31.公爵令息は思い悩む【閑話】
「父上、ユークレスト伯爵家について何か新しい情報はありますか?」
『お前の報告にあった以上の情報となると、さほど多くはないが。フィオーラというその娘だが、たびたび実家の母親と口論する姿が目撃されている。どうやら第三王子の婚約者候補に据え置きたい母親が、娘の奔放を咎めるという形であったようだ。それに対して娘は、自分を捨てたくせにと母親を詰っていたらしいな』
「捨てたくせに、ですか」
発端は、グリューネ侯爵家長女のエルシアが第一王子の婚約者として指名されてしまったこと。
そのため、今代はもうグリューネ家と王家の縁組はできなくなった。
いくら第二妃のゴリ押しがあったとしても、国内貴族間のバランスを崩すわけにはいかないのだ。
それに、第二妃とて多少我儘ではあるが国政に携わる者としての分別はある。どれだけグリューネ侯爵家から頼み込まれても、第三王子と縁続きにさせようとは思わないだろう。
…………例え、残された娘が他家へ養子入りして名前を変えたとしても、だ。
しかし、グリューネ侯爵夫人は少し考えればわかるようなことでも、認めたくはなかったのだ。
常々目障りだと思っていた前妻の娘エルシアよりも、自分の娘フィオーラをなんとしても上の地位に立たせたい……ひいては、自分が前妻よりも優れているのだと示したいがために。
だから彼女は、ユークレスト伯爵家への後援と引き換えに、嫌がる娘を無理やり養子に出した。
娘は侯爵家で、甘やかされて育ってきた。
伯爵家に移ったところで、日々暮らすだけのお金は実家の侯爵家から出ているのだから、好き放題我儘放題出来ると高をくくっていたのだろう。
侯爵家の支援がなくなるのを恐れて誰も強く言えなかったところに、しかし末の義兄であるテオドールだけは顔を合わせるたび、家宛てに請求書が届くたびに『こんなことはいけない』『君は節制というものを覚えなくては』『淑女というものは慎ましやかさが美徳とされる』と説教を繰り返してきたのだそうだ。
そしてそれに反発して、娘は益々遊び歩くようになる。
ローゼンリヒト家の諜報部隊に調べさせたその情報を聞き終わると、ラスティネルは「わからなくなってきました」とため息混じりに口を開いた。
「テオドール・ユークレストという男は、魔性なのだと言われています。その魔性故に、没落しかかった家をああもあっさりと立て直すことができた。魔性を盾に、あちこちから支援を得ることができたのだ、と。それもまた彼の一面、ということでしょうか?」
『魔性という言葉が正しいのかどうかまではわからないが……アレの容姿が人を惹き付ける美貌という部分は確かなようだ。アレが望まずとも、周囲が手を貸してしまうということなのかもしれんな。それを面白くない輩がやっかみ、魔性だと言っているとすれば筋は一応通る。とはいえ、性格は生真面目で保守的だと言われているのも極端な気がするが』
「ますますわかりませんね……」
ならばどうして、養子入りしてきた妹は彼のその【魔性】の美貌に誑かされなかったのか。
義理とはいえ兄妹間にそういった邪な感情が入るのを厭った彼が一線を引いたのか、それとも妹には端から通じなかったのか。
前者であるなら、テオドールの生真面目さが証明されたようなものだ。
少なくとも、エリカがトラウマを発症した『未来視』の彼とは重ならない。
(だとしても、エリカに大丈夫だと言ってあげられるだけの証拠はないな)
例えテオドールが周囲の評価通りの男だったとしても、ローゼンリヒト家への恨みは持っているかもしれない。
その標的として、エリカを狙ってくるかもしれない。
手段の一つとして、同じ女子寮にいる義妹フィオーラを何らかの形で言い含めて利用してくるかもしれない。
その可能性がゼロではない以上、大事な妹にはまだ「心配ない」とは言ってあげられないのだ。
ひとまずユークレスト家については調査続行、ということで話の区切りがついた。
そこでふと、フェルディナンドが意地の悪い口調で彼の思い出したくもないしくじりを指摘してくる。
『それはそうと、ラスティネル。…………やらかしたらしいな?お前らしくもない』
「…………すみません、父上」
アマティ侯爵令息ニコラスの件だとすぐにわかった彼は、今さぞかしいい笑顔を浮かべているだろう父に向けて、見えもしないのに頭を下げた。
