たれたも同然だ。
険しい表情のまま「どきなさい」とフェルディナンドがメイドを押し退け、
いつにない冷ややかな視線を向けて「邪魔」とラスティネルもそれに続き、
最後にゆっくり後をついてきたキールが
「逃げ出すなら今のうちだよ。ま、逃がしてもらえないだろうけど。ご愁傷様」
と笑いながら、開け放たれた扉に寄りかかった。
ひとまずはお手並み拝見、ということらしい。
「すごい…………なんだ、これ」
ラスティネルは、部屋の中を覗き込んで絶句した。
部屋中を狂ったように飛び回り、こちらへ警戒もあらわに『カエレ』『デテイケ』『キズツケルナ』と喚き立てている、小さな下位精霊達。
それは光の精霊だけに留まらず、彼の父が得意とする火魔法を司る火の精霊も多く存在している。
かろうじて実力行使まではしていないはずだが、多少なりとも魔術の心得のある者ならこの異常なまでの濃い精霊の気配に、パニックになるのも仕方ない。
床を見れば、放り出されたらしい食事の盆……先ほどの音は、恐怖にかられたメイドがこの盆を投げつけたものだったようだ。
『何に』向かって投げつけたのかは、あえて言うまでもないことだ。
ラスティネルが唖然としている中、フェルディナンドは異常な密度の魔力の中を突き進み、そしてベッドの端でタオルケットを抱きしめるようにして震える、愛娘へと近づいていった。
精霊達が一足ごとに警戒を強めるが、彼の歩みが止まることはない。
そして
「エリカ、エリカ、目が覚めたんだな。もう大丈夫だよ、私の愛しい子」
「や、」
「エリカ?」
おとうさま、と縋るような目で見てくれるかと思いきや、エリカは怯えたように一歩さがろうとして、もうそれ以上下がれないことに気づくと、蹲るように手足を縮こまらせた。
まるで、来ないで、触らないで、と体ごと拒絶しているようだ。
(こんなに怯えて……無理もない、信頼していた者に殺されかけたのだから……)
可哀想に、と無意識に抱きしめようと手が伸びる。
とにかく、もう怖いことはないんだと教えてやりたくて。
やっと目を覚ましてくれた愛しい娘にこれ以上無理して欲しくなくて。
そっと伸ばした手が、抱きしめようとした腕が、見えない壁に阻まれて体ごと弾き飛ばされるのは、その直後。
「いやあああああああああああっ!!ころさないで、しにたくない、こわい、こわい、こわい、こわいっ」
「…………エ、エリカ……?ちょっと、落ち着い」
「こないでえええええええええっ!ぎんぱつ、ぎんぱつこわいいいいいいいいっ!!もういやああああああっ!」
「………………は、」
「………………え?」
叫んだ言葉がまさかの『銀髪怖い』とあって、言い逃れできないレベルで綺麗な銀髪のラスティネルと、光の具合で本来はくすんだシルバーグレーが銀髪に見えるフェルディナンドは、二の句が継げないほどにショックを受け、まるで石像と化したように固まってしまう。
唯一銀色と程遠い色合いのキールだけは、さてどうしようかと困ったように首を傾げながら、愉しげに喉を鳴らした。