28.護衛の役割
登場人物紹介を削除しました。
「はいみなさん、おはようございまーすっ!健全なる魂は健全なる肉体に宿るっ、ではまずラジオ体操の歌からー」
てーんてーててーん、てれれれてーんてーててーん、と奇妙なリズムを口ずさみながら、ネグリジェから『じゃーじ』という特性のトレーニング用洋服に着替えたユリアが、ご近所迷惑にならない程度の声で新しい朝は希望の朝だというような内容の歌を歌い始める。
その声でようやく起き出してきたエリカは、初日からずっと側にいてくれる使い魔ウィリアムに手渡されたタオルを持って洗面所に行き、戻ってくる頃には面白がって加わったウィリアムまで珍妙な動きの体操をしているのを、呆れたような、それでいて微笑ましいものを見るような目でそっと見つめた。
(こうして見ると、こちらに来たばかりの頃とは別人のようね)
シジョウ・ユリアと名乗っていた、幼い少女。
あの頃の彼女はまだ己が現実の世界にいるのだという自覚が薄く、自分は愛されなきゃいけない、と過剰に他人を排除するような物言いをしていたが、ラスティネルに現実を突きつけられ、エリカに慰められた後は、まるで生まれ変わったかのように急激な羽化を遂げた。
顔立ちの可愛らしさはそのままに、実はものすごい才能を秘めていた剣の道を数年にして極め、自分に自信をつけた今の彼女は『素敵な淑女像』からは程遠いかもしれないが、しかし充分異性の視線を集めるほどの美少女へと変化している。
些か成長の方向性が間違った気がしないでもないが、それでも生き生きと日々を過ごしているユリアを見ていると、これが本来彼女があるべきだった姿かもしれない、とエリカはそう思うことがある。
そして、自分もそう在れているだろうかと時々不安にかられるのだ。
「では今日のラジオ体操はここまでっ。今日も一日お元気でー、ごきげんよーう!」
「もう、なんなんです~?あの動きー。伸びたり飛んだり回したり、なぁんかつかれたです~」
「だってそういう体操だもん。流れるようにやらなきゃ疲れ…………あれ、エリカ?どしたの、顔色悪いよ?」
「え?……いえ、なんでも。それより、明日から私もその『らじお体操』とやらに加わった方がいいのかしら、と思って」
エリカ大好き人間を自称するユリアなら『大歓迎だよ』と言ってくれるだろうかと予想したのだが、それに反してユリアは驚いたようにぶんぶんと首を横に振った。
あわせて、隣に立っていたウィリアムまでも。
「ダメだよ、ダメダメ!これ、簡単そうに見えるけど初心者には結構大変なんだから!今のエリカには無理!」
「そーですよぉマスター。今日から授業始まるでしょー?なんかね、マスターのおとーさんが言ってたですよ?マスターは体力がないから、無理をしないか見ててくれーって。だから、朝くらいはゆっくりしてるです~」
「え、ええ……そうね」
(あんな簡単そうな体操でさえ禁止されるほどの体力のなさって……どうなのかしら)
この先、魔術を本格的に使っていくなら魔力のみならず体力もそれなりに必要となるのだが、これでは先が思いやられる。
先ほどまでとはまた違った意味で不安にかられてしまうエリカだった。
と、なんだかんだでにぎやかに朝の支度を済ませたところで、エリカとユリアは揃って寮の外に出る。
朝食と夕食は各自の部屋で作るもよし、寮の食堂に行くもよし、外で食べるもよし、と比較的自由な行動が認められている。
昼食だけは授業との兼ね合いもあるため、学園の敷地内で食べることを義務付けされてはいるが、弁当を持参するのもカフェテリアで食べるのも自由だ。
朝食は寮の食堂で構わないとエリカはそう提案したのだが、ラスティネルがそれに反対した。
一言に女子寮と言ってしまっても王族の持つ離宮くらいの広さを持つため、食堂は複数存在する。
ざっくりと分けてしまえば、生徒達に不満を募らせないために高位の貴族用と中・低位の貴族用、そして庶民用となっているのだが、王の名の下にこの学園に通う生徒である間は身分は不問とされているため、出されるメニューに違いはない。
『例のご令嬢は一応中位の貴族という扱いになるようだけど、できるだけ寮の共用スペースでは過ごさない方がいい。共用スペースでは使い魔は連れ歩けないだろう?となると護衛はユリア一人になる、複数人で絡まれたらどうにもならないよ』
とはいえ、当のフィオーラ嬢がその食堂を利用せずに外のカフェテリアを選んでしまえば、この気遣いは全く逆効果となってしまうわけだが、ラスティネルはイイ笑顔でその可能性を否定した。
『貴族にどうして取り巻きがいるのか知ってる?親に言われるんだ、将来有望な家に取り入れって。だから入学からしばらくは派閥づくりで忙しいだろう。派閥を作りたければ共用スペースに行くのが一番手っ取り早い。……まぁ、男子寮の者と会いたい時は外部の施設を使うしかないから、たまにはカフェに来る可能性も否定はできないけど』
それでも会うなら多分昼だろうから、と言われたこともあってしばらく朝はカフェテリアに通うことにしたのだった。
兄の予言通り、学園へ行く途中にひっそりと佇むその店で寛いでいるのは現状たった3人……しかもその3人ともエリカの良く見知った人物だった。
ひとりは、銀の髪にブルーグレーの双眸を持つエリカの兄、ラスティネル・ローゼンリヒト。
ふたりめは、薄茶の髪にアイスブルーの双眸を持ち、やや意思の弱そうな顔つきながら公爵家令嬢の護衛をつとめる男爵令息、ジェイド・シュヴァルツ。
