33.彼女の運命
9/12「今日の一冊」で紹介されました。
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この世で最もお近づきになりたくなかった相手、テオドール・ユークレストと手を取ってダンスを踊ったその翌朝……エリカは熱を出して寝込んでしまった。
精神的疲労によるものだとはさすがにユリアにもわかったのだが、だとしてもどうしたらいいのか途方に暮れてしまった彼女は、通信具でラスティネルへ連絡を入れた。
『かなり衝撃が強すぎたんだろう。……フラッシュバックで暴走しなかっただけ、まだマシだ』
「あの、あたし、どうしたら」
『正直、ユリアが側にいても何もできないよ。授業に行ってきなさい』
「でもっ」
『そこにウィリアムがいるだろう?もしエリカに何かあれば、彼が知らせてくれるから大丈夫』
確かに、寮の自室ではいつも元気に駆け回っているウィリアムが、今はすっかりしょげかえった様子でベッドの側に座り込んでいる。
使い魔は主と繋がっているのだから、もし大事な主に変化があればラスティネルなりフェルディナンドなりにすぐ連絡を入れるだろう。
理性ではわかっているのだが、どうにもその場を離れがたい。
行きたくないな、休んじゃおうかな、とそんなことをぐずぐずと繰り返していたユリアは、結局その後レナリアが様子を見に来て「貴方が残っていても何もできませんわ」と無理やり連れ出したことで、渋々教室に向かうことになった。
最後の最後、ギリギリまで抵抗はしていたが。
部屋に残されたのは、5才児相当の猫耳使い魔ただ一人。
彼は荒い息をつきながら未だ目覚めない主を覗き込み、「助けてです、精霊さま」とぽつりと呟いた。
と、それを待っていたかのように、ふたつの人影が音もなく現れる。
ひとつは、長い長い金の髪に闇を照らす金の瞳を持つ、絶世の美女。
もうひとつは、闇を集めたような黒髪に柔らかな紫紺の瞳を持つ、年齢不詳の青年。
『久しぶりに呼ばれたかと思えば、愛し子は寝込んでおるのか。……妾の加護がある故、魔力は容易く暴走などせぬが……それを上回る衝撃であったのだろうて。魔力を己の内に無理やり封じ込めた結果、というわけじゃな』
あの瞬間、エリカの魔力は暴走寸前だった。
しかしそれをどうにか身の内に無理やり封じ込めた結果、魔力が一時的な飽和状態になって熱が出た、ということらしい。
ただ、以前とは違って精霊姫ルクレツィアの加護がある上に、今は使い魔ウィリアムもいるため魔力は瘤を作らず、徐々に体内で薄まってきているのだという。
「せーれーきさま、はやくマスターに元気になってもらいたいです。できますか?」
『うむ、勿論じゃとも。妾の力は光、心の闇を照らしてやることなど造作ないわ』
大きく頷いた彼女がエリカに手をかざそうとしたその時、それまで黙って様子を見ていたもうひとり……キールがその手をやんわりと掴んだ。
「いけないよ、精霊姫」
『これ、放さぬか半端者』
「ここで規定以上の魔術を使ったら、すぐに寮監の部屋で警報が鳴る。貴方の力は大きすぎるんだから、そのまま使ったら大問題になって後でエリカが叱られることになるんだよ」
キールはこの学園の卒業生だ、当然寮のシステムも熟知している。
女子・男子の違いはあれど基本は同じ、むしろ色々と狙われやすい女子寮の方が警備が厳しいのだ。
ここで警報が鳴れば当然部屋の主であるエリカとユリアの失態となり、この場合部屋にいたエリカが罰を受けることになる。
彼はそれを危惧してルクレツィアを止めたのだが、人の理に疎い彼女も『エリカが叱られる』という言葉でどうにか理解はできたらしい。
掴まれた手を振り払い、彼女は『貴様ならどうする、闇の』とキールをキッと見据えた。
「僕の力も直接与えてしまえば警報ものだ。……ってことで、ここはウィリアムの出番かな」
「はぇ?ボク、ですか?」
「そう。ウィリアムはエリカと繋がってるし、精霊姫とも繋がってる。だったら精霊姫の力を、エリカに送ってあげることだってできるはずだ。ウィリアムを介するなら、多分警報レベルまでは行かないはずだよ」
本来、精霊との力のやり取りは術者を介さねばならない。
ただし当の精霊がここにいて、直接力を貸してくれるのなら後はウィリアムの力量次第といったところか。
どうする?と向けられた紫紺の瞳を見上げて、ウィリアムは「やります」と強く頷いた。
「マスター、早く元気になってくださいです」
ウィリアムが、エリカの額に手をかざす。