「ニコルは……ニコラス・アマティは性根の真っ直ぐなやつなんです。そうでなければ、エリカのことを託そうなどとは思いません。言い訳になるようですが、あの時エリカは彼の悪意に気づいていませんでした。ですから」
『…………気づいてからでは遅い。それは、ユリアの行動が証明しているだろう?』
エリカがそれを聞いたなら怯えてみせただろうほどに低い……容赦なく殺気を含んだその声に、息子であるはずのラスティネルは携帯通話機を取り落とさないようにするだけで精一杯だ。
父は今、本気で怒っている ──── 大事な娘を危うく悪意に晒すところだった、不甲斐ない息子に対して。
エリカがこの学園に入学することになり、浮かれていた彼に父はこう告げた。
『溺愛するのは構わない、愛するのはむしろ当然のことだ。…………だが、覚えておきなさいラスティネル。あの子は能力はあるのに、心が弱い……悪意に触れれば壊れてしまうほどに。ただ盲目的に愛するのではなく、守ってやりなさい。あの子が無闇に傷つかないように、傷ついても立ち上がれるように』
だから彼は、ニコラスがエリカに含みのある視線を向けているとわかった時点で、彼を遠ざけなければならなかった。
エリカが傷ついただろうことがわかった時点で、全力でフォローしなければならなかった。
過保護だと、周囲には眉をひそめられるだろう。だとしても、妹の心が壊れるよりは余程いい。
既に彼らは二度、エリカの心が悲鳴を上げるのを目の当たりにしているのだから。
息子が怯えているのが気配でわかったのだろう、フェルディナンドは大事な息子にまで殺気を向けてしまった己の大人気なさを密かに恥じ、苦笑交じりに『それにしても』と切り出した。
『そのアマティ侯爵令息の件があったからこそ、と言うべきだろうが……エリカに心強い味方がついてくれたようだ』
「あぁ、ご令嬢のことですね」
レナリア・アマティ侯爵令嬢。
年はエリカと同じ13歳、『火』と『風』を得意属性としており魔術科を志望している。
幼い頃から長兄や彼と交流のあるリシャールを相手にしていたからか、妙に理屈っぽく正義感が人一倍強い彼女は、同年代の令嬢間でも浮いてしまうことが多いのだという。
確かにここしばらく食事を共に摂っているラスティネルも、『女性』というよりは『同志』『友人』という印象をレナリアにいだき始めている。
(父上がこう仰るということは、レナリア嬢に害はないんだな)
エリカの近くに他人が寄ってきた段階で、側付きからフェルディナンドへ報告が行っているはずだ。
そして父ならすぐに、その家へ調査の手を伸ばすだろう。
彼が『心強い味方』だと言うのなら、レナリアはエリカの害にはならないということだ。
もし彼女がエリカに害を為すような者ならそもそもユリアが近づけはしないだろうが。
(そうだ、害を為すと言えば……あの面倒なご令嬢のことも、当然父上のお耳に入っているはずだが)
「父上、そのレナリア嬢が毎度毎度追い払ってくれる下位貴族令嬢がいるのですが」
『無論聞いている。だが、放っておきなさい』
「……は?」
末娘溺愛甚だしい父のことだ、実家に手を回すなり間接的に釘を刺すなりしてエリカに近づけないようにするものだと思っていたラスティネルは、思わず間抜けな声をあげてしまった。
「あ、あの父上……ですがあの娘は、懲りずに毎日のように纏わりつくと」
『そんな羽虫ごとき追い払えないようで、公爵令嬢の側付きが務まるか?あの子にはこれから大勢、そんなよからぬ虫が寄ってくるんだぞ?』
「…………はぁ。そう、ですね」
『ラスティネルは人が好すぎる』
まだ父の手伝いを始めて間もない頃、父にそう言われて考えたことがある。
次期公爵として、次期領主として、人が好いだけではダメなのだ。
人を信じ、愛し、手を差し伸べるのも領主の大事な役目で、それは彼の良い素養のひとつだ。
しかしその反面、常に冷静に、時には冷酷に、容赦なく、誰かを裁かなければならないこともある。
助けを求める誰かの手を、黙殺しなければならないこともある。
領主としての仕事はやりがいがあるし、それを継ぐのだから当然だと彼は割り切って考えようとしたが、それでもどうしても根本的な部分は変わらなかった。
大事な家族のためなら、冷酷にだってなれる。
だが、それが人の命に関わるものだったら?
