37.溺愛者達の集い
サブタイトルがだんだん苦しくなってきました。
「レナリアからの誘い?……そうか」
ローゼンリヒト家の王都別邸で合流したリシャールに、ユリアがレナリアから是非にと誘われた話をすると、彼は一拍の間を置いてからわかったと頷いた。
「それなら、我が実家に向かう前に侯爵家へ寄ろう。幸い、アマティ侯爵領からスタインウェイ公爵家は目と鼻の先だ。実家にはあちらに滞在中に挨拶へ出向けばいい」
「え、……ですが挨拶回りは爵位順なのでは?」
「本来なら、な」
友人として遊びに行く分には家の爵位などあまり気にしないが、今回のように社交も兼ねた挨拶回りとなると家同士の今後の関係性にも関わってくる問題として、回る順番を考えなければならない。
例えばジェイドの実家は男爵家で、分家であるセレスト夫人の家は伯爵家だ。
先に男爵家に挨拶に出向いてしまえば、伯爵家を軽んじたと言われても文句は言えなくなるということ。
勿論、先方の都合に合わせて順番を変更する、ということなら話は別だが。
さて、今回挨拶に回る家の中で最も爵位が高いのは言うまでもない、リシャールの母が降嫁したスタインウェイ公爵家だ。
だからまずはスタインウェイ公爵家に向かい、そこから次はアマティ侯爵家、そして他の侯爵家へと回っていく予定になっていたはずなのだが、リシャールはその最初の順番を変えてしまえと言う。
「アマティ侯爵家は義父上の実家でもある。爵位に囚われず考えれば、こちらの方が他の貴族への影響力は上だ。それにスタインウェイ公爵家は私の実家に当たるのだから、多少後回しにしたところで何も言われはしない」
そうだろう、義兄上殿?
最後に悪戯っぽくそう問いかけられたラスティネルは、『義兄上』というなんとも違和感しかない呼びかけに苦笑しながらも、まぁそうですねとそれに応じた。
「爵位順というのはつまり、貴族としての影響力がある家の順番ということです。つまりローゼンリヒトとして、今後付き合いを深めたい相手から順番に回ると考えればいい。それなら確かに、婿の実家というのは必然的に関係ができていますから、多少後回しでも問題はないでしょう」
と、ラスティネルは一旦ここで言葉を切り、斜め前に座る5歳年上の義弟の人形めいた美貌を呆れたように、やや険しい眼差しで見つめ返す。
「ところでリシャール様 ────── そろそろ、妹に触れるのはやめてあげていただけませんか」
可哀想に、涙目になってますから、と指摘されたリシャールはふと視線を隣の座席に座ったエリカへと向け、ほんのりと頬を赤く染めたその愛らしい姿に目を細めると、熱を持った頬に指を滑らせた。
先程から……正確には、ローゼンリヒト領へ向かうための馬車に乗り込んだ時から、リシャールはずっとこんな調子で隣に座るエリカの髪をくるりと指に巻きつけたり、頭を撫でたり、髪飾りを弄ったり、肩同士を触れ合わせてみたり、頬に指を這わせたりと、悪戯しっぱなしなのだ。
彼にしてみれば久しぶりに会った妻……といっても略式なもので書類上のと注釈がつくが、とにかく現在進行形で羽化しようとしている愛しい者を愛でるのに余念がないというだけで、決して見せつけようとか馬車内の空気を変えようだとか義兄を牽制しようだとか、そんな余分なことを考えていたわけではなかった。
「何も不埒なことを考えているわけではない。こうしていると癒やされるのだ」
「……なぁんか、ちょっと前にもおんなじ言い訳してた人がいた気がしますねぇ」
「僕だよ、悪かったな。あー……ゴホン、えぇとですね……その気持ちは痛いほどよくわかります。疲れている時ほどこの天使に触れて癒やされたい、側に置きたい、それは僕も父上も同意見です、が。他ならぬエリカが嫌がっているんですよ?無理強いするのは紳士的とは言えないのでは?」