その背後に立って彼の反対の手を握っているルクレツィアは、ゆっくりゆっくりと己の『光』を媒介である使い魔の体に注いでいった。
キールは何かあった時の暴走対策として、いつでも対処できるようにベッドの反対側で控えている。
「……っ、ぁ……体、あつい……っ」
「ウィリアム、受け取った力を反対の手……エリカにかざしている方からゆっくり外に出すイメージを。そう、花に水をあげる感じで。優しく、優しく、丁寧に、少しずつ」
「は、はいです、っ」
「精霊姫はもう力の放出を止めて。これ以上は今のウィリアムには耐えられない」
『……む。そうじゃな、まだこの子は未熟じゃ』
精霊姫との力のやり取りにある程度慣れてしまえば、この程度のことは簡単にできるようになる。
とはいえ今はまだ魔術の実技はなく、それ故学園内において使い魔を連れ歩くことはできない。
使い魔の力は、使えば使うほど伸びる。
彼が作られたのは三年前だが、少なくとも来年までは成長の機会はおあずけということになるだろう。
ゆっくり、丁寧にと言われた通り、ウィリアムは歯を食いしばって魔力をコントロールしつつ、エリカへと注ぎ続けている。
その御蔭か、眠るエリカの息遣いが段々と整ってきた。
もう少しかな、といったところでウィリアムは「もう無理ですぅ」とペタンと座り込んでしまう。
『なんじゃ、だらしない』
「初心者なんだから、そんな厳しいこと言わないの。…………うん、ちょっと体内の属性バランスが崩れてるな。一気に光に偏りすぎて、オーバーヒートしかかってる」
よしよし、とキールはウィリアムの頭を撫でながら、己の闇の力を注ぎ込んでやる。
元々ウィリアムは闇の魔術で体を作られているのだから、あまりに強い光の力を受けた後はこうして魔力を調整してやらないと、体を保つことができなくなってしまうのだ。
ウィリアムがそのまま安心したように寝入ってしまった後、キールは容態の落ち着いたエリカの顔をそっと覗き込んだ。
紫紺の瞳が細められ……そして、安堵の色に緩む。
「良かった。ウィリアムが頑張ってくれたお陰だね、夜までには目を覚ますだろう。……大変だったね、エリカ。ただ、もうちょっと強くなってくれないと心配で、君を手放してあげられなくなるよ」
『手放さねばよかろう。精霊とは執着の強いもの、本来愛し子と決めた段階でその生涯を見守るのが普通であろうに』
「…………僕は、貴方も言うように半端者、だからね。……時間がないんだよ」
【彼】は、かつて遠い昔は『人』だった。
人として生き、人として愛した人がいた。
その愛した人を無理やり奪われ、彼は闇に堕ちた ──── そのまま、闇に呑まれた怪物として絶望のままに世界を滅ぼすはずだった彼は、しかし彼を止めに入った闇の精霊王と同化することで、力の暴走を抑え込まれた。
精霊王は神に等しい……否、人々が神と呼ぶ存在は即ち強い力を持つ精霊の王のことである。
その【神】に等しい王と同化した【人】は、人ならざるもの……半神半人として生き続けることとなる。
何度も何度も愛しい魂を見つけ、今度こそはと見守り、しかし運命によって奪われてしまう日々。
エリカのかつての生においても、彼は彼女を見守っていた。
手を出さず、近寄らず、見守ることが全てだと思っていた。なのに。
理不尽に、奪われてしまった命……それを見た瞬間、彼は己の力を初めて全開にして彼女の運命を巻き戻した。
時を巻き戻すなど、精霊王であってもやってはならない禁忌。
それを為した彼は、罰を受ける。
彼は近いうちに【人】としての部分を失くし、人と交わらぬ【精霊】として生まれ変わるだろう。
「エリカ、僕の愛し子…………君が、運命と出会えて良かった」
エリカがどんな時でも手放さないネックレス。
その先には、華奢な作りの指輪がかけられている。
学園内において華美な装飾は厳禁だ、その指輪は決して華美ではないがつけて歩くと目立つため、こうしてネックレスに通して身につけているのだ。
これは、【彼】からもらったもの。
【彼】と将来を誓い合い、交換したもの。
次期ローゼンリヒト公爵夫人としての、証。
「……あぁ、そうだ。せっかくだし、特別に彼もここに呼んであげようか」
『……誰のことじゃ?』
「エリカと誓約を交わした、唯一。この子の運命だよ」
言うが早いか彼はするりと影に溶けて消え、
戻って来た時には、憮然とした表情のリシャールを連れていた。
「少ししたら戻ってくるから。期限はお昼時間まで……それまで、ここは君に任せるよ」
そう言って、キールはウィリアムを抱き上げたまま姿を消した。