その人の家族を危うくするものだったら?
果たして自分は、自らの判断で人の生死を決められるのだろうか?
父のように、『羽虫は放っておけ』と言い放つことができるのだろうか?
『…………しっかりしなさい。卒業したら、爵位を継ぐんだろう?』
息子の内心の葛藤などお見通しだ、と父は低く笑う。
末娘に劣らぬほど大事な息子のことだからこそ、厳しくしてしまうのは許せと言外に込めて。
『爵位を継ぐというのは、容易ではない。これまでは貴族令息として当たり前のように受けられた恩恵も、今後は自らの手で求めていかねばならない。多少は人脈も引き継げるだろうが、お前がその器でなければ人は離れていく。民も同じことだ。民の信を得られぬ領主に価値などないからな』
「……肝に命じておきます」
そう、彼はこの学園を卒業したらすぐに領地へと戻り、爵位を継ぐ。
これまで父がやってきたことを、今度は自分が実践する番になる。
はっきりとそう決まったあの日以降、彼は時間を作っては領内を見回ってきた。
守るべき民の生活とはどんなものか、どうやったらより良い生活ができるのか、良い領主とはどんなものか。
がむしゃらに、ただ次期公爵として学んできたあの子供の頃とは違う視点で、彼は何度も何度も領地に足を運び続けた。
『お前が真面目なのはよくわかっているが……社交が苦手というのが難だな』
「お恥ずかしい限りです」
『ふむ。…………爵位を得れば並び立つものが必要となる。専属執事や秘書ならば候補はいるだろうが、ラスティネル』
その先は、言われずともわかっていた。
爵位を継ぐのだ、いずれは決めなければならないことだ。
貴族の令息として、ここまで決まっていなかったという方がむしろ珍しい。
『婚約者候補は、私が見繕ってかまわないか?それともお前が候補を連れてくるか?』
ローゼンリヒト家は基本的に恋愛結婚推奨である。
現に姉のアリステアは、まだ幼い頃に運命の恋をしたと言って15歳年上の侯爵を相手に選んだ。
その時も父は散々ゴネたものだが、最終的には許したのだという。
エリカの場合は事情が特殊であるため恋愛結婚とは言い難い始まり方だったが、それでも『契約』を『誓約』に変えたあの日に互いの意思は確認済みである。
さて、残るはラスティネル。
彼が自ら誰かの手を取って父に紹介できるのであればよし、もしできない場合は父に全てを任せて何人かの候補者とお見合いという形を取らねばならない。
「父上にお任せします」
現状仕方なくそう告げた息子に、父は声を上げて笑うと悪巧みをしている時のような声音でこう最後に言い残した。
『よろしい、確かに承った。決まったら使いを出そう、楽しみにしているがいい、次期侯爵殿』
最後のあれは変換ミスではありません。