「まぁそうですよね。あたしのいたところじゃ、そうやって無理強いする人を『セクハラ親父』って呼ぶんです。呼ばれたいですか?セクハラ親父」
「せくはら……おやじ」
嫌な響きだ、とリシャールと何故だか心当たりが大アリなラスティネルは揃って首を横に振る。
リシャールにとって、エリカを愛でるのは自然なことだ。
それは彼女がまだ小さな子供だった頃から変わっていないし、もしあの魔力飽和当時の姿であってもきっとさほど変わらない。
彼が惹かれたのは彼女の心……纏う色そのものなのだから。
勿論外見が愛らしいからこそもっともっとと触れてしまう、というのも事実なのだが。
だから、やめろと言われても困る、というのが彼の正直なところだ。
しかし他ならぬ当人が嫌がっているのなら仕方ない、と渋々触れていた手を放し、名残惜しそうに体をずらして距離を置いた、のだが。
その動きを追いかけるように、細く華奢な指先が硬く骨ばった指先へと触れた。
「え、あ、あの、決して嫌ではない、のですが……その、恥ずかしい、ので。ですから、これくらいでした、ら」
(あぁもう、私一体何を……!こちらの方が余程恥ずかしいじゃないの!)
後悔先に立たず。
いくら悔やんでも自分に突っ込んでも時間が戻るわけではない。
現に、正面に座る兄は呆然と目を瞬いているし、座席バランスの関係上その兄の隣に座ったユリアは笑いをかみ殺しているし。
隣を見上げる余裕などないが、リシャールもどこか戸惑っているような空気が伝わってくる。
大体、エリカが本気で嫌がっているかどうか、心の色が見えるリシャールにわからないはずがないのだ。
恥ずかしい、どうしたらいいかわからない、そう戸惑っているだけだとわかっていたはずなのに、それでも彼はエリカを気遣って距離を置いてくれた。
その気遣いを、彼女は無駄にしてしまった……謝るのもおかしいし、甘えるなんて到底無理だし、指先だけを触れ合わせたまま結局俯いて恥じ入るしかできない。
「…………エリカ」
「は、はいっ?」
顔を上げて、と反対側の手で軽く顎を持ち上げられ、深みのある赤ワイン色の双眸に捕えられる。
以前どこかの貴族子息が「血の色みたいで不気味だ」と言っていたが、それがどうしたとエリカは主張したかった。
血は誰の体内にも流れている命の水、それを不気味だと言うのはおかしいと思う。
現に、彼女は綺麗だと思ったのだ。……かつて死ぬ間際、己の体から噴き出したその液体が。
膨大な魔力を纏い、キラキラと光を放ちながら宙を舞うその色が。
王族の瞳の色は、紫が最も尊いと言われている。
紫は、赤と青が混ざった色。エリカの瞳は純粋な青で、リシャールの瞳は純粋な赤。
それはまるで二人で一対であるかのようだと、そう考えるのは自惚れがすぎるかもしれないが。
触れた指先がきゅっと握りこまれ、その美貌がゆっくりと近づいてきても。
唇に、柔らかな熱を感じても。
彼女はずっと、赤ワインの色に酔いしれていた。
「おかえり、エリカ」
エントランスで出迎えてくれた父フェルディナンドに、ぎゅっと抱きしめられる。
ふわりと香るのは以前エリカが誕生日に贈った、世界にただ一つしかないオリジナルブレンドの香水だ。
爽やかなグリーン系に始まり、ミドルはちょっとスパイシーに、ラストは華のような甘さに変わるそれを、彼は人に会って褒められるたびに「娘からの贈り物だ」と自慢しているらしい。
「相変わらず細いな。ちゃんと食事できているかい?嫌がらせなんて受けていないだろうね?分不相応な輩に口説かれたりは?」
「えぇ、特に思い当たることはありませんわお父様。大丈夫です」