そしてもうひとりが、チャコールグレイの髪に意思の強そうな黒の双眸、第二王子リシャールの友人にして同級生でもあるダニエルの弟、ニコラス・アマティ侯爵令息。
エリカの姿を認めた彼らは立ち上がり、優雅に一礼する。
その後ジェイドは慌てて席を移り、ラスティネルはさも当然という顔で隣の席を手で示し、ニコラスは表情を変えないままジェイドと同じ位置まで下がった。
「おはようございますお兄様、ジェイド、ニコラス様」
「おはよう、エリカ。ほら、ユリアも早く席について。ここのカフェのモーニングはそこそこいけるんだ。早く注文して、ゆっくり食べようじゃないか」
うきうき、という擬音語が見えそうなほど楽しそうなラスティネル。
そんなテンションに慣れてしまっているエリカは通常モード、ユリアも「相変わらずですねー」と笑い飛ばし、ジェイドであってもニコニコと温かい視線を向けている、が。
「はぁ……妹君が絡むと人が変わるとは聞いていましたが、聞きしに勝る溺愛ぶりで目眩がします。過ぎた愛情は弱点になる、ということを勿論ご存じですね?ラス様」
「知ってる。だからこそ早々に君に紹介したんじゃないか、ニコル」
僕が卒業した後は頼んだよ?と笑顔でとんでもないことを頼まれたニコラスは、仏頂面のまま「わかっています」と頷いた。
とはいえ、納得できないと顔にデカデカと書いてあるのだが。
ニコラスとラスティネルは、友人関係というよりは師弟関係と言った方が近い。
ラスティネルは治癒属性の持ち主ではあるが、数少ない魔術医師の手助けになればと様々な魔道具を研究しており、その一環として医療知識についても深く学んでいる。
そんな彼は学園の実技や対抗戦などの時によく治療要員として駆り出されており、騎士科所属のニコラスの治療も何度か担当したことがあった。
何度目かの折、ニコラスはラスティネルに能力を使わない治療技術について教えて欲しいと乞い、それから二人は顔を合わせるたびに治療方法だけでなく薬と毒の見分け方や煎じ方など、様々な話をするようになっていった。
だから、ニコラスはラスティネルに尊敬の念を抱いている。
公爵令息だというのに己の能力に頼りすぎず、広く国民のことまで考えて研究を続ける彼は素晴らしい、彼のような存在こそ兄やその友人であるリシャールの側にあるべきだ、と。
実際、ラスティネルとリシャールは知り合い以上の関係で、一緒に研究に取り組んだこともあると聞く。
ダニエルとは直接的な知り合いではないが、彼が冒されている病の治療方法に関してはラスティネルの知識も役立ったのだと、そう兄から聞かされている。
それは誇らしい。純粋に嬉しいことだと思う。
だが、その話の中心にいるのがこのエリカ・ローゼンリヒトなのだ。
ラスティネルはエリカの兄で、彼女もまた彼の兄と同じ病に冒されていたからこそ、ラスティネルはその病についての知識を多分に持っている。
リシャールはエリカの婚約者であり、ダニエルは己と同じ病を抱えながら完治に至ったという奇跡の少女を目標に生きているらしい。
つまるところ、彼は面白くないのだ。
憧れの存在であるリシャールや、尊敬するラスティネル、敬愛する兄ダニエルを結びつける中心にいる、このちっぽけな少女が。
今の彼の気持ちを率直に表すなら、『尊敬するラス様に頼まれたから目をかけてやるが、せいぜい面倒事を起こさないようにしてくれ』といったところか。
注文したモーニングが人数分届いたところで、「ではいただこうか」と年長者であるラスティネルの声がかかる。
いつもなら「朝ごはん、朝ごはん~」と嬉しそうに真っ先に食べ始めるユリアはしかし、不意に自分のプレートとエリカのプレートを掴んで立ち上がり、テラス席から店内へ向かって無言で歩き出した。
いきなり目の前から朝食を取り上げられたエリカは驚いたように「え?」と首を傾げたが、ユリアのその表情から何かを察したのか口をつぐみ、「お兄様、失礼しますわね」と立ち上がる。
「エ、エリカ?ユリアも一体どうしたんだ?何か嫌なものでも見かけたのか?」
「ラス様、あたしエリカの護衛なんです。エリカに悪意を向ける者を絶対に近づけるな、って保護者からも言われてますし……何より、親友が嫌な思いするのはぜっったいにいやっ!」
あたしも気分悪いですし!と付け加えて、彼女は「ジェイドも、こっち!」とおろおろしていたもう一人の護衛も呼び寄せた。
「は、はいっ!え、えと、それじゃすみません、行きます、ね」
「……ああ、うん」
呆然と、どうしてこうなったという顔で見送るラスティネルの側で、ニコラスだけは苦虫を噛み潰したような渋い顔で店内に通じる扉を睨みつけている。
と、その扉を開ける前に肩越しに振り向いたジェイドは、そんなニコラスに困ったような寂しげな顔を向けた。
「差し出がましいようですが、アマティ様…………貴方がそんな顔であの方を見るから、ユリアさんは怒ったんです。僕も、正直気分がよくありません。男爵子息ごときが偉そうに言えることじゃありません、けど……でも、僕もあの方の……エリカお嬢様の護衛、ですから。貴方が聞こえないように小さく呟いた声だって、僕には聴こえていましたから。そういうの、やめた方がいいと思います」
「……っ」
すみません失礼します、と今度こそジェイドは扉の向こうへと消えた。
そう、彼にだけは聴こえたのだ。
『なんで俺があんな甘やかされ放題の我儘女なんか』と呟いた、ニコラスの声が。




