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34.【貴公子】の仮面の下で

 


 エリカの熱は、幸いなことに一日で引いた。

 そこに精霊姫ルクレツィアとキールの力添えがあったことはウィリアムから聞いており、ウィリアムを通じて礼の言葉は伝えたエリカだったが、「もうちょっと強くならないとね」というキールからの伝言には不安で顔を曇らせた。


(わかってはいるの、いるのだけど……どうしても、まだ勇気が出ない)


 彼らが羨むくらいに幸せになる、そして見返してやる。

 あの日そう心に決めて、今まであがいてきたつもりだった……だけど、変わっていない、流されっぱなしな部分はまだまだ多い。

 フィオーラとはすれ違っただけ、テオドールとは出会ったばかり、なのにいちいち倒れてしまうのはさすがに弱すぎると言われても仕方がないのだ。


 ユリアに相談すれば、「あたしが守るから!」と言ってくれるだろう。

 兄に相談しても、きっと似たような答えが返ってくるはずだ。

 だけどそれでいいはずがない、自分で乗り越えていくと決めたのだから。



(その前に……今はひとまず、このどうしようもない空気に慣れることからかしら)


 エリカが倒れ、そして復帰したその日から彼女は時折冷ややかな視線を向けられるようになった。

 挨拶しても返されない、近づけばそそくさと離れていくくせに、遠くからこそこそと視線を向けては何事か囁き合う。

 幸い男子生徒にそんな態度を取る者はいなかったが、寮内・学園内問わず同年の女子生徒からはがっつり距離を置かれてしまった。

 全員が全員そうであるわけではないらしいが、主に彼女のクラスメイトを中心にそういう態度を取る者が多く、他のクラスの者はそれに追従しているか、なんとなく雰囲気を察して近寄らないようにしているか。


 原因ならはっきりしている。

 ダンスの時間で、本来誘いを待っていればいい立場のパートナー役でありながら、他の順番待ちの生徒を放ってまでエリカに声をかけに行った美貌の有名人 ──── テオドール・ユークレスト伯爵子息の所為である。


 元々テオドールは人気が高い。

 そんな彼が自ら気にかけて誘いに行ったというだけでも嫉妬の対象となるというのに、そんな彼の誘いにすぐに乗らずにぐずぐずとゴネて彼に心配をかけ、あまつさえ他の女生徒は個人認識すらしてもらえなかったのに、名前まで呼んでもらえた。……テオドールの女生徒達にとっては敵意を通り越して殺意まで覚えるほどである。


 ユリアは当然憤ったが、文句を言おうとするのをレナリアが止めた。

 彼女達、はとにかく彼の関わる者全てに対して過敏に反応する。

 故に彼に迷惑ばかりかける義妹フィオーラに対しても辛辣であり、それはエリカが公爵令嬢であってもきっと変わらない。

 危険なものにはあえて近づかない。触れようとはしない。

 現状敵意を向けてくるだけで直接手出しをしてくる者もいないのだから、と。


 それに倣って、ユリアも彼女達の存在を極力視界に入れないようにした。

 ジェイドは直接困ったことにはなっていないが、エリカの側付きとして必要ならと耳を澄ませ、気になった情報を随時フェルディナンドへ伝える、という立場から役に立とうと頑張っている。