「エーリーカー、口説かれたのはあったでしょ?」
忘れたいのはわかるけど、とのユリアの言葉に事情を知るラスティネルも「嫌がらせもあったそうだね」と重々しく頷く。
フェルディナンドは当然それに過剰反応して表情を険しくしたが、背後にいたリシャールもそんなことは初耳だとばかりに眉根を寄せている。
「…………それはまた聞き捨てならないな。詳しく聞かせてもらおうか」
「お、お父様。ひとまず奥へ。長い話になりますし、座ってお話しませんか?」
「わかった。それじゃおいで、エリカ」
相変わらず末娘のことになると周囲が全く見えなくなる現公爵は、他の者をエントランスに置き去りにしたまま、娘の手を引いて奥へと歩いて行った。
恐らく応接間に向かうのだろうと判断し、他の三人も後を追う。
「ユリア、ひとつ賭けようか。父上はあいつをどうすると思う?」
「うーん……復讐できるほどの罪は犯してないし、領内に入るのを禁止するとか?」
「あぁ、それもアリだね。僕は、あえて社交の場に引っ張り出して評判を落とす、とかやりそうかなと思うけど」
「それもありそうですねー」
にこにこ、と顔では笑いながら少々物騒なことを話す二人の2歩後ろ、リシャールはエリカを口説いたのであろう『あいつ』の正体に、なんとなくだが気づいていた。
エリカを溺愛する彼らであれば『口説いた』というだけで脅威なのかもしれないが、それにしてもこの過剰反応ぶりには何かある……そう、例えばその相手がエリカの以前からのトラウマの主であるとか、だ。
(あぁ、それなら…………私にも、報復する資格はありそうだ)
その際は是非仲間に加えてもらおう、と考える時点で彼もまた同じ『溺愛仲間』である。
エリカは、全く事情を知らない父とリシャール相手につっかえながらも語った。
あのテオドール・ユークレストが、ダンスの授業の相手役として現れたこと。
彼の周囲で多数の女生徒が順番待ちをしているというのに、順番待ちのエリカを誘いに来たこと。
その後、彼の信者である女生徒達に冷ややかな態度を取られ続けていること。
先日廊下で出会った際、口説くようなことを言われたこと。
病に冒されていた頃の自分のことを話してやりこめると、小さく悪態をついて去って行ったこと。
話しながら、エリカは父の、兄の、リシャールの纏う空気がどんどん重く、険悪なものになっていくのを感じていた。
現に、父はイイ笑顔、兄は仏頂面、リシャールは不機嫌そうな顔を隠そうともしていない。
唯一険悪な空気を纏っていないユリアも、まるで楽しい遊び相手を前にした子供のようににこにこと微笑みながら、時折肩をコキコキと鳴らしているのがとてつもなく怖い。
「旦那様、ヤツはまだ諦めたわけじゃないと思うんです。ローゼンリヒトを恨んでないなんて口では言ってましたけど、振られたことで逆ギレ……逆恨み?して襲ってくる可能性だってありますよね?」
「直接的な手段に出てくるなら、それを逆手に取って今度こそ完膚なきまでに潰してやるだけだが……相手はこちらの調査にすら尻尾を出さなかった【魔性】だ。どう出てくるか、正直想像もつかない」
本音を言えばすぐにでも圧力をかけて潰してやりたい。
だがもし公爵家としてそれをやれば、傲慢で我儘三昧な他の貴族と同列に成り下がってしまう。
側妃腹といえど元王族を次期当主に据える公爵家の評判を落とす、それは即ち後援すると約束した王太子レナートの顔を潰すことにも繋がるのだ。
と、フェルディナンドがそこまで説明すると、リシャールが顔を上げた。
「それならば兄上……王太子殿下の協力を仰いでみるか。協力が得られれば、一泡吹かせてやることも可能だ」