渋々といった様子だったが、その後を少し遅れて精霊姫ルクレツィアも追う。
自宅にいたところ、突然現れたキールに腕を捕まれ強制的に連れてこられたリシャールは、自室にいたのが幸いだったと深い溜め息をついた。
もしあれが研究所なり、執務室なり、人目のあるところだったなら今頃大騒ぎになっているからだ。
その分、自室なら彼がいなくなっていても当分は誰も気づかない。
王族であった頃ならいざしらず、今の彼に常時護衛がつくことはないし見張り役もいないからだ。
どうにか感情を落ち着け、彼はベッドへとそっと歩み寄る。
エリカに会うのは、彼女が入学手続きのために領地を出たその日以来。
眠る彼女の纏う色は、澄んだ湖のような深い青……綺麗だがどこか哀しげだ。
「エリカ」
跪いて、頬に触れる。…………温かい。
長い睫毛がしっとりと濡れていることに気づいた彼は、そっと顔を寄せて目の端に柔らかく口付けた。
(初めて彼女に出会ったのは6歳の頃か。……見かけただけならもっと前だが……)
彼が初めて彼女を見かけた時、重度の魔力飽和でぶくぶくと太った幼い少女は絶望にも似た、深い哀しみの色を纏っていた。
彼にはダニエルという友人がいて、彼もまた軽度の魔力飽和の病にかかっていたが、体が弱くすぐに熱を出すということ以外では特に問題などなかったし、ダニエル自身がすぐに魔力放出の術を覚えたことで、完治しないまでも日常生活に支障などなかった。
だが魔力飽和の病は、まだ幼い少女の体をああやって蝕み続けている。
どうにかしなくては、どうにかしてあげたい、そう思ったのが最初の感情。
実際に会った少女には、ファーストコンタクトで少々怯えられてしまったが、それも理由があるのだとわかると気にならなくなった。
第二王子として敬いながらも、人としての親しみを向けてくれる幼い少女。
何度も会ううちに、もっと会いたくなった。
『契約』を持ちかけたのは母のためであったはずなのに、いつしか彼女で良かったと思うようになった。
「お前はロリコンというやつか」とダニエルには苦笑された。
「わたくし、そのお嬢さんが不憫ですわ。だってもう逃げ場はないんですもの」とレナリアには呆れられた。
だけど、それでも、惹かれる心はもう隠しようがなかった。
止められなかった。
公爵令嬢だから、ローゼンリヒトだから、膨大な魔力を持っているから、魔力飽和を完治させたから。
そんな条件の上で始まった関係だったのに、そんなことはどうでもいいと思えるようになった。
母の先走りさえなければ、そのままスムーズに婚約から婚姻と進むことができただろう。
だが……それがあったからこそ、ローゼンリヒト公爵の抱える寂しさに気づくことができた。
彼は妻を失って心の均衡を崩してしまった……上の娘は既に嫁入りし、嫡男は領地の経営よりも研究に熱が入っており、末の娘は病弱。
そんな彼の本音が聞けたのは、学園を卒業して改めて婚約を申し入れに出向いたその夜のこと。
「正直、ラスティネルは公爵には向いていないんですよ。あの子もそう言っています。自分は研究を続けたい、だからエリカがもし婿をもらえるのなら分家を作らせてくれないか、と。だけどもしそうしてしまえば、あの子は後継から外された者として社交界で軽んじられる。……私はね、エリカを手放すこともしたくないが、あの子……息子の名誉を傷つけることもしたくないのですよ」
それなら、とリシャールは彼が言いたいだろうことを先回りして申し入れた。
「ならば、元王族である私が婿入りするからという理由では如何か?元王族を迎えるのなら、公爵の位で報いねばならない。故に嫡男殿は侯爵位を貰い分家を立ち上げる……それならば、社交界での誹りは最小限に抑えられよう」
スタインウェイ公爵位は、母である側妃を降嫁させるにあたって王から与えられたものだ。
この家系は一度跡継ぎ不在で潰えているし、側妃を娶る名誉爵位だと考えるなら一代限りのものとしてしまってもいいはずだ。
エリカを嫁に迎えるつもりだった両親には散々渋られ泣かれてしまったが、元は身から出た錆……そこは納得してもらった。
エリカは今13歳……あと二年すれば成人の儀を迎え、正式にデビューとなる。
そして、その時に改めて彼らは誓約を交わす。
今はまだその前段階 ──── 仮初の夫婦として指輪は交換して誓いを立てたが、婚姻式は二年後になる。
「愛している、私の運命」
しっとりとした口づけを唇に落とし、彼はその上質なワイン色の双眸を愛しそうに細めた。