 レナリアはエリカの側付きというわけではないが、できるだけエリカの側を離れないようにして周囲の視線から気をそらせるよう、気を使ってくれている。


 周囲がそれだけ気遣ってくれているのだ、エリカもこれは慣れるしかないかとため息をつきながらも、どうにかできないか往生際悪く考えたりしていた。



「ふぅ……このカフェも段々と居心地が悪くなってきたみたいだね」

「仕方がありませんわ。わたくし達専用というわけではありませんし、どこにでも場の空気を読めない人種という者は存在しますもの」


 存在を無視してはいるが、ひそひそと囁かれる声に関しては嫌味の一つくらいは返す、というのがユリアとレナリアに共通する心情だ。

 彼女達がちらりと見やった先、あからさまに嫌な視線を向けてきていた数名が慌てたように視線をそらし、そそくさと席を移るのが見える。

 皆、平民か下位の貴族ばかり…………幸いなことに、今のところ悪意を向けてくる高位の貴族令嬢は見られない。

 ある程度教育を受けている高位の貴族令嬢であればわかるはずなのだ、侯爵令嬢二人を従えている公爵家の令嬢に悪意を向けるということが何を意味するのか。

 この学園は確かに実家の権力は通じない、だがそれ相応の振る舞いを求められる ──── その言葉が何を意味しているのか。



 そんな気の休まらないお昼休憩を終えた午後、寮の門限まで自由行動となっているため教室に留まっている生徒は数えるほど、他はそれぞれ気になる専攻クラスを回るべく案内板を片手に敷地内に散っていった。

 二年に進学して専攻が決まるまでの間、授業のない日の午後や放課後は自由時間としてあちこちの専攻を見学に行くことが許されている。

 ただし当然行ける範囲には限りがあり、それは生徒全員に配られる案内板が示してくれる。

 他ならぬ魔術具専攻クラスで企画開発したというその案内板には、見学可能な敷地の全施設が登録されてあり、逆に進入禁止の区域に近づくと赤く光って警告を示すという便利機能が搭載されてある。

 これは、各々の区域の境目に『センサー』の役割を果たす魔術具が埋め込まれてあり、総合学科一年の生徒に渡される案内板の『センサー』がそれを感知して反応するためである。


 さて、エリカはレナリアやジェイドと共に今魔術科の廊下を歩いていた。

 目的地はエリカの希望専攻であり兄も所属している魔術具専攻クラスで、レナリアは同じく興味があったため同行、ジェイドはその付き添いという形である。

 どうしてユリアがここにいないのかというと、彼女は別件で……言ってしまうと、アマティ侯爵令息ニコラスのエリカに対する真意を確かめるべく、剣術クラスへと出向いているからだ。


『だって、あいつがあそこで嫌々でもエリカの相手をしてたら、あの魔性の男は近づいてこなかったでしょ?もういい加減、あの態度には腹が立ってたのよね。だから話つけてくる!』


 要約すると、ムカついたから喧嘩を売りに行ったということなのだが……それを止める者は誰もいない。

 実の妹であるレナリアでさえむしろ率先して「あの兄は一度ならず叩きのめされて思い知ればいいのです」と喜んで送り出したのだから、他の者では止めようがなかったと言った方が正しい。


 とにかく今、『悪意センサー』の役割をしてくれるユリアはいない。

 その上で、エリカは廊下の向こう側から歩いてくる眩い銀髪の貴公子の姿を視界に入れ、戸惑いのあまり足を止めてしまった。


「……どうして。あの方は騎士科のはずですよね?」

「わかりませんわ……少なくとも、個人的な用事では出入りできないはずですから、公の……先生方のご用事ではないかと」

「…………」


 できることなら記憶から消し去ってしまいたい。ユリア曰くの『黒歴史』……テオドール・ユークレスト。

 甘い顔と言葉で近づき、信頼と好意を勝ち取った上で一気に突き落としてくれた張本人。

 あの時彼を無条件に信じ、受け入れた無防備な自分ごと忘れ去ってしまいたい存在の一人だ。


 騎士科に所属しているはずの彼が、今は何故か魔術科のしかも研究棟の方から歩いてくる。

 避けようと思えば避けられる、今からでも道を引き返して別のルートで向かうことは可能だ。

 だがエリカは、あえてそれをしないことにした。


(あちらからも当然、視界に入っているはずだもの。だったら、逃げるのは不自然だわ)


 その不自然さから、彼はあのダンス講義の日にエリカに声をかけてきた。

 その所為でクラスの女生徒からは敵意を持たれ、他クラスのテオドール信者からも要注意人物並の扱いを受けてしまっている。

 起きてしまったことは、もうどうしようもない。

 だったら今後は、できるだけ自然に……問題のない距離感で接触をなくしてしまえば、これ以上は悪化せずにいずれは収まってくれるだろう。



 一歩、また一歩、近づくたびに鼓動が跳ねる。

 嫌な音を立てて、ドクンドクンと波打つのがわかる。

 どうかこちらを見ないで……平静を装いながらエリカが軽く窓際に避け、レナリアとジェイドもそれに倣って歩幅ひとつ分窓際に移動したことで、前から歩いてきたテオドールとは自然な距離ですれ違える、はずだった。


 すれ違う直前、カツンと音を立てて彼が立ち止まらなければ。


「こんにちは、エリカさん。こんなところでお会いできるとは思いませんでした。……倒れたとお聞きしたのですが、具合はいかがですか?」


 カツン、と三人の足も止まる。

 歩幅にして2歩分のところに『彼』がいる、しかも至極いい笑顔で。


「エリカ様でしたら、幸い一晩ですっかりよくなられましたわ。……それよりも、まずは名前を名乗られる方が先ではありませんの?」


 エリカは緊張と恐怖のあまり口を開けない。ジェイドはこの場合下位の貴族にあたるため、先に口を開くことはできない。

 そのため、消去法で侯爵令嬢であるレナリアがテオドールに向かって口を開いた。

 ここは社交界ではないが、その縮図のようなものだ。はっきりとした決まりはないものの、マナーとして話しかける側が先に名乗るべきなのでは、と。


 エリカを背で守るように立ち塞がるレナリアを見つめ、テオドールは困ったように笑う。

 そして彼女と、その隣に控える薄茶の髪の側付きに守られるようにして立つエリカに視線を移し、うっとりとその瞳を細めた。


「そうですね、あれは授業の場でしたし。改めまして、騎士科所属のテオドール・ユークレストと申します。エリカ・ローゼンリヒト様でいらっしゃいますね?」

「…………えぇ。ローゼンリヒト公爵家末子、エリカと申します」


【ローゼンリヒト】と彼女はやや強調してそう名乗った。

 ユークレスト伯爵家にとって、ローゼンリヒト公爵家は仇と称してもいい家のはずだ。

 だから近寄るな、関わるな、そう線引をした……つもりだった。


 しかし彼は、驚くべき行動に出た。



 テオドールは何を思ったかその場に跪き、騎士の礼をとってエリカを見上げたのだ。


「もしやとは思いましたが……父の所業について聞き及んでおいでとは。己の保身のみに目を向け、慢心しきったが故に下った罰はむしろ当然のこと。我らユークレスト伯爵家一同、誰一人として()先代を憐れむ者などおりません」

「…………」

「父は……あの者は欲をかきすぎたのです。上位の方に仕えるのではなく、上位に立てないか……彼は私の能力を高く買っておりましたから、私を売り込むことで公爵家の身内に入り込めないか、と。私と貴方が縁付けば、我が家も安泰だと。……愚かなことです。幼い頃に出会いを設けずとも、こうして学園に入れば出会うことなど容易にできるというのに」


 テオドールは、騎士の礼を崩さぬままに淡い微笑みすら浮かべてそう語る。

 だがエリカは、そんな彼が怖かった。

 過去のテオドールと重ねてではなく、今そこにいる彼が。


 彼はユークレストを名乗ってはいるが、三男という関係上いずれは家を出る必要がある。

 ユークレスト伯爵家の当主は現状彼の上の兄……なのに彼は、『我がユークレスト伯爵家一同』とまるで己がそのトップにいるかのような言い方をした。

 更に、先代……ローゼンリヒト家に怒鳴り込んだ挙句家を没落に追い込んだ彼の父を、あっさりと『亡き先代』と嘲るような口調で言ってのけている。


 先代は彼の能力を高く買っていたが故に、ローゼンリヒト家の令嬢と縁付かせようとした。

 その部分を彼は全く否定しようとせず、更にそれを愚かだと嘲笑いながらこう言ったのだ。


『学園に入れば出会うことなど容易にできる』と。


(これは…………これは、誰?生真面目で保守的だなんて、誰が言ったの?)


 確かに、見た目だけなら騎士が主に忠誠を誓う姿勢そのもの。

 なのに彼はその真面目な騎士の姿で、まるでエリカを恋い慕う男のような甘い眼差しで、口では血の繋がった父を嘲っている。

 そしてこうも言っている……幼い頃に会わずとも、学園で会えば縁付くことができるのに、と。


 それは間違いなく、【貴公子】と呼ばれる彼のもう一つの顔。

【魔性】と呼ばれる、それだった。



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